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2014年8月20日 (水) 17:57時点における版
つじばんづけ。江戸〜明治時代に街中に貼られていたの芝居のポスター。伊藤晴雨は松竹の創立者、大谷竹治郎に乞われ歌舞伎座、新富座、明治座等の看板、辻番付を描く。
概要
江戸時代、明治時代に街中に貼られたの芝居のポスター。大正時代に伊藤晴雨が新派のための辻番付を描いていた。
歴史
1906年(明治39年)11月1日、柳盛座で『蘆分小舟』[注 1]の公演。巻野憲二が出演。この時の辻番付は伊藤晴雨の手によるものかもしれない。
1916年(大正5年)頃、大谷竹治郎に乞われ、歌舞伎座、新富座、明治座の看板、辻番付、舞台装置などを担当[1]。
引用文献
- ↑ 『幻の責め絵師 伊藤晴雨』芸術新潮 1995年(平成7年)4月号, 新潮社
注釈
- ↑ Charles Dickensの原作が池雪蕾の訳で都新聞に連載されていたもの。
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