「後手高手小手」の版間の差分

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[[後手高手小手のいろいろ]]参照。
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==文学に見る[[後手高手小手]]==
==文学に見る[[後手高手小手]]==
*1923年(大正12年)の真鍋儀十『'''地獄の黎明'''』(星風堂, 1923) [http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F908193&contentNo=21&outputScale=1 ,p16]に「何の咎で高手小手のいましめ」という章がある。
{{文学に見る後手高手小手}}
 
==絵画に見る[[後手高手小手]]==
==絵画に見る[[後手高手小手]]==
*17世紀前半の[[岩佐又兵衛]]による『浄瑠璃物語絵巻』の1場面に[[捕縄術]]風の[[後手縛り]]の絵。
{{絵画に見る後手高手小手}}
*1730年(享保5年)、狂言の絵入台本集『'''狂言記 拾遺篇'''』に紹介されている『'''棒縛り'''』では太郎冠者が[[天秤棒担ぎ縛り]]にされ、次郎冠者は[[後手縛り]]に。
*1789年(天明9年)頃の[[勝川春章]]作『欠題組物』に[[捕縄術]]風の[[後手縛り]]の絵。
*18世紀末頃の'''草双紙'''『心学早染艸』(山東京伝・作、北尾政美・絵)に[[捕縄術]]風の[[後手縛り]]。
*1822年(文政5年)、[[歌川豊國]]の『'''逢夜雁之声'''』の中に[[後手縛り]]の絵がある。
*1825年(文政8年)、[[歌川国輝]]の『'''精ぐらべ玉の汗'''』の[[捕縄術]]風の[[後手縛り]]の絵。
*1826年(文政9年)、[[歌川國貞]]の『'''繪本 開談夜之殿'''』には「寄つてかゝつて[[高手小手]]にくゝしつけ」と、[[高手]]位置での[[後手縛り]](胸縄はない)が描かれている。少なくともこの時期に「[[高手]]=高い位置」の解釈があったことを示す。
*1828年(文政11年)5月9日、[[市村座]]でおこなわれた『'''菅原伝授手習鑑'''』の[[絵本番付]]に[http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/BANDUKE/DIGITAL/02_008/IMG005.JPG 後手縛りらしき絵]がある。
*1800年代、[[弘瀬金蔵]]の屏風絵の1つに歌舞伎『源平布引滝』の「松波検校琵琶の段」に題材ととった作品。平重盛の家臣である平次が多田行綱の実娘を[[後手縛り]]で折檻する場面が。
*1888年(明治21年)、[[小林永濯]]の「都の花」に女性が[[:ファイル:Eitakukobayashi.jpg|胸縄で縛られている絵]]を発表。
*1924年(大正13年)頃、[[井川洗崖]]が[[講談倶楽部]]に女性が[[:ファイル:Sengaiigawa.jpg|上半身裸で胸縄で縛られている絵]]を発表。
*1947年(昭和22年)、[[岩田専太郎]]が[[りべらる]]2月号に女性が[[:ファイル:sentaroiwata.jpg|後ろ手で縛られている絵]]を発表。
*1948年(昭和23年)、[[中一彌]] が[[:ファイル:Kazuyanaka.jpg|上半身裸で胸縄で縛られている絵]]を発表。
*1950年(昭和25年)、[[須磨利之]]が[[カストリ雑誌時代の奇譚クラブ]]7月号に[[:ファイル:Suma50.jpg|裸で胸縄で縛られている絵]]を発表。
*1951年(昭和26年)、[[須磨利之]]が[[カストリ雑誌時代の奇譚クラブ]]2月号に[[:ファイル:Ashimizusaigo.jpg|上半身裸で後手高手小手近い縄で縛られている絵]]を発表。
*1952年(昭和27年)、[[志村立美]]が'''主婦と生活 '''に女性が上半身裸で[[:ファイル:Tatsumishimura.jpg|後ろ手で縛られている絵]]を発表。
*1952年(昭和27年)、[[須磨利之]]が[[奇譚クラブ]]7月号に[[:ファイル:Suma33.jpg|いろいろな後手縛りの習作の絵]]を発表。
*1952年(昭和27年)、[[須磨利之]]が[[奇譚クラブ]]9月号に[[:ファイル:Suma37.jpg|いろいろな後手縛りの習作の絵]]を発表。
*1953年(昭和28年)、[[富永謙太郎]]が'''小説倶楽部'''新春特別号に[[:ファイル:kentaroutominaga.jpg|今の後手高手小手に相当する絵]]を発表。
*1953年(昭和28年)、[[須磨利之]]が[[奇譚クラブ]]3月号に[[:ファイル:Suma40.jpg|閂の入った後手高手小手]]を発表。


== 引用文献==
== 引用文献==

2015年8月8日 (土) 08:28時点における最新版

後手高手小手

ごてたかてこて(うしろでたかてこて、うしろてたかてこて)

概要

近代的な日本式緊縛術の最も代表的な技法。「高手小手」「後手縛り」のほか、いろいろな名称で呼ばれる。読み方も「ごてたかてこて」「うしろてたかてこて」「うしろでたかてこて」と複数存在する。

後手高手小手を前面から見た場合。

基本的には、背中側(後手)で両手首(小手)を拘束し、さらに、乳房の上側、下側に胸縄を回し二の腕部分(高手)を拘束する。胸縄の脱落を防ぐために、と呼ばれる補助的な縛りが加えられることが多い。細かな手法は緊縛師により大きく異なる。なお、「高手」を「二の腕」ではなく「高い位置の手」と解釈し、背中側の高い位置で、両手首をX字で縛る技法を指して後手高手小手(高手小手) と呼ぶ緊縛師も少なくなく、この場合、手首の位置が通常の縛りを後手縛り等と呼んで区別している。捕縄術の多くは、背中側(後手)で両手首(小手)を拘束し、さらに「首」と「高手」への拘束を組み合わせているので、広い意味での後手高手小手に含めるべきである。ただし、捕縄術の縛りでは、現代緊縛のように、胸に縄を回す胸縄はほぼ存在しない[注 1]したがって、語源通りに広義に解釈するなら、後手高手小手は必ずしも胸縄を必要としない。

別名

後手縛り高手小手後高手小手後ろ高手小手後高手小手縛り後ろ手高手小手後小手縛り後ろ手縛り後手胸縄縛り後ろ手胸縄縛り 小手高高小手 高手小手縛り

英語表記

Gote takatekote, Takatekote、Box tieChest harness

解説

「両手首を背中の高い位置で縛る」状態を表す要素後としての高手小手

【言葉の分解】後手縛りは両手首を背中側で縛る縛り方を意味し、対義語は前手縛りで、両手首を体の前側で縛る縛り方である[注 2]小手は「手首と肘との間」を意味し、高手は「二の腕」、すなわち上腕部を意味する。したがって、後手高手小手縛りは、背中側(後手)で、両手首(小手)と二の腕(高手)を拘束する縛り方である[注 3]。異なった解説として、高手を「手を高く持ち上げる」と解釈し、両手首を背中の高い位置で縛る縛り方とするものもある。後者の場合、腕が腰の位置の縛りを後手縛りと呼び、腕が背中高い位置での縛りを高手小手縛りと呼んで区別している場合もある(有末剛など)。

【用法1】右上図にあるように、背中側(後手)で両手首(小手)を縛り、乳房の上側、および下側に胸縄をかける。この時、二組の胸縄が「二の腕」=高手をおさえることになる。

【用法2】高手を「手を高く持ち上げる」と解釈し、両手首を背中の高い位置で縛る。乳房の上下に胸縄をかけるのは用法1に同じである。「高手小手」の用法には、(1)「後手高手小手」の【用法2】の別名、と(2)「両手首を背中の高い位置で縛る」状態を表す要素後としての用法があるので注意。

【用法3】後手状態で高手小手の2箇所を拘束する緊縛技法として解釈するなら、捕縄術で見られる多くの古式緊縛技法が後手高手小手として分類できる。捕縄術の場合には胸に縄をかける技法は稀であるので、近代的な後手高手小手とは大きく異なった型となる。捕縄術の各流派で後手高手小手といった名称が使われていたとは思われないが[注 4]、市井では高手小手などの名称が江戸時代から使われていたかもしれない。この場合、近代的な胸に縄をかける縛りであったのか、あくまで背面を中心とした捕縄術的な高手小手であったのかは興味深い点である。

【「高」と「小」】「高目(たかもく)」「小目(こもく)」のように「高」「小」には「内側」「外側」の意味がある。この場合、「内側の手=二の腕」「外側の手=手首」となる[1]

【縛り手順】後手高手小手は近代的日本式緊縛術の最も中心となる縛りで、各緊縛師がそれぞれの工夫を凝らして、いろいろな独自の型を開発している。したがって、共通した後手高手小手の縛り方手順は存在しない。

発展型

後手高手小手をベースに、他の縛りや飾り縄などを加えて、複雑な縛りに発展させることができる。要素単語を組み合わせて、名称も複雑なものとなる。

参考となる文献教材

参考となる緊縛教材

いろいろな緊縛師の後手高手小手の特徴

後手高手小手のいろいろ参照。

文学に見る後手高手小手

  • 口承文芸として形成した説話、説教節の代表作でもある『山椒太夫』には「丹波の穴太より、尋ね出だし、高手小手に縛めて、国分寺へぞ引きたりける」のように、「高手小手」が使われていたようだ。他にも「愛護若」にも「いたわしや若君を、高手小手に縛め、桜の古木に吊り」と出てくる[2]。口承文芸なので「高手小手」の起源は不明だが、正本としては17世紀までさかのぼることができる。
  • 1678年(延宝6年)の菱川師宣古今役者物語』の中の「山ぜうだゆふ あんじゆのひめ(三庄太夫 安寿の姫)」に「いたはしやひめ君を、たかてこてにいましめて」とある[3]
  • 1840年代(天保)の歌川國貞の春画『繪本開談夜之殿』には「寄つてかゝつて高手小手にくゝしつけ」と、高手位置での後手縛り(胸縄はない)が描かれている。少なくともこの時期に「高手=高い位置」の解釈があったことを示す。
  • 1923年(大正12年)の真鍋儀十『地獄の黎明』(星風堂, 1923) ,p16に「何の咎で高手小手のいましめ」という章がある。
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)1月号、笠置良夫『山窩のおろく』(挿絵:宮内三郎)の中に「おろくは高手小手に縛られていた」という表記が出てくる。
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)4月号、岡田咲子巫女屋敷の責め絵巻』の中に「落ちている荒縄で高手小手に縛り上げ」という表記が出てくる。
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)7月号、染田玄『色情倒錯者の手紙』の中に「両手を高手小手に縛り上げ」という表記が出てくる。

絵画に見る後手高手小手

引用文献

  1. 真田信幸初級縛り講座 第13回 大菱縄マニア倶楽部2010年(平成22年)3月号
  2. 東洋文庫「説教節」(平凡社)
  3. 『江戸時代文芸資料』(図書刊行会, 1916)

注釈

  1. 稀な例外は存在する。
  2. 日本では、逮捕者に前手状態で手錠をかけるのが特徴で、米国では後手状態で手錠をかける
  3. 辻村隆などの解釈。
  4. 後手高手小手の要素単語は使われていたであろう。

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関連ページ

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