葵マリー

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初代 →葵マリー
二代目 →二代目葵マリー
三代目 →三代目葵マリー
四代目 →四代目葵マリー

あおい まり、1944年(昭和19年)8月4日[1]-。1980年代に赤坂ブルーシャトーを主宰したミストレス。

概要

1980年代に活躍した女王様。「女王様の中の女王様」とも呼ばれる。1980年(昭和55年)にSMクラブ赤坂ブルーシャトーを設立し、多くのS女、M女を育てる。そこでの定例SMショーには長田英吉なども出演していた。にっかつ映画への出演・監督など、積極的なマスコミへの露出を通じて、ステレオタイプ的な「SMプレイ」のイメージを作り上げた。後継者として二代目葵マリー三代目葵マリーを生み出した。

別名

Mary Aoi 葵マリ 葵マリー 初代葵マリー 葵まりー あおいマリー 伊藤尚子(本名) 伊藤花果 小佐野真理子

略歴

1944年(昭和19年)8月4日、静岡に誕生[1][注 1][注 2][注 3]

1962年(昭和37年)頃、少女雑誌のモデルを経て東映京都撮影所に入り端役女優[1][注 4]。「姫路ゆり子」という名で18本の作品に出演[2][注 2]

1965年(昭和40年)頃、結婚のために女優をやめる[注 2]

1969年(昭和44年)4月15日、辰巳出版の『別冊㊙』4月増刊号のグラビア「赤坂の夜を泳ぐ白い密猟者」でモデルとして登場。「Eというスナック」でガールハントされたという設定。

1974年(昭和49年)頃、雄琴ソープランドの支配人となる[2][注 2]

1974年(昭和49年)頃、夫の会社が倒産したため上京。新宿歌舞伎町のナイトクラブのママ、赤坂コパカバーナ[注 2]のホステス、赤坂ひの家の芸妓、ナイトクラブ赤坂ミカドの芸妓ホステスを経て、銀座のバー「真理子」のオーナーマダムとなる。続いて、会員制クラブ「赤坂峰子」「サロンど峰」などを開店[注 2]

1980年(昭和55年)頃、「赤坂ナイトクラブ真理子」を開店[注 2]

1980年(昭和55年)6月、芸能プロABSプロモーションを設立し、その営業の1つとして赤坂ブルーシャトーを開業[3][注 5]

1980年(昭和55年)6月5日、赤坂ブルーシャトーを開業[4][注 6]。姉妹店のヤングシャトーシルバーシャトーロイヤルシャトーも開業。

1980年(昭和55年)10月、後の松川ナミが入店。源氏名はエミ[4][注 7]

1980年代初め、「ショークラブブルーシャトー」「キャバレーシンデレラ」などを開店。

1981年(昭和56年)1月8日、赤坂ブルーシャトーの定例ショーに長田英吉を招聘。司会は田辺一鶴、モデルはエミ[4][注 8]

1982年(昭和57年)4月、週刊宝石島田紳助と対談。

1983年(昭和58年)9月、ABSプロモーション設立[4][注 9][注 10]

1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始[4]

1983年(昭和58年)12月10日、あまとりあ社から『SMドキュメント葵マリーの告白手記』出版[注 11]

1985年(昭和60年)、『ザ・折檻2』『ザ・折檻3』の監督。

1986年(昭和61年)、安達かおると『調教24時間・地獄編』を撮影。V&Rプランニングの最初の作品となる[5][6]

1986年(昭和61年)9月28日、月光1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号の『S&M逆転の構造』で座談会。出席者は葵マリー星ゆり子、順子、佐々木けい子

1987年(昭和62年)6月、赤坂ブルーシャトーの名士会員情報が週刊誌で漏れる[3]

1987年(昭和62年)7月、『ザ・虐待』が封切り。

1987年(昭和62年)8月28日、アルファイン葵マリーの引退興行。ショーの最後に北条小夜子に二代目葵マリーの称号を与える戴冠式をおこなう[3](『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目北条小夜子に譲る」と語っている)。

1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。『渋谷マリーズ・ルーム』というSM関係の仕事もしていた模様。

1988年(昭和63年)1月30日、ショーの最中に葵マリーとその内縁の夫で共同経営者の酒井清司が公然猥褻罪の現行犯逮捕。引退した葵マリーはしばしば赤坂ブルーシャトーに顔をだしていた模様[7][5][注 12]

1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[8]。中野店は中野クィーンのビルの3F[9]

1988年(昭和63年)春頃、関連店舗の3号店として『奴隷契約書』をオープン[10]

1989年(平成元年)2月4日、葵マリーが自身が1988年にオープンした六本木のスタジオ・シャネルで『節分特別SM調教パーティー』主催。出演:美保純子結城まゆみ鈴森亜貴。劇団マリンブルーの旗揚げ公演で今後週3回公演予定。まもなくSM出張プレイ専門の「シャトウ葵」をオープン予定[11]

1993年(平成5年)、夫ががんで死去[2]

1995年(平成7年)6月、葵マリーが六本木にブルーシャトーを復活[12]

1995年(平成7年)12月7日、三代目葵マリーの襲名披露パーティーが都内で開かれる。初代葵マリも出席[13]

1996年(平成8年)、広告代理店、コンパニオン派遣業、呉服、化粧品販売事業に特化[注 2]

2000年(平成12年)、主催した混浴ツアーに中学生がいたことで職業安定法違反で逮捕[14]

2000年(平成12年)、会社倒産[注 13]

2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督[注 14]

2007年(平成19年)5月20日、熱海のホテルでの『国際芸術文化賞』の受賞式に司会(伊藤花果)として登場[15]

2008年(平成20年)1月、歌舞伎町のホストクラブの女店主として紹介されている[2]

2019年(平成31年)、熱海在住[14]

エピソード

代表作

映画

ビデオ

DVD

  • 葵マリのSM日記 洋子の場合 菊島里子』(映像舎)
  • 葵マリのSM日記 みかの場合』(映像舎)
  • 葵マリのSM日記 のり子の場合』(映像舎)

書籍

雑誌

  • あおいマリー女縄師マリーの調教日記別冊S&Mスナイパー1982年(昭和57年)9月号
  • 島田紳助紳・竜の考現学入門8 葵マリ週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号。
  • S&M逆転の構造』(座談会:出席者は葵マリー星ゆり子、順子、佐々木けい子)月光1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号
  • 名士がズラリ会員だった"SMの女王“がついに引退!週刊読売1987年(昭和62年)8月30号
  • 過激プレーを売り物にしていた「SMの女王葵マリー」の逮捕でその筋から漏れるマゾ紳士録週刊サンケイ1988年(昭和63年)2月25日
  • 逮捕された葵マリーのgokuraku「混浴ツアー」ハチャメチャ現場写真FOCUS2000年(平成12年)2月16日号
  • 「雅子さまの主治医」を騙った詐欺女は「元SMの女王週刊新潮2007年7月19日号
  • 現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー実話マッドマックス2008年(平成20年)1月号

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 『紳竜の考現学入門8』 in 週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー実話マッドマックス2008年(平成20年)1月号
  3. 3.0 3.1 3.2 名士がズラリ会員だった超高級クラブ"SMの女王"がついに引退!週刊読売1987年(昭和62年)8月30日号
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 葵マリー『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)
  5. 5.0 5.1 SMファン1988年(昭和63年)5月号
  6. 6.0 6.1 安達かおる[遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生 遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生]』(メディアソフト, 2017.5.1)
  7. 過激プレーを売り物にしていた「SMの女王」葵マリーの逮捕でその筋から漏れる"マゾ紳士録"週刊サンケイ1988年(昭和63年)2月25日号
  8. SMスピリッツ1988年(昭和63年)7月号
  9. SMスピリッツ1988年(昭和63年)5月号
  10. SMスピリッツ1988年(昭和63年)8月号
  11. 六本木「節分豆まき緊縛』ショー- SMの女王"本格復帰”の怪気炎FOCUS1989年(平成元年)2月17日号
  12. 週刊新潮1995年(平成7年)7月20号
  13. S&Mスナイパー1996年(平成8年)2月号, p233
  14. 14.0 14.1 14.2 波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号
  15. 「雅子様の主治医」を騙った詐欺女は「元SMの女王」週刊新潮2007年(平成19年)7月19日号

注釈

  1. 他にも「京都」「横浜市」という記述もある
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 葵マリ自身が提供した情報は不正確・作り話と思われるものが多いので注意が必要。
  3. 三代目葵マリーによると1943年(昭和18年)生まれ(『波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年4月13日号)
  4. 「大奥絵巻」で真夜中に見回りに行く腰元役。淡島千景、佐久間良子、大原麗子らが出ていた。
  5. ABSプロモーションの設立を1983年とする記述もあり。
  6. 毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。
  7. ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる赤坂ブルーシャトーはやめる。
  8. 2月5日の節分ショーでも長田英吉が出演。
  9. 日活映画と映画作品8本、ビデオ会社とビデオ作品15本の女流監督契約。
  10. 1980年とする記述もあり。
  11. この頃、「マネージャー二人、ショーガール8名、ミストレス7名、M女16名の大所帯」
  12. 「1988年2月2日号の朝日新聞より 警視庁は客にわいせつな行為を見せたとして、ブルーシャトー経営者、葵マリー (本名=伊藤尚子)容疑者(43歳)を「公然わいせつ罪」で逮捕。」という2chの書き込みがある。
  13. 職業安定法違反で逮捕されたことが原因と思われる。
  14. 明智伝鬼千葉曳三速水健二が出演。
  15. 後にコルドンブルーの女店主
  16. 1988年のフェニックスから出た『ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方』に一部この画像が出ているようだ。こちらは監督・構成:滝川翔、出演:芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ。
  17. 総集編的作品
  18. 1998年には広告が出ているので、アロマ企画ができた1991年〜1998年の間のどこかに制作。

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