白表紙

提供:SMpedia
2014年5月15日 (木) 08:06時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「{{白表紙時代}} {{DEFAULTSORT:しらびょうし}} Category:昭和SM文化 Category:総索引」)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
奇譚クラブ1955年(昭和30年)10月号の表紙。写真は濡木痴夢男の提供に由来。
奇譚クラブ1960年(昭和35年)6月号の白表紙時代最後の表紙。

しらびょうししらびょうし時代。1955年(昭和30年)から1960年(昭和35年)までの白黒表紙時代を意味する奇譚クラブマニアの専門用語。当局の弾圧が厳しい時代に相当。天星社時代。

概要

1955年(昭和30年)10月号から1960年(昭和35年)5月号までの表紙が白黒印刷であった約5年間を意味する奇譚クラブマニアの間の専門用語。奇譚クラブ1955年(昭和30年)5月号が摘発され、6月号〜9月号が休刊した後から始まり、当局の目を意識した目立たない表紙となっており、グラビア写真も大幅に減っている。出版元が曙書房から天星社に変わった時期に一致し、天星社時代の前半に相当する。白表紙時代最初の表紙は濡木痴夢男の提供によるもので、口絵の写真、本文の多くも濡木痴夢男の手による[1]。当時の状況は「エロ法規制の歴史」を参照。

歴史

1954年(昭和29年)、風俗草紙2月号が摘発。奇譚クラブ3月号が摘発[注 1]風俗草紙4月号、奇譚クラブ4月号が摘発。6月号〜9月号、12月号〜1955年3月号が休刊。

1955年(昭和30年)3月25日、奇譚クラブ4月号が押収。容疑箇所は伊藤晴雨の「指人形」、古川裕子の「孤独」、二俣志津子の「悪魔の遊戯」[2]

1955年(昭和30年)4月28日、『四・二八いっせいとり締まり』で特価雑誌37種を摘発、35カ所を捜索して39人を検挙、26,664部を押収[3]

1955年(昭和30年)10月、奇譚クラブは『白表紙時代』に入る。1960年(昭和35年)まで。

1956年(昭和31年)7月、高橋鐵の『生心リポート』猥褻裁判が始まる[注 2]

エピソード

  • 天星社時代は、さらに1967年(昭和42年)まで続く。

関連作品

引用文献

  1. 濡木痴夢男「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)
  2. 奇譚クラブ』1955年(昭和30年)10月号。
  3. 中田雅久あまとりあ回顧録』in 藤本義一編『あまとりあ傑作選』(東京スポーツ新聞社, 1977)

注釈

  1. 濡木痴夢男の『魔性の姉妹』が対象。
  2. 1963年(昭和38年)1月に第一審で有罪。第二審も有罪、1970年(昭和45年)9月に最高裁で有罪が確定。

お役たちweb

つながり

吉田稔須磨利之辻村隆塚本鉄三杉原虹児伊藤晴雨濡木痴夢男中康弘通沼正三森下高茂団鬼六山岸康二千草忠夫芳野眉美朝野祐喜多玲子滝麗子都築峰子北原純子畔亭数久南村俊平南川和子小妻容子四馬孝春川ナミオ室井亜砂二切腹女斗美ネクタール乗馬ラバー・ゴムスパンキングソドミア鼻責め猿轡蜂胴浣腸六尺ゼンタイ ミイラ縛り