喜多玲子

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概要

喜多玲子は、須磨利之が1949年(昭和24年)の中頃から、挿絵を描く時に好んで用いた変名。須磨利之のページに詳しい。

奇譚クラブ時代の作品

日本画家、小林楳仙の弟子として修行を積んだ須磨利之は、戦後、新聞社に勤めながら、1948年(昭和23年)から奇譚クラブの表紙・挿絵などを手がけるようになる。まだカストリ雑誌の1つでしか過ぎなかった1948年(昭和23年)、10月15日発行の奇譚クラブ(第9號)には、既に須磨利之の作品を認めることができる。影響を受けた画家として金森観陽小村雪岱の名をしばしばあげていたようだ。千草忠夫志村立美からの影響を指摘している[1]

B5版カストリ雑誌時代の奇譚クラブ

奇譚クラブは1952年(昭和27年)5月・6月合併号からB5版からA5版に変更し、いわゆるSM路線を本格化していくが、須磨利之奇譚クラブへの関わりはそれよりもずっと早く、少なくとも1948年(昭和23年)10月の通巻第9号には表紙を含めいくつかの挿絵を須磨利之の名や魁京二明石三平の変名で描いている。喜多玲子の名前が登場するのは、おそらく1949年(昭和24年)9月15日発行の奇譚クラブで、園田光『女への復習』の挿絵と、裏表紙の高村暢児『ルポ 夜のTOBITA』の挿絵が喜多玲子名である。この頃は、まだ柴谷宰二郎らと分担して挿絵を担当していたようだが、1951年(昭和26年)5月号の奇譚クラブ頃になると、ほとんど全ての挿絵を須磨利之が担当しているようである。
カストリ雑誌時代の奇譚クラブには緊縛の絵は、断続的にしか見ることはできないが、最初の縛り絵は、1950年(昭和25年)7月号の伊豆俊夫『地下組織の秘密ナイトクラブをえぐる』の挿絵であろう。約半年後の1951年(昭和26年)2月号『軟派小説決定版』にはかなり本格的な緊縛の絵(片山薫『責めの狂艶絵巻 遊女葦水の最後』の挿絵)が発表されている。以下に例示するように、1951年(昭和26年)前後の奇譚クラブには、喜多玲子美濃村晃竹中英二郎須磨としゆき箕田京二今幾久造といった、その後もよく使われる変名の絵の他にも、明らかに須磨利之の筆と思われる絵が、いろいろな変名(「*」印で区別)で描かれている。多様な読者の嗜好に合わせて、巧みにテイストを変えながらレベルの高い絵を描く、須磨利之の類い希な才能が、30代始めで既に開花しているのが分かる。

A5版時代の奇譚クラブ

1952年(昭和27年)5月・6月合併号以降、1953年(昭和28年)6月号までの1年間、須磨利之はSM雑誌となった奇譚クラブの編集長として手腕をふるったものと思われる。相変わらず多様な手法で挿絵を描いてるが、特に竹中英太郎を真似た、竹中英二郎、えいじろ、竹中英三郎の変名での挿絵が多く、またレベルも高い。挿絵と同時に、「縛られたをんな」等の緊縛美を追究した作品も散発的に発表している。

風俗草紙時代の作品

1953年(昭和28年)6月号を最後に須磨利之奇譚クラブを去る。翌月、東京の日本特集出版社から創刊された風俗草紙は、喜多玲子の作品を絵の中核にした構成で作られており、創刊にあわせて須磨利之を招いたものと思われる。既に喜多玲子としての地位が確立していたためか、約1年にわたる風俗草紙時代の作品は、ほとんどが喜多玲子の名前で描かれた縛り絵、責め絵てある。

裏窓時代の作品

1954年(昭和29年)の春には風俗草紙は廃刊に追い込まれる。風俗草紙の出版社である日本特集出版社のオーナー、夜久勉久保書店のオーナー久保藤吉と小出版社仲間であったようだ。それが関係してか、1955年(昭和30年)頃には、須磨利之装丁による書籍があまとりあ社(久保書店の別名)から出版されている。そして、1956年(昭和31年)には、須磨利之を編集人とした『裏窓[注 8]を発行することになる。奇譚クラブの編集長時とは異なり、ここでは自らが多数の名前を使って多様な絵を描く必要ななかったようだ。実力のある絵師を使いながら、自らもしばしばレベルの高い作品を書いたり、濡木痴夢男の小説に挿絵を書いたりしている。奇譚クラブ時代の美濃村晃の名前が復活している。1962年(昭和37年)1月号より編集長は濡木痴夢男に交代しているが、引き続き裏窓に絵を提供している。40代に入り、アーティストとしての安定したスタイルを確立した時期である。

SM雑誌]時代の作品

引用文献

  1. 千草忠夫美濃村さんと私S&Mスナイパー1992年(平成4年)7月号

注釈

  1. 藤安節子(高村暢児)「ルポ 夜のTOBITA」への挿絵。
  2. 藤安節子(須磨利之の変名か?)の小説への挿絵。
  3. 三村幾夫(須磨利之の変名か?)の小説への挿絵。
  4. 松井籟子の小説への挿絵。
  5. 作:高月大三、絵:喜多玲子とすべきところを忘れただけかも知れない。他の号ではこのコンビの記載になっている。
  6. 文と絵からなるシリーズ物として連載。
  7. 高月大三の小説に喜多玲子で挿絵。
  8. 最初は『かっぱ』という誌名でスタート。
  9. 円城寺達の挿絵。
  10. 藤見郁の挿絵。

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