白川壮

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志摩紫光 Photoスナイパー1987年(昭和62年)春号より。

しま しこう、5月11日-

概要

調教師。緊縛師。編集者。AV監督。スペシャリーS&M愉芽倶楽部Speculumの編集人。志摩プランニングを設立し独自レーベルのビデオを製作。

別名

Shikou Shima志摩紫光山谷秋人伊集院剛[注 1]、志麻紫光、白川壮白河壮、曽根史生

略歴

5月11日、東京生まれ[1]

池袋周辺の屋台で靴下売りをしていた母を手伝っていた[1]

中学の時に古本屋で立ち読みした奇譚クラブ1958年(昭和33年)8月号に衝撃[2]。未成年のために店主が許さず購入できず[1]

中学生時代、新聞部の部長[1]

高校には新聞部がなかったために、新規創設に尽力。そのために生徒会役員となり、議長となった3年生の時に議長特権で新設議案を出す。生徒会では否決させるが試験的に部の活動が認められ、そのまま事後承認[1]

高校3年生の時に初めて女友達を縛る[3]。相手は後輩[1][注 2]

大学時代も新聞部在籍。喫茶店、デパート、配達、日産化学、資生堂の業界新聞の手伝いなどのバイト[1]

大学を卒業後、新聞社の政治経済部の記者[3]

1976年(昭和51年)、記者の仕事の合間にSUN&MOONに投稿[3]

1976年(昭和51年)頃、世田介一から面会を提案され、初対面。意気投合する[3]

1976年(昭和51年)頃、後に大共社を創立する貝原茂と知り合う[注 3][1]

1977年(昭和52年)、世田介一SUN&MOON第4号に志摩紫光の名で記事が。

1978年(昭和53年)、8年間続けた新聞社をやめて大共社に入社。世田介一スペシャリーS&Mの創刊に関わる。ビニ本の撮影。[4][5][3]

1978年(昭和53年)6月、スペシャリーS&M創刊号に世田介一新宿太郎志摩紫光大山慶で「耽美座談会」。

1978年(昭和53年)頃、貝原茂世田介一スペシャリーS&Mの編集での意見の食い違いから4号ぐらいからは実質山谷秋人が編集[1]

1979年(昭和54年)11月、スペシャリーS&M8号から世田介一に代わり山谷秋人の名で編集人。発行所も大共社となる。

1980年(昭和55年)頃、『S研』の発足[6]

1980年(昭和55年)11月15日、スペシャリーS&M通算14号に志摩紫光『実践縄縛術」。

1982年(昭和57年)5月15日、スペシャリーS&M23号の編集後記に藤尾高志が「山谷秋人が交通事故にあったために代わりに書いている」とある。

1982年(昭和57年)7月20日、スペシャリーS&Mの発行所が大共社から有限会社 大共出版に変更。

1982年頃、ビデオの制作に着手。VIPエンタープライズ大共ビデオタカコーポレーション(レーベルが武者ビデオ)、アニマルビデオなど。

1982年(昭和57年)10月頃、山谷秋人名で近代書房の『Spiral』創刊2号の編集人[注 4]

1982年(昭和57年)12月、スペシャリーS&M27号に「大共出版のビデオの予約」広告[注 5]

1983年(昭和58年)、スペシャリーS&Mが通算29号で休刊。

1983年(昭和58年)、DAIKYO PROを設立し愉芽倶楽部を創刊[5]

1984年頃から中村幻児雄プロで、廣木隆一石川均らと共に伊集院剛の名でSM映画を数多く製作。

1985年(昭和60年)、テレビ朝日系の「土曜ワイド劇場」の『江戸川乱歩の美女シリーズ』で技術指導[7]。「妖しい傷あとの美女」など。天知茂が主演。

1985年(昭和60年)、ムシャビデオ設立[5]

1986年(昭和61年)、シネマジックの『SMハード調教』シリーズの調教指導。

1986年(昭和61年)1月15日、マニア倶楽部創刊号に綴じ込み附録で『ニューSMプレイ講座

1986年(昭和61年)2月25日、発行人:山口椿、編集人:山谷秋人、発行所:イースト企画、発売元:吐夢書房で『Speculum』創刊。

1986年(昭和61年)5月29日、志摩ビデオ第1作にあたる『ザ・桃虐』の撮影が朝霧高原の別送で[8]

1986年(昭和61年)7月、志摩ビデオ設立[5]

1986年(昭和61年)7月、S&Mスナイパー7月号に志摩紫光主催の「折檻倶楽部SM研究会・プレイ撮影会」の案内。出演:森美貴

1986年(昭和61年)、(有)志摩プランニング設立。

1986年(昭和61年)、マニア倶楽部通巻第1号より連載枠を持つ、通巻第103号(1995年)まで継続して掲載。

1987年(昭和62年)3月、志摩紫光監督作品『KING OF SM 快虐』(ミリオン)公開。嶋田美姫雪責め

1987年(昭和62年)、『白日夢2』(1987)(製作:第三プロ、監督:武智鉄二)で緊縛指導。

1987年(昭和62年)7月、SMスピリッツ7月号に志摩紫光主催の「折檻倶楽部プレイ(SKCプレイ)撮影会」の案内。3万円。

1988年(昭和63年)、シルバークィーンズ社設立[5]

1988年(昭和63年)3月、S&Mスナイパー3月号から『ビギナー向けプレイテクニック講座 学問のすすめ』連載開始。

1989年(平成元年)10月、京都で『関西折檻倶楽部』開催開始 [9]

1990年(平成2年)9月、志摩紫光S&Mスナイパー1990年(平成2年)9月号から『HOW TO SMシリーズ 21世紀調教讀本』連載。1991年(平成3年)1月号まで。

1995年(平成7年)1月9日、六本木キャラメルにて講演と実技[10]

2001年(平成13年)10月26日、ロフトプラスワンでのサークルM'sプレゼンツ~過激SM緊縛イベント!!~「Libido」(【出演】風見蘭喜立花志保、葉月綾) にゲスト出演。

2002年(平成14年)頃?、志摩プランニングがソフトオンデマンド(SOD)のグループに[注 6]

2002年(平成14年)5月18日、ロフトプラスワンにて「志摩紫光 調教ライブ」

2004年(平成16年)9月11-20日、若松劇場にて『入江まこプロデュースSMイベント Part 2 ラブピアス』。出演:志摩紫光乱田舞ミラ狂美早乙女宏美結城あみ入江まこ

2005年(平成17年)、この頃から、ショーアップ大宮『ザ・ビッグSM』やARCADIA、関東櫻連合などの舞台にも出演し始める。

2005年(平成17年)12月、志摩プランニングのHPを開設。

2006年(平成18年)7月15日、眠れる森の美女で「リアルドキュメントプレイ撮影会」

2008年(平成17年)、「縛りと縄の交歓交流会」(後に「究極愛オフ」)等を主催し、マニアとの交流会を積極的に開催。

2009年(平成18年)3月、DX歌舞伎町SM大会で「リアルドキュメント」と題した調教を開始。

2009年(平成18年)6月、杉浦則夫との久々のコラボレーション。

2009年(平成18年)9月、DX歌舞伎町SM大会に出演。

2010年(平成22年)1月10日、『SM World in NIght」於:新宿風林会館。出演:志摩紫光小妻要蒼月流風見蘭喜長田スティーブ一鬼のこ神浦匠ぱんだ上条早樹松本格子戸

2010年(平成22年)、春・秋のDX歌舞伎町SM大会に出演。

2010年(平成22年)6月、観音スタジオでの田中欣一主催「Kin's Bar」に出演。

2010年(平成22年)8月3日、シアターPOOでの『新宿南口実験劇場第16弾 桜田伝次郎志摩紫光・二人会』【出演】桜田伝次郎、志摩紫光、松本格子戸

2011年(平成23年)、春・秋のDX歌舞伎町SM大会に出演。

2011年(平成23年)3月、胆石摘出手術で入院するが退院後も活発に活動を続ける。

2012年(平成24年)1月20日、ディザイアにて月例「志摩紫光氏ライブ&レクチャーNight」を開始[注 7]

2012年(平成24年)、春・秋のDX歌舞伎町SM大会に出演。

2012年(平成24年)5月27日、Club Saruにて第3回『どまんなか でらっくす』。渡由樹、蒼珠、高嶺蓮、風宮琴、Sanji、紅龍華が主催。出演:志摩紫光West縄之丞獅子若、幻鬼、紅龍華蓬莱かすみエロ王子紫護縄びんご天ノ介マシル、レジーナ

2013年(平成25年)3月16日、富山県高岡市のFREE SPACE TSUBAKIにてのBDSM鬼畜會Presents『〜PLEASURE〜』に出演。(出演:七瀬美華&桃琉珠猫、すけまる&華 、PLEASURE GLAYZ、蓮蛇蓬莱かすみ&黒猫、魔莉悪、志摩紫光

2013年(平成25年)5月25-26日、「縛・万華鏡Ⅲ」(出演:紫龍二&ちゃちゃ&檸檬&なみ、結月里奈&杏野ヒナナ&松井理子、鵺神蓮麗華長田一美&文月、堂山鉄心&まりな、北川周平&紅音&クララ、葵マリー志摩紫光

2013年(平成25年)8月24-25日、「縛・万華鏡」(出演:鵺神蓮紫護縄びんご堂山鉄心結月里奈紫龍二エロ王子志摩紫光みつのはち)

2014年(平成26年)3月9日、歌舞伎町にて『色と遊び心のワンダーランド』主宰。

2014年(平成26年)11月2日、倉敷REDBOXにてマリア主催の『百花繚乱』(出演:しゃちょう&ゆな結城彩ダミアンナオミ蓬莱かすみすけまる志摩紫光)

2014年(平成26年)11月11日-20日、西川口テアトルミュージックで『第1回SMスピリッツ興行』出演:栗鳥巣AyaBEE&さつき、結月里奈堂山鉄心香取冴子佐藤リナ蘇芳眞矢&青山真希日向匠&花奈蜜華夜羽エマ&ICE&m@rika、N-Stageチームショー(TECH寧々∞D.a.i )、鵺神蓮内山沙千佳龍崎紅羽蕾火&クララ山咲美花エロ王子&香緒おとなわ&樹莉天馬ハル&麗華青山夏樹&夕樹七瀬Yagie結奈美子さかき藍志摩紫光。15日は『山咲美花チームショー』(ゲスト:狩野千秋)。

2015年(平成27年)3月10日-31日、六本木ナイトギャラリーCROWにて『小妻容子 vs 志摩紫光 責め画展』開催。

2015年(平成27年)5月5日~5月17日、ギャラリー新宿座にて『一人称二人展(小妻要小妻容子原画展)』開催。

2015年(平成27年)4月19日、MAHARAJA OSAKAにてARCADIA大阪主催『ULTIMANIA7』。(出演:蒼月流うのDAMAMarinママ永遠夕樹七瀬一鬼のこ志摩紫光、ARCADIAスタッフオールキャスト)。

2016年(平成28年) 3月20日、DX歌舞伎町SM大会での志摩紫光 SPECIAL LIVE【出演】志摩紫光北条清花あゆ河合瑞恵

2017年(平成29年)1月15日、Mkスタジオにて志摩紫光風見蘭喜の『東西二人会』。モデルは川合瑞恵日菜

2018年(平成30年)3月18日、DX歌舞伎町SM大会志摩紫光スペシャルライブ【出演】志摩紫光

2021年(令和3年)7月25日、志摩紫光エコールにて「志摩ワールド「ライブ」

2022年(令和4年)9月15日〜28日、心斎橋ギャラリーA stairにて『小妻容子 小妻要 追悼原画展 刺青美人』を開催。

18日にはLoft PlusOne Westにて『刺青美人原画展開催記念ライブ 【芸術ハードコア】』対談:志摩紫光木佐貫真照藤本修羅(MC 大黒堂ミロ)、緊縛ライブ:上条早樹×上条響、映画「ITECHO」劇場未公開シーン初上映。

エピソード

  • 生家は戦前までは裕福だったが祖父がバクチで財産を失う。父親はサラリーマンで余裕のない生活。母親が池袋で靴下の露天売りをしていたので手伝っていた[2]
  • 志摩紫光我が背徳の半生S&Mスナイパー1989年(平成元年)6月号には「40歳」とある。
  • 志摩紫光の「紫光」の名前の由来は、世田介一と面談した喫茶店の店名が「紫光」だったことから[3]
  • 江戸時代の「方円流」などの捕縄術を文献などから研究[4]
  • スペシャリーS&Mの編集人の頃、月に10冊のペースでビニ本を製作[4]
  • 「志摩塾」で緊縛を教える。
  • SMの代わりに「BD」(Binding & Discipline)という略語を使うことを提唱。
  • 1986年(昭和61年)8月に東京芸術新社から復刊されたスペシャリーS&M復刊号は、編集人が山谷秋人となっているが、志摩紫光とは全く関係がない[1]
  • 1993年(平成5年)、吐夢書房から『華麗奴』創刊がされ編集人が山谷秋人となっているが、志摩紫光とは全く関係がない[1]
  • 2011年(平成22年)頃より、「FPC(First Photo Club)」と呼ぶ撮影会を開催している。SMではなく通常の写真撮影。

代表作

緊縛教材

緊縛教材(印刷物)

映画

独自レーベル前の主なビデオ

初期の志摩ビデオ

  • 志摩紫光 ザ性奴隷』(受審:新日本制作(株)ビデオ事業部、制作・販売:志摩ビデオ[注 15], 1986)(出演:三和)
  • 志摩紫光Vol2 ザ挑虐』(受審:新日本制作(株)ビデオ事業部、制作・販売:志摩ビデオ, 1986)(SS-0102)
  • 志摩紫光Vol9 あそばれてSM』(受審:新日本制作(株)ビデオ事業部、制作・販売:志摩ビデオ, 1987)(SS-0109、出演:宮崎しのぶ)
  • SM愛裸淫』(受審・販売:(有)志摩プランニング, 1987)(SS-0115、出演:宮崎しのぶ)
  • SMマニア交流 秘蔵ビデオ』(受審:(有)志摩プランニング、発売:SEXY VIDEO, 1987)(ML-1012)
  • SMクラブIN USA 2』(受審・販売:(有)志摩プランニング, 1987)(SS-0116)
  • ドキュメントUSA ザ電撃』(受審:(有)志摩プランニング、発売:STAR SHIP, 1987)(SP-0104)
  • 『ロイヤルクラブの隷嬢たち』(受審:志摩プランニング、制作:ユープロビジョン、発売元:スターシップ, 1987)(監督:葵マリ-、縄師:龍、出演:牧いずみ・吉野晴美・一条桜子・石原ミカ・北村恵・青山恵子)
  • SM IN ヨーロッパ』(受審:(有)志摩プランニング、発売:セクシービデオ, 1988)(ML-0105)

いくつかの注目すべき作品

書籍

雑誌

志摩紫光に関する記事

主な連載

S&Mスナイパー

SMスピリッツ

写真集

引用文献

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 志摩紫光インタビュー by U, on 2017.8.14
  2. 2.0 2.1 下川耿史志摩紫光の軌跡 S&Mスナイパー1993年(平成5年)4月号
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 北原童夢インタビュー『「至高のダンディズム」を語る』S&Mスナイパー1991年(平成3年)8月号
  4. 4.0 4.1 4.2 高橋信ドキュメント志摩紫光 前編S&Mスナイパー1987年(昭和62年)6月号。
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 [[[北原童夢]]『「至高のダンディズム」を語るS&Mスナイパー1991年(平成3年)8月号
  6. スペシャリーS&M1980年(昭和55年)4月1日、通算10号。
  7. 緊縛人形 蓮 ブログ
  8. Speculum1986年(昭和61年)7月5日、創刊3号
  9. S&Mスナイパー1989年(平成元年)11月号
  10. S&Mスナイパー1995年(平成7年)3月号

注釈

  1. 単純に志摩紫光=伊集院剛ではない。伊集院剛のページ参照。
  2. 志摩紫光のこことを一方的に好いていて、家に押しかけてきたので、帰らせるつもりで「裸になってみろ」と命令すると、けなげに裸になり正座した。体育で使う縄跳びの縄で後手縛りをすると、涙を流して観念し、その姿をみて愛おしくなり、交際が始まった。4年にわたる交際の過程で、緊縛のスタイルが完成していく。
  3. 貝原茂は文化出版のカメラマンでファッションモデルを口説いてヌードなどを撮影し、これを本屋に売っていた
  4. 創刊号は三輪高志が編集人。
  5. 『SM願望』『縛られたセーラー服』『性隷調教秘録』『人妻SM強制排尿の玩弄秘炎』『被虐好女特虐秘戯』
  6. 2010年現在、既にSODグループからは抜けている。
  7. それまでの「3Sunday」の流れをくむもの。
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 スペシャリーS&M1982年(昭和57年)12月、通算27号に大共出版からの予約広告が出ている。11月発売とある。志摩紫光の作品なのか世田介一の作品なのか確認が必要。
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 スペシャリーS&M1983年(昭和58年)、通算28号に広告
  10. SMミラージュが1983年(昭和58年)のみの発行なので、この頃と思われる。
  11. ミリオン配給で劇場公開されていたと思われる。
  12. 2009年に『新版「ざんげ 懺悔M」』として新東宝系ピンク映画上映。製作:雄プロ/配給:新東宝映画/監督:伊集院剛/撮影:遠藤政史・倉本和人/協力:愉芽企画・JAP工房《SM小道具》、出演:志摩紫光、秋川ひろみ、橘美恵子、舞礼奈
  13. 1988年のフェニックスから出た『ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方』に一部この画像が出ているようだ。こちらは監督・構成:滝川翔、出演:芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ。
  14. 総集編的作品
  15. 東京都新宿区北新宿1-34-7
  16. 総集編的作品

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