緊美研
概要
別名
歴史
1976年(昭和51年)11月14日、星野小麿が1主催する写真撮影会『KPC』の分科会の1つとして緊縛写真撮影会『解語の花』がスタート。ここに濡木痴夢男が講師として招かれ、その後、1979年(昭和54年)の第20回目まで、4年間に亘り続く[1][注 1]。
1980年(昭和55年)頃、『解語の花』の会員であった枷井克哉、須賀忠、不二秋夫が濡木痴夢男と仕事を共にする豊幹一郎ユニットが「ゆたか編集室」という名義で雑誌の仕事を請け負い出す。これが緊美研の母体となる[2][注 2]。
1984年(昭和59年)12月29日、不二企画のビデオ第1作が熱海旅館で撮影。後に『雨合羽と長靴』として緊美研ビデオ第1号としてリストされる[3]。岩手在住のゴムマニア、福来氏が製作。撮影は不二秋夫[1]。
1985年(昭和60年)10月27日、不二秋夫が中心となり『杉下なおみの会』第1回会合を開く。
1985年(昭和60年)12月1日、熱海旅館にて第2回会合。モデルは杉下なおみと藤森奈美江。
1986年(昭和61年)2月2日、熱海旅館にて第3回会合。『緊縛美研究会』と名称を変更。モデル:村井アキ。
1986年(昭和61年)4月6日、熱海旅館にて第4回会合。モデルは神谷琴絵。
1986年(昭和61年)5月4日、第5回会合。
1986年(昭和61年)5月14日、第6回会合。
1986年(昭和61年)6月8日、第7回会合。
1986年(昭和61年)7月6日、第8回会合。
1986年(昭和61年)8月3日、第9回会合。
1986年(昭和61年)9月14日、第10回会合。
1987年頃、第18回会合が五日市市の石舟閣で開催。春原悠理がモデルとして初参加[4]。
1989年(平成元年)2月4日[4]、秋田昌美が『切腹』の取材で濡木痴夢男と初めて会い意気投合。[注 3][5]。
1989年(平成元年)3月5日、第38回会合。六本木の白い家。モデルは南章子。
1989年(平成元年)春、春原悠理が切腹にフーカスした不二企画のレーベル『ライトブレーン』をスタート[5][4]。
1989年(平成元年)4月23日、『ライトブレーン』レーベルの第1作である『女腹切り・散華』の撮影。
1989年(平成元年)4月28日、不二企画の新宿事務所がオープン。
1989年(平成元年)春、新宿の不二企画の事務所で定期的に『濡木流・縄道場』を開催開始[注 4][6]。
1989年(平成元年)6月1日、緊美研通信を創刊。第39回会合
1998年(平成10年)頃、不二企画のHPがスタート。
1995年(平成7年)2月日、第108回例会。モデル:近江亜紀(病み上がり)
1995年(平成7年)5月7日、第111回例会。日本家屋。モデル:山口香子、川西小雪(初)。
1995年(平成7年)6月日、第112回例会。モデル:井上広子(初)、[山口香子]]、川西小雪(Sシリーズの撮影)。
1995年(平成7年)7月2日、第113回例会。新宿。モデル:井上広子(セーラー服。19歳)、[山口香子]]、夏木真鈴(初。ラビアピアス)。
1995年(平成7年)8月6日、第114回例会。モデル:佐竹万里(ニャン2倶楽部Z編集部。ピアス)、安田夏美
1995年(平成7年)9月3日、第115回例会。抜弁天スタジオ。モデル:近江亜紀、夏木真鈴、西宮英子。夏木真鈴と刺青の完成した奈加あきらのツーショット。秋田昌美が久々に参加。TOHJIRO参加。例会の後に近江亜紀のSシリーズの撮影。磔にされた近江亜紀を褌姿の奈加あきらが鞭打つ。
1995年(平成7年)12月、緊美研通信16号に「ライトブレーンビデオは、第11作目の『黒衣の聖女③残酷な愛撫』をもって完結』『Sシリーズ、Pシリーズ、あるいはOシリーズのほうに、積極的に組み込んでいく」とある。
1997年(平成9年)、第134回の様子がパラノイヤ8月号に紹介。モデル:
1999年(平成11年)8月1日、第155回例会。モデル:水城紫乃。
1999年(平成11年)9月5日、第156回例会。観音スタジオにて。モデル:早乙女宏美、神田つばき、水城紫乃、西尾ゆきほ。
1999年(平成11年)、緊美研通信23号が最後?157回(10月3日)
1999年(平成11年)7月、ぬれきしんぶんが創刊され、その中で緊美研の話題がしばしば出てくる。2000年(平成12年)まで続く。
1999年(平成11年)11月7日、第158回例会。モルフェス江古田スタジオにて。モデル:高田美幸。カメラ・板橋光昭。
1999年(平成11年)12月5日、第159回例会。抜弁天地下スタジオにて。
2000年(平成12年)1月9日、第160回例会。抜弁天地下スタジオにて。モデル:加藤雅子、小室芹奈、水城紫乃、西尾ゆきほ。
2000年(平成12年)2月6日、第161回開催。この後しばらく開催されない[6]。
2002年(平成14年)、(有)不二企画が設立される。
2005年(平成17年)、不二秋夫が外れる。緊美研の代表も春原悠理に。
2009年(平成21年)、濡木痴夢男を中心に5月に163回、7月に164回、9月に165回例会が開催された。
2010年(平成22年)11月6日、緊美研会員が集う『緊美研別会・緊縛を語る会』が開催。
緊美研のビデオ作品
初期のモノクロコピージャケット・紙ケース仕様のVHS版は、「Kシリーズ(記録のK)」「Sシリーズ(SpecialのS)」「Oシリーズ(OnlyのO)[注 5]」シリーズとして発表されている。
Aシリーズ
Bシリーズ
20まで作られたか?
- 『B-05 乳虐の世界5』(不二企画, 1984?)(出演:佐藤まゆみ 近江亜紀 佐伯リカ 野口優子)
Cシリーズ
緊美研ビデオCシリーズにまとめてある。
Kシリーズ
- 『K-1 (後ろ手縛り、』(不二企画, 1989?)(出演:)
Nシリーズ
濡木痴夢男緊縛教材にまとめてある。1998年(平成10年)にNシリーズが発売開始され、1999年(平成11年)か2000年(平成12年)まで10作品(ゼロを含めると11作品)発売された。おそらく、過去の緊美研での撮影を編集したものと思われる。
Oシリーズ
140を超える作品が作られている緊美研ビデオOシリーズにまとめてある。
Pシリーズ
30近く?
Qシリーズ
Rシリーズ
Kシリーズのテープを基に「revival」版として1995年から出た作品。30近く?
RBシリーズ
11近く?
Sシリーズ
緊美研ビデオSシリーズにまとめてある。
Wシリーズ
GENシリーズ
LSDシリーズ
Ladies Secret Distraction
FBシリーズ
鼻責め・顔面なぶり
緊美研のDVD作品
主にビデオ作品が再構成されて販売されている。次のようなシリーズにまとめられた。
- 『緊縛美』シリーズ(VHS版「O」シリーズが主体)
- 『緊縛エロス』シリーズ
- 『緊縛浪漫』シリーズ
- 『緊縛イズム』シリーズ
- 『縄と猿轡』シリーズ
- 『女腹切り作品集』シリーズ
- 『妊産婦緊縛』シリーズ
- 『緊縛之真髄』シリーズ
- 『濡木痴夢男緊縛美外伝』シリーズ
緊美研で活躍した主なモデル
- 扇まや
- 近江亜紀
- 霞紫苑
- 桂木綾乃
- 加藤雅子
- 神田つばき
- 北野冬子
- 久我山薫
- 小室芹奈
- 早乙女宏美
- 佐藤まゆみ
- 佐藤由女
- 沢戸冬木
- 潮崎まき
- 白鳥リカ
- 進藤めぐみ
- 杉下なおみ
- 春原悠理
- 高田美幸
- 中村京子
- 中条奈保美
- 中原恵美
- 夏樹真鈴
- 西尾ゆきほ
- 西宮英子
- 野口優子
- 野崎紅緒
- 広咲千絵
- 藤さとみ
- 藤野裕花
- 三上るか
- 水城紫乃
- 三井彩
- 南章子
- 望月麻子
- 山口香子
- 雪代みき
- 和田よしみ
関連作品
- 鵜藤惠『発掘SM写真館 第6回 緊美研フォト幻の傑作集』S&Mスナイパー1993年(平成5年)11月号, p87
- 濡木痴夢男『緊美研のM女たち』SMマニア1996年(平成8年)5月号〜9月号。
- 『別冊緊美研通信 プレミアムビデオ』(大洋図書, )(演出:雪村春樹、緊縛:濡木痴夢男、出演:岡崎知里、写真:日暮圭介)
- 『別冊緊美研通信』(大洋図書, )(監修:濡木痴夢男、CD-ROM付き)
- 『緊縛美大全』(シネマジック, 1994)(監督:池上隆光)
- 『緊縛美大全2』(シネマジック, 1995)(監督:壬生雅美)
- 『緊縛美大全3』(シネマジック, 1995)(監督:壬生雅美)
- 『緊縛美大全4』(シネマジック, 1996)
エピソード
- 緊美研のビデオ撮影は当初春原悠理が担当しており、やがて秋田昌美も担当[5]。
- 「緊美研ビデオ」を初めて扱ってくれたのは芳賀書店
- 不二秋夫、春原悠理に加え、秋田昌美、奈加あきら、麻屋寿、室井亜砂二、井上文、神田つばき[7]、鵜藤惠、TOHJIRO、吉村彰一[8]などが緊美研に参加経験があるとブログなどで表明している。
- 2001年(平成13年)頃、『緊美研SHOP』(東京都白金台5-22-11)の広告が出ていた。
- Merzbow『緊縛の為の音楽(MUSIC FOR BONDAGE PERFORMANCE)』(EXTREME, 1991)は秋田昌美が緊美研と出会ったことで作成された作品。
引用文献
注釈
- ↑ 濡木痴夢男は『解語の花』=「緊縛撮影会」と説明しているが、「解語の花写真家倶楽部」と副題のついた『写真集 写GIRL』が少なくとも1992年まで定期的に出版されているので、認識違いが、あるいは、1979年(昭和54年)に1度終了した『解語の花』がある時期に復活したのかもしれない。
- ↑ 『日本緊縛写真史 1』では1970年頃となっているが、これは1980年頃の誤記であろう。
- ↑ その後しばらくして春原悠理とも会い、秋田昌美は緊美研に出入りし春原悠理の『ライトブレーン』レーベルの作品制作などに参加する
- ↑ 毎週月曜の夕方。モデルは春原悠理。
- ↑ 複数のシーンを収録したKシリーズに対し、一人のモデルだけを収めたという意味で”Only"となっている(不二企画・私信)