「後手高手小手」の版間の差分
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*1678年(延宝6年) | *1678年(延宝6年)の[[菱川師宣]]『'''古今役者物語'''』の中の「山ぜうだゆふ あんじゆのひめ(三庄太夫 安寿の姫)」に「いたはしやひめ君を、たかてこてにいましめて」とある<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926050 『江戸時代文芸資料』]([[図書刊行会]], 1916)</ref>。 | ||
*1923年(大正12年)の真鍋儀十『'''地獄の黎明'''』(星風堂, 1923) [http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F908193&contentNo=21&outputScale=1 ,p16]に「何の咎で高手小手のいましめ」という章がある。 | *1923年(大正12年)の真鍋儀十『'''地獄の黎明'''』(星風堂, 1923) [http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F908193&contentNo=21&outputScale=1 ,p16]に「何の咎で高手小手のいましめ」という章がある。 | ||
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*17世紀前半の[[岩佐又兵衛]]による『浄瑠璃物語絵巻』の1場面に[[捕縄術]]風の[[後手縛り]]の絵。 | *17世紀前半の[[岩佐又兵衛]]による『浄瑠璃物語絵巻』の1場面に[[捕縄術]]風の[[後手縛り]]の絵。 |
2014年12月16日 (火) 08:13時点における版
ごてたかてこて(うしろでたかてこて、うしろてたかてこて)
概要
近代的な日本式緊縛術の最も代表的な技法。「高手小手」「後手縛り」のほか、いろいろな名称で呼ばれる。読み方も「ごてたかてこて」「うしろてたかてこて」「うしろでたかてこて」と複数存在する。
基本的には、背中側(後手)で両手首(小手)を拘束し、さらに、乳房の上側、下側に胸縄を回し二の腕部分(高手)を拘束する。胸縄の脱落を防ぐために、閂と呼ばれる補助的な縛りが加えられることが多い。細かな手法は緊縛師により大きく異なる。なお、「高手」を「二の腕」ではなく「高い位置の手」と解釈し、背中側の高い位置で、両手首をX字で縛る技法を指して後手高手小手(高手小手) と呼ぶ緊縛師も少なくなく、この場合、手首の位置が通常の縛りを後手縛り等と呼んで区別している。捕縄術の多くは、背中側(後手)で両手首(小手)を拘束し、さらに「首」と「高手」への拘束を組み合わせているので、広い意味での後手高手小手に含めるべきである。ただし、捕縄術の縛りでは、現代緊縛のように、胸に縄を回す胸縄はほぼ存在しない[注 1]したがって、語源通りに広義に解釈するなら、後手高手小手は必ずしも胸縄を必要としない。
別名
後手縛り、 高手小手、 後高手小手、 後ろ高手小手、 後高手小手縛り、 後ろ手高手小手、 後小手縛り、 後ろ手縛り、 後手胸縄縛り、 後ろ手胸縄縛り 小手高、 高小手 高手小手縛り
英語表記
Gote takatekote, Takatekote、Box tie、Chest harness
解説
【言葉の分解】後手縛りは両手首を背中側で縛る縛り方を意味し、対義語は前手縛りで、両手首を体の前側で縛る縛り方である[注 2]。小手は「手首と肘との間」を意味し、高手は「二の腕」、すなわち上腕部を意味する。したがって、後手高手小手縛りは、背中側(後手)で、両手首(小手)と二の腕(高手)を拘束する縛り方である[注 3]。異なった解説として、高手を「手を高く持ち上げる」と解釈し、両手首を背中の高い位置で縛る縛り方とするものもある。後者の場合、腕が腰の位置の縛りを後手縛りと呼び、腕が背中高い位置での縛りを高手小手縛りと呼んで区別している場合もある(有末剛など)。
【用法1】右上図にあるように、背中側(後手)で両手首(小手)を縛り、乳房の上側、および下側に胸縄をかける。この時、二組の胸縄が「二の腕」=高手をおさえることになる。
【用法2】高手を「手を高く持ち上げる」と解釈し、両手首を背中の高い位置で縛る。乳房の上下に胸縄をかけるのは用法1に同じである。「高手小手」の用法には、(1)「後手高手小手」の【用法2】の別名、と(2)「両手首を背中の高い位置で縛る」状態を表す要素後としての用法があるので注意。
【用法3】後手状態で高手、小手の2箇所を拘束する緊縛技法として解釈するなら、捕縄術で見られる多くの古式緊縛技法が後手高手小手として分類できる。捕縄術の場合には胸に縄をかける技法は稀であるので、近代的な後手高手小手とは大きく異なった型となる。捕縄術の各流派で後手高手小手といった名称が使われていたとは思われないが[注 4]、市井では高手小手などの名称が江戸時代から使われていたかもしれない。この場合、近代的な胸に縄をかける縛りであったのか、あくまで背面を中心とした捕縄術的な高手小手であったのかは興味深い点である。
【「高」と「小」】「高目(たかもく)」「小目(こもく)」のように「高」「小」には「内側」「外側」の意味がある。この場合、「内側の手=二の腕」「外側の手=手首」となる[1]。
【縛り手順】後手高手小手は近代的日本式緊縛術の最も中心となる縛りで、各緊縛師がそれぞれの工夫を凝らして、いろいろな独自の型を開発している。したがって、共通した後手高手小手の縛り方手順は存在しない。
発展型
後手高手小手をベースに、他の縛りや飾り縄などを加えて、複雑な縛りに発展させることができる。要素単語を組み合わせて、名称も複雑なものとなる。
参考となる文献教材
- 尾崎光陽撮影『迫害される女の美しさ』 讀切ロマンス1952年(昭和27年)2月号グラビア
- 辻村隆他『縛られたる女』『緊縛美の断片』奇譚クラブ1952年(昭和27年)8月号, グラビア グラビア
- 辻村隆『緊縛の美』奇譚クラブ1952年(昭和27年)10月号, グラビア
- 辻村隆・塚本鉄三『後手と高手小手による緊縛美の考察』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, グラビア
- 塚本鉄三『緊縛フオト撮影の実際 首縄と後手縛り』奇譚クラブ1962年(昭和37年)4月号, グラビア
- 『黒縄後手高手小手棒責め』奇譚クラブ1964年(昭和39年)2月号, グラビア(モデルは絹川文代)
- 杉原虹児『高手小手』奇譚クラブ1954年(昭和29年)4月号, グラビア
- 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際:高手小手縛りの一例』奇譚クラブ1961年(昭和36年)9月号, 口絵
- 『秘蔵版風俗画報』1964年(昭和39年)7月1日号に「高手小手の女」
参考となる緊縛教材
- ジョー田中『SM教室縛り編』(ARROW, 1982)
- 濡木痴夢男『濡木塾 I :濡木痴夢男新縛り方教室』(アートビデオ, 1988)
- 志摩紫光『SM SEX ビギナー編』(志摩プランニング, 1988)
- 志摩紫光『LET'S PLAY SM 縛りと責めのテクニック1』(志摩プランニング, 1994)
- ダーティ工藤『緊縛術 I 』(Dirty Factory, 2000)
- 濡木痴夢男『秘技伝授 緊縛入門』(ハムレット, 2001)
- 千葉曳三『新・緊縛講座 -初級から中級へー』(耽美会, 不明)(出演:千葉曳三 渡瀬彩花 佐々良淋)
- 宝紅緒『緊縛学入門1』(セビアン, 2001年頃)
- 長池士『SMにおける縛り方の極意1』(インターラボ, 2002)
- 乱田舞『完全緊縛マニュアル 初級編』(バッキービジュアルプランニング, 2002)
- 乱田舞『完全緊縛マニュアル 中級編』(バッキービジュアルプランニング, 2002)
- 長池士『SMにおける縛り方の極意1』(インターラボ, 2002)
- 速水健二『縛・基本』(ショウ・カンパニー, 2003)
- 宝紅緒『紅緒流 縄の手ほどき』(440企画室, 2004頃)
- 志摩紫光『奥義入門(緊縛編)縄とSEX 呉羽』(志摩プランニング, 2004)
- 乱田舞『乱田舞の緊縛マニュアル 初級2』(縛鬼流, 2004)
- 長田一美『M女が語る 女性に好かれる縛り方』(長田ゼミナール, 2004)
- 明智伝鬼 神浦匠『緊縛技形宝典 第壱章』(縛友会, 2005)
- 麻来雅人『緊縛心得・巻之一』(縛りの手帖, 2005)
- 京夜『緊縛本番 上巻』(北斗パートナーズ, 2006)
- 雪村春樹『雪村春樹のプチ縄講座彼女としたい縛り方入門』(大洋図書, 2007)
- 狩野千秋『SM緊縛講座』(日本緊縛美術社, 2007頃?)
- 有末剛『緊縛の心と技2 (床技編1)』(十五や, 2009)
- 麻来雅人『麻来雅人流 上級者のための緊縛術』(三和出版, 2009)(DVD附属)
- 龍崎飛鳥『緊縛解体新書 ACT1』(SM Queen Road, 2010)
- ダーティ工藤『新・緊縛術 1』(Dirty Factory, 2010.3.25)(モデル:宮咲志帆)
- 奈加あきら『責め縄緊縛術-入門編』(ライブクリエイション, 2011)
- 下川哲『縛りの初歩 後ろ手胸縄縛り』マニア倶楽部2011年(平成23年)5月号(DVD付き)
- 麻来雅人『縛り方講座入門編』(マイウェイ出版, 2012.9.26)(DVD附属)
- 武田龍二『龍縛 第一章』(私家版, 2011)
いろいろな緊縛師の後手高手小手の特徴
後手高手小手のいろいろ参照。
文学に見る後手高手小手
- 1678年(延宝6年)の菱川師宣『古今役者物語』の中の「山ぜうだゆふ あんじゆのひめ(三庄太夫 安寿の姫)」に「いたはしやひめ君を、たかてこてにいましめて」とある[2]。
- 1923年(大正12年)の真鍋儀十『地獄の黎明』(星風堂, 1923) ,p16に「何の咎で高手小手のいましめ」という章がある。
絵画に見る後手高手小手
- 17世紀前半の岩佐又兵衛による『浄瑠璃物語絵巻』の1場面に捕縄術風の後手縛りの絵。
- 1730年(享保5年)、狂言の絵入台本集『狂言記 拾遺篇』に紹介されている『棒縛り』では太郎冠者が天秤棒担ぎ縛りにされ、次郎冠者は後手縛りに。
- 1789年(天明9年)頃の勝川春章作『欠題組物』に捕縄術風の後手縛りの絵。
- 18世紀末頃の草双紙『心学早染艸』(山東京伝・作、北尾政美・絵)に捕縄術風の後手縛り。
- 1822年(文政5年)、歌川豊國の『逢夜雁之声』の中に後手縛りの絵がある。
- 1825年(文政8年)、歌川国輝の『精ぐらべ玉の汗』の捕縄術風の後手縛りの絵。
- 1826年(文政9年)、歌川國貞の『繪本 開談夜之殿』には「寄つてかゝつて高手小手にくゝしつけ」と、高手位置での後手縛り(胸縄はない)が描かれている。少なくともこの時期に「高手=高い位置」の解釈があったことを示す。
- 1828年(文政11年)5月9日、市村座でおこなわれた『菅原伝授手習鑑』の絵本番付に後手縛りらしき絵がある。
- 1800年代、弘瀬金蔵の屏風絵の1つに歌舞伎『源平布引滝』の「松波検校琵琶の段」に題材ととった作品。平重盛の家臣である平次が多田行綱の実娘を後手縛りで折檻する場面が。
- 1888年(明治21年)、小林永濯の「都の花」に女性が胸縄で縛られている絵を発表。
- 1924年(大正13年)頃、井川洗崖が講談倶楽部に女性が上半身裸で胸縄で縛られている絵を発表。
- 1947年(昭和22年)、岩田専太郎がりべらる2月号に女性が後ろ手で縛られている絵を発表。
- 1948年(昭和23年)、中一彌 が上半身裸で胸縄で縛られている絵を発表。
- 1950年(昭和25年)、須磨利之がカストリ雑誌時代の奇譚クラブ7月号に裸で胸縄で縛られている絵を発表。
- 1951年(昭和26年)、須磨利之がカストリ雑誌時代の奇譚クラブ2月号に上半身裸で後手高手小手近い縄で縛られている絵を発表。
- 1952年(昭和27年)、志村立美が主婦と生活 に女性が上半身裸で後ろ手で縛られている絵を発表。
- 1952年(昭和27年)、須磨利之が奇譚クラブ7月号にいろいろな後手縛りの習作の絵を発表。
- 1952年(昭和27年)、須磨利之が奇譚クラブ9月号にいろいろな後手縛りの習作の絵を発表。
- 1953年(昭和28年)、富永謙太郎が小説倶楽部新春特別号に今の後手高手小手に相当する絵を発表。
- 1953年(昭和28年)、須磨利之が奇譚クラブ3月号に閂の入った後手高手小手を発表。
引用文献
注釈
お役たちweb
関連ページ
後手高手小手 後手縛り 両手首縛り 後手直伸縛り 襷縛り 後頭後手縛り 逆海老縛り 胡座縛り 亀甲縛り 股縄縛り M字開脚縛り よく使われる緊縛技法