ピンク実演

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池袋のシネマ・リリオでの1966年(昭和41年)3月に上演された劇団『赤と黒』の『悶えるうめき』に出演中の志村曜子二ツ木綾子藤田莉花林美樹糸井香子成人映画 No. 8より
銀座地球座でのピンク実演、『色情狂綺譚』(ヤマベプロ谷ナオミ桂奈美)。スター24時間1969年(昭和44年)3月増刊号より
銀座地球座でのピンク実演、『婦女暴行奇談』(辰巳のり子)。スター24時間1969年(昭和44年)3月増刊号より
婦女誘拐編』での辰巳典子成人映画1968年(昭和43年)4月, No.28より
残虐生娘日記』での祝真理一星ケミ成人映画1968年(昭和43年)4月, No.28より

ぴんくじつえん

概要

1960年代の中頃(総和40年頃)から10年ほどブームとなったピンク芝居。ピンク映画とカップルでピンク映画女優を含む少人数の役者が寸劇をおこなっていた。いくつかの劇団が活動していた模様で、団鬼六濡木痴夢男も脚本を書いた。当時の記録からは相当な人気を博していたことがわかる。谷ナオミたこ八郎内田高子松井康子林美樹白川和子真湖道代珠瑠美桂奈美辰巳典子東てる美などが出ていた。「ピンク芝居」「ピンク劇場」などとも呼ばれる。

別名

ピンク実演 ピンク劇団 ピンク芝居 ピンク劇場 ピンキー舞台 ヌード実演 実演ヌードショー 実演

主な出来事

1964年(昭和39年)11月、「大都プロ(奈加公子綾川しのぶ麻木正美ら所属)では、こうしたピンク映画の将来性を見越したか、昨年十一月地方公演に新境地をひらき、ストリップ劇場キャバレーの舞台で、ピンク映画ならぬピンク劇場に活路をみい出した。生の人間たちが、ラブシーンを演じるわけである」という記述がある[1]

1965年(昭和40年)10月1日−10日、浜松のストリップ劇場「金馬車ミュージック」で戸塚純作演出の「めす猫の宿」全四景を上演。出演は麻木正美綾川しのぶ奈加公子紫理子丘百合子志村曜子[2]

1965年(昭和40年)11月1日−10日、平塚劇場にて日本セントラル・プロ(戸塚純松野京一)による「めす猫の宿」。出演はA班の麻木正美綾川しのぶ奈加公子紫理子丘百合子志村曜子とB班の重光秀子林美樹糸井香子亜利絢子西岡圭子緋色凉子[3]

1965年(昭和40年)12月20日、千葉船橋にあったストリップ劇場「大宝」で「ピンク映画女優」のピンク実演。重光秀子、林美樹、糸井香子らによる「めす猫の宿[4][注 1]

1966年(昭和41年)、カジバシ座での劇団「赤と黒」の芝居がピンク実演の走りとする記述もある[5]

1966年(昭和41年)3月25日、池袋のシネマ・リリオで3月25日より上演された、劇団『赤と黒』の『悶えるうめき』公演の様子が『成人映画』がNo. 8で紹介。戸塚純・作、松野京一・演出で出演は志村曜子二ツ木綾子藤田莉花林美樹糸井香子堺新太郎島崎始山田昭三木田英三。「きょねんの十月、浜松のストリップ劇場で、別に劇団の名前もつけずに、小人のマーチャンを座長にビックスターが集まって「めす猫の宿」(戸塚純作・演出)を公演したところ大ヒット。その評判をきいてあちこの興行主から口がかかって大阪、姫路、神戸、平塚んど九都市で巡演、いずれもヒットを放った。そこで本格的な劇団にしようと劇団『赤と黒』と名前をつけ、晴れの東京進出となった」とある。


1966年(昭和41年)、映画『新拷問刑罰史 拷問』(小森白プロダクション, 1966.7)が京都の「田園キネマ」で上映される際、舞台で「残虐物語二景」と題したストリップが上演された[6]

1966年(昭和41年)10月、成人映画 No.12 (10月1日発行)に劇団「赤と黒」の8回目の公演作『狂ったプラン』(原作・演出:松野京一、脚本:安永作二)が池袋のリリオカジバシ座で公演中だと。次回作は芥川賞作品の石塚喜久三『回春堂』の予定だと。

1967年(昭和42年)、池袋名画座の正月興行の松井康子らのピンク実演が人気を集める。演出は小林悟[7][注 2]

1967年(昭和42年)、銀座地球座が邦画名画座からピンク映画上映館に路線変更すると同時に、ピンク実演を開始。こけら落としに内田高子松井康子谷ナオミが舞台挨拶[5]。10月より恵通企業銀座地球座渋谷地球座ピンク実演を開始[8]

1967年(昭和42年)、実話と手記 LOOK版8月号に「カジバシ座特報 拷問くの一 劇団『赤と黒』特別公演」。

1968年(昭和43年)、既にカジバシ座でのピンク実演に劇団「炎」[注 3]が加わっている[5]

1968年(昭和43年)4月、成人映画 No.28に「ピンク実演」特集。銀座地球座での『女子学生桃色水滸伝』。

1968年(昭和43年)11月5日、渋谷地球座銀座地球座にてピンク実演ブルーフィルムの女』全3景。作:団鬼六、演出:岸信太郎、製作:ヤマベプロ、出演:谷ナオミ山石映子太古八郎南浩二銀座地球座にてピンク実演女子学生の肌を狙え』全4景。作:団鬼六、演出:岸信太郎、製作:ヤマベプロ、出演:水咲陽子青木マリ坂本昭渡辺充雄[9]

1969年(昭和44年)、奇譚クラブ1月号,p233「奇クサロン」に谷ナオミの実演の観劇レポートが[注 4]

1969年(昭和44年)2月、成人映画 No. 37に池袋名画座での渚マリ芦川絵里実演の様子が紹介。

1969年(昭和44年)3月、成人映画 No. 38で特集『生の迫力!ピンク実演』。

組織的・精力的にピンク実演をおこなっているのが都内に11の系統館をもつ恵通企業。1967年の10月から銀座地球座渋谷地球座で開始。1968年暮れから新宿地球座池袋地球座錦糸町地球座でも実演を。
漠、炎、ワールド、ヤマベプロの四劇団と契約し、二館づつを一週間交替で受け持ち、日に2回興行。
銀座地球座での劇団漠濡れる器・全三景』のルポ。祝真理瀬川宏月三子ジーナ・リーが出演。3本立て映画400円にさらに実演がついて450円。
池袋地球座では芦川絵里渚マリ

1969年(昭和44年)3月、スター24時間1969年(昭和44年)3月増刊号で銀座地球座が紹介。

カジバシ座と少し違うのは、特定の劇団の出入りではなく、独立プロのビンク女優をヒロインに、機に応して、外部のプロダクションが持込みの型で公演することだ。」
婦女暴行奇談』(辰巳のり子)の紹介。
色情狂綺譚』(ヤマベプロ谷ナオミ桂奈美)の紹介。

1969年(昭和44年)4月、封切館であった広島ロキシー座が映画と実演の二本立てに。

1970年(昭和45年)、奇譚クラブ9月号, p247池袋アートシアターでの人間座「奴隷」の観劇レポート。

1970年(昭和45年)、MAGプロが『劇団忍』を結成し8月6日の浅草東洋劇場で旗揚げ[10]。8月6日より19日までは二条朱美乱孝寿西友子ニ階堂浩らが出演し『㊙秘密諜報機関マゾ作戦』。8月20日より31日までは『色好み女博徒』。出演は林美樹乱孝寿西友子椙山挙一郎武藤周作冬木京三長岡丈二

1970年(昭和45年)12月、実話情報12月臨時増刊 エロスのアルバム第8集の深井俊彦ピンク実演の”あしたのジョー”?太古八郎

1971年(昭和46年)、浅草東洋劇場にいた杉浦則夫団鬼六の鬼プロに参加。たこ八郎が中心の鬼プロピンク実演の第1回目の制作に関わる。

1972年(昭和47年)、Kiss1972年(昭和47年)9月号の『舞台でハッスル!肉体女優』で「劇団ネグリジェ」「劇団プリマ」「劇団ナオミ」「劇団プロ鷹」「劇団鬼プロ」が紹介。

1973年(昭和48年)、実話とマンガ1973年(昭和48年)5月増刊号で『ピンキー舞台 裸の熱演集』。忍劇団の「㊙SM作戦」出演:二条朱美西とも子広島健

1974年(昭和49年)、CINEMA SPOT6月号に、『舞台に咲いたピンクの艶花』と題し、劇団ナオミ劇団21世紀劇団美沙が紹介。

1976年(昭和51年)9月1日〜10日、渋谷道頓堀劇場にてSM演劇闇の中の魔女』(出演:泉ユリ、作・藤見郁)[11]

1970年代?、辰巳出版の「SM特集」の中に松野京一SM演劇裏ばなし 血と乳房』。「赤と黒」を主宰していたころのピンク実演の想い出話。

1978年(昭和53年)3月18日-24日、京橋アカデミー劇場で谷ナオミの実演『緋桜お梶 やわ肌がうずく時』の公演。

1980年(昭和55年)頃、藤ひろ子が女性だけのピンク劇団女優軍団・藤』を結成。

エピソード

主な劇団

出演者

谷ナオミ たこ八郎 内田高子 松井康子 林美樹 白川和子 真湖道代 珠瑠美 桂奈美 辰巳典子 東てる美 瀬川宏 坂本昭

代表作

引用文献

  1. 実話と秘録1966年(昭和41年)4月増刊号, p144
  2. 私たちも”春川ますみ”になりたい!』週刊漫画サンデー 1965年(昭和40年)11月3日号, p50-53.
  3. cobanobuのブログ「ピンク女優の実演ブーム」
  4. STRIP MEMORIAL
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 成人映画』1968年(昭和43年)4月号(通算28号)の「ピンク実演:決定的瞬間を生で見る迫力」より
  6. 東山映史『最近の縛り映画から奇譚クラブ1966年(昭和41年)12月号, p14
  7. 成人映画 1967年(昭和42年)2月号(No. 15)
  8. 成人映画 No. 38
  9. 【西条昇のピンク実演芝居コレクション】昭和43年のピンク実演の新聞広告
  10. 成人映画 No. 56, 1970年(昭和45年)9月1日発行
  11. SMセレクト 1976年(昭和51年)10月号, p179
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 南彦造「演劇批評:『残酷劇』見たまま」奇譚クラブ1969年(昭和44年)8月号
  13. 濡木痴夢男『濡木痴夢男のおしゃべり芝居』

注釈

  1. このピンク実演に関しては、1966年(昭和41年)、奇譚クラブ4月号, p23の岩木一夫『「青木順子ショーについて」呼び掛け』の記事の中で、1965年(昭和40年)の暮れに船橋の大宝劇場でエロプロダクションによる『めす猫の宿』を見たが、サディスティックな場面がありなかなかよかったと書いている。
  2. 「この正月興行はどこも実演付きがにぎやかだった」「池袋名画座では正月四日から十日まで”松井康子とそのグループ”という出演陣で、「源氏裸物語」(演出小林悟)を上演した。一日三回、四十五分のじつえん」「最高が千五百人、平均八百人というヒット」「松井をのぞく女優陣はオッパイ丸出し」出演:松井康子、白川昌雄。数名の女優。
  3. 青木マリ、水咲陽子などが出演。濡木痴夢男が「炎」のためにいくつか脚本を書いている。
  4. 渋谷のC座。ヤマベプロ作『人妻地獄』で団鬼六脚本。看板には「奇譚クラブ連載<花と蛇>より」と。三景。谷ナオミ、鈴木通人、南弘二、竹原あこ。併映は『鞭と淫獣』。

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