メリー松原
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めりー まつばら、1928年(昭和3年)[注 1]-。進駐軍のアーニーパイル劇場第一期研究生に採用された後、1948年(昭和23年)2月、浅草ロック座でデビュー。日劇ミュージックホール初期のスター。
概要
ストリップ創世記のスター。進駐軍のアーニーパイル劇場第一期研究生に採用された後、1948年(昭和23年)2月、浅草ロック座でデビュー。日劇ミュージックホール初期のスター。永井荷風のお気に入り。
別名
略歴
1928年(昭和3年)頃、東京下谷に生れる[1]。
精華高女卒。貴族院速記課にタイピストとして勤務[1]。
アーニーパイル劇場[注 2]の専属舞踊団第一期研究生に採用[2]。
1947年(昭和22年)頃、NHKの前の飛行館の裏当たりの観光ホテルで、メリー松原が秘密ショーをやった[3]。
1948年(昭和23年)2月、浅草ロック座でのハイライト・ショー(矢野英二主宰)公演「南国の処女」でメリー松原が浅草デビュー[4]。
1948年(昭和23年)4月9日、新開地劇場にて「突如来演!メリー松原」公演[5]。
1948年(昭和23年)9月1日〜7日、横浜オペラ館にて「メリー松原とタツセルショウ」[6]。
1953年(昭和28年)5月、日劇ミュージックホールにて「地球を跨ぐ姫君たち」公演。
1976年(昭和51年)10月、ニューセルフ11月号に「シアタースキャンダル」が10月1日よりタレント養成学校『六本木ショー・スタジオ』を開校するとの情報。講師は樋口四郎(ダンス)、メリー松原(ダンス)、西村昭五郎(演技指導)、松本孝(文学・共用)、原榮三郎(フォト・ポーズ)。
エピソード
- 永井荷風のお気に入り[7]。
- 日劇ミュージックホールの1952年頃の3大スターは伊吹マリ、メリー松原、ヒロセ元美と言われた[2]。
- 「有名女子高を卒業し、国会の貴族院で秘書を勤めたという経歴」をもつとも言われているが真偽は定かで無ない。
代表作
映画
- 『プーサン』(東宝, 1953)
- 『社長太平記』(東宝, 1959)
- 『女蕩し』(新東宝, 1964)
印刷物
- 田中小実昌、吉村平吉、メリー松原、正邦乙彦、樋口四郎『われら線中ストリップ派』in 「カストリ復刻版」日本出版社, 1975年(昭和50年)
- 「ストリップの女王から30年 メリー松原いま50才の新妻讃歌」『女性自身』昭和54年7月12日号