「2012年(平成24年)のSM動向」の版間の差分
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==概略== | ==概略== | ||
3年間におよんだ民主党政権は、二大政党政治として実ることなく12月の衆議院選挙で自民党の再登場となる。日本経済の下降が、これを契機に好転することを祈るばかりである。2012年のSM文化関連の活動は堅調といったところであろうか。特に大きな動きはないものの、安定していろいろな活動がおこなわれている。 | |||
以下、私見の範囲で、2012年(平成24年)の日本SM文化の動きをまとめておく。敬称を省略していることをお詫びする。 | 以下、私見の範囲で、2012年(平成24年)の日本SM文化の動きをまとめておく。敬称を省略していることをお詫びする。 | ||
== | ==100万人のSM時代== | ||
1921年(大正10年)頃、したがって今から90年少し前に[[伊藤晴雨]]が自分の妻、[[佐原キセ]]をモデルに[[逆さ吊り]]をおこなっていた時は、[[伊藤晴雨]]にとっては、「責め技」(今でいうSM技法)が、芝居や絵画のなかだけの空想の産物なのか、あるいは実際に生身の人間が致命的なダメージを受けること無く実践可能な行為なのか、まったく分からない状態だった。したがって、何人もの助手の手を借り、医師をも待機させ、慎重におこなったのが [[變態資料]]1926年(大正15年)12月25日号にその写真が掲載された『臨月の夫人の逆さ吊り写真』である。[[伊藤晴雨]]は[[逆さ吊り]]を含む、いくつかの責めの手法は、実現可能なものの、女性への負担が多大なために、むやみに行うべきではないといった内容のことを、その後しばしば書き残している。 | |||
大正時代や戦前にも、[[伊藤晴雨]]と同じようにSMプレイを実践しているマニアはいたようだが、その実体は[[伊藤晴雨]]が随筆中に引用しているいくの例以外には把握することは難しい。戦後になると、[[奇譚クラブ]]などのマニア雑誌をとして、実践SM愛好家が増えてくる。読者からの実践レポートなどが[[奇譚クラブ]]に掲載され、小説やモデルを用いた雑誌写真撮影といった、頭の中の空想の世界だけでなく、実際にSMを楽しむことができることを人々は知っていく。 | |||
緊縛技法そのものも、SM雑誌やSM映画などの広がりとともに進化し、受け手への負担を可能な限り低減した、安全でかつ、マニアの欲求を満たすようなテクニックが定型化していく。それに伴い、これら緊縛技法をわかりやすく解説した[[緊縛教材(印刷物)|雑誌教材]]や[[緊縛教材|ビデオ教材]]、さらには[[緊縛教室]]が広がっていく。 | |||
2012年(平成24年)現在で、活動していると思われる[[緊縛教室]]を調べてみたが、軽く30を越えているのに驚いた。HPなどで積極的に公開をしていないサークルでの[[緊縛教室]]も相当するあると思われるので、実体は50近くあるのかもしれない。プロの緊縛師がプロを目指す人のために開いているレベルの高い講習会もあれば、全くの初心者に緊縛の触りだけ教える軽い講習会もある。個人のスタジオで開催するものや、レンタルスタジオを借りたオフ会での講習会、ハプバーでの講習会などいろいろな形態がある。開催場所も東京のみならず、九州から北海道まで全国各地で講習会が開催されている。 | |||
このように、緊縛に興味のある人が、比較的に簡単に基本的な技術を学ぶことができるのが平成時代のSMの特徴であろう。かつては、「緊縛師」は「プロの職人」で、「緊縛」は一般にマニアには手の届かない世界の話だったのが、今では、誰にでも、そこそこの安全な緊縛技法をマスターして楽しむことができるようになった。このような、誰もが緊縛を楽しめるようになった「100万人のSM時代」に、昭和のSMはどのように変わっていくのであろうか? | |||
2012年(平成24年)のSM界の話題で、記憶に残っているものの1つに、[[緊縛教室]]での事故を巡るトラブルがある。昨年イタリアで起こった[[ローマSM事故]]のような生死に関わる事故ではないが、吊りなどの講習中に受け手が[[橈骨神経麻痺]]を起こしてしまい、その対応などをめぐって議論が交わされた。 | |||
緊縛は基本的に危険を伴わざるを得ないプレイである。どんなに慎重に行動したとしても、事故をゼロにすることは不可能だろう。ただし、ゴルフをやっていようが、スノーボートをやっていようが、何かの事故に巻き込まれる可能性はゼロではない。事故をゼロにするには、「何もしない」しかないわけだが、これでは人生面白くない。登山やハンググライダーなど、生死に関わる事故が起こりうるにも関わらず、多くの人が楽しむのは、それだけの面白さがあるからである。プロの緊縛師やモデルは、事故がゼロにはならないことを認識し、その覚悟で仕事に臨んでいる。アマチュアの場合も、もちろん限りなく事故をゼロに近づけるのは当然ではあるが、不幸にして事故が起こった場合には、責任ある行動を取らなければならなという覚悟を、緊縛教室などで繰り返し教えていくことが求められる。 | |||
「100万人のSM時代」で、多くの人が気軽に緊縛を楽しむようになった。これまでの[[緊縛教材(印刷物)|雑誌教材]]や[[緊縛教材|ビデオ教材]]でも、緊縛に伴う事故については、丁寧に説明されている場合もあるが、緊縛愛好家の人口が増加する今後は、より一層の事故に対する啓蒙が必要となるであろう。「縛る側」と「縛られる側」が「いかに事故を予防すべきか」、そして「事故が起きてしまった時にはどう対処すべきかを」きっちりと認識して緊縛を楽しむ必要がある。イギリスの緊縛師の[[Esinem]]が、2011年(平成23年)に『'''[[Japanese Rope Bondage: Tying people not parcels]]'''』と題した[[緊縛教材|ビデオ教材]]を出版しているが、その冒頭の実に20分以上が、緊縛に伴う各種事故の解説と、その回避法の体系的な説明に費やされている。「100万人のSM時代」を「1,000万人のSM時代」に広げるためには、緊縛事故をゼロに近づけるための努力と事故はゼロにはならないことの再認識が必要となるであろう。 | |||
誰にでも緊縛が楽しめる「100万人のSM時代」において、「プロ」の緊縛師には厳しいものが要求されることになる(そもそも「プロ」の緊縛師と「アマ」の緊縛師の明確な定義による区分は難しく、いわゆる「プロ」と呼ばれる緊縛師でも、生活の主な収入源はSM以外の仕事であったりもするのだが、ここでは細かいことは問わない。世間一般的に、なんとなく「プロの緊縛師」と呼ばれている人をプロとしておく)。それとなく形になった緊縛は、比較的簡単に誰でもマスターすることができる。多くの場合は、それで十分と満足してしまうのであろうが、「いや、まてよ。どうみても自分の縛りとプロの縛りは全然違う。これじゃ、上っ面だけの緊縛だ」と満足しないマニアが多くいて、そしてそのようなレベルの高い「プロの緊縛師」がいるのが、日本のSM文化の歴史の重みである。熱心なマニアはなんとかプロのレベルに近づこうと切磋琢磨する。プロがプロであり続けるには、このような「100万人のSMファン」の追い上げに飲み込まれることなく、さらに先へと進んでいくことが求められることになる。プロがレベルを高め続けてくれる限り、追走するSMファンの質も向上し、人数も増え、日本のSM文化がさらに深まるといった好循環が期待できる。「100万人のSMファン」がプロを飲み込んでしまった時には、日本のSM文化は終焉を迎えることになるだろう。 | |||
プロにとって厳しい状況は「100万人のSMファン」の追い上げだけではない。1980年代にはSM産業は、出版、ビデオ、ステージ、どれをとっても多額のマネーを生み出していた。現在は、SMに限らず、従来の印刷物による出版や動画製作によるビジネスが難しくなっている。この先、生活の中心となるメディアがどのように変化していくのか、誰にも読めないが、確実に新しい表現方法とビジネス方法が生まれてくるはずで、それは既存のメディアの延長では想像もできないようなものであろう。このような激変する表現媒体の進化にも機敏に対応して発信を続けることも、プロに求められる条件の1つで、とても難しい課題ではあるが、ここ何年かで大きな進化が起こりうる面白い部分でもある。 | |||
==続くKinbakuブーム== | |||
あいかわらずの世界的なKinbakuブームである。[[:カテゴリ:米国|米国]]、[[:カテゴリ:英国|英国]]、[[:カテゴリ:イタリア|イタリア]]、[[:カテゴリ:ロシア|ロシア]]、[[:カテゴリ:オーストラリア|オーストラリア]]、[[:カテゴリ:デンマーク|デンマーク]]等々、日本の「Kinbaku」を全面に押し出したイベントが多く催され、緊縛教室も盛んに行われている。 | |||
海外に日本の緊縛文化がいつ頃紹介されたのかは詳しくは分からないが、少なくとも[[John Willie]]の1960年(昭和35年)前後の緊縛作品は、[[須磨利之]]の縛りの影響を受けているようで( [[Master "K"]] "The beuaty of Kinbaku")、米国のマニアの間では日本の緊縛がこの頃から注目されていたはずである。 | |||
しかしなんといっても、現在のKinbakuブームは[[:カテゴリ:インターネット|インターネット]]の普及に負うところが大きい。1990年代後半にはいくつかの海外向けの英語版緊縛サイトが存在していたようで、これらのサイトを通じて日本の緊縛や緊縛師が紹介されている。初期に配信されていた[[乱田舞]]のハウツー動画の貢献度は大きかったようで、2004年から米国で開催されている「[[Shibaricon]]」の設立者である[[MorTis]]は、[[乱田舞]]をあこがれの緊縛師の一人としてあげている。 | |||
インターネットはまた、世界中にちらばるSM愛好家のネットワークの形成を加速化する。上記の「[[Shibaricon]]」の実現には、Yahooのディスカッショングループでのネットワーク作りが大きな役割を果たしたとする意見もあるようだ。2005年(平成17年)前後からはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が本格化し、2008年(平成20年)1月には、SMなどのフェティシュカルチャーに特化したSNS、「[http://fetlife.com/ FetLife]」がスタートしている。「[http://fetlife.com/ FetLife]」内にはその嗜好に合わせていろいろなグループが存在しているが、日本に関係したグループとしては、「Shibari」「Kinbaku」「Japanese Rope Art - Kinbaku - Shibari」「Kinbaku Photography」「Hojojutsu」「Fetish Japan」を始めとして莫大な数が存在する。基本的には英語を共通語としたグループなのだが、中には「Shibari, Kinbaku, Bondage... en catellano」「Bergen Kink & Kinbaku」といったように英語以外の言語でやりとりされている特定の国に特化したグループも多くある。 | |||
「[http://fetlife.com/ FetLife]」はどちらかというとテキスト中心のディスカッションサイトであるが(画像や動画もポストできるが)、SNS老舗の「[http://www.facebook.com Facebook]」では、画像中心のSM情報のネットワークが形成されている。これらSNSを補完する形で、[https://twitter.com/ Twitter]や[http://www.tumblr.com/ Tumblr]。その他もろもろのコミュニケーションツールがKinbaku愛好家間の情報交換をどんどん密にしている。 | |||
2009年(平成21年)に「SMpedia」をスタートした時に、同時に英語版の「[http://www.nawapedia.com/ Nawapedia]」も開設した。英語での日本SM文化の情報発信の必要性を感じたためだ。必要性を感じさせた理由は複数あるが、ひとつには2009年(平成21年)6月に英国で開催された「[[ロンドン緊縛美の祭典]]」に日本の緊縛師が誰も招待されていなかったことに対する違和感、他のひとつには、本格的な日本緊縛文化の歴史をひもといた書籍が2008年(平成20年)に米国から出版されている( [[Master "K"]] "The beuaty of Kinbaku")ことに対する焦りがあった。 | |||
緊縛文化の歴史書の話はおいておき、海外で開催される緊縛関連のイベントや教室についてもう少し考えてみよう。 | |||
「[[ロンドン緊縛美の祭典]]」の主催者の一人である[[Esinem]]は、第1回のイベントに日本からの緊縛師を招聘できなかったのは、準備期間が短かったことと、資金的な問題であったと述べている。2010年(平成22年)の第2回には[[一鬼のこ]]が参加し、翌年の1月には[[一鬼のこ]]が東京で「[[冬縛]]-World Bondage event」を開催し、英国から[[Esinem]]、[[Nawashi Murakawa]]が参加している。これに応える形で、2011年(平成23年)の「[[ロンドン緊縛美の祭典]]」には、日本から[[一鬼のこ]]、[[風見蘭喜]]、[[海月くらげ]]、[[エロ王子]]、[[紫護縄びんご]]、[[音縄]]、[[吉田よい]]、[[若林美保]]、[[結奈美子]]らが大挙参加している。2012年(平成24年)の日本からの参加は[[風見蘭喜]]一人にとどまるが、英国以外の国からの参加に目を向けると米国、ドイツ、台湾、イタリア、ロシア、デンマーク、ベルギーとまさに国際フェスティバルと呼ぶに相応しい多彩な国籍の参加者がリストされている。 | |||
11月の終わりから1週間にわたりにロシアで開催された「Bondage Week」では、緊縛に大きな焦点があてられたようだが、イタリアから[[Riccardo Sergnese]]が招待されているものの、日本からのプレゼンテーションはロシア在住の[[Tougo]]一人にとどまっている。 | |||
「せっかくの日本緊縛の世界的な進展のチャンスなんだから、もっと日本から緊縛師が参加すればよいのにな」と思いたくなるのはやまやまだが、主催者側に日本から緊縛師を招聘する十分な財源がないことを考えるとしかたがないことなのかもしれない。 | |||
とはいうものの、2012年(平成24年)にも少なからぬ緊縛師が海外で公演やワークショップを開催しており、Kinbakuブームの後押しに貢献している。Kinbakuブームの延長線上には新たなビジネスモデルが生まれる可能性もあり、今後の展開に目が離せない動きである。 | |||
==主な出来事== | ==主な出来事== | ||
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2012年(平成24年)4月1日、[[ブラックハート]]にて『'''[[濡木痴夢男]]の縄研究会'''』開催。 | 2012年(平成24年)4月1日、[[ブラックハート]]にて『'''[[濡木痴夢男]]の縄研究会'''』開催。 | ||
2012年(平成24年)4月、[[一鬼のこ]] | 2012年(平成24年)4月、[[一鬼のこ]]が[[:カテゴリ:オーストラリア|オーストラリア]]遠征。 | ||
2012年(平成24年)4月13日〜20日、[[風見蘭喜]]がロンドンにてワークショップ。 | 2012年(平成24年)4月13日〜20日、[[風見蘭喜]]がロンドンにてワークショップ。 | ||
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2012年(平成24年)4月22日、[[ディザイア]]にて『'''緊縛伝承'''』:[[二代目乱田舞]]、[[神凪]]、[[狩野千秋]]、[[鵺神蓮]]、[[白鳥丸]] | 2012年(平成24年)4月22日、[[ディザイア]]にて『'''緊縛伝承'''』:[[二代目乱田舞]]、[[神凪]]、[[狩野千秋]]、[[鵺神蓮]]、[[白鳥丸]] | ||
2012年(平成24年)5月、[[一鬼のこ]]が[[BoundCon]] | 2012年(平成24年)5月、[[一鬼のこ]]が[[BoundCon]] IXでパフォーマンス。[[:カテゴリ:イタリア|イタリア]]にも遠征。 | ||
2012年(平成24年)5月26日〜27日、[[風見蘭喜]]が台北にて公演。 | 2012年(平成24年)5月26日〜27日、[[風見蘭喜]]が台北にて公演。 | ||
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2012年(平成24年)5月17日、[[エロ王子]]が[[ARCADIA TOKYO]]にて『'''エロ縄教室'''』。 | 2012年(平成24年)5月17日、[[エロ王子]]が[[ARCADIA TOKYO]]にて『'''エロ縄教室'''』。 | ||
2012年(平成24年)6月9日、[[山咲美花]] | 2012年(平成24年)6月9日、[[山咲美花]]が浅草・花屋敷を借り切り『夢の大人の遊園地』開催。10月にも2回目開催。ゲスト:[[狩野千秋]] | ||
2012年(平成24年)6月16日、[[芙羽忍]]、[[結月里奈]] | 2012年(平成24年)6月16日、[[芙羽忍]]、[[結月里奈]]が[[:カテゴリ:フランス|フランス]]のオードセーヌで開催された『[http://www.nuit-demonia.com/ Nuit Dèmonia 2012]』に出演。 | ||
2012年(平成24年)6月25日、BSスカパー「BAZOOKA!!!」の「ビバSMナイト 絆」に[[一鬼のこ]]、[[夕樹七瀬]]が出演。 | |||
2012年(平成24年)7月24日、『「[[花と蛇]]」プレイベント』【出演】[[有末剛]]、[[黒岩安紀子]]、[[中原研一]]、[[高取英]]、[[月蝕歌劇団]]、Baliasi | 2012年(平成24年)7月24日、『「[[花と蛇]]」プレイベント』【出演】[[有末剛]]、[[黒岩安紀子]]、[[中原研一]]、[[高取英]]、[[月蝕歌劇団]]、Baliasi | ||
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2012年(平成24年)10月28日、[[ディザイア]]にて『'''次世代超新星達『Bod』'''』(出演:[[海月くらげ]]、[[鵺神蓮]]、北島大獅、[[幻鬼]]、[[麗華]]) | 2012年(平成24年)10月28日、[[ディザイア]]にて『'''次世代超新星達『Bod』'''』(出演:[[海月くらげ]]、[[鵺神蓮]]、北島大獅、[[幻鬼]]、[[麗華]]) | ||
2012年(平成24年)11月10-11日、[[有末剛]]が「デザインフェスタvol. | 2012年(平成24年)11月10-11日、[[有末剛]]が「デザインフェスタvol.36」で緊縛ブースを出店。 | ||
2012年(平成24年)11月17-18日、『'''大縄あそび2012 in Japanese house'''』に出演。【出演】[[れい]]、[[羽牙音樹]]、[[真乃丞]]、[[北川周平]]、[[びんご]]、[[タカ様]]、[[Sanji]]、[[獅子若]]、[[可南]]、[[蒼月流]]、[[縄之丞]]、[[武健虹]]、[[風見蘭喜]]、幹事、[[U-NA]]、[[Rope]]、[[ヨッシー]]、[[蓬莱かすみ]]、[[鵺神蓮]]、[[音縄]]、[[YAGIE]]、[[両]]、[[エロ王子]]、[[紅龍華]]、[[奈加あきら]] | 2012年(平成24年)11月17-18日、『'''大縄あそび2012 in Japanese house'''』に出演。【出演】[[れい]]、[[羽牙音樹]]、[[真乃丞]]、[[北川周平]]、[[びんご]]、[[タカ様]]、[[Sanji]]、[[獅子若]]、[[可南]]、[[蒼月流]]、[[縄之丞]]、[[武健虹]]、[[風見蘭喜]]、幹事、[[U-NA]]、[[Rope]]、[[ヨッシー]]、[[蓬莱かすみ]]、[[鵺神蓮]]、[[音縄]]、[[YAGIE]]、[[両]]、[[エロ王子]]、[[紅龍華]]、[[奈加あきら]] | ||
2012年(平成24年)11月29日、[[上条早樹]] | 2012年(平成24年)11月29日、[[上条早樹]]が[[:カテゴリ:米国|米国]]カリフォルニア州サンノゼのRenegades Barでパフォーマンス。 | ||
2012年(平成24年)11月29日~12月6日、モスクワで開催された「Bondage week」で[[:カテゴリ:ロシア|ロシア]]在住の[[Tougo]]やイタリアから招聘された[[Riccardo Sergnese]]がパフォーマンス。 | |||
2012年(平成24年)12月12日〜19日、[[Master "K"]]の招聘で[[雪村春樹]]が[[:カテゴリ:米国|米国]]ロサンゼルスで講習会。[[春晏]]と。 | |||
2012年(平成24年) | 2012年(平成24年)12月15日、[[:カテゴリ:ロシア|モスクワ]]、New Year's BDSM BallでKinbakuが大きく取り上げられる、 | ||
2012年(平成24年)12月23日、[[シアターPOO]]にて『'''SMファン感謝祭・第一幕'''』【出演】麗華、[[早乙女宏美]]、[[凰麗]]、[[一華]]&紫苑、[[蓬莱かすみ]]、[[海月くらげ]]、[[松本格子戸]] | 2012年(平成24年)12月23日、[[シアターPOO]]にて『'''SMファン感謝祭・第一幕'''』【出演】麗華、[[早乙女宏美]]、[[凰麗]]、[[一華]]&紫苑、[[蓬莱かすみ]]、[[海月くらげ]]、[[松本格子戸]] | ||
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2012年(平成24年)12月24日、[[シアターPOO]]にて『'''SMファン感謝祭・第二幕'''』【出演】[[栗鳥巣]]&[[内山沙千佳]]、[[SHIMA Malphas|SHIMA Malphas]] &ルーシー、[[夜羽エマ]]、[[荊子]]、[[桜田伝次郎]]、[[松本格子戸]] | 2012年(平成24年)12月24日、[[シアターPOO]]にて『'''SMファン感謝祭・第二幕'''』【出演】[[栗鳥巣]]&[[内山沙千佳]]、[[SHIMA Malphas|SHIMA Malphas]] &ルーシー、[[夜羽エマ]]、[[荊子]]、[[桜田伝次郎]]、[[松本格子戸]] | ||
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2013年12月31日 (火) 16:49時点における最新版
概略
3年間におよんだ民主党政権は、二大政党政治として実ることなく12月の衆議院選挙で自民党の再登場となる。日本経済の下降が、これを契機に好転することを祈るばかりである。2012年のSM文化関連の活動は堅調といったところであろうか。特に大きな動きはないものの、安定していろいろな活動がおこなわれている。
以下、私見の範囲で、2012年(平成24年)の日本SM文化の動きをまとめておく。敬称を省略していることをお詫びする。
100万人のSM時代
1921年(大正10年)頃、したがって今から90年少し前に伊藤晴雨が自分の妻、佐原キセをモデルに逆さ吊りをおこなっていた時は、伊藤晴雨にとっては、「責め技」(今でいうSM技法)が、芝居や絵画のなかだけの空想の産物なのか、あるいは実際に生身の人間が致命的なダメージを受けること無く実践可能な行為なのか、まったく分からない状態だった。したがって、何人もの助手の手を借り、医師をも待機させ、慎重におこなったのが 變態資料1926年(大正15年)12月25日号にその写真が掲載された『臨月の夫人の逆さ吊り写真』である。伊藤晴雨は逆さ吊りを含む、いくつかの責めの手法は、実現可能なものの、女性への負担が多大なために、むやみに行うべきではないといった内容のことを、その後しばしば書き残している。
大正時代や戦前にも、伊藤晴雨と同じようにSMプレイを実践しているマニアはいたようだが、その実体は伊藤晴雨が随筆中に引用しているいくの例以外には把握することは難しい。戦後になると、奇譚クラブなどのマニア雑誌をとして、実践SM愛好家が増えてくる。読者からの実践レポートなどが奇譚クラブに掲載され、小説やモデルを用いた雑誌写真撮影といった、頭の中の空想の世界だけでなく、実際にSMを楽しむことができることを人々は知っていく。
緊縛技法そのものも、SM雑誌やSM映画などの広がりとともに進化し、受け手への負担を可能な限り低減した、安全でかつ、マニアの欲求を満たすようなテクニックが定型化していく。それに伴い、これら緊縛技法をわかりやすく解説した雑誌教材やビデオ教材、さらには緊縛教室が広がっていく。
2012年(平成24年)現在で、活動していると思われる緊縛教室を調べてみたが、軽く30を越えているのに驚いた。HPなどで積極的に公開をしていないサークルでの緊縛教室も相当するあると思われるので、実体は50近くあるのかもしれない。プロの緊縛師がプロを目指す人のために開いているレベルの高い講習会もあれば、全くの初心者に緊縛の触りだけ教える軽い講習会もある。個人のスタジオで開催するものや、レンタルスタジオを借りたオフ会での講習会、ハプバーでの講習会などいろいろな形態がある。開催場所も東京のみならず、九州から北海道まで全国各地で講習会が開催されている。
このように、緊縛に興味のある人が、比較的に簡単に基本的な技術を学ぶことができるのが平成時代のSMの特徴であろう。かつては、「緊縛師」は「プロの職人」で、「緊縛」は一般にマニアには手の届かない世界の話だったのが、今では、誰にでも、そこそこの安全な緊縛技法をマスターして楽しむことができるようになった。このような、誰もが緊縛を楽しめるようになった「100万人のSM時代」に、昭和のSMはどのように変わっていくのであろうか?
2012年(平成24年)のSM界の話題で、記憶に残っているものの1つに、緊縛教室での事故を巡るトラブルがある。昨年イタリアで起こったローマSM事故のような生死に関わる事故ではないが、吊りなどの講習中に受け手が橈骨神経麻痺を起こしてしまい、その対応などをめぐって議論が交わされた。
緊縛は基本的に危険を伴わざるを得ないプレイである。どんなに慎重に行動したとしても、事故をゼロにすることは不可能だろう。ただし、ゴルフをやっていようが、スノーボートをやっていようが、何かの事故に巻き込まれる可能性はゼロではない。事故をゼロにするには、「何もしない」しかないわけだが、これでは人生面白くない。登山やハンググライダーなど、生死に関わる事故が起こりうるにも関わらず、多くの人が楽しむのは、それだけの面白さがあるからである。プロの緊縛師やモデルは、事故がゼロにはならないことを認識し、その覚悟で仕事に臨んでいる。アマチュアの場合も、もちろん限りなく事故をゼロに近づけるのは当然ではあるが、不幸にして事故が起こった場合には、責任ある行動を取らなければならなという覚悟を、緊縛教室などで繰り返し教えていくことが求められる。
「100万人のSM時代」で、多くの人が気軽に緊縛を楽しむようになった。これまでの雑誌教材やビデオ教材でも、緊縛に伴う事故については、丁寧に説明されている場合もあるが、緊縛愛好家の人口が増加する今後は、より一層の事故に対する啓蒙が必要となるであろう。「縛る側」と「縛られる側」が「いかに事故を予防すべきか」、そして「事故が起きてしまった時にはどう対処すべきかを」きっちりと認識して緊縛を楽しむ必要がある。イギリスの緊縛師のEsinemが、2011年(平成23年)に『Japanese Rope Bondage: Tying people not parcels』と題したビデオ教材を出版しているが、その冒頭の実に20分以上が、緊縛に伴う各種事故の解説と、その回避法の体系的な説明に費やされている。「100万人のSM時代」を「1,000万人のSM時代」に広げるためには、緊縛事故をゼロに近づけるための努力と事故はゼロにはならないことの再認識が必要となるであろう。
誰にでも緊縛が楽しめる「100万人のSM時代」において、「プロ」の緊縛師には厳しいものが要求されることになる(そもそも「プロ」の緊縛師と「アマ」の緊縛師の明確な定義による区分は難しく、いわゆる「プロ」と呼ばれる緊縛師でも、生活の主な収入源はSM以外の仕事であったりもするのだが、ここでは細かいことは問わない。世間一般的に、なんとなく「プロの緊縛師」と呼ばれている人をプロとしておく)。それとなく形になった緊縛は、比較的簡単に誰でもマスターすることができる。多くの場合は、それで十分と満足してしまうのであろうが、「いや、まてよ。どうみても自分の縛りとプロの縛りは全然違う。これじゃ、上っ面だけの緊縛だ」と満足しないマニアが多くいて、そしてそのようなレベルの高い「プロの緊縛師」がいるのが、日本のSM文化の歴史の重みである。熱心なマニアはなんとかプロのレベルに近づこうと切磋琢磨する。プロがプロであり続けるには、このような「100万人のSMファン」の追い上げに飲み込まれることなく、さらに先へと進んでいくことが求められることになる。プロがレベルを高め続けてくれる限り、追走するSMファンの質も向上し、人数も増え、日本のSM文化がさらに深まるといった好循環が期待できる。「100万人のSMファン」がプロを飲み込んでしまった時には、日本のSM文化は終焉を迎えることになるだろう。
プロにとって厳しい状況は「100万人のSMファン」の追い上げだけではない。1980年代にはSM産業は、出版、ビデオ、ステージ、どれをとっても多額のマネーを生み出していた。現在は、SMに限らず、従来の印刷物による出版や動画製作によるビジネスが難しくなっている。この先、生活の中心となるメディアがどのように変化していくのか、誰にも読めないが、確実に新しい表現方法とビジネス方法が生まれてくるはずで、それは既存のメディアの延長では想像もできないようなものであろう。このような激変する表現媒体の進化にも機敏に対応して発信を続けることも、プロに求められる条件の1つで、とても難しい課題ではあるが、ここ何年かで大きな進化が起こりうる面白い部分でもある。
続くKinbakuブーム
あいかわらずの世界的なKinbakuブームである。米国、英国、イタリア、ロシア、オーストラリア、デンマーク等々、日本の「Kinbaku」を全面に押し出したイベントが多く催され、緊縛教室も盛んに行われている。
海外に日本の緊縛文化がいつ頃紹介されたのかは詳しくは分からないが、少なくともJohn Willieの1960年(昭和35年)前後の緊縛作品は、須磨利之の縛りの影響を受けているようで( Master "K" "The beuaty of Kinbaku")、米国のマニアの間では日本の緊縛がこの頃から注目されていたはずである。
しかしなんといっても、現在のKinbakuブームはインターネットの普及に負うところが大きい。1990年代後半にはいくつかの海外向けの英語版緊縛サイトが存在していたようで、これらのサイトを通じて日本の緊縛や緊縛師が紹介されている。初期に配信されていた乱田舞のハウツー動画の貢献度は大きかったようで、2004年から米国で開催されている「Shibaricon」の設立者であるMorTisは、乱田舞をあこがれの緊縛師の一人としてあげている。
インターネットはまた、世界中にちらばるSM愛好家のネットワークの形成を加速化する。上記の「Shibaricon」の実現には、Yahooのディスカッショングループでのネットワーク作りが大きな役割を果たしたとする意見もあるようだ。2005年(平成17年)前後からはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が本格化し、2008年(平成20年)1月には、SMなどのフェティシュカルチャーに特化したSNS、「FetLife」がスタートしている。「FetLife」内にはその嗜好に合わせていろいろなグループが存在しているが、日本に関係したグループとしては、「Shibari」「Kinbaku」「Japanese Rope Art - Kinbaku - Shibari」「Kinbaku Photography」「Hojojutsu」「Fetish Japan」を始めとして莫大な数が存在する。基本的には英語を共通語としたグループなのだが、中には「Shibari, Kinbaku, Bondage... en catellano」「Bergen Kink & Kinbaku」といったように英語以外の言語でやりとりされている特定の国に特化したグループも多くある。
「FetLife」はどちらかというとテキスト中心のディスカッションサイトであるが(画像や動画もポストできるが)、SNS老舗の「Facebook」では、画像中心のSM情報のネットワークが形成されている。これらSNSを補完する形で、TwitterやTumblr。その他もろもろのコミュニケーションツールがKinbaku愛好家間の情報交換をどんどん密にしている。
2009年(平成21年)に「SMpedia」をスタートした時に、同時に英語版の「Nawapedia」も開設した。英語での日本SM文化の情報発信の必要性を感じたためだ。必要性を感じさせた理由は複数あるが、ひとつには2009年(平成21年)6月に英国で開催された「ロンドン緊縛美の祭典」に日本の緊縛師が誰も招待されていなかったことに対する違和感、他のひとつには、本格的な日本緊縛文化の歴史をひもといた書籍が2008年(平成20年)に米国から出版されている( Master "K" "The beuaty of Kinbaku")ことに対する焦りがあった。
緊縛文化の歴史書の話はおいておき、海外で開催される緊縛関連のイベントや教室についてもう少し考えてみよう。
「ロンドン緊縛美の祭典」の主催者の一人であるEsinemは、第1回のイベントに日本からの緊縛師を招聘できなかったのは、準備期間が短かったことと、資金的な問題であったと述べている。2010年(平成22年)の第2回には一鬼のこが参加し、翌年の1月には一鬼のこが東京で「冬縛-World Bondage event」を開催し、英国からEsinem、Nawashi Murakawaが参加している。これに応える形で、2011年(平成23年)の「ロンドン緊縛美の祭典」には、日本から一鬼のこ、風見蘭喜、海月くらげ、エロ王子、紫護縄びんご、音縄、吉田よい、若林美保、結奈美子らが大挙参加している。2012年(平成24年)の日本からの参加は風見蘭喜一人にとどまるが、英国以外の国からの参加に目を向けると米国、ドイツ、台湾、イタリア、ロシア、デンマーク、ベルギーとまさに国際フェスティバルと呼ぶに相応しい多彩な国籍の参加者がリストされている。
11月の終わりから1週間にわたりにロシアで開催された「Bondage Week」では、緊縛に大きな焦点があてられたようだが、イタリアからRiccardo Sergneseが招待されているものの、日本からのプレゼンテーションはロシア在住のTougo一人にとどまっている。
「せっかくの日本緊縛の世界的な進展のチャンスなんだから、もっと日本から緊縛師が参加すればよいのにな」と思いたくなるのはやまやまだが、主催者側に日本から緊縛師を招聘する十分な財源がないことを考えるとしかたがないことなのかもしれない。
とはいうものの、2012年(平成24年)にも少なからぬ緊縛師が海外で公演やワークショップを開催しており、Kinbakuブームの後押しに貢献している。Kinbakuブームの延長線上には新たなビジネスモデルが生まれる可能性もあり、今後の展開に目が離せない動きである。
主な出来事
2012年(平成24年)1月20日、志摩紫光がディザイアにて月例「志摩紫光氏ライブ&レクチャーNight」を開始。
2012年(平成23年)1月22日、ディザイアでの「乱舞館AGAIN」で青山夏樹が二代目乱田舞を襲名。
2012年(平成24年)2月2日、初心-UBU-開店。
2012年(平成24年)3月21日〜31日、DX歌舞伎町SM大会。風見蘭喜、奈加あきら&川上ゆう、志摩紫光、三代目葵マリー、浅葱アゲハ、池波翔子&若葉、立花マリ、Yagië、芙羽忍、夏見あきら&ちづる、一鬼のこ&ミリヤ、結奈美子、薫&蘭、夜羽エマ、藍、TAIZO、飛室イヴ&百々香、愛子、堂山鉄心、U-NA&鵺神眞衣、龍崎紅羽、荊子、CoCo、蒼月流、栗鳥巣、獅子若、上条早樹、凰麗、白鳥丸、北川周平、月花、ミラ狂美、長谷川真央、蕾火&花音、海月くらげ、エロ王子、二代目乱田舞&椛、有末剛、音縄、Daria、SHIMA Malphas、夕樹七瀬、神凪、桜田伝次郎
2012年(平成24年)3月31日、DX歌舞伎町SM大会で『蛇鬼』:三代目葵マリープロデュース。出演:奈加あきら、志摩紫光、風見蘭喜、千葉曳三、月花、ミラ狂美、神凪、飛室イヴ、一鬼のこ、加藤鷹、伊藤舞
2012年(平成24年)4月1日、ブラックハートにて『濡木痴夢男の縄研究会』開催。
2012年(平成24年)4月、一鬼のこがオーストラリア遠征。
2012年(平成24年)4月13日〜20日、風見蘭喜がロンドンにてワークショップ。
2012年(平成24年)4月22日、ディザイアにて『緊縛伝承』:二代目乱田舞、神凪、狩野千秋、鵺神蓮、白鳥丸
2012年(平成24年)5月、一鬼のこがBoundCon IXでパフォーマンス。イタリアにも遠征。
2012年(平成24年)5月26日〜27日、風見蘭喜が台北にて公演。
2012年(平成24年)5月27日、Club Saruにて第3回『どまんなか でらっくす』。渡由樹、蒼珠、高嶺蓮、風宮琴、Sanji、紅龍華が主催。出演:志摩紫光、West、縄之丞、獅子若、幻鬼、紅龍華、蓬莱かすみ、エロ王子、紫護縄びんご、天ノ介、マシル、レジーナ
2012年(平成24年)5月17日、エロ王子がARCADIA TOKYOにて『エロ縄教室』。
2012年(平成24年)6月9日、山咲美花が浅草・花屋敷を借り切り『夢の大人の遊園地』開催。10月にも2回目開催。ゲスト:狩野千秋
2012年(平成24年)6月16日、芙羽忍、結月里奈がフランスのオードセーヌで開催された『Nuit Dèmonia 2012』に出演。
2012年(平成24年)6月25日、BSスカパー「BAZOOKA!!!」の「ビバSMナイト 絆」に一鬼のこ、夕樹七瀬が出演。
2012年(平成24年)7月24日、『「花と蛇」プレイベント』【出演】有末剛、黒岩安紀子、中原研一、高取英、月蝕歌劇団、Baliasi
2012年(平成24年)7月28日、麻蝋が縛友会三代目主代襲名。
2012年(平成24年)8月5日、キリストンカフェ新宿にてにてARCADIA TOKYO3周年記念「TOKYO ULTIMANIA 3」を蒼月流と企画。【出演】風見蘭喜、上条早樹&愛子、火蜂、夕樹七瀬、音縄、奈加あきら。ブースには志摩紫光、吉田よい、乙羽屋、エロ王子、サイ、責め縄研究会 、紅龍華、月の痕、長田一美、どげんよ。司会は松本格子戸。
2012年(平成24年)9月7日、一鬼のこが「眠れる森の美女」を退店し、上野に「よろこびBar KunKun」をオープン。
2012年(平成24年)9月9日、風俗資料館にて『早乙女宏美の切腹幻想展』
2012年(平成24年)9月21日〜28日、DX歌舞伎町SM大会。'風見蘭喜、奈加あきら、志摩紫光、三代目葵マリー、ルーシー、蕾火&クララ、夕樹七瀬、エロ王子、Yagië、夏見あきら、神凪&神楽、栗鳥巣、堂山鉄心、龍崎紅羽、薫&蟻巣、浅葱アゲハ、獅子若、夜羽エマ、北川周平、シーナ、芙羽忍、Daria、SHIMA Malphas、一鬼のこ、月花、飛室イヴ&百々香、TAIZO、立花マリ、海月くらげ、二代目乱田舞、CoCo、長谷川真央、上条早樹&愛子、U-NA&鵺神眞衣、有末剛、荊子、ミラ狂美、愛子、池波翔子&若葉、一華、蒼月流、桜田伝次郎。
2012年(平成24年)9月28日、KunKunで『ぷち冬縛』。出演:Hebari、Avalon、Nuit de Tokyo、海月くらげ、紫護縄びんご、時雨、一鬼のこ
2012年(平成24年)10月5日ー8日、風見蘭喜がロンドン緊縛美の祭典でパーフォーマンス。
2012年(平成24年)10月9日〜28日、新宿座にて杉浦則夫初の個展『杉浦則夫写真展 女、裸、縄〜感じいるもの〜』。
2012年(平成24年)10月17日、若松孝二監督が12日に交通事後にあい、入院先で永眠。
2012年(平成24年)10月27日、音縄結婚披露宴としての『友達100人できるかな披露宴!オフ』が蒼月流らにより新宿で開催。
2012年(平成24年)10月28日、ディザイアにて『次世代超新星達『Bod』』(出演:海月くらげ、鵺神蓮、北島大獅、幻鬼、麗華)
2012年(平成24年)11月10-11日、有末剛が「デザインフェスタvol.36」で緊縛ブースを出店。
2012年(平成24年)11月17-18日、『大縄あそび2012 in Japanese house』に出演。【出演】れい、羽牙音樹、真乃丞、北川周平、びんご、タカ様、Sanji、獅子若、可南、蒼月流、縄之丞、武健虹、風見蘭喜、幹事、U-NA、Rope、ヨッシー、蓬莱かすみ、鵺神蓮、音縄、YAGIE、両、エロ王子、紅龍華、奈加あきら
2012年(平成24年)11月29日、上条早樹が米国カリフォルニア州サンノゼのRenegades Barでパフォーマンス。
2012年(平成24年)11月29日~12月6日、モスクワで開催された「Bondage week」でロシア在住のTougoやイタリアから招聘されたRiccardo Sergneseがパフォーマンス。
2012年(平成24年)12月12日〜19日、Master "K"の招聘で雪村春樹が米国ロサンゼルスで講習会。春晏と。
2012年(平成24年)12月15日、モスクワ、New Year's BDSM BallでKinbakuが大きく取り上げられる、
2012年(平成24年)12月23日、シアターPOOにて『SMファン感謝祭・第一幕』【出演】麗華、早乙女宏美、凰麗、一華&紫苑、蓬莱かすみ、海月くらげ、松本格子戸
2012年(平成24年)12月24日、シアターPOOにて『SMファン感謝祭・第二幕』【出演】栗鳥巣&内山沙千佳、SHIMA Malphas &ルーシー、夜羽エマ、荊子、桜田伝次郎、松本格子戸