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1974年(昭和49年)頃、雄琴ソープランドの支配人となる<ref name="Madmax"></ref><ref group="注" name="caution"></ref>。 | 1974年(昭和49年)頃、雄琴ソープランドの支配人となる<ref name="Madmax"></ref><ref group="注" name="caution"></ref>。 | ||
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1980年(昭和55年)6月、芸能プロ[[ABSプロモーション]]を設立し、その営業の1つとして[[赤坂ブルーシャトー]]を開業<ref name="# | 1980年(昭和55年)6月、芸能プロ[[ABSプロモーション]]を設立し、その営業の1つとして[[赤坂ブルーシャトー]]を開業<ref name="#YOMIURI1987">『'''名士がズラリ会員だった超高級クラブ"SMの女王"がついに引退!'''』[[週刊読売]]1987年(昭和62年)8月30日号</ref><ref group="注">[[ABSプロモーション]]の設立を1983年とする記述もあり。</ref>。 | ||
1980年(昭和55年)6月5日、[[赤坂ブルーシャトー]]を開業<ref name="syuki">[[葵マリ|葵マリー]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4870420570?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4870420570 『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)]</ref><ref group="注">毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。</ref>。姉妹店の[[ヤングシャトー]]、[[シルバーシャトー]]、[[ロイヤルシャトー]]も開業。 | 1980年(昭和55年)6月5日、[[赤坂ブルーシャトー]]を開業<ref name="syuki">[[葵マリ|葵マリー]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4870420570?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4870420570 『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)]</ref><ref group="注">毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。</ref>。姉妹店の[[ヤングシャトー]]、[[シルバーシャトー]]、[[ロイヤルシャトー]]も開業。 | ||
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1982年(昭和57年)4月、[[週刊宝石]]で[[島田紳助]]と対談。 | 1982年(昭和57年)4月、[[週刊宝石]]で[[島田紳助]]と対談。 | ||
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1985年(昭和60年)、『[[ザ・折檻]]2』『[[ザ・折檻]]3』の監督。 | 1985年(昭和60年)、『[[ザ・折檻]]2』『[[ザ・折檻]]3』の監督。 | ||
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1986年(昭和61年)9月28日、[[月光]]1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号の『'''S&M逆転の構造'''』で座談会。出席者は[[葵マリー]]、[[星ゆり子]]、順子、[[佐々木けい子]] | 1986年(昭和61年)9月28日、[[月光]]1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号の『'''S&M逆転の構造'''』で座談会。出席者は[[葵マリー]]、[[星ゆり子]]、順子、[[佐々木けい子]] | ||
1987年(昭和62年)6月、[[赤坂ブルーシャトー]]の名士会員情報が週刊誌で漏れる<ref name="#YOMIURI1987"></ref>。 | |||
1987年(昭和62年)7月、『'''ザ・虐待'''』が封切り。 | 1987年(昭和62年)7月、『'''ザ・虐待'''』が封切り。 | ||
1987年(昭和62年) | 1987年(昭和62年)8月28日、[[アルファイン]]で[[葵マリー]]の引退興行。ショーの最後に[[北条小夜子]]に二代目葵マリーの称号を与える戴冠式をおこなう<ref name="#YOMIURI1987">『'''名士がズラリ会員だった超高級クラブ"SMの女王"がついに引退!'''』[[週刊読売]]1987年(昭和62年)8月30日号</ref>(『'''ブルーシャトー引退記念公演'''』のビデオで[[初代葵マリー]]が「[[二代目葵マリー|2代目]]を[[北条小夜子]]に譲る」と語っている)。 | ||
1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。『'''渋谷マリーズ・ルーム'''』というSM関係の仕事もしていた模様。 | |||
1988年(昭和63年)1月30日、ショーの最中に[[葵マリー]]とその内縁の夫で共同経営者の[[酒井清司]]が公然猥褻罪の現行犯逮捕。引退した[[葵マリー]]はしばしば[[赤坂ブルーシャトー]]に顔をだしていた模様<ref name="#sankei1988">『'''過激プレーを売り物にしていた「SMの女王」[[葵マリー]]の逮捕でその筋から漏れる"マゾ紳士録"'''[[週刊サンケイ]]1988年(昭和63年)2月25日号</ref><ref name="SMfan19885">[[SMファン]]1988年(昭和63年)5月号</ref><ref group="注">「1988年2月2日号の朝日新聞より 警視庁は客にわいせつな行為を見せたとして、ブルーシャトー経営者、葵マリー (本名=伊藤尚子)容疑者(43歳)を「公然わいせつ罪」で逮捕。」という2chの書き込みがある。</ref>。 | |||
1988年(昭和63年)4月頃、[[葵龍太郎]]が社長の[[ブルーシャトー]]赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており[[二代目葵マリー]]が出演していた<ref>[[SMスピリッツ]]1988年(昭和63年)7月号</ref>。中野店は[[中野クィーン]]のビルの3F<ref>[[SMスピリッツ]]1988年(昭和63年)5月号</ref>。 | 1988年(昭和63年)4月頃、[[葵龍太郎]]が社長の[[ブルーシャトー]]赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており[[二代目葵マリー]]が出演していた<ref>[[SMスピリッツ]]1988年(昭和63年)7月号</ref>。中野店は[[中野クィーン]]のビルの3F<ref>[[SMスピリッツ]]1988年(昭和63年)5月号</ref>。 | ||
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1989年(平成元年)2月4日、[[葵マリー]]が自身が1988年にオープンした六本木の[[スタジオ・シャネル]]で『節分特別SM調教パーティー』主催。出演:[[美保純子]]、[[結城まゆみ]]、[[鈴森亜貴]]。劇団マリンブルーの旗揚げ公演で今後週3回公演予定。まもなくSM出張プレイ専門の「シャトウ葵」をオープン予定<ref name="#Focus19890217">『'''六本木「節分豆まき緊縛』ショー- SMの女王"本格復帰”の怪気炎'''』[[FOCUS]]1989年(平成元年)2月17日号</ref>。 | 1989年(平成元年)2月4日、[[葵マリー]]が自身が1988年にオープンした六本木の[[スタジオ・シャネル]]で『節分特別SM調教パーティー』主催。出演:[[美保純子]]、[[結城まゆみ]]、[[鈴森亜貴]]。劇団マリンブルーの旗揚げ公演で今後週3回公演予定。まもなくSM出張プレイ専門の「シャトウ葵」をオープン予定<ref name="#Focus19890217">『'''六本木「節分豆まき緊縛』ショー- SMの女王"本格復帰”の怪気炎'''』[[FOCUS]]1989年(平成元年)2月17日号</ref>。 | ||
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あおい まり、1944年(昭和19年)8月4日[1]-。1980年代に赤坂ブルーシャトーを主宰したミストレス。
概要
1980年代に活躍した女王様。「女王様の中の女王様」とも呼ばれる。1980年(昭和55年)にSMクラブ赤坂ブルーシャトーを設立し、多くのS女、M女を育てる。そこでの定例SMショーには長田英吉なども出演していた。にっかつ映画への出演・監督など、積極的なマスコミへの露出を通じて、ステレオタイプ的な「SMプレイ」のイメージを作り上げた。後継者として二代目葵マリー、三代目葵マリーを生み出した。
別名
Mary Aoi 葵マリ 葵マリー 初代葵マリー 葵まりー あおいマリー 伊藤尚子(本名) 伊藤花果 小佐野真理子
略歴
1944年(昭和19年)8月4日、静岡に誕生[1][注 1][注 2][注 3]。
1962年(昭和37年)頃、少女雑誌のモデルを経て東映京都撮影所に入り端役女優[1][注 4]。「姫路ゆり子」という名で18本の作品に出演[2][注 2]。
1965年(昭和40年)頃、結婚のために女優をやめる[注 2]。
1969年(昭和44年)4月15日、辰巳出版の『別冊㊙』4月増刊号のグラビア「赤坂の夜を泳ぐ白い密猟者」でモデルとして登場。「Eというスナック」でガールハントされたという設定。
1974年(昭和49年)頃、雄琴ソープランドの支配人となる[2][注 2]。
1974年(昭和49年)頃、夫の会社が倒産したため上京。新宿歌舞伎町のナイトクラブのママ、赤坂コパカバーナ[注 2]のホステス、赤坂ひの家の芸妓、ナイトクラブ赤坂ミカドの芸妓ホステスを経て、銀座のバー「真理子」のオーナーマダムとなる。続いて、会員制クラブ「赤坂峰子」「サロンど峰」などを開店[注 2]。
1980年(昭和55年)頃、「赤坂ナイトクラブ真理子」を開店[注 2]。
1980年(昭和55年)6月、芸能プロABSプロモーションを設立し、その営業の1つとして赤坂ブルーシャトーを開業[3][注 5]。
1980年(昭和55年)6月5日、赤坂ブルーシャトーを開業[4][注 6]。姉妹店のヤングシャトー、シルバーシャトー、ロイヤルシャトーも開業。
1980年(昭和55年)10月、後の松川ナミが入店。源氏名はエミ[4][注 7]。
1980年代初め、「ショークラブブルーシャトー」「キャバレーシンデレラ」などを開店。
1981年(昭和56年)1月8日、赤坂ブルーシャトーの定例ショーに長田英吉を招聘。司会は田辺一鶴、モデルはエミ[4][注 8]。
1983年(昭和58年)9月、ABSプロモーション設立[4][注 9][注 10]。
1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始[4]。
1983年(昭和58年)12月10日、あまとりあ社から『SMドキュメント葵マリーの告白手記』出版[注 11]。
1985年(昭和60年)、『ザ・折檻2』『ザ・折檻3』の監督。
1986年(昭和61年)、安達かおると『調教24時間・地獄編』を撮影。V&Rプランニングの最初の作品となる[5][6]。
1986年(昭和61年)9月28日、月光1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号の『S&M逆転の構造』で座談会。出席者は葵マリー、星ゆり子、順子、佐々木けい子
1987年(昭和62年)6月、赤坂ブルーシャトーの名士会員情報が週刊誌で漏れる[3]。
1987年(昭和62年)7月、『ザ・虐待』が封切り。
1987年(昭和62年)8月28日、アルファインで葵マリーの引退興行。ショーの最後に北条小夜子に二代目葵マリーの称号を与える戴冠式をおこなう[3](『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている)。
1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。『渋谷マリーズ・ルーム』というSM関係の仕事もしていた模様。
1988年(昭和63年)1月30日、ショーの最中に葵マリーとその内縁の夫で共同経営者の酒井清司が公然猥褻罪の現行犯逮捕。引退した葵マリーはしばしば赤坂ブルーシャトーに顔をだしていた模様[7][5][注 12]。
1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[8]。中野店は中野クィーンのビルの3F[9]。
1988年(昭和63年)春頃、関連店舗の3号店として『奴隷契約書』をオープン[10]。
1989年(平成元年)2月4日、葵マリーが自身が1988年にオープンした六本木のスタジオ・シャネルで『節分特別SM調教パーティー』主催。出演:美保純子、結城まゆみ、鈴森亜貴。劇団マリンブルーの旗揚げ公演で今後週3回公演予定。まもなくSM出張プレイ専門の「シャトウ葵」をオープン予定[11]。
1993年(平成5年)、夫ががんで死去[2]。
1995年(平成7年)6月、葵マリーが六本木にブルーシャトーを復活[12]
1995年(平成7年)12月7日、三代目葵マリーの襲名披露パーティーが都内で開かれる。初代葵マリも出席[13]。
1996年(平成8年)、広告代理店、コンパニオン派遣業、呉服、化粧品販売事業に特化[注 2]。
2000年(平成12年)、主催した混浴ツアーに中学生がいたことで職業安定法違反で逮捕[14]
2000年(平成12年)、会社倒産[注 13]。
2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督[注 14]。
2007年(平成19年)5月20日、熱海のホテルでの『国際芸術文化賞』の受賞式に司会(伊藤花果)として登場[15]。
2008年(平成20年)1月、歌舞伎町のホストクラブの女店主として紹介されている[2]。
2019年(平成31年)、熱海在住[14]。
エピソード
- 自称「小佐野賢治の妾の子」「フランスで美容医学博士の資格」「旧華族」[2][注 2]。
- 中川あづさ、松川ナミ、石原みか、藤代裕子、西白蘭[注 15]、春川かおり、熱砂、夢リンダなどを育てる。
- 赤坂ブルーシャトーの顧客には「大平正芳、中川一郎、沖雅也、川上宗薫、花登筺、有吉佐和子、三浦和義」など[2][注 2]
- 赤坂ブルーシャトーの社長は、葵マリの夫である酒井氏。
- S&MスナイパーやSMセレクトに寄稿している佐土魔造氏の吊りプレイについてエッセイに書いている[4]。
- 長田英吉が赤坂ブルーシャトーの北条小夜子に緊縛を教える、という記述がある。
- 安達かおるの名付け親でもある[6]。
- SAMMで年に1, 2回おこなわれていたパーティーに葵マリが出演したのを森美貴が観ている。
- 「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた・・・初代と私が逮捕されている間に(2000)・・逃げちゃった」[14]。
代表作
映画
ビデオ
- 『葵マリのSM日記 みかの場合』(ボックスランド, 1982)
- 『ザ・折檻2』(にっかつ, 1985)(監督:葵マリ、助監督:高原秀和、撮影:倉本和人、出演:水野由美、熱砂、西白蘭、春川かおり)
- 『ザ・折檻3』(にっかつ, 1985.10.26)(監督:葵マリ、助監督:高原秀和、撮影:遠藤政史、出演:立川ひとみ、西白蘭、春川かおり)
- 『SM女帝・葵マリー引退記念作品 愛虐の館 』(Golden SAMM, 1987)(製作:中村幻児〔ユーロビジョン)、監督:伊集院剛、助監督:鬼頭理三 田村良夫、脚本:田辺満、撮影:冨田伸二、出演:芳村さおり 中川あずさ 石原みか 春川かおり 葵マリ マグナムv北斗三条雅樹 嶋弘史)[注 16]
- 『ロイヤルクラブの隷嬢たち』(受審:志摩プランニング、制作:ユープロビジョン、発売元:スターシップ, 1987)(監督:葵マリ-、縄師:龍、出演:牧いずみ・吉野晴美・一条桜子・石原ミカ・北村恵・青山恵子)
- 『SM図鑑 美少女縛り』(志摩プランニング, 1987)(監修:伊集院剛、出演:牧いずみ 藤よう子 花村恵 葵マリ-)
- 『ザ・虐待』
- 『SMドキュメント調教24時間『衝撃編』』
- 『SM初体験 舞妓桃千代18才パート2』(マリンブルー, 1988)(監督:港雄一、出演:葵マリー、関和子)
- 『ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方』(フェニックス, 1988)(監督・構成:滝川翔、出演:志摩紫光、葵マリ、芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ)
- 『SM遊ぶ 禁断のすすり泣き』(フェニックス, 1988)(出演:舞礼奈 石川亜美 伊藤麻耶、志摩紫光、葵マリ)
- 『SMミンチ! 大隷界』[注 17](アリスジャパン, 1989、ビデ倫:8909)(発売元:ジャパンホームビデオ、製作:ユープロビジョン、監修・構成:伊集院剛、SM指導:志摩紫光、葵マリー、出演:嶋田美姫、秋川ひろみ、佐伯リカ、村上奈津子)
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー1』(クィーンキャッスル, 199?[注 18])(販売:アロマ企画、監修・主演:葵マリー、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー2』(クィーンキャッスル, 199?)(販売:アロマ企画、監修・主演:葵マリー、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー3』(クィーンキャッスル, 199?)(販売:アロマ企画、監修・主演:葵マリー、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー4』(クィーンキャッスル, 199?)(販売:アロマ企画、監修・主演:葵マリー、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
- 『鬼』
- 『新・調教24時間 雪糞天国』(1996)
DVD
書籍
- 葵マリー『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)
雑誌
- あおいマリー『女縄師マリーの調教日記』別冊S&Mスナイパー1982年(昭和57年)9月号
- 島田紳助『紳・竜の考現学入門8 葵マリ』週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号。
- 『S&M逆転の構造』(座談会:出席者は葵マリー、星ゆり子、順子、佐々木けい子)月光1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号
- 『名士がズラリ会員だった"SMの女王“がついに引退!』週刊読売1987年(昭和62年)8月30号
- 『過激プレーを売り物にしていた「SMの女王葵マリー」の逮捕でその筋から漏れるマゾ紳士録』週刊サンケイ1988年(昭和63年)2月25日
- 『逮捕された葵マリーのgokuraku「混浴ツアー」ハチャメチャ現場写真』FOCUS2000年(平成12年)2月16日号
- 『「雅子さまの主治医」を騙った詐欺女は「元SMの女王』週刊新潮2007年7月19日号
- 『現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー』実話マッドマックス2008年(平成20年)1月号
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『紳竜の考現学入門8』 in 週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 『現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー』実話マッドマックス2008年(平成20年)1月号
- ↑ 3.0 3.1 3.2 『名士がズラリ会員だった超高級クラブ"SMの女王"がついに引退!』週刊読売1987年(昭和62年)8月30日号
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 葵マリー『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)
- ↑ 5.0 5.1 SMファン1988年(昭和63年)5月号
- ↑ 6.0 6.1 安達かおる『[遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生 遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生]』(メディアソフト, 2017.5.1)
- ↑ 『過激プレーを売り物にしていた「SMの女王」葵マリーの逮捕でその筋から漏れる"マゾ紳士録"週刊サンケイ1988年(昭和63年)2月25日号
- ↑ SMスピリッツ1988年(昭和63年)7月号
- ↑ SMスピリッツ1988年(昭和63年)5月号
- ↑ SMスピリッツ1988年(昭和63年)8月号
- ↑ 『六本木「節分豆まき緊縛』ショー- SMの女王"本格復帰”の怪気炎』FOCUS1989年(平成元年)2月17日号
- ↑ 週刊新潮1995年(平成7年)7月20号
- ↑ S&Mスナイパー1996年(平成8年)2月号, p233
- ↑ 14.0 14.1 14.2 『波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー』週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号
- ↑ 『「雅子様の主治医」を騙った詐欺女は「元SMの女王」』週刊新潮2007年(平成19年)7月19日号
注釈
- ↑ 他にも「京都」「横浜市」という記述もある
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 葵マリ自身が提供した情報は不正確・作り話と思われるものが多いので注意が必要。
- ↑ 三代目葵マリーによると1943年(昭和18年)生まれ(『波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー』週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年4月13日号)
- ↑ 「大奥絵巻」で真夜中に見回りに行く腰元役。淡島千景、佐久間良子、大原麗子らが出ていた。
- ↑ ABSプロモーションの設立を1983年とする記述もあり。
- ↑ 毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。
- ↑ ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる赤坂ブルーシャトーはやめる。
- ↑ 2月5日の節分ショーでも長田英吉が出演。
- ↑ 日活映画と映画作品8本、ビデオ会社とビデオ作品15本の女流監督契約。
- ↑ 1980年とする記述もあり。
- ↑ この頃、「マネージャー二人、ショーガール8名、ミストレス7名、M女16名の大所帯」
- ↑ 「1988年2月2日号の朝日新聞より 警視庁は客にわいせつな行為を見せたとして、ブルーシャトー経営者、葵マリー (本名=伊藤尚子)容疑者(43歳)を「公然わいせつ罪」で逮捕。」という2chの書き込みがある。
- ↑ 職業安定法違反で逮捕されたことが原因と思われる。
- ↑ 明智伝鬼、千葉曳三、速水健二が出演。
- ↑ 後にコルドンブルーの女店主
- ↑ 1988年のフェニックスから出た『ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方』に一部この画像が出ているようだ。こちらは監督・構成:滝川翔、出演:芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ。
- ↑ 総集編的作品
- ↑ 1998年には広告が出ているので、アロマ企画ができた1991年〜1998年の間のどこかに制作。