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'''わかまつ こうじ'''、1936年(昭和11年)4月1日-2012年(平成24年)10月17日 | '''わかまつ こうじ'''、1936年(昭和11年)4月1日-2012年(平成24年)10月17日 | ||
==概要== | ==概要== | ||
1960年代のいわゆる「独立映画」畑出身の映画監督。「セックス」「暴力」をテーマとした作品が多く「[[ピンク映画]]」として配給されていたが、メッセージ性の強いその作品は、早くもデビュー二年後の1965年(昭和40年)にはベルリン国際映画祭に出品、1971年(昭和46年)にはカンヌ国際映画祭、そして晩年の2012年(平成24年)にはベネチア国際映画祭に出品されている。2010年(平成22年)のベルリン国際映画祭では、出品作品『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞している。デビュー前後の1960年代初期には[[山邊信雄]]の[[ヤマベプロ]]の撮影も手伝っていた模様で、[[山邊信雄]]によると[[1965年版「花と蛇」]]の助監督は[[若松孝二]]が担当した<ref>[[山邊信雄]], 私信 to U</ref>。若松作品中の責め場シーンについては、[[奇譚クラブ]]の読者からの感想にもしばしば言及されている。[[若松孝二]]自身にはSMの趣味があったとの証言はない。 | |||
==別名== | ==別名== | ||
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Koji_Wakamatsu Koji Wakamatsu]、伊藤孝(本名)、大杉虎 | [http://www.nawapedia.com/index.php?title=Koji_Wakamatsu Koji Wakamatsu]、伊藤孝(本名)、大杉虎 | ||
==略歴== | ==略歴== | ||
1936年(昭和11年)4月1日、宮城県遠田郡涌谷町に生まれる<ref name="ore">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J7HG8S?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B000J7HG8S 若松孝二『俺は手を汚す』(ダゲレオ出版, 1982)]より。</ref><ref group="注">8人兄弟。家は農家で、父親は馬の獣医のようなこともしていた。</ref>。 | 1936年(昭和11年)4月1日、宮城県遠田郡涌谷町に生まれる<ref name="ore">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J7HG8S?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B000J7HG8S 若松孝二『俺は手を汚す』(ダゲレオ出版, 1982)]より。</ref><ref group="注">8人兄弟。家は農家で、父親は馬の獣医のようなこともしていた。</ref>。 | ||
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1965年(昭和40年)、若松プロダクションを設立設立。『'''壁の中の秘事'''』がベルリン国際映画祭に出品<ref group="注">西ドイツの映画業者が独自に出品したので「国辱もの」と物議をかもす。</ref>。 | 1965年(昭和40年)、若松プロダクションを設立設立。『'''壁の中の秘事'''』がベルリン国際映画祭に出品<ref group="注">西ドイツの映画業者が独自に出品したので「国辱もの」と物議をかもす。</ref>。 | ||
1965年(昭和40年)、[[団鬼六]]と[[山邊信雄]]の[[1965年版「花と蛇」]]の製作に関わる<ref name="yamabe">[[山邊信雄]]氏へのインタビュー by U (2010.5.2)</ref>。 | |||
1967年(昭和42年)1月、[[成人映画]]No.14の『'''これでいいのか!ピンク映画'''』座談会。出席者:[[若松孝二]]、[[新藤孝衛]]、[[向井寛]]、[[渡辺護]]、[[可能かず子]]、[[川島のぶ子]]。 | |||
1971年(昭和46年)、カンヌ国際映画祭監督週間にて『犯された白衣』『性賊』が上映。 | |||
1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。 | 1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。 | ||
2007年(平成19年)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 | 2007年(平成19年)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を受賞。 | ||
2008年(平成20年)、第58回ベルリン国際映画祭において『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。毎日映画コンクールで監督賞、日本映画評論家大賞で作品賞を受賞。 | |||
2010年(平成22年)、ベルリン国際映画祭出品の『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞。 | 2010年(平成22年)、ベルリン国際映画祭出品の『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞。 | ||
2012年(平成24年)5月26日、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式招待。『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』上映。 | |||
2012年(平成24年)9月4日、第69回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門正式招待。「千年の愉楽」上映。 | |||
2012年(平成24年)10月4日、第17回釜山国際映画祭にて「今年のアジア映画人賞」受賞。 | |||
2012年(平成24年)10月17日、12日に交通事後にあい、入院先で永眠。 | 2012年(平成24年)10月17日、12日に交通事後にあい、入院先で永眠。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*若松プロダクション。東京都 渋谷区 千駄ケ谷5丁目12-17 | *若松プロダクション。東京都 渋谷区 千駄ケ谷5丁目12-17 | ||
*[[田中欣一]]が一部の作品の縛りを担当していた。 | *[[田中欣一]]が一部の作品の縛りを担当していた。 | ||
*東京映画祭でレッドカーペットを歩くように言われた時「映画作りなんて、偉そうに赤いカーペットを歩く商売じゃないんだ。俺は所詮、映画作りしかできないから、映画を創ってるだけだ」と言って正装してカーペットを歩くことを断固として拒否した。<ref>[http://www.wakamatsukoji.org/blog/ | *東京映画祭でレッドカーペットを歩くように言われた時「映画作りなんて、偉そうに赤いカーペットを歩く商売じゃないんだ。俺は所詮、映画作りしかできないから、映画を創ってるだけだ」と言って正装してカーペットを歩くことを断固として拒否した。<ref>[http://www.wakamatsukoji.org/blog/ 若松孝二公式ブログ]</ref>。 | ||
==代表作== | ==代表作== | ||
[http://www.jmdb.ne.jp/person/p0161920.htm 日本映画データベース] | [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0161920.htm 日本映画データベース] | ||
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*『'''太陽のヘソ'''』(映広プロ, 1965.5)(配給:国映、製作:矢元照雄 久保田仁司、企画:朝倉大介、監督:[[若松孝二]]、助監督:[[梅沢薫]]、脚本: [[大和屋竺|大谷義明]]、撮影:[[伊東英男|伊東英夫]]、撮影助手:浜野誠之、音楽:西山登、出演:睦五郎 牧和子 ティアーレ・ウッド 他) | *『'''太陽のヘソ'''』(映広プロ, 1965.5)(配給:国映、製作:矢元照雄 久保田仁司、企画:朝倉大介、監督:[[若松孝二]]、助監督:[[梅沢薫]]、脚本: [[大和屋竺|大谷義明]]、撮影:[[伊東英男|伊東英夫]]、撮影助手:浜野誠之、音楽:西山登、出演:睦五郎 牧和子 ティアーレ・ウッド 他) | ||
*『'''壁の中の秘事'''』([[若松プロ]], 1965.6)(配給:関東ムービー、監督:[[若松孝二]]、助監督:近藤亮一、脚本: [[大和屋竺|大谷義明]]、撮影:[[伊東英男|伊藤英男]]、音楽:西山登、出演:[[可能かず子|可能かづ子]] 藤野博子 寺島幹夫 吉沢京夫 [[野上正義]]) | *『'''壁の中の秘事'''』([[若松プロ]], 1965.6)(配給:関東ムービー、監督:[[若松孝二]]、助監督:近藤亮一、脚本: [[大和屋竺|大谷義明]]、撮影:[[伊東英男|伊藤英男]]、音楽:西山登、出演:[[可能かず子|可能かづ子]] 藤野博子 寺島幹夫 吉沢京夫 [[野上正義]]) | ||
*『'''冒涜の罠'''』(国映, 1965.07)(監督:[[若松孝二]]、出演:森まこ [[藤田功]]) | *『'''冒涜の罠'''』(国映, 1965.07)(監督:[[若松孝二]]、出演:森まこ [[藤田功]] 加山リサ)<ref group="注"> [[成人映画]]1965年(昭和40年)7月創刊号に[[熱海城]]でのロケが紹介されている。</ref> | ||
*『'''歪んだ関係'''』(国映, 1965.09)(製作:矢元照雄、監督:[[若松孝二]]、出演:[[城山路子]] [[新高恵子]] 林孝一 月ひろみ [[藤田功]]) | *『'''歪んだ関係'''』(国映, 1965.09)(製作:矢元照雄、監督:[[若松孝二]]、出演:[[城山路子]] [[新高恵子]] 林孝一 月ひろみ [[藤田功]]) | ||
*『'''乾いた処女'''』([[若松プロ]], 1965.12)(配給:国映、監督:[[梅沢薫]]、監修:[[若松孝二]]、撮影:浜野誠之、出演:志摩みはる 佐久間しのぶ 公敦子 港雄一) | *『'''乾いた処女'''』([[若松プロ]], 1965.12)(配給:国映、監督:[[梅沢薫]]、監修:[[若松孝二]]、撮影:浜野誠之、出演:志摩みはる 佐久間しのぶ 公敦子 港雄一) | ||
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*1966.04._ お電話頂戴 第7グループ | *1966.04._ お電話頂戴 第7グループ | ||
*1966.05._ ひき裂かれた情事 若松プロ | *1966.05._ ひき裂かれた情事 若松プロ | ||
*『'''胎児が密猟する時'''』(若松プロ, 1966.7)( | *『'''胎児が密猟する時'''』(若松プロ, 1966.7)(脚本:[[足立正生]]、出演:山谷初男<ref group="注">[[天井桟敷]]の芝居に5本ぐらい出ている。[[天井桟敷]]の芝居を観て感動し、なんでもいいから手伝わしてくれと頼んだところ、[[寺山修司]]がピンク映画の山谷を知っており、準主役をもらう。正式には劇団員にはなっていない。</ref>、志摩みはる)<ref group="注">1967年(昭和42年)のブリュッセル映画祭招待作品で、賛否両論の大騒ぎとなった。若松プロの事務所でスタッフ全員5日間缶詰になり製作。食事は若松が作る。壁を白く塗ったのが大家にばれて追い出されて原宿に移る(DVDのインタビューより)。</ref> | ||
*1966.07._ 白の人造美女 若松プロ | *1966.07._ 白の人造美女 若松プロ | ||
*1966.12.13 裏切りの季節 若松プロ<ref group="注">東山映史『'''最近の縛り映画から'''』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196612/01/011.html p14]で紹介。</ref> | *1966.12.13 裏切りの季節 若松プロ<ref group="注">東山映史『'''最近の縛り映画から'''』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196612/01/011.html p14]で紹介。</ref> | ||
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*[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4898301819?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4898301819 若松孝二『時効なし。』(ワイズ出版, 2005)] | *[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4898301819?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4898301819 若松孝二『時効なし。』(ワイズ出版, 2005)] | ||
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画像:KojiWakamatsu01.png|[[成人映画]] 1965年(昭和40年)7月創刊号の記事『'''ロケ・ルポルタージュ「冒瀆の罠」([[国映]])'''』 | |||
画像:KojiWakamatsu02.png|[[成人映画]] 1967年(昭和42年)4月 No.16『'''連載インタビュー・第一回 噛みついて生きてきた[[若松孝二]]の青春'''』 | |||
画像:KojiWakamatsu03.png|[[成人映画]] 1969年(昭和44年)7月 No.42『'''[[脱がせ屋の素顔]]⑥ [[若松孝二]]監督'''』 | |||
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わかまつ こうじ、1936年(昭和11年)4月1日-2012年(平成24年)10月17日
概要
1960年代のいわゆる「独立映画」畑出身の映画監督。「セックス」「暴力」をテーマとした作品が多く「ピンク映画」として配給されていたが、メッセージ性の強いその作品は、早くもデビュー二年後の1965年(昭和40年)にはベルリン国際映画祭に出品、1971年(昭和46年)にはカンヌ国際映画祭、そして晩年の2012年(平成24年)にはベネチア国際映画祭に出品されている。2010年(平成22年)のベルリン国際映画祭では、出品作品『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞している。デビュー前後の1960年代初期には山邊信雄のヤマベプロの撮影も手伝っていた模様で、山邊信雄によると1965年版「花と蛇」の助監督は若松孝二が担当した[1]。若松作品中の責め場シーンについては、奇譚クラブの読者からの感想にもしばしば言及されている。若松孝二自身にはSMの趣味があったとの証言はない。
別名
Koji Wakamatsu、伊藤孝(本名)、大杉虎
略歴
1936年(昭和11年)4月1日、宮城県遠田郡涌谷町に生まれる[2][注 1]。
1952年(昭和25年)、南郷農業高等学校畜産科を1年で退学、家出し上京。中学時代の友人が働いていた大田区のお菓子屋の小僧となる[2]。
1957年(昭和32年)、新宿で安田組[注 2]のヤクザの下働きなどをし、逮捕され半年間勾留[3]。
1960年前後、ロケの弁当運びから始め、テレビの「鉄人28号」「矢車剣之助」「月光仮面」などの助手[3]。
1963年(昭和38年)9月、『甘い罠』(東京企画、睦五郎、香取環)で監督デビュー。
1965年(昭和40年)、若松プロダクションを設立設立。『壁の中の秘事』がベルリン国際映画祭に出品[注 3]。
1965年(昭和40年)、団鬼六と山邊信雄の1965年版「花と蛇」の製作に関わる[4]。
1967年(昭和42年)1月、成人映画No.14の『これでいいのか!ピンク映画』座談会。出席者:若松孝二、新藤孝衛、向井寛、渡辺護、可能かず子、川島のぶ子。
1971年(昭和46年)、カンヌ国際映画祭監督週間にて『犯された白衣』『性賊』が上映。
1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。
2007年(平成19年)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を受賞。
2008年(平成20年)、第58回ベルリン国際映画祭において『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。毎日映画コンクールで監督賞、日本映画評論家大賞で作品賞を受賞。
2010年(平成22年)、ベルリン国際映画祭出品の『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞。
2012年(平成24年)5月26日、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式招待。『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』上映。
2012年(平成24年)9月4日、第69回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門正式招待。「千年の愉楽」上映。
2012年(平成24年)10月4日、第17回釜山国際映画祭にて「今年のアジア映画人賞」受賞。
2012年(平成24年)10月17日、12日に交通事後にあい、入院先で永眠。
エピソード
- 若松プロダクション。東京都 渋谷区 千駄ケ谷5丁目12-17
- 田中欣一が一部の作品の縛りを担当していた。
- 東京映画祭でレッドカーペットを歩くように言われた時「映画作りなんて、偉そうに赤いカーペットを歩く商売じゃないんだ。俺は所詮、映画作りしかできないから、映画を創ってるだけだ」と言って正装してカーペットを歩くことを断固として拒否した。[5]。
代表作
1960年代
- 『甘い罠』(東京企画, 1963.9.3)(配給:宝映、監督:若松孝二、脚本:峰三千雄、撮影:門口友也、出演:睦五郎 香取環 五所怜子 竹田公彦)
- 『激しい女達』(国映, 1963.9.3)(監督:若松孝二、脚本:峰三千雄、撮影:秋山海蔵、出演:橘桂子 香取環 三原潔)
- 『おいろけ作戦 プレーガール』(国映, 1963.10)(監督:若松孝二 久野四郎、出演:牧和子 村上美里)
- 『不倫のつぐない』(新映フィルム, 1963.12.31)(配給:日本シネマ、製作:千葉実、監督:若松孝二、脚本:吉岡道夫、撮影:伊藤英男、録音:目黒スタジオ、照明:磯貝一、出演:三鬼弘史 佐久間しのぶ 三原潔 路加奈子 寺島幹夫)
- 『悪のもだえ』(日本シネマ, 1963.12.31)(製作:千葉実、監督:若松孝二、脚本:吉岡道夫、撮影:秋山海蔵、出演:松井康子 香取環 寺島幹夫 白川晶雄)
- 『めす犬の賭け』(日本シネマ, 1964.03.17)(製作:千葉実、監督:若松孝二、脚本:吉岡道夫、撮影:伊藤英男、録音:目黒スタジオ、出演:早良純 松井康子 香取環 扇町京子)
- 『赤い犯行』(東京シネマ=日本シネマ, 1964.5.17)(製作:鷲尾飛天丸、企画:千葉実、監督:若松孝二、脚本:吉岡道夫、撮影:伊藤英男、音楽:竹村次郎、美術:梅沢薫、録音:目黒スタジオ、出演:神山卓三 寺島幹夫 路加奈子 藤森和子)
- 『鉛の墓標』(国映=ダイヤプロ, 1964.5.17)(製作:朝倉大介、監督:若松孝二、脚本:吉岡道夫、撮影:伊藤英男、音楽:竹村次郎、出演:田代かほる 築地容子 寺島幹夫 野上正義)
- 『乾いた肌 』(日本シネマ, 1964.9)(製作:鷲尾飛天丸、監督:若松孝二、脚本:池田正一 中野道玄、撮影:伊藤英男、音楽:西山登、録音:目黒現像、出演:三井由紀子 宮村京子 大原謙二 里見孝二 寺島幹夫)
- 『逆情』(日本シネマ, 1964.9)(製作:鷲尾飛天丸、監督:若松孝二、脚本:大石純一郎、撮影:伊藤英男、音楽:西山登、録音:目黒現像、出演:寺島幹夫 扇町京子 公敦子 手島昭彦)
- 『網の中の女』(日本シネマ, 1964.9)(製作:鷲尾飛天丸、監督:若松孝二、脚本:吉岡道夫、撮影:伊藤英男、出演:大西康子 水島京子 扇町京子 波多陽二 公敦子 野上正義)
- 『白い肌の脱出』(日本シネマ, 1964.12)(監督:若松孝二、出演:若原珠美 扇町京子)
- 『裸の形』(クレンズヒル, 1964)(監督:若松孝二、出演:三浦光子 花の本寿)
- 『恐るべき遺産』(クレンズヒル, 1964)(監督:若松孝二、出演:花ノ本寿 三浦光子 劇団ひまわり)
- 『離婚屋開業中』(日本シネマ, 1965.1)(監督:若松孝二、出演:松井康子)
- 『情事の履歴書』(若松プロ, 1965.4)(製作:矢元照雄、監督:若松孝二、脚本:若松孝二 大谷義明、撮影:伊東英夫、出演:千草みどり 三枝陽子 三宅一 明石健 細谷俊彰 立川雄三 寺島幹夫)
- 『太陽のヘソ』(映広プロ, 1965.5)(配給:国映、製作:矢元照雄 久保田仁司、企画:朝倉大介、監督:若松孝二、助監督:梅沢薫、脚本: 大谷義明、撮影:伊東英夫、撮影助手:浜野誠之、音楽:西山登、出演:睦五郎 牧和子 ティアーレ・ウッド 他)
- 『壁の中の秘事』(若松プロ, 1965.6)(配給:関東ムービー、監督:若松孝二、助監督:近藤亮一、脚本: 大谷義明、撮影:伊藤英男、音楽:西山登、出演:可能かづ子 藤野博子 寺島幹夫 吉沢京夫 野上正義)
- 『冒涜の罠』(国映, 1965.07)(監督:若松孝二、出演:森まこ 藤田功 加山リサ)[注 4]
- 『歪んだ関係』(国映, 1965.09)(製作:矢元照雄、監督:若松孝二、出演:城山路子 新高恵子 林孝一 月ひろみ 藤田功)
- 『乾いた処女』(若松プロ, 1965.12)(配給:国映、監督:梅沢薫、監修:若松孝二、撮影:浜野誠之、出演:志摩みはる 佐久間しのぶ 公敦子 港雄一)
- 『欲望の血がしたたる』(若松プロ, 1965.12)(配給:N・S・P、企画・製作:若松孝二、演出:若松孝二、助監督:梅沢薫、脚本:大谷芳朗 若松孝二、撮影:伊藤英男、音楽:生見慶二、出演:上野山功一 叶美智子 生方健 香取環 樋口功 志摩みはる 細谷俊彰 人見修)
- 『鉛の慕情』(ダイヤプロ, 1965)(配給:国映、監督:若松孝二、出演:野上正義 築地洋子)
- 『愛のデザイン』(第7グループ , 1965)監督:若松孝二、出演:路加奈子)
- 『血は太陽よりも赤い』(若松プロ, 1966.3)(企画:若松孝二 、監督:若松孝二、脚本:大谷義明、撮影:伊東英男、音楽:生明慶二、出演:大塚和彦 若原珠実 笠間雪男 一の瀬弓子 山吹ゆかり 桂奈美 峯阿矢 真弓田一夫 寺島幹夫 和達五郎)[注 5]
- 1966.04._ お電話頂戴 第7グループ
- 1966.05._ ひき裂かれた情事 若松プロ
- 『胎児が密猟する時』(若松プロ, 1966.7)(脚本:足立正生、出演:山谷初男[注 6]、志摩みはる)[注 7]
- 1966.07._ 白の人造美女 若松プロ
- 1966.12.13 裏切りの季節 若松プロ[注 8]
- 1966._._ 密通 若松プロ
1967.02.21 情欲の黒水仙 若松プロ
1967.03._ 網の中の暴行 若松プロ
1967.03._ 犯された白衣 若松プロ
1967.04.15 或る密通 日本シネマフイルム
1967.07._ 日本暴行暗黒史 異常者の血 若松プロ
1967.09.12 性の放浪 若松プロ
1967.12._ 続日本暴行暗黒史 暴虐魔 若松プロ
1967._._ 性犯罪 若松プロ
1967._._ 乱行 若松プロ
1968.03._ 腹貸し女 若松プロ
1968.06._ 肉体の欲求 若松プロ
1968.09.27 金瓶梅 ユニコン・フィルム
1969.02._ 新日本暴行暗黒史 復讐鬼 若松プロ
1969.07._ 通り魔の告白 現代性犯罪暗黒篇 若松プロ
1969.09._ 狂走情死考 若松プロ
1969.10._ やわ肌無宿 男殺し女殺し 若松プロ
1969._._ 男ごろし女ごろし 裸の銃弾 若松プロ
1969._._ 現代性犯罪暗黒篇 ある通り魔の告白 若松プロ
1969._._ 現代 好色伝 若松プロ
1969._._ 処女ゲバゲバ 若松プロ
1969._._ ゆけゆけ二度目の処女 若松プロ
1969._._ 現代好色伝 テロルの季節 若松プロ
書籍
ギャラリー
引用文献
注釈
- ↑ 8人兄弟。家は農家で、父親は馬の獣医のようなこともしていた。
- ↑ 駅西口一帯を牛耳っていたテキヤ。安田朝信組長は新宿議会議員。
- ↑ 西ドイツの映画業者が独自に出品したので「国辱もの」と物議をかもす。
- ↑ 成人映画1965年(昭和40年)7月創刊号に熱海城でのロケが紹介されている。
- ↑ 寺山修司が絶賛したと言われている作品。
- ↑ 天井桟敷の芝居に5本ぐらい出ている。天井桟敷の芝居を観て感動し、なんでもいいから手伝わしてくれと頼んだところ、寺山修司がピンク映画の山谷を知っており、準主役をもらう。正式には劇団員にはなっていない。
- ↑ 1967年(昭和42年)のブリュッセル映画祭招待作品で、賛否両論の大騒ぎとなった。若松プロの事務所でスタッフ全員5日間缶詰になり製作。食事は若松が作る。壁を白く塗ったのが大家にばれて追い出されて原宿に移る(DVDのインタビューより)。
- ↑ 東山映史『最近の縛り映画から』奇譚クラブ1966年(昭和41年)12月号, p14で紹介。