捕縄術と昭和SM



15世紀に武術であった捕縄術は18世紀に江戸町方十手術、明治に警察逮捕術として引き継がれる。緊縛の直接の起源ではないが、辻村隆、濡木痴夢男、明智伝鬼、志摩紫光などの緊縛師が熱心に研究した時期があり、一定の影響を与えている。
概要
戦後、辻村隆、濡木痴夢男、明智伝鬼など、多くの緊縛師が捕縄術の技法を参考にしながら、昭和SMの緊縛スタイルを開発してきた。その意味で、捕縄術は、昭和SMに一定の影響を与えているが、決して捕縄術から昭和SMが誕生したわけではない。昭和SMの緊縛の父ともいえる伊藤晴雨が、歌舞伎などの芝居から影響を強く受けて責めの美学を確立したことから考えると、昭和SMのルーツは武術ではなく、大衆文芸にあると考えるべきである。
主な出来事
1530年(天文)頃、この頃に確立した武術、「武内流」が捕縄術の始まりではないかと板津安彦は推察している[1]。
1700年(延享)、徳川吉宗の命により柳生流・亀井孫六重村が各藩伝来の十手術・捕縄術を抜粋し『江戸町方十手術』をまとめる。捕縄術は『江戸町方本縄扱様』『江戸町方早縄扱様』とされた[1]。
1871年(明治4年)、司法省警保寮が創設。
1879年(明治12年)、『茨城県警吏必携』に「捕縛」に関する通知が。
1888年(明治21年)、久富鉄太郎 『警官必携拳法図解』に捕縄の掛け方のイラスト。
1962年(昭和37年)2月、裏窓に名和弓雄『日本拷問史 一』が連載開始。この頃から江戸時代に拷問や刑罰に興味が集まる。その流れで捕縄にも言及のある記事が増える。
1964年(昭和39年)10月27日、小森白関東の『日本拷問刑罰史』が公開。この頃からエロチックな責め場を売りにした映画作品が増える。江戸時代の設定が多いため、時代考証などにSM関係者が関わる機会も増えた模様。
1970年(昭和45年)、辻村隆が篠田正浩『沈黙』での早縄シーンに関して助言[注 1]。
1980年代中頃、この頃濡木痴夢男がが熱心に捕縄術を研究していた模様。濡木痴夢男の緊縛教材(印刷物)にも多くの捕縄術緊縛が登場。
1987年(昭和62年)12月20日、名和弓雄『拷問刑罰史』が出版。捕縄についても解説。
1992年(平成4年)9月15日、板津安彦『与力・同心・十手捕縄』が出版。
1995年(平成7年)9月28日、藤田西湖『図解捕縄術』が出版。
1995年(平成7年)、志摩紫光がビデオ『縛りと責めのテクニック1 女囚古縛』を製作。
1990年代後半、この頃明智伝鬼がが熱心に捕縄術を研究していた模様。「渡し縄」の再現が有名。
2011年(平成23年)6月1日、板津和彦『一達流捕縄術』が出版。
SM雑誌での捕縄術
- 辻村隆・塚本鉄三『後手と高手小手による緊縛美の考察』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, 口絵
- 嶽収一『捕縄雑考』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号, p34
- 伊藤晴雨『女體の縛り方十五種』風俗草紙1953年(昭和28年)9月号, p29 早縄などが引用されている。
- 嶽収一『捕縄術入門』奇譚クラブ1957年(昭和32年)10月号, p138
- 安永勲『私の捕繩研究』S&M縄美人創刊号。
- 特集『苦縛から恥縛へ』S&Mスナイパー1984年(昭和59年)3月号
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 板津安彦『与力・同心・十手捕縄』(新人物往来者, 1992)
注釈
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つながり
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