「1965年版「花と蛇」」の版間の差分

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映倫番号:14003。
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==エピソード==
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*[[山邊信雄]]氏へのインタビュー<ref name="yamabe"> by U (2010.5.2)</ref>では監督が[[小林悟]]で、助監督が[[若松孝二]]であったと記憶しているとの情報が得られており、チラシなどの一般情報と異なっている。
*[[山邊信雄]]氏へのインタビュー<ref name="yamabe"> by U (2010.5.2)</ref>では監督が[[小林悟]]で、助監督が[[若松孝二]]であったと記憶しているとの情報が得られており、チラシなどの一般情報と異なっている。同時期に[[若松孝二]]が[[熱海城]]で『'''冒涜の罠'''』を撮影しており<ref>[[成人映画]]1965年(昭和40年)7月創刊号。</ref>、何らかの関係があったのかもしれない。ちなみに[[山邊信雄]]氏へのインタビュー<ref name="yamabe"></ref>によると、[[熱海城]]の支配人は[[山邊信雄]]の父親の知人であった。
*[[山邊信雄]]氏へのインタビュー<ref name="yamabe"></ref>では、主演女優がタカオユリという名前だったのではないかといった発言をしている。(追記、mixiのみか鈴情報で、[http://www.jmdb.ne.jp/person/p0912090.htm 高尾ユリ]という女優が1965年頃に活動。)
*[[山邊信雄]]氏へのインタビュー<ref name="yamabe"></ref>では、主演女優がタカオユリという名前だったのではないかといった発言をしている。(追記、mixiのみか鈴情報で、[http://www.jmdb.ne.jp/person/p0912090.htm 高尾ユリ]という女優が1965年頃に活動。)
*[[山邊信雄]]氏へのインタビュー<ref name="yamabe"></ref>では、撮影は、当時宿泊施設を兼ねていた「[[熱海城]]」でおこなわれたとあり、チラシの協力=[[熱海城]]と一致する。
*[[山邊信雄]]氏へのインタビュー<ref name="yamabe"></ref>では、撮影は、当時宿泊施設を兼ねていた「[[熱海城]]」でおこなわれたとあり、チラシの協力=[[熱海城]]と一致する。
==1965年版「花と蛇」に関する[[奇譚クラブ]]の記事==
==1965年版「花と蛇」に関する[[奇譚クラブ]]の記事==
*[[奇譚クラブ]]1965年(昭和40年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196508/175.html p178]『[[鬼六談議]] 映画「[[花と蛇]]」』で撮影秘話。
*[[奇譚クラブ]]1965年(昭和40年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196508/175.html p178]『[[鬼六談議]] 映画「[[花と蛇]]」』で撮影秘話。

2015年10月10日 (土) 16:44時点における版

ヤマベプロ1965年製作『花と蛇』。成人映画1965年10月号より

山邊信雄が「花と蛇」を原作に団鬼六の脚本で作製した1965年のピンク映画。スタッフの情報に混乱があるが、山邊信雄の記憶では監督が小林悟、助監督が若松孝二たこ八郎も出演している。

概要

1974年から始まるにっかつでの『花と蛇』『団鬼六』ブームが目立つために見落とされがちだが、『花と蛇』の最初の映画化は山邊信雄団鬼六が1965年に作製した、ピンク映画である1965年版「花と蛇」である。企画は東京企画の設立者三田浩の夫人である三島佳子が担当し、たこ八郎山本昌平火鳥こずえ麻木正美なども出演しており、熱海城でロケがおこなわれた。山邊信雄団鬼六コンビは、1960年代にヤマベプロから『花と蛇』を原作と謳う『奇譚クラブ 花と蛇より 骨まで縛れ』『縄と乳房』『鞭と肌』『続・花と蛇 赤い拷問』『花と蛇より 肉の飼育』も作製している。

スタッフ・出演者[1]

製作:山辺信雄
制作:ヤマベプロダクション
配給:東京企画
企画:三島佳子
脚本:団鬼六
監督:岸信太郎
撮影:杉田安久利
照明:東京映画照明
音楽:西山登
録音:星野敏昭
助監督:安藤利男
制作主任:矢島進
録音所:目黒スタジオ
協力:熱海城
川田健二:伊豆田弘
遠山静子:紫千鶴[注 1]
遠山隆義:須永康夫
桂子:火鳥こずえ
町子:麻木正美
木村:山本昌平
高岡:太古八郎
鬼村:水原瞭
菊江:森まさみ
京子:立花みゆき
村瀬:近藤敏夫
旅館女中:美川和子
ホテル女中:葵加代子
ホテル女中A:二路あをい
大谷:近藤光政
映倫番号:14003。

エピソード

  • 山邊信雄氏へのインタビュー[2]では監督が小林悟で、助監督が若松孝二であったと記憶しているとの情報が得られており、チラシなどの一般情報と異なっている。同時期に若松孝二熱海城で『冒涜の罠』を撮影しており[3]、何らかの関係があったのかもしれない。ちなみに山邊信雄氏へのインタビュー[2]によると、熱海城の支配人は山邊信雄の父親の知人であった。
  • 山邊信雄氏へのインタビュー[2]では、主演女優がタカオユリという名前だったのではないかといった発言をしている。(追記、mixiのみか鈴情報で、高尾ユリという女優が1965年頃に活動。)
  • 山邊信雄氏へのインタビュー[2]では、撮影は、当時宿泊施設を兼ねていた「熱海城」でおこなわれたとあり、チラシの協力=熱海城と一致する。

1965年版「花と蛇」に関する奇譚クラブの記事

引用文献

  1. 現存するチラシの情報をベースとしている。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 by U (2010.5.2)
  3. 成人映画1965年(昭和40年)7月創刊号。

注釈

  1. 日本女優辞典では、紫千鶴は1932年(昭和7年)6月25日生まれ、マキノ映画などに出演後、1956年(昭和31年)に「紫千代」に改名、1959年(昭和34年)頃には映画界から姿を消したとされている。奇譚クラブには何回か、「花と蛇」の主演女優として紫千鶴の名前が出てくる。

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つながり

若松孝二と「花と蛇」