捕縄術と昭和SM

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嶽収一『捕縄雑考奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号より
久富鉄太郎 『警官必携拳法図解』(1882)の捕縄の掛け方のイラスト。
辻村隆が1970年(昭和45年)に助言したとされる篠田正浩『沈黙』での捕縄シーン。
1988年(昭和63年)頃のSMビデオの編集現場で、自作『濡心流捕繩術秘傳之書』を眺める濡木痴夢男
藤田西湖図解捕縄術』(1995)より。

15世紀に武術であった捕縄術は18世紀に江戸町方十手術、明治に警察逮捕術として引き継がれる。緊縛の直接の起源ではないが、辻村隆濡木痴夢男明智伝鬼志摩紫光などの緊縛師が熱心に研究した時期があり、一定の影響を与えている。

概要

戦後、辻村隆濡木痴夢男明智伝鬼など、多くの緊縛師が捕縄術の技法を参考にしながら、昭和SMの緊縛スタイルを開発してきた。その意味で、捕縄術は、昭和SMに一定の影響を与えているが、決して捕縄術から昭和SMが誕生したわけではない。昭和SMの緊縛の父ともいえる伊藤晴雨が、歌舞伎などの芝居から影響を強く受けて責めの美学を確立したことから考えると、昭和SMのルーツは武術ではなく、大衆文芸にあると考えるべきである。

主な出来事

1530年(天文)頃、この頃に確立した武術、「武内流」が捕縄術の始まりではないかと板津安彦は推察している[1]

1700年(延享)、徳川吉宗の命により柳生流・亀井孫六重村が各藩伝来の十手術・捕縄術を抜粋し『江戸町方十手術』をまとめる。捕縄術は『江戸町方本縄扱様』『江戸町方早縄扱様』とされた[1]

1871年(明治4年)、司法省警保寮が創設。

1879年(明治12年)、『茨城県警吏必携』に「捕縛」に関する通知が。

1888年(明治21年)、久富鉄太郎 『警官必携拳法図解』に捕縄の掛け方のイラスト。

1962年(昭和37年)2月、裏窓名和弓雄日本拷問史 一』が連載開始。この頃から江戸時代に拷問や刑罰に興味が集まる。その流れで捕縄にも言及のある記事が増える。

1964年(昭和39年)10月27日、小森白関東の『日本拷問刑罰史』が公開。この頃からエロチックな責め場を売りにした映画作品が増える。江戸時代の設定が多いため、時代考証などにSM関係者が関わる機会も増えた模様。

1970年(昭和45年)、辻村隆が篠田正浩『沈黙』での早縄シーンに関して助言[注 1]

1980年代中頃、この頃濡木痴夢男がが熱心に捕縄術を研究していた模様。濡木痴夢男緊縛教材(印刷物)にも多くの捕縄術緊縛が登場。

1987年(昭和62年)12月20日、名和弓雄拷問刑罰史』が出版。捕縄についても解説。

1992年(平成4年)9月15日、板津安彦与力・同心・十手捕縄』が出版。

1995年(平成7年)9月28日、藤田西湖図解捕縄術』が出版。

1995年(平成7年)、志摩紫光がビデオ『縛りと責めのテクニック1 女囚古縛』を製作。

1990年代後半、この頃明智伝鬼がが熱心に捕縄術を研究していた模様。「渡し縄」の再現が有名。

2011年(平成23年)6月1日、板津和彦一達流捕縄術』が出版。

SM雑誌での捕縄術

引用文献

  1. 1.0 1.1 板津安彦与力・同心・十手捕縄』(新人物往来者, 1992)

注釈

  1. 奇譚クラブ1971年(昭和46年)1月号の辻村隆 p237 「サロン楽我記」によると、「大映撮影所から電話がかかり」「『沈黙』の緊縛指導にご協力願いたい」「篠田監督に紹介され」「キシリタンが捕吏に捕らえられる際の早縄の掛け方」を「捕吏になる俳優さんにご披露」とある。ところが、奇譚クラブ1971年(昭和46年)2月号の辻村隆 p234 「サロン楽我記」には、「資金繰りがつかず製作中止」「岩下志麻さんらと相まみえる機会も遂になくした」とある。

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