北条小夜子
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1980年代、90年代に活動していたミストレス。葵マリーが経営していたブルーシャトウで女王様として活動。葵マリーの引退式では二代目葵マリーとしての指名。新宿歌舞伎町の風林会館近くのビルにスナック『典子』を経営。
ほうじょう さよこ、1952年(昭和27年)?[注 1]、1942年(昭和17年)?[注 2]
概要
1980年代、90年代に活動していたミストレス。葵マリーが経営していたブルーシャトウで女王様として活動。葵マリーの引退式では二代目葵マリーとしての指名されるが、その後別人が二代目葵マリーとなっている。新宿歌舞伎町の風林会館近くのビルにスナック『典子』を経営しており、長田英吉、館淳一、早川佳克などが集っていた。
別名
北条小夜子 北條小夜子 二代目葵マリー サニー[1] ブラックサタン[1]
略歴
1980年代、赤坂ブルーシャトウに在籍。
1982年(昭和57年)1月頃に新宿にオープンした『典子』の、少なくとも1987年から経営者[1]。
1987年(昭和62年)8月28日、アルファインで葵マリーの引退興行。ショーの最後に北条小夜子に二代目葵マリーの称号を与える戴冠式をおこなう[1](『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている)。
1987年(昭和62年)頃、おそらくこの頃、北条小夜子は日本悪魔クラブのSMショーを観劇し、運営スタッフのわたなべ氏に自分が二代目葵マリーを襲名すると述べている(下記エピソード参照)。
1993年(平成5年)頃、大久保近くに会員制サロン『北条小夜子のサロン』をオープン[2]。
エピソード
- 『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている。
- 日本悪魔クラブのSMショーを運営していたわたなべ氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が北条小夜子さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「二代目葵マリーを襲名することになった」とも言っていた[3]」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく[4] 」と回想している。
- 1980年代長田英吉が赤坂ブルーシャトーの北条小夜子に緊縛を教える、という記述がある[5]。
- 1982年頃に新宿でパブ『典子』を経営。
- 館淳一「新宿風鈴会館の向かい側にあった『典子』というSMマニアが集るバーで、ママの北条小夜子と親しくしていたのですが、そこに長田師が来て何度か会話した思い出があります。モダンアート出演のあとかな。上野の旅館での例の撮影会に踏み込まれて逮捕された事件の話なども聞きました」[6]。
ギャラリー
代表作
ビデオ
- 『ブルーシャトー引退記念公演 1』(1987頃?) 葵マリー 北条小夜子 春川かおり
- 『ブルーシャトー引退記念公演 2』(1987頃?) 葵マリー 北条小夜子 中川あずさ
- 『調教 6月30日 Part I, II』(AVワークス, 1992?) 出演:北条小夜子、望月麻子
- 『M女の性歴書 1』(三和出版、 SA-12, 1992) 出演:北條小夜子
- 『新・調教24時間 雪糞天国』(V&Rプランニング, SAS-025)(監督:初代葵マリー、出演:三代目葵マリー・北条小夜子・みう・青山ともみ・河合あゆ)
- 『続・飼育』(V&Rプランニング, SAS-118)(出演:北條小夜子、林知佳)