SMクラブの歴史
概要
SMペディアでは、「SMクラブ(飲食)」と「SMクラブ(風俗)」の2つのカテゴリーを設定しているが、ここでは、主に「SMクラブ(風俗)」を中心として、その歴史を「潜伏期」「黎明系」「拡大期」「円熟期」の4つに沿って時系列でまとめてある。
解説
歴史
1953年(昭和27年)、山岸康二が会員制変態クラブ『芸苑社』を設立。毎夕新聞に「MSクラブ 芸苑社」の広告を出す。門田奈子を女王様に[1]。
1957年(昭和32年)、奇譚クラブの読者を中心に GRクラブが結成[2]。
1960年(昭和35年)、森下高茂の「あけぼの会事件」がマスコミにたたかれる[3]。
1963年(昭和38年)年頃、大阪阿倍野に変態の集まる『唄子の店』が。
1966年(昭和41年)9月、松田富治男が大阪府寝屋川市で美芸会を発足[4]。
1970年代?、中村あけみが女王様スナック『なかむら』を新宿区舟町にオープン。
1971年(昭和46年)頃、大阪ミナミの女王様スナック「レイ」が表に出てくる。
1971年(昭和46年) 頃?、新宿大木戸門に「昆(ヤプーの館)」が。
1971年(昭和46年)頃?[注 1]、本田富朗によって新宿にRoo夢がオープン[5]。
1973年(昭和48年)10月、SMファンタジアNo.9の広告に『SMF研究会』。
1977年(昭和52年)頃、長池士が「唄子の店」の仲間とアムスを設立。
1978年(昭和53年)、大阪に『アマゾン』がオープン[4]。
1979年(昭和54年)、賀山茂が六本木にSAMMをオープン。
1979年(昭和54年)頃[注 2]、中村あけみが新宿二丁目にスナック「明美」を開店[6]。
1980年(昭和55年)、葵マリが『赤坂ブルーシャトー』を設立[7][注 3]。
1980年(昭和55年)、本田富朗と関和子により『中野クィーン』がオープン[4]。
1980年(昭和55年)頃、中野坂上に『アダム&イヴ』がオープン。
1981年(昭和56年)頃、麻布に『ジキルの館』、大阪に『姫殿』がオープン。
1982年(昭和57年)、中野クィーンの京子が独立して『レーヌ』をオープン[8]。
1982年(昭和57年)頃、渋谷に『渋谷ジュスティーヌ』がオープン。
1983年(昭和58年)、六本木に『アマン』『悦』、大阪に『マリエ』がオープン。
1983年(昭和58年)頃、大塚に『夢殿』、大阪の谷町九丁目にSMスナック『ポポ』がオープン。
1984年(昭和59年)頃、六本木と横浜に『ルージュ』、大阪に『秘密』がオープン。
1985年(昭和60年)、池袋に『グリーン企画』、赤坂に『赤坂ナビ』がオープン。
1986年(昭和61年)、六本木に『九尾猫』、代々木に『コルドンブルー』、大阪に『堕天使』、『秘密基地』がオープン。
1986年(昭和61年)頃、大阪に『夢楽園』がオープン。
1987年(昭和62年)、目黒に『目黒ルビ』、六本木に『奴隷契約書』、札幌に『札幌ヤプーの館』がオープン。
1988年(昭和63年)、六本木に『ハイヒール』、『ロマンドール』、麻布十番に『クィーンズクラブ』、池袋に『メロディー『プレジデントクラブ』、錦糸町に『錦糸町アリス』、大阪に『ヤプー2』、京都に『シークレットポイント』、高田馬場に『ベンベ』がオープン。九尾猫が『MISTRESS』に改名。
1989年(平成元年)、六本木に『Redスコーピオン』、渋谷に『渋谷シークレット』『デュエット』、目黒に『リーベ』、錦糸町に『錦糸町セリーヌ』、大阪に『クイーンズアベニュー』、札幌に『札幌クール』がオープン。
1989年(平成元年)、この頃、全国でSMクラブが130軒ぐらいあるという試算がある[4]。
2005年(平成17年)11月、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」改正(施行は2006年6月1日)。プレイルーム付きのSMクラブがなくなる。(→エロ法規制の歴史)