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*[[大塚啓子]]『'''女体自刃擬態とそのアップ'''』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196205/01/023.html グラビア]
*[[大塚啓子]]『'''女体自刃擬態とそのアップ'''』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196205/01/023.html グラビア]
*[[大塚啓子]]『'''女体切腹擬態連続フォト'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)9月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196409/035.html グラビア]
*[[大塚啓子]]『'''女体切腹擬態連続フォト'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)9月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196409/035.html グラビア]
*[[室井亜砂二|室井亜砂路]]『'''僕のイメージ画集「緊縛と[[切腹]]」'''』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)4月号
*[[江戸川重郎]]『'''哀憐[[切腹]]三態'''』[[SMファンタジア]]1973年(昭和48年)No.8
*[[江戸川重郎]]『'''哀憐[[切腹]]三態'''』[[SMファンタジア]]1973年(昭和48年)No.8
*『'''[[早乙女宏美]]切腹写真大全'''』(永田社, 2002?)
*『'''[[早乙女宏美]]切腹写真大全'''』(永田社, 2002?)

2024年10月3日 (木) 12:10時点における版

奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号中康弘通少年および女性の切腹』の挿絵。おそらく喜多玲子の作品と思われる。

せっぷく。日本特有のフェティシズム。古典芸能のモチーフとして古くから存在。奇譚クラブ風俗奇譚などでも頻繁に取り上げられた。中康弘通青山芳樹の文、喜多玲子滝麗子北原純子畔亭数久室井亜砂路らの絵、早乙女宏美のパフォーマンス。分譲切腹フォトも。

概要

奇譚クラブが取り上げたいろいなフェティシズムの中でも、特に記事や絵画の多いジャンル。1950年代初期から数多くの記事、小説、絵、写真が発表された。

歴史

988年(永延二年)、怪盗、袴垂保輔が、源頼光、同四天王、平井保昌に攻立てられ「腹を刺し切り、腸を引き出し」たが死に切れず、検非違使庁へと実き出されて死刑となる[1]

1170年(嘉応二年)、源為朝が、平家の軍船に攻められ、伊豆の大島で、切腹[1]

1840年(天保十一年)、この頃に作法が確立しはじめる。上州沼瑠藩士工藤行広の『自刃録[注 1]』など[1]

1973年(昭和48年)10月1日、『Deluxe Qt!』 10月臨時増刊号として出たSMファンタジアNo.9に切腹関連の記事、写真が多数。

1973年(昭和48年)11月〜12月、日劇ミュージックホールでの『白い肌に赤い花が散った』公演の第15景で、武智鉄二演出の『女腹切り』。出演は高見緋沙子[2]

1989年(平成元年)春、春原悠理切腹にフーカスした不二企画のレーベル『ライトブレーン』をスタート[3][4]

1989年(平成元年)4月23日、『ライトブレーン』レーベルの第1作である『女腹切り・散華』の撮影。

2011年(平成23年)1月9日に風俗資料館で女性切腹同好会『桐の会』と早乙女宏美企画による『第一回 切腹懇親会』が開催。

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切腹関連写真

桐の会

女性切腹マニアの会。

分譲切腹フォト

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ギャラリー

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トピックス

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 切腹の歴史奇譚クラブ1956年(昭和31年)9月号
  2. 2.0 2.1 風俗奇譚1974年(昭和49年)3月号
  3. Trevor Brownによる1992年の秋田昌美へのインタビューより。
  4. 春原悠理 私信 to U, 2014.7.13

注釈

  1. "切腹の作法″〝検視の作法〞〝介護の作法″に分れ、本式の切腹としてはへソの上一寸ばかりの、左から右へと引き廻す。あるいは、へソの下通りがよし。深さは、三分か五分まで、ついで左手を刀の右手に持ち添えて、右のけい動脈をかき切る

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