1965年版「花と蛇」
山邊信雄が「花と蛇」を原作に団鬼六の脚本で作製。たこ八郎、山本昌平、火鳥こずえなども出演しており、熱海城でロケ。奇譚クラブで話題。
概要
1974年から始まるにっかつでの『花と蛇』『団鬼六』ブームが目立つために見落とされがちだが、『花と蛇』の最初の映画化は山邊信雄と団鬼六が1965年に作製した、ピンク映画である1965年版「花と蛇」である。企画は東京企画の設立者三田浩の夫人である三島佳子が担当し、たこ八郎、山本昌平、火鳥こずえ、麻木正美なども出演しており、熱海城でロケがおこなわれた。監督は山邊信雄の変名、岸信太郎とする記録が多いが、小林悟であった可能性を示唆する情報もある。主演女優の紫千鶴が、マキノ映画などに出演していた1932年(昭和7年)生まれの女優なのか、同姓同名の別人かについてもはっきりしない。
山邊信雄と団鬼六コンビは、1960年代にヤマベプロから『花と蛇』を原作と謳う『奇譚クラブ 花と蛇より 骨まで縛れ』『縄と乳房』『鞭と肌』『続・花と蛇 赤い拷問』『花と蛇より 肉の飼育』も作製している。
スタッフ・出演者[1]
製作:山辺信雄
制作:ヤマベプロダクション
配給:東京企画
企画:三島佳子
脚本:団鬼六
監督:岸信太郎
撮影:杉田安久利
照明:東京映画照明
音楽:西山登
録音:星野敏昭
助監督:安藤利男
制作主任:矢島進
録音所:目黒スタジオ
協力:熱海城
川田健二:伊豆田弘
遠山静子:紫千鶴[注 1]
遠山隆義:須永康夫
桂子:火鳥こずえ
町子:麻木正美
木村:山本昌平
高岡:太古八郎
鬼村:水原瞭
菊江:森まさみ
京子:立花みゆき
村瀬:近藤敏夫
旅館女中:美川和子
ホテル女中:葵加代子
ホテル女中A:二路あをい
大谷:近藤光政
映倫番号:14003。
監督は山邊信雄(岸信太郎)か小林悟か?
情宣チラシには「監督:岸信太郎(=山邊信雄)」と明記されており、映画データベースなども(おそらく公開時のチラシやポスターが情報源と思われる)岸信太郎の監督作品とされている。一方で、山邊信雄本人は小林悟が監督であったと述べており、複数の周辺情報は小林悟が監督であったことを支持しており、真相は謎である。
- 山邊信雄氏へのインタビュー[2]では監督が小林悟で、助監督が若松孝二であったと明確に断言している。この点、チラシなどの一般情報と異なっている。
- 団鬼六の奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号『鬼六談義では「監督されたK氏は、監督歴十何年のベテランであり、映画作りにはそつがない」とあり、K氏=岸信太郎=山邊信雄では話が合わない。
- 奇譚クラブ1965年(昭和40年)2月号の鬼六談義には「『花と蛇』が国映から映画化されることになった。1月にクランクイン。」「新東宝健在なりし頃のベテラン監督。古くからの奇譚クラブの読者。」とある。K氏=岸信太郎=山邊信雄では話が合わない。
- たこ八郎は「ピンク映画に最初に出たのは小林悟の『花となんとか』って映画。東映で『花と龍』ってのをやってね、それで小林さん『花となんとか』ってのを撮ったの。」と自伝で書いている[3]。
- 二階堂卓也は自身の書籍中のヤマベプロの解説で「『花と蛇』の最初の映画化を果たしたのもこの会社(一九六五年・小林悟)」と書いている[4]。
主演女優紫千鶴は
情宣チラシには遠山静子役は「紫千鶴」と明記されており、映画データベースや奇譚クラブの読者投稿にも「紫千鶴」の名が出てくる。この「紫千鶴」が、1932年(昭和7年)生まれで新東宝の森繁作品などに出ていた紫千鶴なのか、あるいは同姓同名の別人なのかははっきりしない。
- 山邊信雄氏へのインタビュー[2]では、主演女優がタカオユリという名前だったのではないかといった発言をしている。
- mixiのみか鈴情報で、高尾ユリという女優が1965年頃に活動している。
- 『鬼六談義 映画「花と蛇」』では「紫千鶴は火石プロに所属する21才」とある。一方、日本女優辞典では、1932年(昭和7年)6月25日生まれ、とあるので、不一致。ただし、団鬼六が火鳥こずえと混同している可能性もある。
- 二階堂卓也は自身の書籍中の花と蛇の解説で「主演の紫千鶴はこれ一本で消えた」と書いている[4]。
若松孝二は関係しているか?
山邊信雄氏へのインタビュー[2]では監督が小林悟で、助監督が若松孝二であったと明確に断言している。ただし1965年(昭和40年)には若松孝二は監督として独立しているので、助監督として正式に参加したと考えるには無理がある。
ロケ地熱海城について
- 山邊信雄氏へのインタビュー[2]では、撮影は、当時宿泊施設を兼ねていた「熱海城」でおこなわれたとあり、チラシの協力=熱海城と一致する。
- 山邊信雄氏へのインタビュー[2]によると、熱海城の支配人は山邊信雄の父親の元・秘書であった。
- 山本昌平氏へのインタビューでは、「花と蛇」の映画撮影で思い出すのは熱海城と谷ナオミだった。
エピソード
- ポスターには「奇譚クラブ連載”花と蛇”の映画化」と明記している。
1965年版「花と蛇」に関する奇譚クラブの記事
- 奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号, p178『鬼六談議 映画「花と蛇」』で撮影秘話。
- 奇譚クラブ1965年(昭和40年)9月号, p123には、橘行司子『映画「花と蛇」遂に完成 その朗報を背景に生きた編集ますます快調』、
- 奇譚クラブ1965年(昭和40年)11月号には、魔猿生『映画通信 映画「花と蛇」を見る』
- 奇譚クラブ1965年(昭和40年)12月号には、藤村若葉『嗚呼、鼻、鼻、鼻。映画「花と蛇」に見る鼻責め』
- 奇譚クラブ1966年(昭和41年)2月号, p218
- 奇譚クラブ1966年(昭和41年)5月号には、橘雅美『映画「花と蛇」鑑賞記』
- 奇譚クラブ1966年(昭和41年)6月号には、立町老梅『私の空想 花と蛇の配役と感想』
- 奇譚クラブ1966年(昭和41年)9月号の辻村隆「サロン楽我記」に見逃したここと、紫千鶴と対談できそうだと。