風俗科斈
ふうぞくかがく。1953年(昭和28年)から2年ほど出版された雑誌。上田青柿郎の緊縛写真グラビアや分譲写真も。早い時期から同性愛関係の写真や記事。
概要
「愛と夢を文化人のために」のサブタイトルのもと、1953年(昭和28年)から2年ほど出版された雑誌。一時期、上田青柿郎の緊縛写真がグラビアに登場し、分譲写真も販売されていた。初期には「監修:武野藤介」とあり、あまとりあの流れをくむ雑誌として発行されていた模様。同性愛に力をいれていた模様で、1953年(昭和28年)には「風俗科学研究会(FKK)」という同性愛者のサークルを組織していた。
発行年・出版社
1955年(昭和30年)頃まで続いた模様。
発行人・編集人
発行人:西條道夫、町田伸工
編集人:西條道夫、町田伸五、手塚正夫
監修:武野藤介
主な出来事
1953年(昭和28年)8月20日、創刊号。西條道夫が編集・発行人。「武野藤介先生にお願いして特異風俗研究会を作る」とある。
1953年(昭和28年)10月15日、第2号。西條道夫が編集・発行人。表紙に監修:武野藤介とある。「特異風俗研究会の規約を近日中に入会希望者に送る」とある。有料3行広告の読者交流欄のようなものを開始。
1954年(昭和29年)2月15日、第2巻第2号。西條道夫が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。駒木哲郎『サド・マゾの心理解剖 嗜虐に酔える女たち」。上田青柿郎の分譲写真の案内「耽美派通信」。
1954年(昭和29年)3月20日、第2巻第3号。西條道夫が編集・発行人。緊縛写真がグラビアに。上田青柿郎の分譲写真の案内。イラストの安田たか子は中川彩子の作風に似ている。「風俗科学研究会」(FKK) の広告[注 2]。表紙:月田孝吉。枝島善平:ニコヨンの性生活白書」「田島新:女のアプレ風俗商売」「河竹春陽:チョン斬りレポート」「当代風俗売文家ブラックリスト:伊藤晴雨/岡田甫/斎藤昌三/高橋鐵/正岡容/原比露志/他」、
1954年(昭和29年)4月20日、第2巻第4号。西條道夫が編集・発行人。
1954年(昭和29年)5月20日、第2巻第5号。町田伸五が編集・発行人。上田青柿郎の緊縛写真がグラビアに。表紙:月田孝吉、口絵:安田たか子/島崎あき子。星俊之介:密林の人猟女」「尾崎栄太郎:女護ケ村受難記」「藤原弥吉:番台娘は何を見たか」「青山茂:バタフライ蒐集犯」
1954年(昭和29年)6月20日、第2巻第6号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。同性愛を取り扱う「風俗科学研究会」(FKK) のことが書かれている。
1954年(昭和29年)9月20日、第2巻第9号。編集人:手塚正夫、発行人:町田伸五。
1955年(昭和30年)2月24日、第3巻第2号。編集人:西條道夫、発行人:町田伸五。
1955年(昭和30年)3月14日、第3巻第3号。編集人:西條道夫、発行人:町田伸五。
エピソード
- 1954年頃に上田青柿郎がいたと賀山茂がネットに書いている。
- 昭和28年の8, 10, 11, 昭和29年6月号は裏表紙にイモリのロゴが。昭和29年1-5月, 9月号、昭和30年の2, 3月号の裏表紙は別のロゴ。また、表紙に「第三文庫版」とあるのが、他の版の存在を示唆して気になる。
- ホモ記事が多かった。
- 太刀川京子の挿絵などはSM画である。