レイ

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SMファンタジア1975年(昭和50年)6月号で出た「クラブレイ(スナック方式)」の広告。
SMシークレット1987年(昭和62年)第21号で出た「スナックレイ(スナック方式)」の広告。
1990年(平成2年)9月15日発行BIZARRE MAGAZINE(日) No.2で紹介されているレイ。「SMクラブというかSMパブ」と紹介。
S&Mスナイパー1998年(平成10年)2月号で出た五反田にあるSMクラブ「クラブレイ」の広告。大阪のレイとの関係は不明。

1971年(昭和46年)頃、太田正典が心斎橋にオープンした女王様スナック。SMクラブの歴史で重要な位置。辻村隆春川ナミオが好み、TVなどでも話題に。

概要

太田正典が始めた70年代前半に大阪にあった女王様スナック。奇譚クラブにしばしばその記事が出てくる。

別名

スナック・レイ、クラブ・レイ

所在地

大阪市南区三津寺町6[注 1] 大阪センタービル地階[1]

歴史

1971年(昭和46年)10月25日、SMスナックを前面に出して営業[2]

1972年(昭和47年)1月、 奇譚クラブ1月号の辻村隆サロン楽我記に「レイ」の話題が出てくる。「マダムは知る人ぞ知るサドの女王」とある。

1973年(昭和48年) 頃、SMクラブとしての「レイ」を別個にオープンした模様[3]

1974年(昭和49年)5月10日、よみうりテレビ「朝のワイドショー」で桂朝丸の潜入ルポ[4]

1975年(昭和50年)、SMファンタジア6月号-9月号に「クラブレイ(スナック方式)」の広告。「このたびは大変ご迷惑をおかけいたしました。12月9日より従来どおり営業致します」とある。1974年の12月か?

1983年(昭和58年)6月、別冊S&Mスナイパー6月号に紹介記事。

1987年(昭和62年)のSMシークレットにSMクラブ「スナック・レイ」として広告。電話番号は1975年(昭和50年)SMファンタジアの広告と同じ。

1990年(平成2年)9月15日、BIZARRE MAGAZINE(日) No.2に紹介記事。みどり、レナ、マリ女王様。

1993年(平成5年)、SMスピリッツ5月号にSMクラブ難波「クラブ・レイ」として広告。電話番号は1975年(昭和50年)SMファンタジアの広告と同じ。

1998年(平成10年)、五反田にSMクラブとしての「クラブレイ」がオープンする。関連があるかどうかは不明。

関連記事

エピソード

  • 『レイ』は太田正典の前夫人の名前に由来[5]
  • 1983年当時の女店主の名前は「レイコ」。ミストレス[5]
  • 辻村隆の夫人や末娘もレイを訪れている[4]
  • 春川ナミオが好む。「(レイ)のマスターはずっと昔から知っています。雑誌以外でSMの世界と接点を持ったのは『レイ』のマスターがきっかけかな。あの人は、『レイ』の前にSMスナックみたいなのをやっていたんですよ。『レイ』と同時期くらいかな」[6]
  • いそのえいたろうは「七三年、大阪にオープンしたクラブレイがSMの第一号です。穴蔵風の店内には滑車がブラ下がっていて、お客が女王様と軽いSMプレーを楽しむ。ところが、プレーがどんどんエスカレートしたので、近くのホテルヘお二人で行ってくださいとSMの出張プレーに変わっていくんです」と述べている[3]
  • 1998年頃に五反田に「クラブレイ」が存在したが、関連は不明。「再来!!」「名門の名を受け継いだ」と宣伝している。1999年のS&Mスナイパーの宣伝では「オープン1周年記念」となっている。
  • ネットでの書き込みには「ミナミ、三津寺の雑居ビル地下の奥にある関西SM発祥のクラブ・レイ。 店内で¥5000、何人かとお話したあとオキニを指名して 近くの「銀の山」というHOTELに入ってPLAY 」とある。
  • マゾヒズムに花束を!「M男の軌跡 」にはレイの店内の写真が。

引用文献

  1. SMファンタジア1975年(昭和50年)8月号の広告
  2. 辻村隆サロン楽我記』in 奇譚クラブ1972年(昭和47年)1月号
  3. 3.0 3.1 いそのえいたろう性狂伝』(徳間書店, 1999)
  4. 4.0 4.1 辻村隆我楽多控奇譚クラブ1974年(昭和49年)8月号, p236
  5. 5.0 5.1 別冊S&Mスナイパー1983年(昭和58年)6月号
  6. 春川ナミオインタビュー お尻に魅せられて」by 松沢呉一 in 「聖女の臀堂」(タコシェ, 2006)

注釈

  1. 現在の中央区心斎橋2-8-33

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