(同じ利用者による、間の6版が非表示) 1行目:
1行目:
[[画像:DenjiroSakurada1.jpg|250px|thumbnail|桜田伝次郎]]
{{ 桜田伝次郎}}
'''さくらだ でんじろう'''、1952年(昭和27年)3月-
==概要==
仕掛人。緊縛師。AV監督。1976年(昭和51年)頃、上京してきた[[玉井敬友]]の舞台を手伝うきっかけで[[長田英吉]]を知り、SMショーの魅力を知る。自ら[[GSG企画]]を立ち上げSMショーを企画。[[玉井敬友]]、[[長田英吉]]らの活動とあわせ、[[SMショーの歴史|1970-80年台のSMショーブーム]]を形成する。[[GSG企画]]の西荻窪アトリエ、六本木の[[SAMM]]、大塚の[[マイウェイ]]、中野の[[中野クィーン]]などでSMショーを開催し、[[ストリップ]]劇場でのSMショーのブームへもつながる。[[GSG企画]]の観客として参加していた後の[[明智伝鬼]]は、やがて[[GSG企画]]のSMショーを手伝うようになり、ショーの終了後に緊縛のイベントを定期開催。1985年(昭和60年)に[[桜田伝次郎]]はいったんSMショーから引退するが、[[明智伝鬼]]はその後のSMショー開催を引き継ぎ、独自の世界を構築していく。[[明智伝鬼]]の「伝」は[[桜田伝次郎]]から、「鬼」は[[GSG企画]]の役者をしており、後のAV監督である[[鬼沢修二]]から由来して命名されている。1985年(昭和60年)以降はAV監督として活動するが、2009年(平成21年)に再びSMショーの舞台に復帰。[[シアターPOO]]を中心に多くのイベントを開催。
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Denjiro_Sakurada Denjiro Sakurada]、[[明石雷蔵]]
==略歴==
1976年(昭和51年)、それまで大阪で活動していた[[玉井敬友]]が上京して劇団「[[シアタースキャンダル]]」を設立。六本木の[[シアタースキャンダル]]のアトリエでの公演のスタッフとして[[桜田伝次郎]]が呼ばれる<ref group="注">[[玉井敬友]]、[[桜田伝次郎]]共に、どういった経緯で[[桜田伝次郎]]が参加したのかについては記憶がない。</ref><ref name="shishin2014_04">[[桜田伝次郎]], 私信 to U, 2014.4.9</ref>。
1976年(昭和51年)、[[玉井敬友]]は[[シアタースキャンダル]]の責め師の役として[[長田英吉]]に出演依頼。これがきっかけで[[桜田伝次郎]]は[[長田英吉]]を知る<ref name="shishin2014_04"></ref><ref name="SMmania">[[桜田伝次郎]]『ライブショーのM女たち』[[SMマニア]]1996年(平成8年)2月号〜7月号。</ref>。
1976年(昭和51年)ー1980年(昭和55年)<ref group="注">[[GSG企画]]の正確な発足時期は調査中。[[玉井敬友]]が上京した1976年(昭和51年)以降で、[[GSG企画]]が[[劇画ブッチャー]]に紹介される1980年(昭和55年)の間であることは間違いない。 [[北原童夢]]『[[明智伝鬼]]と戦後日本のSM史』in 『変態さんがいく』(別冊宝島編集部, 2000)では「1977年(昭和52年)」設立となっている。</ref>、[[桜田伝次郎]]は独自にSMショーを企画する[[GSG企画]]を設立。アトリエを荻窪駅の近く<ref group="注">杉並区西荻南2-19-10</ref>とし、ここで[[GSG企画]]の最初のSMショーを開催。
1976年(昭和51年)ー1985年(昭和60年)、[[GSG企画]]が企画するSMショーが、[[GSG企画]]の西荻窪アトリエ、六本木の[[SAMM]]([[賀山茂]]の店)、大塚の[[マイウェイ]]([[本田富朗]]の店)、中野の[[中野クィーン]]([[本田富朗]]の店)で開催される。[[桜田信]]、[[村井弦]]が責め師として出演し、女優は[[黒川真由美]]など。後のAV監督[[鬼沢修二]]は[[爆弾五郎]]という役名で[[マイウェイ]]でのイベント「[[SMボンバー]]」に出演。<ref name="shishin2014_04"></ref>。
1978年(昭和53年)頃?、[[GSG企画]]のSMイベントは会員制をとっており、この会員として後の[[明智伝鬼]]が応募してくる<ref group="注">「ムーンフォトクラブ」という会員制の会員になったことがきっかけで、やがてSM撮影の会の緊縛を担当するようになる。</ref><ref name="SMmania"></ref><ref name="shishin2014_04"></ref>。
1980頃(昭和55年)?、当初[[桜田伝次郎]]は企画のみに専念しており、舞台には出演していない。[[GSG企画]]の西荻窪アトリエに出演していた[[桜田信]]が急病のため、代理として舞台に上がったのが最初のSMショーの出演。この時、[[桜田信]]をもじって[[桜田伝次郎]]という名前が誕生した<ref name="shishin2014_04"></ref>。
1980頃(昭和55年)7月、[[S&Mスナイパー]]7月号に「SM・飼育教室潜入ルポ」の記事。「GSGという集団が[[長田英吉]]の協力でショー」と。
1981年(昭和56年),[[セルフ出版]]の[[劇画ブッチャー]]12月号増刊『風俗最前線1981』([[末井昭]]編集)に[[GSG企画]]の『SM飼育室』の様子が3ページ紹介。西荻窪で開かれているSM撮影会と紹介。
観客であった[[明智伝鬼]]は、次第にショーを手伝うようになり、やがてショーが終わってから、会員の前でモデルを緊縛し、それを後の[[鬼沢修二]]が撮影するといった形が定借してくる<ref group="注">[[桜田伝次郎]]の私信では、最初はあまり緊縛にこだわりのなかった[[明智伝鬼]]だが、このショーの終了後の緊縛イベントが始まり、めきめきと緊縛の腕を上げていったようだとのこと。</ref>。
1982年(昭和57年)2月16日、[[マイウェイ]]にて[[GSG企画]]による『'''SM飼育教室 特別講演 SM・淫獣たちの宴'''』出演:[[黒川真由美]]、[[沢のぞみ]]。
1982年(昭和57年)2月26日、[[スナイパー1]]にて[[東京SM企画]]による『'''SM縄獣館秘話'''』出演:[[中野裕子]]、[[朝野かほり]]<ref name="shishin2019">[[桜田伝次郎]], 私信 to U, 2019</ref>。
1982年(昭和57年)3月13日、[[スナイパー1]]にて[[東京SM企画]]による『'''初縄・雛奴隷'''』出演:[[朝野かほり]]、[[小林あけみ]]<ref name="shishin2019"></ref>。
1982年(昭和57年)3月13日、[[スナイパー1]]にて[[東京SM企画]]による最終企画『'''変態SM地獄IV〜羞恥責め・やわはだなぶり'''』演出:[[村井次郎]]<ref name="shishin2019"></ref>。
1982年(昭和57年)6月12日、[[アルス・ノーヴァ]]にて[[SM水族館]]による『'''SMスワッピングー調教交換IIIー'''』出演:[[黒川真由美]]。劇終了後に撮影会「'''繩縛少女〜猿轡篇〜'''」出演:[[石川秋子]]、繩縛師:[[明智伝鬼]]。
1983年(昭和58年)3月、新宿南口に[[シアターPOO]]を開く。
1985年(昭和60年)、SMショーから引退。この時、それまでの[[GSG企画]]のSMイベント会員を[[明智伝鬼]]に譲り、[[明智伝鬼]]は引き続き独自にSMショーを続けることとなる<ref name="shishin2014_04"></ref>。
1985年(昭和60年)〜2009年(平成21年)まではSMショーはおこなっていない。AV監督やモデルオフィス活動。
2005年(平成17年)9月6日、東京厚生年金会館にて『'''[[明智伝鬼追悼式]]'''』(発起人:[[団鬼六]]、[[高須基仁]]、[[桜田伝次郎]]、[[早川佳克]])
2009年(平成21年)12月6日、[[シアターPOO]]にて25年ぶりにSMショー<ref group="注">「女王様の毒艶会」の特別出演として。</ref>。
2010年(平成22年)、「昭和SMの復活」をスローガンに、[[シアターPOO]]、[[DX歌舞伎町SM大会]]などで精力的にショーをおこなう。[[志摩紫光]]、[[一鬼のこ]]などとの二人会。
2011年(平成23年)、[[シアターPOO]]、[[DX歌舞伎町SM大会]]などを中心に活動。[[風見蘭喜]]、[[神凪]]などとの二人会。
2012年(平成24年)12月24日、[[シアターPOO]]での『'''SMファン感謝祭・第二幕'''』【出演】[[栗鳥巣]]&[[内山沙千佳]]、[[SHIMA Malphas|SHIMA Malphas]] &ルーシー、[[夜羽エマ]]、[[荊子]]、[[桜田伝次郎]]、[[松本格子戸]]
2013年(平成25年)7月15日、[[シアターPOO]]開場30周年記念特別企画特別企画『'''SMファン感謝祭'''』【第1部出演】[[京はるな]]、[[SHIMA Malphas]]&[[ルーシー]]、[[蓬莱かすみ]]&倖田李梨、[[シーナ]]、[[荊子]]、[[蕾火]]&ゆき、【第2部出演】[[若林美保]]、[[内山沙千佳]]、[[朱魅]]([[卯月朱美]])、[[夜羽エマ]]&ice、[[一鬼のこ]]&七(十三花)、[[桜田伝次郎]]
2013年(平成25年)12月23日、[[シアターPOO]]にて『'''SMファン感謝祭!'''』【出演】[[若林美保]]、[[鳳麗]]、[[鵺神蓮]]、[[蓬莱かすみ]]&倖田李梨、[[SHIMA Malphas]]&[[ルーシー]]、[[徳井唯]]&[[三代目葵マリー]]&大貫希、[[栗鳥巣]]、[[夜羽エマ]]&ice、[[結月里奈]]&杏野ヒナナ、[[荊子]]、[[上条早樹]]&愛子、[[桜田伝次郎]]&あおい、[[松本格子戸]]
2015年(平成27年)、[[シアターPOO]]にて『'''[[桜田伝次郎]]・縄縛サロン'''』第1回開催。
2015年(平成27年)9月27日、[http://www.menscyzo.com/2015/09/post_10571.html メンズサイゾーインタビュー]。
2018年(平成30年)9月15日、[[シアターPOO]]にて『'''ファイナル[[桜田伝次郎]]・悦虐飼育残酷浣腸排泄劇'''』で108回目のソロライブを終演。
2018年(平成30年)9月25日、[[DX歌舞伎町SM大会]]に出演。
2019年(令和元年)7月8日、『'''[[古式縄塾]]'''』を開始。
2019年(令和元年)10月29日、[[シアターPOO]]にて、[[桜田伝次郎]]&[[黒岩安紀子]] presents 『'''[[団鬼六]]師を偲ぶ夕べ'''』。出演:[[桜田伝次郎]]、[[黒岩安紀子]]、[[里見瑤子]]、[[若林美保]]。
==エピソード==
*[[桜田伝次郎]]は1976年(昭和51年)に[[長田英吉]]と出会うまではSMには興味がなかった。
*緊縛の技法は[[長田英吉]]から学んでいる。
*[[GSG企画]]の女優としては、[[黒川真由美]]、沢マミ、鈴木美代子、水沼、小泉、かすみ、あい、菊池など。また、責め師として[[桜田信]]、[[村井弦]]、[[鬼沢修二]]。
*[[GSG企画]]のSMショーは、西荻窪の[[GSG企画]]アトリエ、大塚の[[マイウエイ]]、[[中野クィーン]]、[[SAMM]]などで開催<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*大塚の[[マイウエイ]]でおこなっていたイベントの名称が『'''[[SMボンバー]]'''』。[[GSG企画]]の女優である菊池が人気。[[マイウェイ]]女店主のジーナ女王様とのレズショーも人気<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*[[中野クィーン]]でおこなっていたイベントの名称が『'''[[東京SM倶楽部]]'''』。[[村井弦]]が出演していた<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*[[アルス・ノーヴァ]]での[[オサダ・ゼミナール]]の企画をしたことはあるが、[[GSG企画]]のメンバーは出演していない<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*[[熱海旅館]]は[[GSG企画]]のSMショーでは使っていないが、AVの撮影で使ったことがある。SMショーを1985年以降引きついた[[明智伝鬼]]は使っていた<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*[[川上譲治]]に誘われて[[ストリップ]]劇場でのSMショーを開始。ただし[[川上譲治]]のコース切りにはのっておらず、[[道頓堀劇場]]の[[志賀直樹]]のコース切り<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*[[ストリップ]]劇場でのSMショーは[[黒川真由美]]との浣腸ショー。人気を集め相当のギャラがついた<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*ストリップの舞台は[[道頓堀劇場]]、[[九条OS劇場]]、[[鶴見新世界劇場]]、[[名古屋銀映]]など<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*[[シアターPOO]]は1983年(昭和58年)にオープンするが、1985年(昭和60年)に一時SMショーから引退するまで[[シアターPOO]]では[[GSG企画]]のSMショーはおこなっていない。AVの撮影には利用した。[[シアターPOO]]での最初のSMショーは2009年(平成21年)12月6日<ref name="shishin2014_04"></ref>。
*[[明智伝鬼]]の「伝」は[[桜田伝次郎]]から、「鬼」は[[GSG企画]]の役者をしており、後のAV監督である[[鬼沢修二]]から由来。
==代表作==
===AV===
''(整理中)''
*『'''[[くいこみ地獄(]]上)'''』([[ビデオハウス]], 198?)(企画:[[GSG]]、制作:[[Vox]]、販売:[[きたん社]], No. 5)(出演:[[桜田伝次郎]]、[[黒川真由美]])
*『'''[[くいこみ地獄]](下)'''』([[ビデオハウス]], 198?)(企画:[[GSG]]、制作:[[Vox]]、販売:[[きたん社]], No. 6)(出演:[[桜田伝次郎]]、[[黒川真由美]])
*『'''美少女みだら責め'''』([[2チャンネル]], 1983)(監督:[[明石雷蔵]]) <ref group="注">[[桜田伝次郎]]の記憶では恐らく大塚[[マイウェイ]]での撮影。</ref>
*『桜田伝次郎SMロマン2 新妻を犯す』([[2チャンネル]], 1983)(出演:島田千恵)
*『SM本番解禁・桜田伝次郎外伝/悦逆のカーニバル』([[ビップ]], 1986) (出演:西麻美)
*『魔縄伝([[明智伝鬼]]/[[桜田伝次郎]])』([[ビースバルプロモーション]]、1994)
*『人間螢』([[ステラ]], 1994) (出演:荒井美穂)
*『SMハードロマン in [[桜田伝次郎]]/超真性M対決』([[ネクストイレブン]], 1997)
*『SMハードロマン in [[桜田伝次郎]]/刺青M女大絶叫』([[ネクストイレブン]], 1997) (出演:だりあ)
*『'''悦縛看護婦'''』([[麒麟堂]], 戯縛ハード, 19xx) (監督:[[桜田伝次郎]]、緊縛:[[明智伝鬼]]) (出演:桜田佳子)
*『'''愛奴秘書'''』([[麒麟堂]], 戯縛ハード, 19xx) (監督:[[桜田伝次郎]]、緊縛:[[明智伝鬼]]) (出演:梶原まゆ)
*『'''麗奴秘書'''』([[麒麟堂]], 戯縛ハード, 19xx) (監督:[[桜田伝次郎]]、緊縛:[[明智伝鬼]]) (出演:桜たまき)
*『'''愛奴人妻'''』([[麒麟堂]], 戯縛ハード, GBH-06, 19xx) (監督:[[桜田伝次郎]]、緊縛:[[明智伝鬼]]) (出演:西澤麻里)
*『'''女教師淫らな下唇'''』([[麒麟堂]], 戯縛, GBH-01, 19xx) (監督:[[桜田伝次郎]]、緊縛:[[明智伝鬼]]) (出演:相川みほ、[[チョコボール向井]])
*『'''バニーガール淫らな蜜液'''』([[麒麟堂]], 戯縛, GB-06, 19xx) (監督:[[桜田伝次郎]]、緊縛:[[明智伝鬼]]) (出演:本山由紀乃)
*『緊縛女教師・あやしい放課後』(ネクストイレブン, 1999) (監督:桜田伝次郎、緊縛:[[明智伝鬼]])
*『実録縄師伝説/[[桜田伝次郎]]と[[明智伝鬼]]』(ネクストイレブン, 2000)
*『マゾに目覚める瞬間』(ネクストイレブン, 2000) (監督:[[桜田伝次郎]]、出演:卯月彩 奥菜めぐ)
*『'''セーラー性奴'''』([[桃太郎映像出版]], 2002) (監督:[[桜田伝次郎]]、出演:水原たま)
*『'''邪縛'''』([[アタッカーズ]], 2011)(監督:[[桜田伝次郎]]、緊縛:[[神凪]]、出演:星崎アンリ)
===雑誌===
*[[桜田伝次郎]]『ライブショーのM女たち』[[SMマニア]]1996年(平成8年)2月号〜7月号。
==参考資料==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
==お役たちweb==
*[http://www.poo.co.jp/gsg.html 劇団世界劇場]
{{DEFAULTSORT:さくらだでんじろう}}
{{DEFAULTSORT:さくらだでんじろう}}
桜田伝次郎
さくらだ でんじろう 、1952年(昭和27年)3月-
概要
仕掛人。緊縛師。AV監督。1976年(昭和51年)頃、上京してきた玉井敬友 の舞台を手伝うきっかけで長田英吉 を知り、SMショーの魅力を知る。自らGSG企画 を立ち上げSMショーを企画。玉井敬友 、長田英吉 らの活動とあわせ、1970-80年台のSMショーブーム を形成する。GSG企画 の西荻窪アトリエ、六本木のSAMM 、大塚のマイウェイ 、中野の中野クィーン などでSMショーを開催し、ストリップ 劇場でのSMショーのブームへもつながる。GSG企画 の観客として参加していた後の明智伝鬼 は、やがてGSG企画 のSMショーを手伝うようになり、ショーの終了後に緊縛のイベントを定期開催。1985年(昭和60年)に桜田伝次郎 はいったんSMショーから引退するが、明智伝鬼 はその後のSMショー開催を引き継ぎ、独自の世界を構築していく。明智伝鬼 の「伝」は桜田伝次郎 から、「鬼」はGSG企画 の役者をしており、後のAV監督である鬼沢修二 から由来して命名されている。1985年(昭和60年)以降はAV監督として活動するが、2009年(平成21年)に再びSMショーの舞台に復帰。シアターPOO を中心に多くのイベントを開催。
別名
Denjiro Sakurada 、明石雷蔵
略歴
1976年(昭和51年)、それまで大阪で活動していた玉井敬友 が上京して劇団「シアタースキャンダル 」を設立。六本木のシアタースキャンダル のアトリエでの公演のスタッフとして桜田伝次郎 が呼ばれる[注 1] [1] 。
1976年(昭和51年)、玉井敬友 はシアタースキャンダル の責め師の役として長田英吉 に出演依頼。これがきっかけで桜田伝次郎 は長田英吉 を知る[1] [2] 。
1976年(昭和51年)ー1980年(昭和55年)[注 2] 、桜田伝次郎 は独自にSMショーを企画するGSG企画 を設立。アトリエを荻窪駅の近く[注 3] とし、ここでGSG企画 の最初のSMショーを開催。
1976年(昭和51年)ー1985年(昭和60年)、GSG企画 が企画するSMショーが、GSG企画 の西荻窪アトリエ、六本木のSAMM (賀山茂 の店)、大塚のマイウェイ (本田富朗 の店)、中野の中野クィーン (本田富朗 の店)で開催される。桜田信 、村井弦 が責め師として出演し、女優は黒川真由美 など。後のAV監督鬼沢修二 は爆弾五郎 という役名でマイウェイ でのイベント「SMボンバー 」に出演。[1] 。
1978年(昭和53年)頃?、GSG企画 のSMイベントは会員制をとっており、この会員として後の明智伝鬼 が応募してくる[注 4] [2] [1] 。
1979年(昭和54年)頃?、『SM飼育教室 』シリーズが開始。
1980頃(昭和55年)?、当初桜田伝次郎 は企画のみに専念しており、舞台には出演していない。GSG企画 の西荻窪アトリエに出演していた桜田信 が急病のため、代理として舞台に上がったのが最初のSMショーの出演。この時、桜田信 をもじって桜田伝次郎 という名前が誕生した[1] 。
1980頃(昭和55年)7月、S&Mスナイパー 7月号に「SM・飼育教室潜入ルポ」の記事。「GSGという集団が長田英吉 の協力でショー」と。
1981年(昭和56年),セルフ出版 の劇画ブッチャー 12月号増刊『風俗最前線1981』(末井昭 編集)にGSG企画 の『SM飼育室』の様子が3ページ紹介。西荻窪で開かれているSM撮影会と紹介。
観客であった明智伝鬼 は、次第にショーを手伝うようになり、やがてショーが終わってから、会員の前でモデルを緊縛し、それを後の鬼沢修二 が撮影するといった形が定借してくる[注 5] 。
1982年(昭和57年)1月29日、スナイパー1 にて東京SM企画 による『悦虐の繩人形 』出演:野原いずみ 、水野純子 [3] 。
1982年(昭和57年)2月5日、6日、スナイパー1 にて東京SM企画 による『情炎・人妻調教日記 』出演:小杉夕子 、倉田恭子 [3] 。
1982年(昭和57年)2月16日、マイウェイ にてGSG企画 による『SM飼育教室 特別講演 SM・淫獣たちの宴 』出演:黒川真由美 、沢のぞみ [3] 。
1982年(昭和57年)2月21日、マイウェイ にてGSG企画 により、毎週2回の『女体・浣腸独楽責め 』がスタート。出演:桜田伝次郎 、爆弾五郎 。
1982年(昭和57年)2月26日、スナイパー1 にて東京SM企画 による『SM縄獣館秘話 』出演:中野裕子 、朝野かほり [3] 。
1982年(昭和57年)3月13日、スナイパー1 にて東京SM企画 による『初縄・雛奴隷 』出演:朝野かほり 、小林あけみ [3] 。
1982年(昭和57年)3月13日、スナイパー1 にて東京SM企画 による最終企画『変態SM地獄IV〜羞恥責め・やわはだなぶり 』演出:村井次郎 [3] 。
1982年(昭和57年)6月12日、アルス・ノーヴァ にてSM水族館 による『SMスワッピングー調教交換IIIー 』出演:黒川真由美 。劇終了後に撮影会「繩縛少女〜猿轡篇〜 」出演:石川秋子 、繩縛師:明智伝鬼 。
1982年(昭和57年)8月、『SM特別月間 』[注 6] 。PART I(1日-10日):(昼)『白夜 と愛の狩人(ラブハンター) 』(夜)『桜田伝次郎 、とGSG 』、PART II(11日-20日):(昼)『玉井敬友 とシアタースキャンダル +高杉かほり 』(夜)『高橋 &ザ・KAGEKI 』、PART III(21日-31日):(昼)『オサダゼミナール 』(夜)『黒と薔薇 』[4]
1983年(昭和58年)3月、新宿南口にシアターPOO を開く。
1985年(昭和60年)、SMショーから引退。この時、それまでのGSG企画 のSMイベント会員を明智伝鬼 に譲り、明智伝鬼 は引き続き独自にSMショーを続けることとなる[1] 。
1985年(昭和60年)〜2009年(平成21年)まではSMショーはおこなっていない。AV監督やモデルオフィス活動。
2005年(平成17年)9月6日、東京厚生年金会館にて『明智伝鬼追悼式 』(発起人:団鬼六 、高須基仁 、桜田伝次郎 、早川佳克 )
2009年(平成21年)12月6日、シアターPOO にて25年ぶりにSMショー[注 7] 。
2010年(平成22年)、「昭和SMの復活」をスローガンに、シアターPOO 、DX歌舞伎町SM大会 などで精力的にショーをおこなう。志摩紫光 、一鬼のこ などとの二人会。
2011年(平成23年)、シアターPOO 、DX歌舞伎町SM大会 などを中心に活動。風見蘭喜 、神凪 などとの二人会。
2012年(平成24年)12月24日、シアターPOO での『SMファン感謝祭・第二幕 』【出演】栗鳥巣 &内山沙千佳 、SHIMA Malphas &ルーシー、夜羽エマ 、荊子 、桜田伝次郎 、松本格子戸
2013年(平成25年)7月15日、シアターPOO 開場30周年記念特別企画特別企画『SMファン感謝祭 』【第1部出演】京はるな 、SHIMA Malphas &ルーシー 、蓬莱かすみ &倖田李梨、シーナ 、荊子 、蕾火 &ゆき、【第2部出演】若林美保 、内山沙千佳 、朱魅 (卯月朱美 )、夜羽エマ &ice、一鬼のこ &七(十三花)、桜田伝次郎
2013年(平成25年)12月23日、シアターPOO にて『SMファン感謝祭! 』【出演】若林美保 、鳳麗 、鵺神蓮 、蓬莱かすみ &倖田李梨、SHIMA Malphas &ルーシー 、徳井唯 &三代目葵マリー &大貫希、栗鳥巣 、夜羽エマ &ice、結月里奈 &杏野ヒナナ、荊子 、上条早樹 &愛子、桜田伝次郎 &あおい、松本格子戸
2015年(平成27年)、シアターPOO にて『桜田伝次郎 ・縄縛サロン 』第1回開催。
2015年(平成27年)9月27日、メンズサイゾーインタビュー 。
2018年(平成30年)9月15日、シアターPOO にて『ファイナル桜田伝次郎 ・悦虐飼育残酷浣腸排泄劇 』で108回目のソロライブを終演。
2018年(平成30年)9月25日、DX歌舞伎町SM大会 に出演。
2019年(令和元年)7月8日、『古式縄塾 』を開始。
2019年(令和元年)10月29日、シアターPOO にて、桜田伝次郎 &黒岩安紀子 presents 『団鬼六 師を偲ぶ夕べ 』。出演:桜田伝次郎 、黒岩安紀子 、里見瑤子 、若林美保 。
エピソード
代表作
AV
(整理中)
『くいこみ地獄( 上) 』(ビデオハウス , 198?)(企画:GSG 、制作:Vox 、販売:きたん社 , No. 5)(出演:桜田伝次郎 、黒川真由美 )
『くいこみ地獄 (下) 』(ビデオハウス , 198?)(企画:GSG 、制作:Vox 、販売:きたん社 , No. 6)(出演:桜田伝次郎 、黒川真由美 )
『美少女みだら責め 』(2チャンネル , 1983)(監督:明石雷蔵 ) [注 8]
『桜田伝次郎SMロマン2 新妻を犯す』(2チャンネル , 1983)(出演:島田千恵)
『SM本番解禁・桜田伝次郎 外伝 悦虐のカーニバル 』(VIP , 1986))(緊縛:桜田伝次郎 、出演:西麻美 )
『魔縄伝(明智伝鬼 /桜田伝次郎 )』(ビースバルプロモーション 、1994)
『人間螢』(ステラ , 1994) (出演:荒井美穂)
『SMハードロマン in 桜田伝次郎 /超真性M対決』(ネクストイレブン , 1997)
『SMハードロマン in 桜田伝次郎 /刺青M女大絶叫』(ネクストイレブン , 1997) (出演:だりあ)
『悦縛看護婦 』(麒麟堂 , 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎 、緊縛:明智伝鬼 ) (出演:桜田佳子)
『愛奴秘書 』(麒麟堂 , 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎 、緊縛:明智伝鬼 ) (出演:梶原まゆ)
『麗奴秘書 』(麒麟堂 , 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎 、緊縛:明智伝鬼 ) (出演:桜たまき)
『愛奴人妻 』(麒麟堂 , 戯縛ハード, GBH-06, 19xx) (監督:桜田伝次郎 、緊縛:明智伝鬼 ) (出演:西澤麻里)
『女教師淫らな下唇 』(麒麟堂 , 戯縛, GBH-01, 19xx) (監督:桜田伝次郎 、緊縛:明智伝鬼 ) (出演:相川みほ、チョコボール向井 )
『バニーガール淫らな蜜液 』(麒麟堂 , 戯縛, GB-06, 19xx) (監督:桜田伝次郎 、緊縛:明智伝鬼 ) (出演:本山由紀乃)
『緊縛女教師・あやしい放課後』(ネクストイレブン, 1999) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼 )
『実録縄師伝説/桜田伝次郎 と明智伝鬼 』(ネクストイレブン, 2000)
『マゾに目覚める瞬間』(ネクストイレブン, 2000) (監督:桜田伝次郎 、出演:卯月彩 奥菜めぐ)
『セーラー性奴 』(桃太郎映像出版 , 2002) (監督:桜田伝次郎 、出演:水原たま)
『邪縛 』(アタッカーズ , 2011)(監督:桜田伝次郎 、緊縛:神凪 、出演:星崎アンリ)
雑誌
参考資料
注釈
↑ 玉井敬友 、桜田伝次郎 共に、どういった経緯で桜田伝次郎 が参加したのかについては記憶がない。
↑ GSG企画 の正確な発足時期は調査中。玉井敬友 が上京した1976年(昭和51年)以降で、GSG企画 が劇画ブッチャー に紹介される1980年(昭和55年)の間であることは間違いない。 北原童夢 『明智伝鬼 と戦後日本のSM史』in 『変態さんがいく』(別冊宝島編集部, 2000)では「1977年(昭和52年)」設立となっている。
↑ 杉並区西荻南2-19-10
↑ 「ムーンフォトクラブ」という会員制の会員になったことがきっかけで、やがてSM撮影の会の緊縛を担当するようになる。
↑ 桜田伝次郎 の私信では、最初はあまり緊縛にこだわりのなかった明智伝鬼 だが、このショーの終了後の緊縛イベントが始まり、めきめきと緊縛の腕を上げていったようだとのこと。
↑ 川上譲治 が公然わいせつ罪で逮捕されているので、実際に興行がおこなわれたかどうかは不明
↑ 「女王様の毒艶会」の特別出演として。
↑ 桜田伝次郎 の記憶では恐らく大塚マイウェイ での撮影。
お役たちweb