新高恵子
にいたか けいこ、1934年(昭和9年)4月18日[1](1939年(昭和14年)4月11日という記述も過去にあった[2])。ピンク映画女優として『花と蛇』を原作とする『縄と乳房』(1967)などに出演。その後天井桟敷に参加し寺山修司の死去まで劇団の中心。団鬼六のお気に入り。
概要
1960年代前半、ピンク映画女優として人気を博した。西原儀一の作品によく出ていたが、やがてヤマベプロの作品にも出演し、団鬼六『花と蛇』を原作とする『縄と乳房』にも出演している。当時の団鬼六のお気に入り女優の一人で、鬼六談義などに何回か新高恵子の名前が出てくる。ピンク映画のファンでもあった寺山修司が目をつけ、1967年(昭和42年)に自身の劇団『天井桟敷』に入団させたため、ピンク映画からアングラ劇の人気女優へと転身する。1983年(昭58年)、寺山修司の死のしばらく後に女優を引退し、表舞台から消えた。
別名
Keiko Niitaka、新高けい子、御園恵子[注 1]、藤田恵子、工藤琳子(本名)
略歴
1934年(昭和9年)4月18日、小学校教員の両親のもと、青森に生まれる[1]。
1953年(昭和28年)、上京して東京文化短期大学に入学するが1年弱で退学[1]。
1954年(昭和29年)頃、新宿にある「ボア」という美人喫茶で働く。やがて新宿駅南口のアルサロ「ヱびす」に転職。さらに叔母が横浜桜木町に経営していたスナックに移る[1]。
1956年(昭和31年)、文化放送主催の「ミスQR[注 2]」に応募して選ばれる。発声法・演技法などを学ぶ[1]。
1957年(昭和32年)頃、文化放送の推薦で東芝レコードの準専属歌手となる。芸名は藤田恵子。地方回りの仕事。当時全盛のキャバレーでの歌い、やがて銀座「金馬車」、横浜「ナイト・アンド・デイ」の専属歌手[1]。
1960年(昭和35年)頃、西原儀一の西原企画で歌手(藤田恵子)として活動[3]。
1961年(昭和36年)頃、CMタレントと共に、映画のちょい役にも出始める[1]。
1965年(昭和40年)1月、新藤孝衛監督『乾いた舗道』(日本映画)(主演:香取環)で始めて台詞のある役。こと時新高恵子を名のる。[1]。
1965年(昭和40年)5月、新藤孝衛監督『雪の涯て』(芸術映画協会)で主演。
1965年(昭和40年)9月、『肉体の報酬』(葵映画)を「隠密剣士」のスタッフで撮影[3]。
1966年(昭和41年)、『愛欲の果て』で2役に挑戦[3]。
1966年(昭和41年)8月、高木丈夫監督『蛇淫の肌』 (ヤマベプロ)。
1966年(昭和41年)8月、西原儀一監督『愛欲の果て』(葵映画)。
1966年(昭和41年)9月、飛田良監督『乳房の週末』(ヤマベプロ)。
1966年(昭和41年)、『別冊近代映画』や三世新社の『コミック画報』や『カメラ画報』に表紙・グラビアで特集されている。
1966年(昭和41年)、ユーモアグラフ6月号にカラーグラビアで特集[注 3]。
1966年(昭和41年)11月1日、成人映画 No. 13の表紙。
1965年(昭和40年)-1967年(昭和42年)の2年間で30本以上のピンク映画に出演しする。小森白、本木荘二郎、西原儀一、若松孝二、小川欽也、渡辺護などの監督作品に出演。
1967年(昭和42年)1月、経堂三郎・岸信太郎監督『縄と乳房』(ヤマベプロ、脚本:団鬼六、原作:『花と蛇』)。
1967年(昭和42年)6月、天井桟敷[注 4]第2回公演『大山デブ子の犯罪』(新宿末広亭)[注 5]に出演。続いて『花札傳綺』。
1968年(昭和43年)、天井桟敷公演『新宿版千一夜物語』『伯爵令嬢小鷹狩鞠子の七つの大罪』に出演。
1969年(昭和44年)、天井桟敷公演『時代はサーカスの象にのって』『犬神』に出演。
1970年(昭和45年)、天井桟敷公演『イエス』『ブラブラ男爵』『市街劇・人力飛行機ソロモン』に出演。
1971年(昭和46年)、天井桟敷公演『邪宗門』に出演。
1971年(昭和46年)4月24日、寺山修司監督『書を捨てよ町へ出よう』 人力飛行機舎=ATG
1972年(昭和47年)、天井桟敷公演『走れメロス』に出演。
1979年(昭和54年)頃、新高恵子から新高けい子に改名[1]。
1983年(昭58年)5月4日、寺山修司死去。
1983年(昭58年)5月21日-25日、『レミング 壁抜け男』八尾西武ホール
1983年(昭58年)7月31日、天井桟敷解散。女優を引退。
1980年代、カメラマン鈴木淑朗と結婚し映像制作会社「新高エトシ」を設立[1]。
エピソード
- 団鬼六のお気に入りのピンク女優の一人。奇譚クラブ1968年(昭和43年)5月号『鬼六談義 狐の話』に天井桟敷の末広亭公演を見に行ったことが書いてある。「大山デブ子の犯罪」新宿末広亭(1967年6月)のことか?
- 1966年(昭和41年)頃、九條今日子が寺山修司に新高を紹介し、寺山が直接西原儀一にゆずってくれと頼みに来た[3]。
代表作
ピンク映画時代
- 『乾いた舗道』(日本映画, 1965.01)(監督:新藤孝衛、出演:香取環 新高恵子)
- 『雪の涯て』(芸術映画協会, 1965.05)(監督:新藤孝衛、出演:新高恵子)
- 『肉体の報酬』(葵映画, 1965.09)(監督:西原儀一、出演:新高恵子 白川道子 野上正義 香月マヤ 細谷俊彰 鶴岡八郎 九重京司)
- 『歪んだ関係』(国映, 1965.09)(製作:矢元照雄、監督:若松孝二、出演:城山路子 新高恵子 林孝一 月ひろみ 藤田功)
- 『腐肉の喘ぎ』(青年芸術映画協会, 1965.09)(製作:矢元照雄、監督:新藤孝衛、出演:新高恵子 野上正義 )
- 『四つの乳房』(北星映画, 1965.09)(配給:日本シネマ、監督:三樹英樹、脚本:三樹英樹、出演:新高恵子 神原明彦 葵真由美 木南清 平野元)
- 『悪の卵』(シバタ・プロ, 1965.10)(監督:中村精、出演:新高恵子 大塚和彦)
- 『蜜のおとし穴』(日本シネマ, 1965.10)() ... 倉田京子
- 『背徳』(プロ鷹, 1965.11)(監督:倉橋良介、出演:新高恵子 )
- 『第三の情事』(葵映画, 1965.11)(製作:後藤充弘、監督:千葉隆志、脚本:宗方三六郎、出演:新高恵子 林田光司 清水世津 白川道子 椙山拳一郎 谷隼人 井山弘史)
- 『情事に賭けろ』(葵映画, 1965.12)(監督:千葉隆志、脚本:中原朗、出演:火鳥こずえ 林田光司 新高恵子 巻映二 春丘志津 美咲容子 川部修詩 千葉竜)
- 『あばかれた欲情』(東和企画, 1965.12)(監督:渋谷民三、出演:新高恵子 )
- 『女・三百六十五夜』(シネ・ユニモンド, 1966.02)(製作:高木丈夫、監督:高木丈夫 唐沢二郎、脚本:団慎吾、出演:新高恵子 華村明子 三枝陽子 飛田八郎 鶴岡八郎 生方健、主題歌:「女・三百六十五夜」新高恵子)
- 『もだえの夜』(日本シネマ, 1966.02)(監督:山口哲郎、出演:新高恵子 )
- 『くずれる女』(葵映画, 1966.04)(製作:後藤充弘、監督:千葉隆志、脚本:西原儀一、出演:城山路子 三枝陽子 生方健二 細谷俊彰 山本順子 新高恵子 日熊佐千代)
- 『色ざんまい』(日現プロ, 1966.04)(配給:関東映配、企画:美村晃広、製作:加藤修弘、監督:高木丈夫 、脚本:中井優、出演:新高恵子 佐京未知子 里見孝二 華村明子 千葉隆)
- 『のたうち』(葵映画, 1966.05)(監督:渡辺護、出演:新高恵子 )
- 『肉体の会話』(シネアトリエ, 1966.06)(配給:日本シネマフイルム、制作・企画:安芸礼二、監督:久我光、出演:森公 森けい子 井村弘史 山中溪子 松井康子 新高恵子 中条まゆみ 今井敏夫)
- 『新・妾』(青年群像, 1966.06)(配給:国映、製作:矢元照雄、監督:中野弘也、出演:北御門杏子 新高恵子 千葉竜 港雄一 近衛敏明)
- 『女高生地帯』(武田プロ, 1966.06)(配給:大蔵映画、企画・製作・脚本・監督:武田有生、助監督:内藤三郎、出演:曽根成男 新高恵子 森まこと 巻映二 池田朱美 佐々木久美子 中條真弓 三船洋子 中山哲生)
- 『女高生のふるえ』(宮西プロ, 1966.07)(配給:東京興映、企画:大滝翠、製作:宮西四郎、監督:横井充、脚本:西田洋、出演:山仲溪子 新高恵子 奈加公子 菊村愛 杉山拳一郎 近松敏雄)
- 『新拷問刑罰史 拷問』(小森プロ, 1966.07)(配給:東京興映、企画・製作・監督:小森白、脚本:小森白 高木享、出演:香取環 志摩みはる 加山恵子 新高恵子 花葉子 藤園子 里見孝二 杉山拳一郎 吉田純 高松政雄)
- 『絶品の女』(扇映画プロ, 1966.07)(配給:配給=大蔵映画、製作:斉藤邦唯、企画:大島一城、監督:渡辺護、脚本:栄町はじめ、出演:新高恵子 左京未知子 岡本弘子 飛鳥公子 檜みどり 山本順子 曽根成夫 武藤周作 津崎公平 木元章介 田中敏夫 山崎武 花家五郎)
- 『蛇淫の肌』(ヤマベプロ, 1966.08)(高木丈夫、出演:新高恵子)
- 『愛欲の果て』(葵映画, 1966.08)(製作:後藤充弘、監督:西原儀一、脚本:中原朗、原作:後藤充弘、出演:新高恵子 椙山拳一郎 鶴岡八郎 平山雄三 松井康子 関根純子 松山美代子)
- 『あなたの留守に?』(大蔵映画, 1966.08)(監督:小川欽也、出演:新高恵子 桂奈美 清水世津 鶴岡八郎 野上正義 椙山拳一郎 大塚ヤスオ 森公 大原百代 九重京司)
- 『色なさけ』(明光セレクト, 1966.08)(高木丈夫、出演:新高恵子)
- 『乳房の週末』(ヤマベプロ, 1966.09) (監督:飛田良、出演:新高恵子)
- 『炎の女』(葵映画, 1966.09)(監督・脚本:西原儀一、出演:香取環 新高恵子 林田光司 鶴岡八郎 浜裕子 成瀬恵子 椙山拳一郎)
- 『肌に泣く女』(ヤマベプロ, 1966.10)(製作:山邊信雄、監督:松原次郎、脚本:三樹英樹、撮影:小岩四郎、出演:新高恵子 坂樹まゆみ 里見孝二 四志譲二 泉ユリ 曾根成夫 森三千代)ポスター
- 『柔肌の掟』(ヤマベプロ, 1966.10)(監督:松原次郎、出演:新高恵子)
- 『禁じられた乳房』(大蔵映画, 1966.10)(監督:小川欽也、出演:新高恵子)
- 『肉色』(ヤマベプロ, 1966.11)(配給:関東映配、製作:山邊信雄、企画:寿御代子、監督:飛田良、脚本:花巻京太郎 、出演:新高恵子 山吹ゆかり 岡本弘子 桝田邦子 井上絃太郎 野上正義 長岡丈二 宮瀬健二)
- 『処女?戦慄』(日本歌演, 1966.11)(企画:菜穂俊一、製作:小島武三 松永六郎、監督:経堂一郎、脚本:久保安男、出演:野上正義 清水世津 新高恵子 桝田邦子 森公)
- 『愛情開眼』(ヤマベプロ, 1967.01.07)(配給:大蔵映画、監督:経堂三郎、出演:新高恵子)
- 『縄と乳房』[注 6](ヤマベプロ, 1967.01)(企画:岸信太郎、寿御代子、製作:山邊信雄、脚本:団鬼六[注 7]、監督:岸信太郎[注 8]、出演[注 9]:枡田くに子 斎藤道子 山吹ゆかり 新高恵子 伊豆田弘 種村正 北孝二)
天井桟敷時代
- 『書を捨てよ町へ出よう』(人力飛行機舎=ATG, 1971.04.24)
- 『トマトケッチャップ皇帝』(1971)
- 『田園に死す』(人力飛行機プロ=ATG, 1974.12.28)
- 『蝶服記』(1974)
- 『迷宮譚』(人力飛行機舎, 1975.06)
- 『審判』(映画実験室人力飛行機舎, 1975)
- 『疱瘡譚』(1975)
- 『マルドロールの歌』(映画実験室人力飛行機舎, 1977.06.14)
- 『二頭女-映画の影』(映画実験室人力飛行機舎, 1977.06.14)
- 『書見機』(映画実験室人力飛行機舎, 1977.12.11)
- 『FACE-風の日の紙のように私の上に貼りついてしまった』(1979.12.20)
- 『支那人形』(アルゴスフィルム, 1980)
- 『草迷宮』(人力飛行機舎, 1983.11.12)
- 『さらば箱舟』(劇団ひまわり=人力飛行機舎=ATG, 1984.09.08)
- 『身毒丸』(演劇実験室天井座敷, 1996.01.27)
雑誌
引用文献
注釈
- ↑ ラテン歌手時代の芸名
- ↑ 「QR」は文化放送のコールサイン、JOQRに由来する。審査員は山野愛子、伊藤道郎など
- ↑ 「今や旗頭的存在の内田高子や松井康子をしのぐ売れっ子」「デビューが昨年の8月」と紹介。
- ↑ 『演劇実験室・天井桟敷』は1966年(昭和41年)発足。
- ↑ この公演の団鬼六観劇記が奇譚クラブ1968年(昭和43年)5月号鬼六談義『狐の話』に出ている。
- ↑ 同名の映画が1983年にっかつから小沼勝監督で製作されている。ただし、ストーリーに類似性はなく、全く別の作品と考えてよい。
- ↑ シナリオが奇譚クラブ1967年(昭和42年)2月号, p162に掲載。日本映画データベースでは原作が「花と蛇」となっている。
- ↑ 日本映画データベースでは監督が経堂一郎と岸信太郎となっている。
- ↑ 日本映画データベースでは「新高恵子 桝田邦子 山吹ゆかり 伊海田弘 長岡丈二 北幸二 斎藤道代」となっている。