「めす猫の宿」の版間の差分
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1965年(昭和40年)12月20日、千葉船橋にあった[[ストリップ]]劇場「[[大宝]]」で「ピンク映画女優」の[[ピンク実演]]。重光秀子、[[林美樹]]、糸井香子らによる「'''[[めす猫の宿]]'''」<ref>[[貴重な情報発信サイト|STRIP MEMORIAL]]</ref><ref group="注">この[[ピンク実演]]に関しては、1966年(昭和41年)、[[奇譚クラブ]]4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196604/01/020.html p23]の岩木一夫『「[[青木順子]]ショーについて」呼び掛け』の記事の中で、1965年(昭和40年)の暮れに船橋の[[大宝]]劇場でエロプロダクションによる『'''[[めす猫の宿]]'''』を見たが、サディスティックな場面がありなかなかよかったと書いている。</ref>。 | |||
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*安田組の安田朝信が「東亜シネマ」を設立。国際劇場、[[常磐座]] | *安田組の安田朝信が「東亜シネマ」を設立。国際劇場、[[常磐座]]、新宿松竹劇場、[[大劇]]あたりでピンク女優劇団を出そうとしている。[[春川ますみ]]のマネージャーの子母沢、東京芸術プロの山田、[[戸塚純]]らが<ref name="sunday"></ref>(原文が意味不明)。 | ||
*「きょねんの十月、浜松のストリップ劇場で、別に劇団の名前もつけずに、小人のマーチャンを座長にビックスターが集まって「'''[[めす猫の宿]]'''」([[戸塚純]]作・演出)を公演したところ大ヒット。その評判をきいてあちこの興行主から口がかかって大阪、姫路、神戸、平塚んど九都市で巡演、いずれもヒットを放った。そこで本格的な劇団にしようと劇団『'''[[赤と黒]]'''』と名前をつけ、晴れの東京進出となった」<ref>『[[成人映画]]』No. 8(1966)</ref>。 | |||
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概要
金馬車ミュージックの代表であった中村守恵が戸塚純の提案に賛同し実現した最も初期のピンク実演。全四景からなり、初演は1965年(昭和40年)10月に浜松の金馬車ミュージックで発表され大成功。出演は大都プロの女優を中心とした麻木正美、綾川しのぶ、奈加公子、紫理子、丘百合子、志村曜子の6人。その成功を受け、戸塚純と松野京一が中村守恵の後援を得て『日本セントラル・プロ』を設立。千葉船橋の「大宝」[1]、東洋ショウ劇場、和歌山の中の島劇場[2]などで公演。
別名
主な出来事
1965年(昭和40年)10月1日−10日、浜松のストリップ劇場「金馬車ミュージック」で戸塚純作演出の「めす猫の宿」全四景を上演。出演は麻木正美、綾川しのぶ、奈加公子、紫理子、丘百合子、志村曜子[1]。
1965年(昭和40年)11月1日−10日、平塚劇場にて日本セントラル・プロ(戸塚純、松野京一)による「めす猫の宿」。出演はA班の麻木正美、綾川しのぶ、奈加公子、紫理子、丘百合子、志村曜子とB班の重光秀子、林美樹、糸井香子、亜利絢子、西岡圭子、緋色凉子[2]。
1965年(昭和40年)12月20日、千葉船橋にあったストリップ劇場「大宝」で「ピンク映画女優」のピンク実演。重光秀子、林美樹、糸井香子らによる「めす猫の宿」[3][注 1]。
エピソード
- 安田組の安田朝信が「東亜シネマ」を設立。国際劇場、常磐座、新宿松竹劇場、大劇あたりでピンク女優劇団を出そうとしている。春川ますみのマネージャーの子母沢、東京芸術プロの山田、戸塚純らが[1](原文が意味不明)。
- 「きょねんの十月、浜松のストリップ劇場で、別に劇団の名前もつけずに、小人のマーチャンを座長にビックスターが集まって「めす猫の宿」(戸塚純作・演出)を公演したところ大ヒット。その評判をきいてあちこの興行主から口がかかって大阪、姫路、神戸、平塚んど九都市で巡演、いずれもヒットを放った。そこで本格的な劇団にしようと劇団『赤と黒』と名前をつけ、晴れの東京進出となった」[4]。
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『私たちも”春川ますみ”になりたい!』週刊漫画サンデー 1965年(昭和40年)11月3日号, p50-53.
- ↑ 2.0 2.1 cobanobuのブログ「ピンク女優の実演ブーム」
- ↑ STRIP MEMORIAL
- ↑ 『成人映画』No. 8(1966)