「鬼六談義」の版間の差分

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**『猟奇の果て』<ref group="注">(1966.2)(製作:[[ヤマベプロ]]。監督:[[山邊信夫|岸信太郎]]、脚本:[[団鬼六]]、出演:山吹ゆかり)</ref>は[[伊藤晴雨]]をモデルにした。
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**会ったことは無いが、[[青木順子]]や[[山原清子]]を映画に使ってみたい。
**会ったことは無いが、[[青木順子]]や[[山原清子]]を映画に使ってみたい。
*[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)11月号『[[鬼六談義]] '''三文マニヤ文士'''』<ref group="注" >[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J9ABNS?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B000J9ABNS 団鬼六『[[鬼六談義]]』(芳賀書店, 1970)]に『マニヤ誌批判』と改題して再録。</ref>
*[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)11月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196611/01/023.html p26]『[[鬼六談義]] '''三文マニヤ文士'''』<ref group="注" >[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J9ABNS?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B000J9ABNS 団鬼六『[[鬼六談義]]』(芳賀書店, 1970)]に『マニヤ誌批判』と改題して再録。</ref>
**3年間つきあった愛人のM子が結婚するため、別かれることになり寂しい気分。
**3年間つきあった愛人のM子が結婚するため、別かれることになり寂しい気分。
**8月号の『サジズムとは何か』をやんわい批判。「わざとむつかしく、ややっこしく書くことがKK誌における最近の流行」。「文学とか芸術にうるさく拘泥する読者は相手にする必要はない」「自分が助平という事にいろいろむつかしい理屈をつけたがるのは当節の流行」
**8月号の『サジズムとは何か』をやんわい批判。「わざとむつかしく、ややっこしく書くことがKK誌における最近の流行」。「文学とか芸術にうるさく拘泥する読者は相手にする必要はない」「自分が助平という事にいろいろむつかしい理屈をつけたがるのは当節の流行」

2013年6月16日 (日) 08:44時点における版

団鬼六が1964年(昭和39年)から1974年(昭和49年)まで、奇譚クラブと、続いてSMキングに不定期に書いていた随筆。当時のSM事情を知る貴重な情報源

1964年奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p49『鬼六談義 S小説作法
    • 花と蛇は5回ぐらいで終わるつもりが11回目になった。本格的な作家が最近出てこない。
  • 奇譚クラブ1964年(昭和39年)10月号『随筆 鬼六談義 花と蛇
    • 花と蛇」のストーリーのモデルには学生時代の経験があるという話。

1965年奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1965年(昭和40年)2月号, p41『鬼六談義 SMプレイの知恵
    • SMのノウハウを伝授。
    • 花と蛇」が国映から映画化されることになった。1月にクランクイン。
    • 新東宝健在なりし頃のベテラン監督。古くからの奇譚クラブの読者。
  • 奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号『鬼六談義 映画「花と蛇
    • 5月1日から14日撮影。18日にオールラッシュ。映倫側ともめて3度目の試写会でOK.
    • 当初の予定を変更して映画プロダクションを作った。
    • スタッフ陣に本格的マニアは皆無。
    • 原作の匂いもないまでに脚本を作った。
    • 撮影に2,3日立ち会ってみた。
    • 監督のK氏は監督歴十何年のベテランである
    • 紫千鶴は火石プロに所属する21才。
    • 責めのシーンを手伝って縄をかける。

1966年奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)2月号, p138『鬼六談義 日本三文映画
    • 花と蛇」以来、いろいろなペンネームで脚本を6本書いた。
    • 「一緒に局の仕事をしているKという友達がやって来て『君、・・・時々ピンクを書いているらしいね。そりゃまずいぜ。」とある。まだテレビ放送に在籍したことが伺われる。
    • 若松孝二のことを「私の知人の或る若いピンク映画の監督」と紹介し、「壁の中の秘事」のベルリン映画祭のエピソードを紹介している。
    • 関西の映画会社社長から伊藤晴雨をモデルとした脚本を書いてくれと頼まれた。伊藤晴雨の絵は何枚かもっているが、陰惨な感じが先に立ち、好みではない。自伝的映画は誤解を生むので一応断った。
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)7月号『鬼六談義 SとMは花ざかり
    • 白表紙になったが、主流派の生き残りとして頑張っていきたい。
    • 花と蛇』は1月のうち、悪魔的になった日に一挙にかいてしまう。
    • 東京のやはりマニア誌を発行している所よりアルバイトとして12冊単行本を出した。
    • SMものは、ひょっとすると、ブームになるかもしれぬ。そんな気がする。
    • 4つのペンネームを使って月1本映画の脚本を書いている。SMを織り込んだ作品は団、花巻の名前。
    • 最近作は『魔性の女(花巻)』(松井康子)、『猟奇の果て(団)』(山吹ゆかり)、『裸の仁義(花巻)』(裸の仁義)
    • 愚作『花と蛇」が昨年一番ヒットした。
    • 『猟奇の果て』[注 1]伊藤晴雨をモデルにした。
    • 会ったことは無いが、青木順子山原清子を映画に使ってみたい。
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)11月号, p26鬼六談義 三文マニヤ文士[注 2]
    • 3年間つきあった愛人のM子が結婚するため、別かれることになり寂しい気分。
    • 8月号の『サジズムとは何か』をやんわい批判。「わざとむつかしく、ややっこしく書くことがKK誌における最近の流行」。「文学とか芸術にうるさく拘泥する読者は相手にする必要はない」「自分が助平という事にいろいろむつかしい理屈をつけたがるのは当節の流行」
    • 「続・花と蛇の映画は、サブタイトル『骨まで縛れ』(この奇妙な題名は会社の社長がつけた)」「KK誌連載のものとは何の関係もない」

1967年奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)2月号『鬼六談義 三文羞恥論[注 3]
    • 「新宿の安宿の一室で明日の朝までに手渡さねばならぬピンク映画のシナリオを書き飛ばしていた」
    • テレビタレントのK君に紹介された女性読者の話。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)3月号『鬼六談義 夜の寒鳥[注 3]
    • 大晦日にヤクザのアパートで夫婦のSMショーを見せられたという、その後もしばしば出てくるモチーフ。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号『鬼六談義 三文SM人生論[注 3]
    • S派、M派の性格分類。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)7月号『鬼六談義 化物の話[注 3]
    • 「十日間で(ピンク映画の)脚本3本というどえらい仕事を強制された」
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)8月号『鬼六談義 カメラ嫌い[注 3]
    • 「緊縛映画『誘拐』[注 4]は、『鞭と肌』という題名にかわり、4月25日にクランクイン、5月3日にアップ。10日に試写会。伊豆山の近くでのロケの話。
    • 山本昌平林美樹が出演。女優のほとんどは劇団「赤と黒」の団員。
    • 好きだった新高恵子可能かず子もすでにピンク映画から足を洗ってしまった。
    • カメラマンは初老のN氏。
    • 友人である婦人雑誌のカメラマンK君がロケの写真を撮ってくれる。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)9月号『鬼六談義 好色の戒め
    • 翻訳の仕事を始めたとある。社員を4名採用。男子学生2名と女子学生2名。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)10月号『鬼六談義 瓢箪の話[注 3]
    • 「現在、外国テレビ映画翻訳の仕事をやっている」とある。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)12月号『鬼六談義 好きな人達[注 3]
    • 熱海での「肉地獄」のロケに奇譚クラブの読者A氏、B氏が招かれた話。辰巳のり子の縛りシーン。撮影隊はT旅館に滞在。

1968年奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)3月号『鬼六談義 バラバラの話[注 3]
    • バラバラ殺人事件の参考人となった話。
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)4月号『鬼六談義 男と女の話
    • 湯河原での新年会の話。
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)5月号『鬼六談義 狐の話
    • ピンク俳優の権利を守る「独立映画俳優協会」が発足(理事長は火石利男)。谷直美林美樹も来る。協会のためのシナリオを書いた(同号の『残酷・性の贄』か?)
    • 最近はピンク映画のシナリオにももっともらしいストーリーが要求されるようになってきた。
    • これまで50本ぐらいのシナリオを書いた。以前は月1本だが今は月3本。
    • 武智鉄二の映画は下手な説法めいたものが画面に顔をのぞかせるので好きになれない。ただ、『黒い雪』裁判でピンク映画も芸術だとごまかしやすくなったので恩恵は受けた。
    • 最近は乳頭も映画で見せることが出来る。
    • 武田有生の『多情な乳液』の脚本を書いた(ヤマベプロ作品。辰巳典子主演。)
    • 新高恵子可能かず子城山路子などの演技力のある女優はやめてしまった。
    • 新高恵子の義理で、寺山の芝居を末広亭に見に行った。陳腐な三文芝居に芸術の匂いをつけて人をたぶららかすもの。アングラマニアさえたぶらかすアングラ劇団、と手厳しい。天井桟敷第3回公演、「大山デブ子の犯罪」新宿末広亭(1967年6月)のことか?あるいは、その後同所で再演していたのかもしれない。
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)6月号『鬼六談義 酒場の話[注 3]
    • 東京のピンク映画館では最近実演を抱き合わせるのが多くなってきた。
    • 劇場主に頼まれそうしたアチャラカ芝居の台本を立て続けに5,6本も書かされた。
    • 桂奈美林美樹谷ナオミ辰巳典子などが実演に出る。
    • 赤と黒」(今はもうつぶれた)の女優を時々ピンク映画に出演させることがある。
    • (『スターストーリー』)では「シルバースクリーン」という米国雑誌を翻訳していた。
    • ピンク映画は若いプロデューサーが市場を占有し始め、15日間の撮影日数が10日、7日、3日半と短くなってきた。
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話
    • 花と蛇より 肉の飼育』(ヤマベプロ, 1968)の上州川原湯温泉のロケの話。サブタイトルは配給会社の部長がつけた。谷直美、祝マリ、宮瀬健二など。監督は松原次郎。松原は古い人なので、昔のように乳首を見せないで撮ろうとする。もうその必要はない。
    • 花と蛇シリーズ(私の仕事しているプロダクションがつけた)。」「縛り映画は相当な興行収入」
    • ピンク女優の数が激減していることを指摘。東映の「徳川女刑罰史」のことを書いている。ピンク映画会社が五社に女優の貸し出しを封じようとして相談している。
    • 「強引に依頼されて、銀座と渋谷の映画館で興行されているピンク芝居の脚本を月三本も書かされている。」
    • 小森白にはまったくそのけ(SMマニア)はない。縄をかけるのはよく知っている助監督だが、彼もそのけはない。
    • 映画のロケの時は、社長の好意で個室を与えられ、そこで執筆をしている。時間のある女優を呼び出し、緊縛写真を撮影している。
    • 花と蛇」の愛読者が緊縛女優志願に来たので、京マコとして『肉体手形』(ヤマベプロ, 1968)に役を付け足す。京マコ滝リエはM性がある。
    • 京都に行く。辻村隆を東映のプロジューサー、監督に紹介。『徳川女刑罰史』が8月20日よりクランクイン。また、伊藤晴雨の映画化の打ち合わせ。企画会議でパスしたので今年か来年かにクランクイン。伊藤晴雨のことを調べるために斎藤夜居に教えをこわなければ。
  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号『鬼六談義 どさ回りの話[注 3]
    • 『赤い拷問』の伊豆・下賀茂での4日間にわたるロケの話。谷ナオミ
    • 賀山茂を招待。奇譚クラブの読者を招待したのは3回目。
    • 製薬会社重役の吉岡氏をロケに紹介した思いで。地方のストリップが好きな人。
    • 『赤い拷問』は鉄火肌の女を責めるモノで、映画関係者は「花と蛇」シリーズと言っている。
    • 試写会が終わった3日後、T映画の人々が、こから作る緊縛映画について相談。


  • 奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号, p146『鬼六談義 秋の風
    • 「一年ばかり前に・・翻訳アテレコの仕事も・・人間を三人も四人もつかってそれで儲けがあるのかないのか・・面倒くさくなって解散してしまった。」

1969年奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)3月号『鬼六談義 一皮むけば
    • 憧れていた酒場の女Kの自宅に行ってがっかりした思い出。
    • 『徳川女刑罰史』を見た感想は「あの種の映画は当たるのだという面白さ」
    • 静子夫人が山本富士子、珠江夫人が新珠三千代。
    • 伊藤晴雨の話がT映画会社の3月以降の企画作品。
    • 親しい松井康子が「神々の果てしない欲望」に出演。
  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)6月号『鬼六談義 或る女優の話[注 3]
    • 『好色一代・無法松』のロケの話。
    • 信州別所温泉での12日間のロケ。バス3台で移動。
    • 「R映画の創立3周年記念」で制作費は従来の2倍。
    • 監督は武田有生。千月のりこ、乱孝寿などが出演。
    • 拷問シーンがあるのでマニアの賀山茂と島田氏を誘うが賀山氏はこれない。島田氏は辻村隆とほぼ同じ年齢。築地の料亭の旦那。
    • 島田氏の2号の春江は団が紹介。島田氏の前に賀山氏と製薬会社の重役田川氏に紹介。
  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)7月号『鬼六談義 蓮華草の話[注 3]
    • 「海の見えるこの土地に移り住んでもう5年」とある。
    • 「石井輝雄(ママ)が・・・助監督連が結束し」とボイコット事件のことが書いてある。
  • 奇譚クラブ1969年(昭和44年)9月号『鬼六談義 奇妙な性の話
    • 六邦映画の『好色二十八人衆』[注 5]のロケで伊豆長岡に賀山茂とでかける。辰巳典子林美樹が出演。
    • 東映から辻村隆に加えて東京方面の緊縛師を紹介してくれと頼まれたので賀山茂を紹介したが助監督組合のごたごたで流れる。
    • 賀山茂は緊縛指導として連れて行ったが、東京よりM女を呼び寄せ映画撮影には参加しない。
    • 近頃の女性は羞恥心がなくなったと嘆く。

1970年奇譚クラブ連載

  • 奇譚クラブ1970年(昭和45年)3月号『鬼六談義 人妻の話[注 3]
    • 「今年(おそらく1969年)は・・・ピンクプロを作ってみたものの」とある。
    • 「テレビにまで出てしまった」とある。「談志に応援を頼んで出演」とある。
    • 一緒に出演した昭和女子大学の白石先生。

1971年奇譚クラブ連載

1973年SMキング連載

  • SMキング1973年(昭和48年)2月号『鬼六談義 珍小説から珍出版』[注 6]
    • 月産600枚。SM小説を書くことが苦痛。救いようのないマンネリ。
    • 大学生のアベックが来て、私の前で3万円でセックスを見せて帰った。卑猥館というものがわいてこない。
  • SMキング1973年(昭和48年)3月号『鬼六談義 羞恥責の』[注 7]
    • 自身はS50%, M50%だが、最近S80%以上のマニアが訪ねてくるようになった。「空想を上廻るような満足感を1つも得られない」
    • 「高級の美に対する復讐行為」が本体。
  • SMキング1973年(昭和48年)4月号『鬼六談義 浣腸の話』[注 7]
    • 450円に値上げした。
    • 新人がなかなか出てこない。自分はマンネリ。
    • 読者の要望で浣腸モノを随分書くようになったが、空想にとどめておくべきもの。
  • SMキング1973年(昭和48年)5月号『鬼六談義 SM雑誌考』[注 6]
    • SMの基礎知識を普及する雑誌としてSMキングを始めてみた。
  • SMキング1973年(昭和48年)6月号『鬼六談義 マニア好みの女』[注 7]
    • 私の仲間のマニアは半分以上女房の飼育に失敗。
    • 女房に浮気をさせてM的快感を楽しんでいる友人の話。
  • SMキング1973年(昭和48年)8月号『鬼六談義 苦闘の一年』[注 6]
    • 酒場経営を3年間やったとある。
  • SMキング1973年(昭和48年)9月号『鬼六談義 悦虐趣味のたたり』
    • コレクターのTさんの話。愛人宅に家族に見つからないようにコレクションを隠している。
    • 団が紹介したAという若者とTの娘が結婚するはめになり、Tさんが嘆く話。
  • SMキング1973年(昭和48年)10月号『鬼六談義 快楽の原点』[注 7]
    • SM関係の酒場が増えてきた。アブの愛好者の数はそんなにかわらないはず。
    • 昔からのマニアがSMの会などを作りはじめている。
    • 「腹の突き出た会社の重役達が、M女性といってもほとんど金で自由にしている酒場ホステス達を各自得意の縛り術を披瀝して・・金持旦那衆のSM極道以外の何ものでもない。」「SM友の会とか乱交パーティとか集団で快楽をむさぼるのは邪道」
  • SMキング1973年(昭和48年)11月号『鬼六談義 秋風の季節』[注 6]
    • SMキング8月号、9月号が発禁処分になったとある。

1974年SMキング連載

  • SMキング1974年(昭和4年9)1月号『鬼六談義 生首』[注 6]
    • 生首マニアKさんの話。

引用文献

注釈

  1. (1966.2)(製作:ヤマベプロ。監督:岸信太郎、脚本:団鬼六、出演:山吹ゆかり)
  2. 団鬼六『鬼六談義』(芳賀書店, 1970)に『マニヤ誌批判』と改題して再録。
  3. 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 団鬼六『鬼六談義』(芳賀書店, 1970)として再録。
  4. 奇譚クラブ1967年(昭和42年)7月号にシナリオ。
  5. 『競艶おんな極道 色道二十八人衆』(1969.6)(製作:六邦映画、監督:武田有生、脚本:団鬼六、出演:珠瑠美 林美樹 辰巳典子 大月麗子 乱孝寿 千月のり子 邦かほり 江島祐子 水木洋子 岡恵美子 美矢かおる 鶴岡八郎 長岡丈二 野上正義 椙山拳一郎 港雄一 里見孝二 二階堂浩 宮瀬健二 北村淳 市村譲二 中野渉 森達也 冬木京三 津崎公平)
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 『団鬼六原作劇画集成 (第2弾)』(マガジン・ファイブ, 2005)に再出。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 『団鬼六原作劇画集成 (第1弾)』(マガジン・ファイブ, 2004)に再出。

<metakeywords> 団鬼六,鬼六談義,昭和SM,奇譚クラブ,sm小説</metakeywords>