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2020年2月4日 (火) 17:33時点における版
さくらだ でんじろう、1952年(昭和27年)3月-
概要
仕掛人。緊縛師。AV監督。1976年(昭和51年)頃、上京してきた玉井敬友の舞台を手伝うきっかけで長田英吉を知り、SMショーの魅力を知る。自らGSG企画を立ち上げSMショーを企画。玉井敬友、長田英吉らの活動とあわせ、1970-80年台のSMショーブームを形成する。GSG企画の西荻窪アトリエ、六本木のSAMM、大塚のマイウェイ、中野の中野クィーンなどでSMショーを開催し、ストリップ劇場でのSMショーのブームへもつながる。GSG企画の観客として参加していた後の明智伝鬼は、やがてGSG企画のSMショーを手伝うようになり、ショーの終了後に緊縛のイベントを定期開催。1985年(昭和60年)に桜田伝次郎はいったんSMショーから引退するが、明智伝鬼はその後のSMショー開催を引き継ぎ、独自の世界を構築していく。明智伝鬼の「伝」は桜田伝次郎から、「鬼」はGSG企画の役者をしており、後のAV監督である鬼沢修二から由来して命名されている。1985年(昭和60年)以降はAV監督として活動するが、2009年(平成21年)に再びSMショーの舞台に復帰。シアターPOOを中心に多くのイベントを開催。
別名
略歴
1976年(昭和51年)、それまで大阪で活動していた玉井敬友が上京して劇団「シアタースキャンダル」を設立。六本木のシアタースキャンダルのアトリエでの公演のスタッフとして桜田伝次郎が呼ばれる[注 1][1]。
1976年(昭和51年)、玉井敬友はシアタースキャンダルの責め師の役として長田英吉に出演依頼。これがきっかけで桜田伝次郎は長田英吉を知る[1][2]。
1976年(昭和51年)ー1980年(昭和55年)[注 2]、桜田伝次郎は独自にSMショーを企画するGSG企画を設立。アトリエを荻窪駅の近く[注 3]とし、ここでGSG企画の最初のSMショーを開催。
1976年(昭和51年)ー1985年(昭和60年)、GSG企画が企画するSMショーが、GSG企画の西荻窪アトリエ、六本木のSAMM(賀山茂の店)、大塚のマイウェイ(本田富朗の店)、中野の中野クィーン(本田富朗の店)で開催される。桜田信、村井弦が責め師として出演し、女優は黒川真由美など。後のAV監督鬼沢修二は爆弾五郎という役名でマイウェイでのイベント「SMボンバー」に出演。[1]。
1978年(昭和53年)頃?、GSG企画のSMイベントは会員制をとっており、この会員として後の明智伝鬼が応募してくる[注 4][2][1]。
1979年(昭和54年)頃?、『SM飼育教室』シリーズが開始。
1980頃(昭和55年)?、当初桜田伝次郎は企画のみに専念しており、舞台には出演していない。GSG企画の西荻窪アトリエに出演していた桜田信が急病のため、代理として舞台に上がったのが最初のSMショーの出演。この時、桜田信をもじって桜田伝次郎という名前が誕生した[1]。
1980頃(昭和55年)7月、S&Mスナイパー7月号に「SM・飼育教室潜入ルポ」の記事。「GSGという集団が長田英吉の協力でショー」と。
1981年(昭和56年),セルフ出版の劇画ブッチャー12月号増刊『風俗最前線1981』(末井昭編集)にGSG企画の『SM飼育室』の様子が3ページ紹介。西荻窪で開かれているSM撮影会と紹介。
観客であった明智伝鬼は、次第にショーを手伝うようになり、やがてショーが終わってから、会員の前でモデルを緊縛し、それを後の鬼沢修二が撮影するといった形が定借してくる[注 5]。
1982年(昭和57年)1月29日、スナイパー1にて東京SM企画による『悦虐の繩人形』出演:野原いずみ、水野純子[3]。
1982年(昭和57年)2月5日、6日、スナイパー1にて東京SM企画による『情炎・人妻調教日記』出演:小杉夕子、倉田恭子[3]。
1982年(昭和57年)2月16日、マイウェイにてGSG企画による『SM飼育教室 特別講演 SM・淫獣たちの宴』出演:黒川真由美、沢のぞみ[3]。
1982年(昭和57年)2月26日、スナイパー1にて東京SM企画による『SM縄獣館秘話』出演:中野裕子、朝野かほり[3]。
1982年(昭和57年)3月13日、スナイパー1にて東京SM企画による『初縄・雛奴隷』出演:朝野かほり、小林あけみ[3]。
1982年(昭和57年)3月13日、スナイパー1にて東京SM企画による最終企画『変態SM地獄IV〜羞恥責め・やわはだなぶり』演出:村井次郎[3]。
1982年(昭和57年)6月12日、アルス・ノーヴァにてSM水族館による『SMスワッピングー調教交換IIIー』出演:黒川真由美。劇終了後に撮影会「繩縛少女〜猿轡篇〜」出演:石川秋子、繩縛師:明智伝鬼。
1983年(昭和58年)3月、新宿南口にシアターPOOを開く。
1985年(昭和60年)、SMショーから引退。この時、それまでのGSG企画のSMイベント会員を明智伝鬼に譲り、明智伝鬼は引き続き独自にSMショーを続けることとなる[1]。
1985年(昭和60年)〜2009年(平成21年)まではSMショーはおこなっていない。AV監督やモデルオフィス活動。
2005年(平成17年)9月6日、東京厚生年金会館にて『明智伝鬼追悼式』(発起人:団鬼六、高須基仁、桜田伝次郎、早川佳克)
2009年(平成21年)12月6日、シアターPOOにて25年ぶりにSMショー[注 6]。
2010年(平成22年)、「昭和SMの復活」をスローガンに、シアターPOO、DX歌舞伎町SM大会などで精力的にショーをおこなう。志摩紫光、一鬼のこなどとの二人会。
2011年(平成23年)、シアターPOO、DX歌舞伎町SM大会などを中心に活動。風見蘭喜、神凪などとの二人会。
2012年(平成24年)12月24日、シアターPOOでの『SMファン感謝祭・第二幕』【出演】栗鳥巣&内山沙千佳、SHIMA Malphas &ルーシー、夜羽エマ、荊子、桜田伝次郎、松本格子戸
2013年(平成25年)7月15日、シアターPOO開場30周年記念特別企画特別企画『SMファン感謝祭』【第1部出演】京はるな、SHIMA Malphas&ルーシー、蓬莱かすみ&倖田李梨、シーナ、荊子、蕾火&ゆき、【第2部出演】若林美保、内山沙千佳、朱魅(卯月朱美)、夜羽エマ&ice、一鬼のこ&七(十三花)、桜田伝次郎
2013年(平成25年)12月23日、シアターPOOにて『SMファン感謝祭!』【出演】若林美保、鳳麗、鵺神蓮、蓬莱かすみ&倖田李梨、SHIMA Malphas&ルーシー、徳井唯&三代目葵マリー&大貫希、栗鳥巣、夜羽エマ&ice、結月里奈&杏野ヒナナ、荊子、上条早樹&愛子、桜田伝次郎&あおい、松本格子戸
2015年(平成27年)、シアターPOOにて『桜田伝次郎・縄縛サロン』第1回開催。
2015年(平成27年)9月27日、メンズサイゾーインタビュー。
2018年(平成30年)9月15日、シアターPOOにて『ファイナル桜田伝次郎・悦虐飼育残酷浣腸排泄劇』で108回目のソロライブを終演。
2018年(平成30年)9月25日、DX歌舞伎町SM大会に出演。
2019年(令和元年)7月8日、『古式縄塾』を開始。
2019年(令和元年)10月29日、シアターPOOにて、桜田伝次郎&黒岩安紀子 presents 『団鬼六師を偲ぶ夕べ』。出演:桜田伝次郎、黒岩安紀子、里見瑤子、若林美保。
エピソード
- 桜田伝次郎は1976年(昭和51年)に長田英吉と出会うまではSMには興味がなかった。
- 緊縛の技法は長田英吉から学んでいる。
- GSG企画の女優としては、黒川真由美、沢マミ、鈴木美代子、水沼、小泉、かすみ、あい、菊池など。また、責め師として桜田信、村井弦、鬼沢修二。
- GSG企画のSMショーは、西荻窪のGSG企画アトリエ、大塚のマイウエイ、中野クィーン、SAMMなどで開催[1]。
- 大塚のマイウエイでおこなっていたイベントの名称が『SMボンバー』。GSG企画の女優である菊池が人気。マイウェイ女店主のジーナ女王様とのレズショーも人気[1]。
- 中野クィーンでおこなっていたイベントの名称が『東京SM倶楽部』。村井弦が出演していた[1]。
- アルス・ノーヴァでのオサダ・ゼミナールの企画をしたことはあるが、GSG企画のメンバーは出演していない[1]。
- 熱海旅館はGSG企画のSMショーでは使っていないが、AVの撮影で使ったことがある。SMショーを1985年以降引きついた明智伝鬼は使っていた[1]。
- 川上譲治に誘われてストリップ劇場でのSMショーを開始。ただし川上譲治のコース切りにはのっておらず、道頓堀劇場の志賀直樹のコース切り[1]。
- ストリップ劇場でのSMショーは黒川真由美との浣腸ショー。人気を集め相当のギャラがついた[1]。
- ストリップの舞台は道頓堀劇場、九条OS劇場、鶴見新世界劇場、名古屋銀映など[1]。
- シアターPOOは1983年(昭和58年)にオープンするが、1985年(昭和60年)に一時SMショーから引退するまでシアターPOOではGSG企画のSMショーはおこなっていない。AVの撮影には利用した。シアターPOOでの最初のSMショーは2009年(平成21年)12月6日[1]。
- 明智伝鬼の「伝」は桜田伝次郎から、「鬼」はGSG企画の役者をしており、後のAV監督である鬼沢修二から由来。
代表作
AV
(整理中)
- 『くいこみ地獄(上)』(ビデオハウス, 198?)(企画:GSG、制作:Vox、販売:きたん社, No. 5)(出演:桜田伝次郎、黒川真由美)
- 『くいこみ地獄(下)』(ビデオハウス, 198?)(企画:GSG、制作:Vox、販売:きたん社, No. 6)(出演:桜田伝次郎、黒川真由美)
- 『美少女みだら責め』(2チャンネル, 1983)(監督:明石雷蔵) [注 7]
- 『桜田伝次郎SMロマン2 新妻を犯す』(2チャンネル, 1983)(出演:島田千恵)
- 『SM本番解禁・桜田伝次郎外伝/悦逆のカーニバル』(ビップ, 1986) (出演:西麻美)
- 『魔縄伝(明智伝鬼/桜田伝次郎)』(ビースバルプロモーション、1994)
- 『人間螢』(ステラ, 1994) (出演:荒井美穂)
- 『SMハードロマン in 桜田伝次郎/超真性M対決』(ネクストイレブン, 1997)
- 『SMハードロマン in 桜田伝次郎/刺青M女大絶叫』(ネクストイレブン, 1997) (出演:だりあ)
- 『悦縛看護婦』(麒麟堂, 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:桜田佳子)
- 『愛奴秘書』(麒麟堂, 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:梶原まゆ)
- 『麗奴秘書』(麒麟堂, 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:桜たまき)
- 『愛奴人妻』(麒麟堂, 戯縛ハード, GBH-06, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:西澤麻里)
- 『女教師淫らな下唇』(麒麟堂, 戯縛, GBH-01, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:相川みほ、チョコボール向井)
- 『バニーガール淫らな蜜液』(麒麟堂, 戯縛, GB-06, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:本山由紀乃)
- 『緊縛女教師・あやしい放課後』(ネクストイレブン, 1999) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼)
- 『実録縄師伝説/桜田伝次郎と明智伝鬼』(ネクストイレブン, 2000)
- 『マゾに目覚める瞬間』(ネクストイレブン, 2000) (監督:桜田伝次郎、出演:卯月彩 奥菜めぐ)
- 『セーラー性奴』(桃太郎映像出版, 2002) (監督:桜田伝次郎、出演:水原たま)
- 『邪縛』(アタッカーズ, 2011)(監督:桜田伝次郎、緊縛:神凪、出演:星崎アンリ)
雑誌
参考資料
注釈
- ↑ 玉井敬友、桜田伝次郎共に、どういった経緯で桜田伝次郎が参加したのかについては記憶がない。
- ↑ GSG企画の正確な発足時期は調査中。玉井敬友が上京した1976年(昭和51年)以降で、GSG企画が劇画ブッチャーに紹介される1980年(昭和55年)の間であることは間違いない。 北原童夢『明智伝鬼と戦後日本のSM史』in 『変態さんがいく』(別冊宝島編集部, 2000)では「1977年(昭和52年)」設立となっている。
- ↑ 杉並区西荻南2-19-10
- ↑ 「ムーンフォトクラブ」という会員制の会員になったことがきっかけで、やがてSM撮影の会の緊縛を担当するようになる。
- ↑ 桜田伝次郎の私信では、最初はあまり緊縛にこだわりのなかった明智伝鬼だが、このショーの終了後の緊縛イベントが始まり、めきめきと緊縛の腕を上げていったようだとのこと。
- ↑ 「女王様の毒艶会」の特別出演として。
- ↑ 桜田伝次郎の記憶では恐らく大塚マイウェイでの撮影。