「松原次郎」の版間の差分

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==概要==
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大映で映画監督になり、東京映画では仲木繁夫名で『あんみつ姫 甘辛城の巻』(1954年(昭和29年))を監督。テレビ映画『怪奇大作戦』<ref group="注">円谷プロダクションが制作し、TBS系で1968年(昭和43年)9月15日から1969年(昭和44年)3月9日まで26話放送</ref>を仲木繁夫名で監督。1960年代後半。[[ヤマベプロ]]で多くの作品を監督した。
大映で映画監督になり、東京映画では仲木繁夫名で『あんみつ姫 甘辛城の巻』(1954年(昭和29年))を監督。テレビ映画『怪奇大作戦』<ref group="注">円谷プロダクションが制作し、TBS系で1968年(昭和43年)9月15日から1969年(昭和44年)3月9日まで26話放送</ref>を仲木繁夫名で監督。1960年代後半。[[ヤマベプロ]]で多くの作品を監督した。[[鬼プロ]]の作品も監督。


==別名==
==別名==

2011年8月27日 (土) 09:26時点における版

まつばら じろう、19??年(昭和??年)-

概要

大映で映画監督になり、東京映画では仲木繁夫名で『あんみつ姫 甘辛城の巻』(1954年(昭和29年))を監督。テレビ映画『怪奇大作戦』[注 1]を仲木繁夫名で監督。1960年代後半。ヤマベプロで多くの作品を監督した。鬼プロの作品も監督。

別名

Jiro Matsubara、松原二郎、仲木繁夫、仲木睦

略歴

1965年(昭和40年)、山邊信夫の作品を監督しはじめる。

エピソード

  • 父親は劇作家の仲木貞一。
  • ヤマベプロ以外にも轍プロ、東京企画、六邦映画、ミリオンなどの作品をてがける。

代表作


引用文献

注釈

  1. 円谷プロダクションが制作し、TBS系で1968年(昭和43年)9月15日から1969年(昭和44年)3月9日まで26話放送
  2. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)7月号にシナリオ掲載。またこのロケの様子が奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』に書かれている。
  3. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号, p164にシナリオ掲載。
  4. 奇譚クラブ1969年1月号, p233の読者感想に出てくる。
  5. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』で「「花と蛇」の愛読者が緊縛女優志願に来たので、京マコとして『肉体手形』に役を付け足す。」とある。
  6. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号『鬼六談義 どさ回りの話』の中で伊豆・下賀茂でのロケの様子が紹介されている。賀山茂が参加。奇譚クラブ1968年(昭和43年)9月号にシナリオ掲載。

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