葵マリ

提供:SMpedia
2017年8月9日 (水) 07:55時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (→‎略歴)

あおい まり、1944年(昭和19年)8月4日[1]-。1980年代に赤坂ブルーシャトーを主宰したミストレス。

概要

1980年代に活躍した女王様。「女王様の中の女王様」とも呼ばれる。1980年(昭和55年)にSMクラブ赤坂ブルーシャトーを設立し、多くのS女、M女を育てる。そこでの定例SMショーには長田英吉なども出演していた。にっかつ映画への出演・監督など、積極的なマスコミへの露出を通じて、ステレオタイプ的な「SMプレイ」のイメージを作り上げた。後継者として二代目葵マリー、三代目葵マリーを生み出した。

別名

Mary Aoi葵マリー、葵まりー(初代)、あおいマリー、伊藤尚子(本名?)、伊藤花果、小佐野真理子、

略歴

1944年(昭和19年)8月4日、静岡に誕生[1][注 1]

1962年(昭和37年)頃、少女雑誌のモデルを経て東映京都撮影所に入り端役女優[1][注 2]

1965年(昭和40年)頃、結婚のために女優をやめる。

1969年(昭和44年)、辰巳出版の『別冊マル秘』4月増刊号のグラビア「赤坂の夜を泳ぐ白い密猟者」でモデルとして登場。「Eというスナック」でガールハントされたという設定。

1970年代、雄琴ソープランドの支配人となる。

1974年(昭和49年)頃、夫の会社が倒産したため上京。新宿歌舞伎町のナイトクラブのママ、赤坂コパカバーナのホステス、赤坂ひの家の芸妓、ナイトクラブ赤坂ミカドの芸妓ホステスを経て、銀座のバー「真理子」のオーナーマダムとなる。続いて、会員制クラブ「赤坂峰子」「サロンど峰」などを開店。

1980年(昭和55年)頃、「赤坂ナイトクラブ真理子」を開店。

1980年(昭和55年)6月5日、赤坂ブルーシャトーを開業[2][注 3]。姉妹店のヤングシャトーシルバーシャトーロイヤルシャトーも開業。

1980年(昭和55年)10月、後の松川ナミが入店。源氏名はエミ[2][注 4]

1980年代初め、「ショークラブブルーシャトー」「キャバレーシンデレラ」などを開店。

1981年(昭和56年)1月8日、赤坂ブルーシャトーの定例ショーに長田英吉を招聘。司会は田辺一鶴、モデルはエミ[2][注 5]

1982年(昭和57年)4月、週刊宝石島田紳助と対談。

1983年(昭和58年)9月、ABSプロモーション設立[2][注 6]

1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始[2]

1983年(昭和58年)12月10日、あまとりあ社から『SMドキュメント葵マリーの告白手記』出版[注 7]

1985年(昭和60年)、『ザ・折檻2』『ザ・折檻3』の監督。

1986年(昭和61年)9月28日、月光1986年(昭和61年)9月28日発行 第2巻第10号通巻十号の『S&M逆転の構造』で座談会。出席者は葵マリー星ゆり子、順子、佐々木けい子

1987年(昭和62年)11月頃?、赤坂ブルーシャトー閉店。

1988年(昭和63年)1月30日、ショーの最中に公然猥褻罪の現行犯逮捕[3][注 8]

1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。『渋谷マリーズ・ルーム』というSM関係の仕事もしていた模様。

1993年(平成5年)、夫ががんで死去。

1995年(平成7年)12月7日、三代目葵マリーの襲名披露パーティーが都内で開かれる。初代葵マリも出席[4]

1996年(平成8年)、広告代理店、コンパニオン派遣業、呉服、化粧品販売事業に特化。

2000年(平成12年) 、会社倒産[注 9]

2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督[注 10]

エピソード

代表作

映画

ビデオ

  • 葵マリのSM日記 みかの場合』(ボックスランド, 1982)
  • ザ・折檻2』(にっかつ, 1985)(監督:葵マリ、助監督:高原秀和、撮影:倉本和人、出演:水野由美、熱砂、西白蘭春川かおり)
  • ザ・折檻3』(にっかつ, 1985.10.26)(監督:葵マリ、助監督:高原秀和、撮影:遠藤政史、出演:立川ひとみ、西白蘭春川かおり)
  • SM女帝・葵マリー引退記念作品 愛虐の館 』(Golden SAMM, 1987)(製作:中村幻児〔ユーロビジョン)、監督:伊集院剛、助監督:鬼頭理三 田村良夫、脚本:田辺満、撮影:冨田伸二、出演:芳村さおり 中川あずさ 石原みか 春川かおり 葵マリ マグナムv北斗三条雅樹 嶋弘史)[注 12]
  • ロイヤルクラブの隷嬢たち』(受審:志摩プランニング、制作:ユープロビジョン、発売元:スターシップ, 1987)(監督:葵マリ-、縄師:龍、出演:牧いずみ・吉野晴美・一条桜子・石原ミカ・北村恵・青山恵子)
  • SM図鑑 美少女縛り』(志摩プランニング, 1987)(監修:伊集院剛、出演:牧いずみ 藤よう子 花村恵 葵マリ-)
  • ザ・虐待
  • SMドキュメント調教24時間『衝撃編』
  • SM初体験 舞妓桃千代18才パート2』(マリンブルー, 1988)(監督:港雄一、調教:葵マリー) 
  • ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方』(フェニックス, 1988)(監督・構成:滝川翔、出演:志摩紫光葵マリ、芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ)
  • SM遊ぶ 禁断のすすり泣き』(フェニックス, 1988)(出演:舞礼奈 石川亜美 伊藤麻耶志摩紫光葵マリ)

DVD

  • 葵マリのSM日記 洋子の場合 菊島里子』(映像舎)
  • 葵マリのSM日記 みかの場合』(映像舎)
  • 葵マリのSM日記 のり子の場合』(映像舎)

書籍

雑誌

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 『紳竜の考現学入門8』 in 週刊宝石1982年(昭和57年)4月24日号
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 葵マリー『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)
  3. SMファン1988年(昭和63年)5月号
  4. S&Mスナイパー1996年(平成8年)2月号, p233

注釈

  1. 他にも「京都」「横浜市」という記述もある
  2. 「大奥絵巻」で真夜中に見回りに行く腰元役。淡島千景、佐久間良子、大原麗子らが出ていた。
  3. 毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。
  4. ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる赤坂ブルーシャトーはやめる。
  5. 2月5日の節分ショーでも長田英吉が出演。
  6. 日活映画と映画作品8本、ビデオ会社とビデオ作品15本の女流監督契約。
  7. この頃、「マネージャー二人、ショーガール8名、ミストレス7名、M女16名の大所帯」
  8. 「1988年2月2日号の朝日新聞より 警視庁は客にわいせつな行為を見せたとして、ブルーシャトー経営者、葵マリー (本名=伊藤尚子)容疑者(43歳)を「公然わいせつ罪」で逮捕。」という2chの書き込みがある。
  9. 職業安定法違反で逮捕されたことが原因と思われる。
  10. 明智伝鬼千葉曳三速水健二が出演。
  11. 後にコルドンブルーのママになったようだ(要確認)
  12. 1988年のフェニックスから出た『ハウツウSMテクニック SMの責め方・楽しみ方』に一部この画像が出ているようだ。こちらは監督・構成:滝川翔、出演:芳村さおり 舞礼奈 牧いずみ。
  13. 1998年には広告が出ているので、アロマ企画ができた1991年〜1998年の間のどこかに制作。

お役たちweb

つながり

長田英吉 志摩紫光 伊集院剛 明智伝鬼