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'''あおい まり'''、1944年(昭和19年)8月4日<ref name="houseki">『紳竜の考現学入門8』 in 週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号</ref>-。1980年代に[[赤坂ブルーシャトー]]を主宰したミストレス。
{{葵マリー}}
 
==概要==
1980年代に活躍した女王様。「女王様の中の女王様」とも呼ばれる。1980年(昭和55年)にSMクラブ[[赤坂ブルーシャトー]]を設立し、多くのS女、M女を育てる。そこでの定例SMショーには[[長田英吉]]なども出演していた。[[にっかつ]]映画への出演・監督など、積極的なマスコミへの露出を通じて、ステレオタイプ的な「SMプレイ」のイメージを作り上げた。後継者として二代目葵マリー、[[三代目葵マリー]]を生み出した。
 
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Mary_Aoi Mary Aoi],[[葵マリー]]、葵まりー(初代)、[[あおいマリー]]、伊藤尚子(本名?)、伊藤花果、小佐野真理子、
 
==略歴==
1944年(昭和19年)8月4日、静岡に誕生<ref name="houseki"></ref><ref group="注">他にも「京都」「横浜市」という記述もある</ref><ref group="注" name="caution">[[葵マリ]]自身が提供した情報は不正確・作り話と思われるものが多いので注意が必要。</ref><ref group="注">[[三代目葵マリー]]によると1943年(昭和18年)生まれ(『'''波瀾万丈ドキュメント SM女王 [[三代目葵マリー]]'''』[[週刊実話]]増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年4月13日号)</ref>。
 
1962年(昭和37年)頃、少女雑誌のモデルを経て東映京都撮影所に入り端役女優<ref name="houseki"></ref><ref group="注">「大奥絵巻」で真夜中に見回りに行く腰元役。淡島千景、佐久間良子、大原麗子らが出ていた。</ref>。「姫路ゆり子」という名で18本の作品に出演<ref name="Madmax">『'''現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー'''』[[実話マッドマックス]]2008年(平成20年)1月号</ref><ref group="注" name="caution"></ref>。
 
1965年(昭和40年)頃、結婚のために女優をやめる<ref group="注" name="caution"></ref>。
 
1969年(昭和44年)、[[辰巳出版]]の『'''別冊マル秘'''』4月増刊号のグラビア「赤坂の夜を泳ぐ白い密猟者」でモデルとして登場。「Eというスナック」でガールハントされたという設定。
 
1974年(昭和49年)頃、雄琴ソープランドの支配人となる<ref name="Madmax"></ref><ref group="注" name="caution"></ref>。
 
1974年(昭和49年)頃、夫の会社が倒産したため上京。新宿歌舞伎町のナイトクラブのママ、赤坂コパカバーナのホステス、赤坂ひの家の芸妓、ナイトクラブ赤坂[[ミカド]]の芸妓ホステスを経て、銀座のバー「真理子」のオーナーマダムとなる。続いて、会員制クラブ「赤坂峰子」「サロンど峰」などを開店<ref group="注" name="caution"></ref>。
 
1980年(昭和55年)頃、「赤坂ナイトクラブ真理子」を開店<ref group="注" name="caution"></ref>。
 
1980年(昭和55年)6月5日、[[赤坂ブルーシャトー]]を開業<ref name="syuki">[[葵マリ|葵マリー]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4870420570?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4870420570 『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)]</ref><ref group="注">毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。</ref>。姉妹店の[[ヤングシャトー]]、[[シルバーシャトー]]、[[ロイヤルシャトー]]も開業。
 
1980年(昭和55年)10月、後の[[松川ナミ]]が入店。源氏名はエミ<ref name="syuki"></ref><ref group="注">ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる[[赤坂ブルーシャトー]]はやめる。</ref>。
 
1980年代初め、「ショークラブブルーシャトー」「キャバレーシンデレラ」などを開店。
 
1981年(昭和56年)1月8日、[[赤坂ブルーシャトー]]の定例ショーに[[長田英吉]]を招聘。司会は田辺一鶴、モデルは[[松川ナミ|エミ]]<ref name="syuki"></ref><ref group="注">2月5日の節分ショーでも[[長田英吉]]が出演。</ref>。
 
1982年(昭和57年)4月、[[週刊宝石]]で[[島田紳助]]と対談。
 
1983年(昭和58年)9月、[[ABSプロモーション]]設立<ref name="syuki"></ref><ref group="注">日活映画と映画作品8本、ビデオ会社とビデオ作品15本の女流監督契約。</ref>。
 
1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始<ref name="syuki"></ref>。
 
1983年(昭和58年)12月10日、[[あまとりあ社]]から[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4870420570?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4870420570 『SMドキュメント葵マリーの告白手記』]出版<ref group="注">
この頃、「マネージャー二人、ショーガール8名、ミストレス7名、M女16名の大所帯」</ref>。
 
1985年(昭和60年)、『[[ザ・折檻]]2』『[[ザ・折檻]]3』の監督。
 
1986年(昭和61年)9月28日、[[月光]]1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号の『'''S&M逆転の構造'''』で座談会。出席者は[[葵マリー]]、[[星ゆり子]]、順子、[[佐々木けい子]]
 
1987年(昭和62年)11月頃?、[[赤坂ブルーシャトー]]閉店。
 
1988年(昭和63年)1月30日、ショーの最中に公然猥褻罪の現行犯逮捕<ref name="SMfan19885">[[SMファン]]1988年(昭和63年)5月号</ref><ref group="注">「1988年2月2日号の朝日新聞より 警視庁は客にわいせつな行為を見せたとして、ブルーシャトー経営者、葵マリー (本名=伊藤尚子)容疑者(43歳)を「公然わいせつ罪」で逮捕。」という2chの書き込みがある。</ref>。
 
1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。『'''渋谷マリーズ・ルーム'''』というSM関係の仕事もしていた模様。
 
1993年(平成5年)、夫ががんで死去<ref name="Madmax"></ref><ref group="注" name="caution"></ref>。
 
1995年(平成7年)12月7日、[[三代目葵マリー]]の襲名披露パーティーが都内で開かれる。初代[[葵マリ]]も出席<ref name="sniper1996_12">[[S&Mスナイパー]]1996年(平成8年)2月号, p233</ref>。
 
1996年(平成8年)、広告代理店、コンパニオン派遣業、呉服、化粧品販売事業に特化<ref group="注" name="caution"></ref>。
 
2000年(平成12年)、主催した混浴ツアーに中学生がいたことで職業安定法違反で逮捕<ref name="Jitsuwa">『'''波瀾万丈ドキュメント SM女王 [[三代目葵マリー]]'''』[[週刊実話]]増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号</ref>
 
2000年(平成12年)、会社倒産<ref group="注">職業安定法違反で逮捕されたことが原因と思われる。</ref>。
 
2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督<ref group="注">[[明智伝鬼]]、[[千葉曳三]]、[[速水健二]]が出演。</ref>。
 
2008年(平成20年)1月、歌舞伎町のホストクラブの女店主として紹介されている<ref name="Madmax"></ref>。
 
==エピソード==
*自称「小佐野賢治の妾の子」「フランスで美容医学博士の資格」「旧華族」<ref name="Madmax"></ref><ref group="注" name="caution"></ref>。
*中川あづさ、[[松川ナミ]]、石原みか、藤代裕子、[[西白蘭]]<ref group="注">後にコルドンブルーのママになったようだ(''要確認'')</ref>、[[春川かおり]]、熱砂、夢リンダなどを育てる。
*[[赤坂ブルーシャトー]]の顧客には「大平正芳、中川一郎、沖雅也、[[川上宗薫]]、花登筺、有吉佐和子、[[三浦和義]]」など<ref name="Madmax"></ref><ref group="注" name="caution"></ref>
*[[赤坂ブルーシャトー]]の社長は、葵マリの夫である酒井氏。
*[[S&Mスナイパー]]や[[SMセレクト]]に寄稿している佐土魔造氏の吊りプレイについてエッセイに書いている<ref name="syuki"></ref>。
*[[長田英吉]]が[[赤坂ブルーシャトー]]の[[北条小夜子]]に緊縛を教える、という記述がある。
*[[SAMM]]で年に1, 2回おこなわれていたパーティーに[[葵マリ]]が出演したのを[[森美貴]]が観ている。
*「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた・・・初代と私が逮捕されている間に(2000)・・逃げちゃった」<ref name="Jitsuwa"></ref>。
 
==代表作==
==映画==
===ビデオ===
*『'''[[葵マリ]]のSM日記 みかの場合'''』([[ボックスランド]], 1982)
*『'''[[ザ・折檻]]2'''』([[にっかつ]], 1985)(監督:[[葵マリ]]、助監督:高原秀和、撮影:倉本和人、出演:水野由美、熱砂、[[西白蘭]]、[[春川かおり]])
*『'''[[ザ・折檻]]3'''』([[にっかつ]], 1985.10.26)(監督:[[葵マリ]]、助監督:高原秀和、撮影:遠藤政史、出演:立川ひとみ、[[西白蘭]]、[[春川かおり]])
*『'''SM女帝・[[葵マリ]]ー引退記念作品 愛虐の館''' 』(Golden SAMM, 1987)(製作:中村幻児〔ユーロビジョン)、監督:[[伊集院剛]]、助監督:鬼頭理三 田村良夫、脚本:田辺満、撮影:冨田伸二、出演:芳村さおり 中川あずさ 石原みか [[春川かおり]] [[葵マリ]] マグナムv北斗三条雅樹 嶋弘史)<ref group="注">1988年のフェニックスから出た『'''ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方'''』に一部この画像が出ているようだ。こちらは監督・構成:滝川翔、出演:芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ。</ref>
*『'''ロイヤルクラブの隷嬢たち'''』(受審:志摩プランニング、制作:ユープロビジョン、発売元:スターシップ, 1987)(監督:[[葵マリ|葵マリ-]]、縄師:龍、出演:牧いずみ・吉野晴美・一条桜子・石原ミカ・北村恵・青山恵子)
*『'''SM図鑑 美少女縛り'''』(志摩プランニング, 1987)(監修:[[伊集院剛]]、出演:牧いずみ 藤よう子 花村恵 [[葵マリ|葵マリ-]])
*『'''ザ・虐待'''』
*『'''SMドキュメント調教24時間『衝撃編』'''』
*『'''SM初体験 舞妓桃千代18才パート2'''』(マリンブルー, 1988)(監督:港雄一、調教:[[葵マリ|葵マリー]]) 
*『'''ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方'''』(フェニックス, 1988)(監督・構成:滝川翔、出演:[[志摩紫光]]、[[葵マリ]]、芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ)
*『'''SM遊ぶ 禁断のすすり泣き'''』(フェニックス, 1988)(出演:舞礼奈 [[石川亜美]] [[伊藤麻耶]]、[[志摩紫光]]、[[葵マリ]])
 
*『'''葵伝説 赤坂ブルーシャトー1'''』([[クィーンキャッスル]], 199?<ref group="注">1998年には広告が出ているので、[[アロマ企画]]ができた1991年〜1998年の間のどこかに制作。</ref>)(販売:[[アロマ企画]]、監修・主演:[[葵マリ|葵マリー]]、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
*『'''葵伝説 赤坂ブルーシャトー2'''』([[クィーンキャッスル]], 199?)(販売:[[アロマ企画]]、監修・主演:[[葵マリ|葵マリー]]、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
*『'''葵伝説 赤坂ブルーシャトー3'''』([[クィーンキャッスル]], 199?)(販売:[[アロマ企画]]、監修・主演:[[葵マリ|葵マリー]]、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
*『'''葵伝説 赤坂ブルーシャトー4'''』([[クィーンキャッスル]], 199?)(販売:[[アロマ企画]]、監修・主演:[[葵マリ|葵マリー]]、協力:渋谷マリーズ・ルーム)
*『'''鬼'''』
*『'''新・調教24時間 雪糞天国'''』(1996)
 
===DVD===
*『'''[[葵マリ]]のSM日記 洋子の場合 菊島里子'''』(映像舎)
*『'''[[葵マリ]]のSM日記 みかの場合'''』(映像舎)
*『'''[[葵マリ]]のSM日記 のり子の場合'''』(映像舎)
 
==書籍==
*[[葵マリ|葵マリー]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4870420570?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4870420570 『SMドキュメント葵マリーの告白手記』]([[あまとりあ社]], 1983)
===雑誌===
*[[あおいマリー]]『'''女縄師マリーの調教日記'''』[[別冊S&Mスナイパー]]1982年(昭和57年)9月号
*[[島田紳助]]『'''紳・竜の考現学入門8 [[葵マリ]]'''』[[週刊宝石]]1982年(昭和57年)4月24日号。
*『'''S&M逆転の構造'''』(座談会:出席者は[[葵マリー]]、[[星ゆり子]]、順子、[[佐々木けい子]])[[月光]]1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号
*『'''名士がズラリ会員だった"SMの女王“がついに引退!'''』[[週刊読売]]1987年(昭和62年)8月30号
*『'''過激プレーを売り物にしていた「SMの女王葵マリー」の逮捕でその筋から漏れるマゾ紳士録'''』[[週刊サンケイ]]1988年(昭和63年)2月25日
*『'''逮捕された葵マリーのgokuraku「混浴ツアー」ハチャメチャ現場写真'''』[[FOCUS]]2000年(平成12年)2月16日号
*『'''「雅子さまの主治医」を騙った詐欺女は「元SMの女王'''』[[週刊新潮]]2007年7月19日号
*『'''現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー'''』[[実話マッドマックス]]2008年(平成20年)1月号
 
== 引用文献==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
== お役たちweb==
==つながり==
[[長田英吉]]
[[志摩紫光]]
[[伊集院剛]]
[[明智伝鬼]]
 
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あおい まり、1944年(昭和19年)8月4日[1]-。1980年代に赤坂ブルーシャトーを主宰したミストレス。

概要

1980年代に活躍した女王様。「女王様の中の女王様」とも呼ばれる。1980年(昭和55年)にSMクラブ赤坂ブルーシャトーを設立し、多くのS女、M女を育てる。そこでの定例SMショーには長田英吉なども出演していた。にっかつ映画への出演・監督など、積極的なマスコミへの露出を通じて、ステレオタイプ的な「SMプレイ」のイメージを作り上げた。後継者として二代目葵マリー三代目葵マリーを生み出した。

別名

Mary Aoi 葵マリ 葵マリー 初代葵マリー 葵まりー あおいマリー 伊藤尚子(本名) 伊藤花果 小佐野真理子

略歴

1944年(昭和19年)8月4日、静岡に誕生[1][注 1][注 2][注 3]

1962年(昭和37年)頃、少女雑誌のモデルを経て東映京都撮影所に入り端役女優[1][注 4]。「姫路ゆり子」という名で18本の作品に出演[2][注 2]

1965年(昭和40年)頃、結婚のために女優をやめる[注 2]

1969年(昭和44年)4月15日、辰巳出版の『別冊㊙』4月増刊号のグラビア「赤坂の夜を泳ぐ白い密猟者」でモデルとして登場。「Eというスナック」でガールハントされたという設定。

1974年(昭和49年)頃、雄琴ソープランドの支配人となる[2][注 2]

1974年(昭和49年)頃、夫の会社が倒産したため上京。新宿歌舞伎町のナイトクラブのママ、赤坂コパカバーナ[注 2]のホステス、赤坂ひの家の芸妓、ナイトクラブ赤坂ミカドの芸妓ホステスを経て、銀座のバー「真理子」のオーナーマダムとなる。続いて、会員制クラブ「赤坂峰子」「サロンど峰」などを開店[注 2]

1980年(昭和55年)頃、「赤坂ナイトクラブ真理子」を開店[注 2]

1980年(昭和55年)6月、芸能プロABSプロモーションを設立し、その営業の1つとして赤坂ブルーシャトーを開業[3][注 5]

1980年(昭和55年)6月5日、赤坂ブルーシャトーを開業[4][注 6]。姉妹店のヤングシャトーシルバーシャトーロイヤルシャトーも開業。

1980年(昭和55年)10月、後の松川ナミが入店。源氏名はエミ[4][注 7]

1980年代初め、「ショークラブブルーシャトー」「キャバレーシンデレラ」などを開店。

1981年(昭和56年)1月8日、赤坂ブルーシャトーの定例ショーに長田英吉を招聘。司会は田辺一鶴、モデルはエミ[4][注 8]

1982年(昭和57年)4月、週刊宝石島田紳助と対談。

1983年(昭和58年)9月、ABSプロモーション設立[4][注 9][注 10]

1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始[4]

1983年(昭和58年)12月10日、あまとりあ社から『SMドキュメント葵マリーの告白手記』出版[注 11]

1985年(昭和60年)、『ザ・折檻2』『ザ・折檻3』の監督。

1986年(昭和61年)、安達かおると『調教24時間・地獄編』を撮影。V&Rプランニングの最初の作品となる[5][6]

1986年(昭和61年)9月28日、月光1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号の『S&M逆転の構造』で座談会。出席者は葵マリー星ゆり子、順子、佐々木けい子

1987年(昭和62年)6月、赤坂ブルーシャトーの名士会員情報が週刊誌で漏れる[3]

1987年(昭和62年)7月、『ザ・虐待』が封切り。

1987年(昭和62年)8月28日、アルファイン葵マリーの引退興行。ショーの最後に北条小夜子に二代目葵マリーの称号を与える戴冠式をおこなう[3](『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目北条小夜子に譲る」と語っている)。

1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。『渋谷マリーズ・ルーム』というSM関係の仕事もしていた模様。

1988年(昭和63年)1月30日、ショーの最中に葵マリーとその内縁の夫で共同経営者の酒井清司が公然猥褻罪の現行犯逮捕。引退した葵マリーはしばしば赤坂ブルーシャトーに顔をだしていた模様[7][5][注 12]

1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[8]。中野店は中野クィーンのビルの3F[9]

1988年(昭和63年)春頃、関連店舗の3号店として『奴隷契約書』をオープン[10]

1989年(平成元年)2月4日、葵マリーが自身が1988年にオープンした六本木のスタジオ・シャネルで『節分特別SM調教パーティー』主催。出演:美保純子結城まゆみ鈴森亜貴。劇団マリンブルーの旗揚げ公演で今後週3回公演予定。まもなくSM出張プレイ専門の「シャトウ葵」をオープン予定[11]

1993年(平成5年)、夫ががんで死去[2]

1995年(平成7年)6月、葵マリーが六本木にブルーシャトーを復活[12]

1995年(平成7年)12月7日、三代目葵マリーの襲名披露パーティーが都内で開かれる。初代葵マリも出席[13]

1996年(平成8年)、広告代理店、コンパニオン派遣業、呉服、化粧品販売事業に特化[注 2]

2000年(平成12年)、主催した混浴ツアーに中学生がいたことで職業安定法違反で逮捕[14]

2000年(平成12年)、会社倒産[注 13]

2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督[注 14]

2007年(平成19年)5月20日、熱海のホテルでの『国際芸術文化賞』の受賞式に司会(伊藤花果)として登場[15]

2008年(平成20年)1月、歌舞伎町のホストクラブの女店主として紹介されている[2]

2019年(平成31年)、熱海在住[14]

エピソード

代表作

映画

ビデオ

DVD

  • 葵マリのSM日記 洋子の場合 菊島里子』(映像舎)
  • 葵マリのSM日記 みかの場合』(映像舎)
  • 葵マリのSM日記 のり子の場合』(映像舎)

書籍

雑誌

  • あおいマリー女縄師マリーの調教日記別冊S&Mスナイパー1982年(昭和57年)9月号
  • 島田紳助紳・竜の考現学入門8 葵マリ週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号。
  • S&M逆転の構造』(座談会:出席者は葵マリー星ゆり子、順子、佐々木けい子)月光1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号
  • 名士がズラリ会員だった"SMの女王“がついに引退!週刊読売1987年(昭和62年)8月30号
  • 過激プレーを売り物にしていた「SMの女王葵マリー」の逮捕でその筋から漏れるマゾ紳士録週刊サンケイ1988年(昭和63年)2月25日
  • 逮捕された葵マリーのgokuraku「混浴ツアー」ハチャメチャ現場写真FOCUS2000年(平成12年)2月16日号
  • 「雅子さまの主治医」を騙った詐欺女は「元SMの女王週刊新潮2007年7月19日号
  • 現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー実話マッドマックス2008年(平成20年)1月号

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 『紳竜の考現学入門8』 in 週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 現・歌舞伎町ホストの母 マダム花果 元SMの女王初代葵マリー インタビュー実話マッドマックス2008年(平成20年)1月号
  3. 3.0 3.1 3.2 名士がズラリ会員だった超高級クラブ"SMの女王"がついに引退!週刊読売1987年(昭和62年)8月30日号
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 葵マリー『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)
  5. 5.0 5.1 SMファン1988年(昭和63年)5月号
  6. 6.0 6.1 安達かおる[遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生 遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生]』(メディアソフト, 2017.5.1)
  7. 過激プレーを売り物にしていた「SMの女王」葵マリーの逮捕でその筋から漏れる"マゾ紳士録"週刊サンケイ1988年(昭和63年)2月25日号
  8. SMスピリッツ1988年(昭和63年)7月号
  9. SMスピリッツ1988年(昭和63年)5月号
  10. SMスピリッツ1988年(昭和63年)8月号
  11. 六本木「節分豆まき緊縛』ショー- SMの女王"本格復帰”の怪気炎FOCUS1989年(平成元年)2月17日号
  12. 週刊新潮1995年(平成7年)7月20号
  13. S&Mスナイパー1996年(平成8年)2月号, p233
  14. 14.0 14.1 14.2 波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号
  15. 「雅子様の主治医」を騙った詐欺女は「元SMの女王」週刊新潮2007年(平成19年)7月19日号

注釈

  1. 他にも「京都」「横浜市」という記述もある
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 葵マリ自身が提供した情報は不正確・作り話と思われるものが多いので注意が必要。
  3. 三代目葵マリーによると1943年(昭和18年)生まれ(『波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年4月13日号)
  4. 「大奥絵巻」で真夜中に見回りに行く腰元役。淡島千景、佐久間良子、大原麗子らが出ていた。
  5. ABSプロモーションの設立を1983年とする記述もあり。
  6. 毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。
  7. ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる赤坂ブルーシャトーはやめる。
  8. 2月5日の節分ショーでも長田英吉が出演。
  9. 日活映画と映画作品8本、ビデオ会社とビデオ作品15本の女流監督契約。
  10. 1980年とする記述もあり。
  11. この頃、「マネージャー二人、ショーガール8名、ミストレス7名、M女16名の大所帯」
  12. 「1988年2月2日号の朝日新聞より 警視庁は客にわいせつな行為を見せたとして、ブルーシャトー経営者、葵マリー (本名=伊藤尚子)容疑者(43歳)を「公然わいせつ罪」で逮捕。」という2chの書き込みがある。
  13. 職業安定法違反で逮捕されたことが原因と思われる。
  14. 明智伝鬼千葉曳三速水健二が出演。
  15. 後にコルドンブルーの女店主
  16. 1988年のフェニックスから出た『ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方』に一部この画像が出ているようだ。こちらは監督・構成:滝川翔、出演:芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ。
  17. 総集編的作品
  18. 1998年には広告が出ているので、アロマ企画ができた1991年〜1998年の間のどこかに制作。

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