玉井敬友

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玉井敬友 (1944-)

たまい けいゆう、1944年(昭和19年)3月1日-

概要

劇作家、演出家、俳優。1976年(昭和51年)から1987年(昭和62年)まで活動した劇団「シアタースキャンダル」の主宰者。劇団「シアタースキャンダル」の1980年代前半までの作品にはSM的なシーンが多く含まれ、当時のTVや新聞、雑誌などの一般マスコミがセンセーショナルに取り上げた。また、劇団「シアタースキャンダル」の六本木スタジオでは、1976年(昭和51年)からしばらくの間、長田英吉オサダ・ゼミナールを開催しており、同所では、劇団「シアタースキャンダル」によるイベントとして「緊縛撮影会」や「スキャンダル学校」が頻繁に開催され、これらイベントにも長田英吉が登場していた。このように、六本木スタジオは、1970年代後半のSMマニアのメッカともいえる存在だった[注 1]。1978年(昭和53年)には、玉井敬友長田英吉がストリップ劇場でのSMショーを開始することになり、それまでの「マニアがひっそりと集まり楽しむSMショー[注 2]」から、「一般の人も比較的容易に観ることができるSMショー」が生まれることになった。劇団「シアタースキャンダル」解散後は玉井敬友事務所を設立し、演劇活動を続けている。玉井敬友は舞台で使う緊縛技法を長田英吉から学んでいるが、いわゆるSMマニアではない。

別名

Keiyu Tamai、アングラの帝王、SMの帝王、大阪狂気人、都市ゲリラ

略歴

梅田時代

1944年(昭和19年)3月1日、尼崎市に生まれる。

1966年(昭和41年)、立命館大学文学部史学科卒業後、高校教師[注 3]、生命保険のセールスマン、レストランポーイ、ディスコマネージヤー、ショーの構成屋、ルポライター等を経験。

1971年(昭和46年) 頃、『劇団スキャンダル』『KUプロモーション』の名でショーの構成・企画などをおこなう。

1971年(昭和46年) 、宮トオルと知り合う[1][注 4]

1971年(昭和46年)10-11月、「ヌードで町を歩いて」と題し阪急電車の中や派出所前でヌードになるイベントを企画[1]

1971年(昭和46年)、11PM(大阪)で玉井敬友構成の「ヌード生け花」。企画:西浦武峯[注 5]、藤木環博[1]

1972年(昭和47年)3月16日、11PM(大阪)で玉井敬友構成の「ストリップインロック」が放映[1][注 6]。出演は劇団スキャンダルと「ザ・イッピーガールズ[注 7]」。

1972年(昭和47年)8月1日、大阪梅田にスキャンダルシアター『新御堂』オープン。

1972年(昭和47年)8月5日、スキャンダルシアター『新御堂』にて劇団スキャンダルの「スキャンダル・ザ・スキャンダル」を公演。

1973年(昭和48年)4月、大阪梅田にシアター喫茶・スキャンダルオ一プン。

1974年(昭和49年)8月、向井一也の『サディストの告白』がシアター喫茶・スキャンダルで公演[2]

1975年(昭和50年)1月12日、シアター喫茶・スキャンダルにて『ティータイム寄席』を開始。毎月第3土曜日に開催。米蔵、べかこ、歌之介、桂枝雀などが出演。

1975年(昭和50年)8月、シアター喫茶・スキャンダルにて舞踏『曼陀羅』上演。

1975年(昭和50年)11月10日、11日、シアター喫茶・スキャンダルにてアリアドーネの会公演。出演:カルロッタ池田、宇比くらら、ミゼール花岡

1975年(昭和50年)11月17日〜29日、シアター喫茶・スキャンダルにて第4回スキャンダル・ハプニング・イベント『ジャクリーン夫人』上演。出演:小川恵、港まゆみ、岩田浩一、玉井敬友

六本木時代

1976年(昭和51年)春、上京して劇団「シアタースキャンダル」設立。六本木に劇団の事務所・アトリエをオープン。

1976年(昭和51年)7月2-3日、青山VAN99ホールで旗揚げ公演「ヒトラーからこまわり君まで」を上演[注 8]。ゲスト:堤玲子、麿赤兒、宮トオル、三上寛、他。

1976年(昭和51年)夏頃、実験劇『密戯』上演。出演:玉井敬友波瀬圭子[注 9]。アトリエ公演。

1976年(昭和51年)9月、実験劇『背徳の縄』上演[注 10]。アトリエ公演。

1976年(昭和51年)10月、ニューセルフ11月号に「シアタースキャンダル」が10月1日よりタレント養成学校『六本木ショー・スタジオ』を開校するとの情報。講師は樋口四郎(ダンス)、メリー松原(ダンス)、西村昭五郎(演技指導)、松本孝(文学・共用)、原榮三郎(フォト・ポーズ)。

1976年(昭和51年)10月、実験劇『青い烏何処へ行った』アトリエ公演。

1976年(昭和51年)10月29日、『スキャンダル学校』設立。第1回公開講座『特別企画・人間とSM』ゲスト:長田英吉波瀬圭子

1976年(昭和51年)11月30日〜12月2日、自由劇場にて実験劇『角栄笑伝』上演。出演:玉井敬友、女屋美和子、小沼修、長谷圭子、他。チラシデザインは宮トオル

1976年(昭和51年)11月21日、この頃シアタースキャンダル主催で月例で開催していた『「人間とSM」研究会』の報告記事がニューセルフの1977年(昭和52年)3月号に掲載。

1977年(昭和52年)3月、SMシリーズ実験劇『孫呉虐殺ー或る女ゲリラの死』アトリエ公演。

1977年(昭和52年)6月、『日本ストリップ変遷史』アトリエ公演。

1977年(昭和52年)8月、劇団「シアタースキャンダル」東京進出1周年記念公演『SM大祭典“姦”』を上演。

1977年(昭和52年)9月、SMセレクト9月号にアトリエ公演『密戯』の観劇レポート。出演は笹沢砂絵

1977年(昭和52年)11月、SMシリーズ実験劇『美少女破壊工房』アトリエ公演。

1977年(昭和52年)12月、『舞踏劇 性宴』アトリエ公演。

1978年(昭和53年)2月28日、山本晋也の監督作品『変態乱れ床』に出演。

1978年(昭和53年)3月25日〜31日、実験劇『SM実験工房 切り裂かれた女陰』アトリエ公演。出演:玉井敬友、阿部真理子、佐藤由香、金城エイ子、高田三郎

1978年(昭和53年)4月17ー23日、自由劇場にて劇団「シアタースキャンダル」公演『奇伝・伊藤晴雨 ー 狂奔の真絵師、性その生

1978年(昭和53年)7月24日〜30日、自由劇場にて劇団「シアタースキャンダル」東京進出2周年記念公演『ザ・スキャンダル・エロチカー玉井敬友の世界[注 11]

1978年(昭和53年)、「新宿ミュージック劇場」でシアタースキャンダルのSMショー。

1978年(昭和53年)10月、『密戯』の再演。アトリエ公演。

1978年(昭和53年)秋、「鶴見橋ミュージック」でSMショー[3]

1978年(昭和53年)11月、ストリップ劇場「春風座」でシアタースキャンダルのSMショウ。

1978年(昭和53年)、『NU・IN』No. 58に「SMと暴力 虐めぬく女地獄・玉井敬友」が掲載。

1979年(昭和54年)7月3-6日、新橋ヤクルトホールで劇団「シアタースキャンダル」東京進出3周年記念公演『ソドミー[注 12]。出演:玉井敬友、百花繚乱、金城エイ子、港まゆみ、他。

1979年(昭和54年)7月19日、週刊新潮7月19日号に「シアタースキャンダルの裸づくし」としてグラビア記事。ヤクルトホールでの『ソドミー』の紹介。'78ミス日本の小杉まゆみのゲスト出演に焦点。

1979年(昭和54年)9月1-10日、「鶴見橋ミュージック」でシアタースキャンダルのSMショー。

1978年(昭和53年)12月、『マッチ売りの少女

1979年(昭和54年)12月、『お七狂乱』で高杉かほりがデビュー。

1979年(昭和54年)12月21日、『スキャンダル学校公開講座:ピンク映画の巨匠たち』ゲスト:高橋伴明山本晋也、日野繭子、岡尚美、港まゆみ

1980年(昭和55年)2月22日〜28日、『SM実験工房 Part II[注 12]』出演:玉井敬友、百花繚乱、西場広斗、金城エイ子、港まゆみ、高杉かほり、萩尾なおみ。アトリエ公演。

1980年(昭和55年)3月1日〜10日、「船橋ハリウッド劇場」でシアタースキャンダルのSMショウ。

1980年(昭和55年)4月1日〜10日、「博多ハリウッド劇場」でシアタースキャンダルのSMショウ。

1980年(昭和55年)7月14日〜17日、東横劇場で劇団「シアタースキャンダル」東京進出4周年記念公演『『ハイル・ヒットラー[注 12]』出演:玉井敬友、百花繚乱、金城エイ子、西場広斗、高杉かほり他。

1980年(昭和55年)7月24日〜27日、大阪・SABホールで劇団「シアタースキャンダル」公演『ハイル・ヒットラー』。出演:玉井敬友、百花繚乱、金城エイ子、西場広斗、高杉かほり

1980年(昭和55年)8月11日〜20日、ストリップ劇場「春風座」でシアタースキャンダルのSMショウ。

1980年(昭和55年)9月24日〜30日、自由劇場で劇団「シアタースキャンダル」公演『曽根崎心中』。出演:玉井敬友、百花繚乱、金城エイ子、高杉かほり、港まゆみ、西場広斗

1980年(昭和55年)10月11日〜20日、新宿ミュージック劇場にて「玉井敬友&シアタースキャンダルSMショウ」。

1981年(昭和56年)4月1日〜10日、自由劇場にて、『少女・阿部定』。出演:高杉かほり玉井敬友、武田千明、百花繚乱、金城栄子、谷川正美、土田一代志、津田俊和、大塚聖一、東川佳揚

1981年(昭和56年)7月2日〜5日、草月ホールにて、劇団「シアタースキャンダル」東京進出5周年記念公演『ザ・スキヤンダル・醜聞』。出演:玉井敬友、金城エイ子、高杉かほり、武田千明。

1982年(昭和57年)4月1日〜10日、自由劇場にて、『少女・阿部定』。出演:高杉かほり玉井敬友、金城栄子、梅谷智枝、鈴木桂介

1982年(昭和57年)6月30-8月23日、玉井敬友日劇ミュージックホールでの『マリン・ブルーのときめき』の1部7景「乱雪無惨」を演出。出演:丘なおみ[4][5][6]

1982年(昭和57年)7月、松竹・富士映画配給の西ドイツ映画『SM大陸 マンダラ』(監督:Emerson Fox)の中で、『ハイル・ヒットラー』『ソドミー』他が紹介される。

1982年(昭和57年)7月16日〜18日、東横劇場で劇団「シアタースキャンダル」6周年記念公演『ジプシーロ一ズ』出演:高杉かほり玉井敬友他。

1982年(昭和57年)8月11日〜20日、スカイ劇場にて『SMの帝王 玉井敬友引退特別興行

1982年(昭和57年)、九条OS劇場にて『SMの帝王 玉井敬友引退特別興行』シリーズの最後の舞台。ストリップ劇場でのSMショーから撤退[注 13]

1983年(昭和58年)、六本木で『ポルノライブ一週間興行 緊縛デスマッチ』玉井敬友伊藤清美[7][注 14]

1984年(昭和59年)4月23-29日、六本木シアタースキャンダル石川亜美との対談とSMショー[8]

1984年(昭和59年)、この頃『SM劇団シアタースキャンダル』としてマスコミに登場。北原ちあき石川亜美田代葉子、桃の木舞=末永直海早乙女宏美南ももこなどが舞台に。

1984年(昭和59年)6月8日、FOCUSに記事。

1984年(昭和59年)夏頃、六本木シアタースキャンダルで9日間の『緊縛師大会』が開催された模様。最終日は美濃村晃が出演し、その指示に従い玉井敬友浦戸宏早乙女宏美島田一枝を緊縛。美濃村晃夫人も同伴[9]

1984年(昭和59年)10月24日−27日、『シアタースキャンダル芸術祭』。出演:桃ノ木舞南ももこ[10]

1984年(昭和59年)10月28日−31日、『密戯』。出演:桃ノ木舞[10]

1985年(昭和60年)3月22日〜3月31日、『乱雪無惨[注 15]。出演:伊藤清美他。アトリエ公演[11]

1985年(昭和60年)、『密戯』再演。出演:末永直海。アトリエ公演。

1985年(昭和60年)、『吟遊詩人アルチュール・ランボーを踊る』。出演:末永直海。アトリエ公演。

1985年(昭和60年)頃、『スキャンダル寄席』。出演:橘家枡蔵、橘家二三蔵。ゲスト:橘家圓蔵、藤原嘉明。

1987年(昭和62年)、シアタースキャンダル解散。

帰阪・震災・再上京

1991年(平成3年)10月、大阪難波のNGKシアターで『曽根崎心中

1992年(平成4年)10月、大阪上本町の近鉄小劇場で『お七恋歌

1995年(平成7年)1月17日、阪神・淡路大震災で自宅が倒壊し、一時東京に避難。

1995年(平成7年)3月、下北沢OFF‐OFFシアターで『女ふたり

1996年(平成8年)9月23日、テレビ東京のTVドラマ『刑事追う!』の最終回に出演。監督:市川崑。主演は役所広司、布施博。

1997年(平成9年)2月19日〜27日、下北沢本多劇場で玉井敬友事務所公演『曽根崎心中』出演;水内清光、風間舞子、平凡太郎、玉井敬友、藤原嘉明、南祐輔、他。

1997年(平成9年)6月21日〜30日、DX伏見劇場にて『玉井敬友のSMシリーズ[12]

1997年(平成9年)8月21日〜31日、『玉井敬友SM特別公演』浅草ロック座ススキノ マドンナ[12]

1997年(平成9年)9月21日〜30日、『玉井敬友SM特別公演』川崎ロック[12]

1998年(平成10年)4月、『奇伝・伊藤晴雨』の再演。下北沢「劇」小劇場。(製作:玉井敬友 森島朋美、出演:玉井敬友 小川美那子 森島朋美 岩瀬ヒロコ 灰原明彦 棟方巴里爾 明石晃 丸野恵 大野一夫 野呂英里香 永井大介 関戸理恵 高宗謙三 沢口ともみ)

1998年(平成10年)8月1日〜10日、新宿TSミュージックで『SM玉井敬友ショー』。出演:紅ユキ][12]

1998年(平成10年)12月1日〜10日、ショーアップ大宮にて『SMの帝王 玉井敬友 特別公演』。

1999年(平成11年)4月、『少女・阿部定』の再演。下北沢「劇」小劇場。玉井敬友事務所。((製作:玉井敬友 上田真弓 渡井かおる、演出助手:本間美奈子、舞台監督:伊藤進、ポスター:荒木経惟、出演:前川麻子 玉井敬友 高橋広吉 はさば幸代 上田真弓 渡井かおる 足立ゆみか 中川あゆこ 河村祐子 佐野香恵 藤井モウ 下山リョウ)

1999年(平成11年)5月1日〜10日、新宿TSミュージックで『玉井敬友SMショー』[12]

1999年(平成11年)8月、京都・薔薇十字館で玉井敬友事務所京都公演ふたり芝居『密戯』の再演[注 16]。出演:胡舟ヒフミ

尼崎時代

2000年(平成12年)9月、大阪カラビンカにて玉井敬友帰阪記念公演 『密戯』。出演:玉井敬友、麻倉詩[注 17]

2003年(平成15年)、この頃、死亡説が流れる。

2003年(平成15年)8月、尼崎にて『猪名川寄席』第1回を開催。その後、隔月開催で2012年まで続く。

2006年(平成18年)4月、尼崎にてクラッシック・邦楽、舞踊の会『サロンコンサート』を開催。その後、隔月開催。

2007年(平成19年)、玉井敬友事務所・古澤侑峯事務所主催『創作舞踏劇 心中天網島』、尼崎ピッコロシアター大ホール。

2009年(平成21年)4月、尼崎ピッコロシアター大ホールにて玉井敬友事務所主宰『脱線[注 18]』の上演。

2012年(平成24年)9月23日、『猪名川寄席』最終回(第54回)を東園田町総合会館にて。

2014年(平成26年)4月20日、2006年(平成18年)から隔月で開催していた『サロンコンサート』を、舞台に専念するために第55回で終了。東園田町総合会館ホールで「さよなら、そして出帆」と題する最終コンサート。

2014年(平成26年)8月2日、神戸・サンパルにてINOVAC講演会『ファッションから演劇まで。演出家・玉井敬友の軌跡』。

2015年(平成27年)3月8日、尼崎市の東園田町総合会館でのクラシックコンサートをプロデュース。

エピソード

  • 1977年(昭和52年)のSMシリーズ実験劇『孫呉虐殺ー或る女ゲリラの死』の原型となる作品は、梅田時代に「シアター喫茶・スキャンダル」で上演されている。これは、梅田時代に知り合った名和徹の戦時体験をベースとして作られた作品である[13]
  • 藤本義一はサポーターの一人で、既に梅田時代のから、11PMで何度も取り上げてくれた[13]
  • 長田英吉との最初の出会いは、ひょっとすると向井一也が梅田「シアター喫茶・スキャンダル」で公演をした時に、向井一也と一緒に来ていて、その時だったかもしれない[13]
  • 向井一也を梅田「シアター喫茶・スキャンダル」に呼んだきっかけは、向井一也の8mm映画作品『足の下の心情』を観て興味をもったため。向井一也は髭をはやした無口な男性で、芝居は哲学的な内容だった[13]
  • 梅田時代には演劇で生きることはあまり意識していなかったが、大阪での寺山修司との出会いをきっかけに演劇で勝負をすると決心[13]
  • 梅田時代には宮トオル麿赤兒などと意気投合し、梅田「シアター喫茶・スキャンダル」で、宮トオルが女性の体に絵を描くイベント、麿赤兒は坂本龍馬の寸劇で出演している[13]
  • 梅田時代には桂まき、岡本麗、港まゆみ、宮崎あすか、ひろみ麻耶などの女優が出演していた。浅草ストリップの振り付け師だった樋口四郎が、当時、日活演芸術学院の講師をしており、そのつてで、若手女優が参加してくれた[13]
  • 上京してしばらくしてから、長田英吉がSM関連の資料を劇団「シアタースキャンダル」のスタジオにおかせて欲しいと尋ねて来て、東京での交流が始まる[13]
  • 上京後1年ぐらい経過した頃に、名和徹が尋ねて来る。しばらく劇団のマネージャー的な仕事を担当していた[13][14]
  • 上京後1年ぐらいは、まだ固定した劇団員がいるわけではなく、作品ごとに出演者を集めていた。1979年ぐらいから劇団員が集まり出す。
  • 高杉かほり末永直海伊藤清美、百花繚乱、金城エイコ、織田倭歌、小川美那子、岩瀬ヒロコ、森島朋美などが女優として舞台に出た。
  • 山科薫、ジミー土田、高木完らが男優。
  • 1978年(昭和53年)7月の『THE SCANDAL EROTICA』のチラシの裏には六本木スタジオでの『SM大激写撮影会』6月23日、24日、25日、7月14日、15日。定員三十名。会費五千円(見学のみ二千円)の広告。
  • 六本木の自動車工場の2階の玉井敬友の事務所で長田英吉が会員の集まりを開いた後、玉井氏もSMの会合を持つようになる。ここで桜田伝次郎は始めて玉井敬友と出会う。
  • Rolf Olsen(=Emerson Fox)監督[注 19][注 20]の1986年(昭和61年)ドキュメンタリー映画『Shocking Asia 2』に『ソドミー』『ハイルヒトラー』他の映像が含まれている。トレイラー1。日本では『SM大陸 マンダラ』として1982年(昭和57年)7月に松竹・富士映画から劇場公開されているが、これは同監督1976年(昭和51年)の『Shocking Asia』に1986年(昭和61年)の『Shocking Asia 2』のために撮影した映像を加えて編集したものの可能性がある。

代表作

  • ヒツトラーからこまわり君まで
  • 実験劇『密戯
  • ソドミー
  • ハイル・ヒットラー
  • スキャンダル・醜聞
  • 奇伝・伊藤晴雨
  • 曽根崎心中
  • 脱線
  • 『創作舞踊劇「心中天の網島」』(2010)

映画

ビデオ

雑誌

  • 玉井敬友シアター・スキャンダル 東京に殴り込み』話の特集 1976年8月号(通巻127号)
  • シアター・スキャンダル(玉井敬友)東京初リサイタルニューセルフ1976年10月号(通巻10号)
  • 思わず唸らせるセックス上手の女って何だ![注 21]話題スペシャル (日本文華社[注 22])1976年(昭和51年)5月20日号
  • 佐土魔造鞭を求める女奴隷SMセレクト1977年(昭和52年)9月号
  • 玉井敬友SMの世界誌上公演』週刊プレイボーイ 1977.10.25 No.43
  • エロスとバイオレンスの狂人』ターゲット(辰巳出版)1977年(昭和52年)11月創刊号
  • 現代レスビアン考実見記マントピア1977年(昭和52年)11月創刊号。
  • 性の全てをみせます!実験劇シアタースキャンダル ハイライト場面集』in PRIVATE GRAPH1978年(昭和53年)5月号
  • 「SMと暴力 虐めぬく女地獄・玉井敬友」in 『NU・IN』No. 58 (1978)
  • 玉井敬友の全貌SM緋の手帖 1978年 創刊号。
  • 吉岡宏のフォーカス・ルポ15 玉井敬友週刊漫画Times 1979年(昭和54年)7月13日号
  • 玉井敬友作演出主演誌上劇『色じかけのオレンジ』青春catalog 1979年12月号(創刊第2号)現代新社
  • 玉井敬友四年目のシアタースキャンダル』話の特集 1980年8月号(通巻175号)
  • SMの神髄を覗いた』Sweet 1980年11月号(愛宕書房)
  • 玉井敬友激演の女たちSMスピリッツ?〜1984年(昭和59年)12月に連載。
  • ナシモトさん、たまにはこっちにも来てネ!ポルノスキャンダル・ギャルたちの「来年こそ私は」』週刊読売1985年1月1日号
  • 玉井敬友SM引退興業』MONDAI GRAPHITY 1996年6月号

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 SCANDAL1972年(昭和47年)1月, 通算2号
  2. 奇譚クラブ1974年(昭和49年)12月号,「編集部便り
  3. 寺島珠雄料金と吾妻京子とその他あれこれ』in 中谷陽「ストリップ昭和史」(1979,インテリジェンス社)
  4. 日劇ミュージックホールと映画人
  5. 日劇ミュージックホールと映画人
  6. Twitter
  7. Focus 1983年(昭和58年)3月8日号
  8. 玉井敬友『シアター・スキャンダル ポルノライブラリーシリーズ第2弾』「レジャーニュース」1984年(昭和59年)4月24日号(2121号)p7
  9. S&Mスナイパー1984年(昭和59年)11月号
  10. 10.0 10.1 S&Mスナイパー1984年(昭和59年)12月号
  11. S&Mスナイパー1985年(昭和60年)5月号
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 STRIPwikiより
  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 13.5 13.6 13.7 13.8 玉井敬友 私信 to U, 2012.8.30
  14. SMスピリッツ1974年(昭和49年)2月号

注釈

  1. 例えば、浦戸宏須磨利之と共に劇団「シアタースキャンダル」がスタジオのショーを観に行ったことを述懐している(私信 to A)。また、桜田伝次郎も自らのGSG企画の月例会を始める前に劇団「シアタースキャンダル」のスタジオに出入りしていた。
  2. 向井一也の活動などの一部の例外は除外する。詳しくは「SMショーの歴史」のページ参照。
  3. 授業を1日やっただけで辞めたということ(私信 to U)
  4. 梅田の喫茶「バンビ」で友人に紹介され意気投合。
  5. 「池坊武峯会」主宰とある。
  6. 放映予定の広告が存在。実際に放映されたかどうかは確認中
  7. 橋本リサ、佐々木マリ、大洞夫佐子、王香乃、長谷川宏子。
  8. 同年の『ニューセルフ』9月号にその様子が紹介。
  9. 半自伝的性告白劇。主人公が拉致してきた下着姿の少女に向かって怒りを爆発させる場面がSM的で注目され、40人の開場に連日100人が入る盛況。財政難による劇団消滅の危機を救う大ヒット作となり続演を繰り返した。
  10. 密戯』に続くSM色の強いもの。
  11. 作・演出:玉井敬友、照明:リュミエール兄弟社、音効:後藤治、舞台監督:今井英臣事務所
  12. 12.0 12.1 12.2 舞台の様子が『Shocking Asia 2』(1986, 製作:First Film Organization、監督:Rolf Olsen)(日本では1982年の『SM大陸 マンダラ』)で紹介されている。
  13. ただし再上京した1990年代後半に復活する。
  14. 「ピンク界の戸川純こと伊藤清美」「一昨年ピンク映画界にデビュー」「昨年は40本出演」「3日目、4日目は行方不明」
  15. 『奇伝・伊藤晴雨』の抜粋的な作品
  16. 12年ぶりの再演。
  17. 当時、大谷大学文学部在学中で同志社大学第三劇場出身。1978年(昭和53年)4月10日、石川県生まれ。前年の薔薇十字館での公演を観て応募。
  18. 福知山線のJR事故をモデルとした作品。
  19. 1919-1998。ドイツの俳優、脚本家、監督。
  20. 変名のEmerson Foxで監督している。
  21. 岡本麗との激突性論。「大阪狂気人 玉井敬友のズバリ対談」
  22. 東京都千代田区丸の内2-4-1。編集人:桜田義明。発行人:大島敬司

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奇伝・伊藤晴雨