切腹

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奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号中康弘通少年および女性の切腹』の挿絵。おそらく喜多玲子の作品と思われる。

せっぷく。日本特有のフェティシズム。古典芸能のモチーフとして古くから存在。奇譚クラブ風俗奇譚などでも頻繁に取り上げられた。中康弘通青山芳樹の文、喜多玲子滝麗子北原純子畔亭数久室井亜砂路らの絵、早乙女宏美のパフォーマンス。分譲切腹フォトも。

概要

奇譚クラブが取り上げたいろいなフェティシズムの中でも、特に記事や絵画の多いジャンル。1950年代初期から数多くの記事、小説、絵、写真が発表された。

歴史

988年(永延二年)、怪盗、袴垂保輔が、源頼光、同四天王、平井保昌に攻立てられ「腹を刺し切り、腸を引き出し」たが死に切れず、検非違使庁へと実き出されて死刑となる[1]

1170年(嘉応二年)、源為朝が、平家の軍船に攻められ、伊豆の大島で、切腹[1]

1840年(天保十一年)、この頃に作法が確立しはじめる。上州沼瑠藩士工藤行広の『自刃録[注 1]』など[1]

1973年(昭和48年)10月1日、『Deluxe Qt!』 10月臨時増刊号として出たSMファンタジアNo.9に切腹関連の記事、写真が多数。

1973年(昭和48年)11月〜12月、日劇ミュージックホールでの『白い肌に赤い花が散った』公演の第15景で、武智鉄二演出の『女腹切り』。出演は高見緋沙子[2]

1989年(平成元年)春、春原悠理切腹にフーカスした不二企画のレーベル『ライトブレーン』をスタート[3][4]

1989年(平成元年)4月23日、『ライトブレーン』レーベルの第1作である『女腹切り・散華』の撮影。

2011年(平成23年)1月9日に風俗資料館で女性切腹同好会『桐の会』と早乙女宏美企画による『第一回 切腹懇親会』が開催。

切腹関連記事

切腹関連絵画

切腹関連写真

桐の会

女性切腹マニアの会。

分譲切腹フォト

切腹関連ビデオ・DVD

ギャラリー

トピックス

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 切腹の歴史奇譚クラブ1956年(昭和31年)9月号
  2. 2.0 2.1 風俗奇譚1974年(昭和49年)3月号
  3. Trevor Brownによる1992年の秋田昌美へのインタビューより。
  4. 春原悠理 私信 to U, 2014.7.13

注釈

  1. "切腹の作法″〝検視の作法〞〝介護の作法″に分れ、本式の切腹としてはへソの上一寸ばかりの、左から右へと引き廻す。あるいは、へソの下通りがよし。深さは、三分か五分まで、ついで左手を刀の右手に持ち添えて、右のけい動脈をかき切る

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つながり

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