「雪村春樹」の版間の差分

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==動画以外の作品==
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===写真集===
===写真集===
*『'''写縛'''』([[大洋図書]], 1996.10.5)(編集人:[[青砥純子]]、発行人:[[山本正昭]])
*『'''[[写縛]]'''』([[大洋図書]], 1996.10.5)(編集人:[[青砥純子]]、発行人:[[山本正昭]])
*『'''縛 第一章'''』([[サンセットカラー]], 1998)(緊縛師:[[雪村春樹]]、写真:[[岡克己]]、[[渡辺辰巳]]、[[日暮圭介]]、モデル:真咲麻衣、井上さつき、田中虹子)
*『'''縛 第一章'''』([[サンセットカラー]], 1998)(緊縛師:[[雪村春樹]]、写真:[[岡克己]]、[[渡辺辰巳]]、[[日暮圭介]]、モデル:真咲麻衣、井上さつき、田中虹子)
*[[高橋ジュンコ]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4813005020/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4813005020 '''Trans body bondage―雪村春樹の緊縛''']』([[ワイレア出版]], 1998)(ビデオ附属)<ref group="注">動画のみが2019年8月2日に大洋図書から『'''TRANS BODY BONDAGE 縄の追憶'''』(TNH-21)としてDVDで再販。</ref>
*[[高橋ジュンコ]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4813005020/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4813005020 '''Trans body bondage―雪村春樹の緊縛''']』([[ワイレア出版]], 1998)(ビデオ附属)<ref group="注">動画のみが2019年8月2日に大洋図書から『'''TRANS BODY BONDAGE 縄の追憶'''』(TNH-21)としてDVDで再販。</ref>
*[[雪村春樹]]『'''[[襦袢]]'''』([[ミリオン出版]], 1999)(写真:[[日暮圭介]]、[[渡辺辰己]])
*[[雪村春樹]]『'''[[平成緊縛画報]] 上の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002)
*[[雪村春樹]]『'''[[平成緊縛画報]] 上の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002)
*[[雪村春樹]]『'''[[平成緊縛画報]] 下の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002)
*[[雪村春樹]]『'''[[平成緊縛画報]] 下の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002)

2021年10月13日 (水) 09:00時点における版

雪村春樹(1948 - 2016)

ゆきむら はるき、1948年(昭和23年)5月11日-2016年(平成28年)3月3日

概要

緊縛師。AV監督。映像プロデューサー。写真家。もともとはAV監督として緊縛に関わっていたが、縄をかける過程での女性の動的な美を引き出すために、雪村春樹が出演者として作品中で女性を縛り始めた。このような活動の延長として、1990年代中頃から、「縛り過程のダイナミクス」と「受け手とのコミュニケーション」を重視した、独自の緊縛スタイルの確立に取り込み、2000年代には『雪村流』として完成させている(詳しくは『雪村流』のページ参照)。数多くのAV作品を制作しており、その詳細な作品リストは『雪村春樹動画作品リスト』にまとめてある(進行中)。

別名

Haruki Yukimura天津比呂志、アマツヒロシ、六すけ六助

略歴

1948年(昭和23年)5月11日、兵庫県西宮市に生まれる[注 1]

高校

うどん

知り合い」tv

1982年(昭和57年)、S&Mスナイパーに作品発表開始[1]

1984年(昭和59年)、毎日放送の「ワイドyou[注 2]」やサンテレビの「大人の子守歌[注 3]」の製作・出演。毎日放送ではレポーター・天津比呂志、サンテレビでは写真家・雪村春樹として登場。

1984年(昭和59年)6月、SMスピリッツ6月号に『浪華あぶとぴあ』のエッセイ。これに先立ち4月号の編集後記に中原冬一朗が連載予告。

1984年(昭和59年)9月、S&Mスナイパー9月号に「大阪の写真師・雪村春樹サンが、本紙宛てになかなかカルチャーっぽい写真を送ってくれました」と緊縛写真が掲載。

1985年(昭和60年)頃、雪村春樹の名前で「写真時代」に作品発表。

1987年(昭和62年)、TV・新聞の取材プロダクションを設立。

1988年(昭和63年)、上京してAV制作を始める[1]廣木隆一に誘われピンク映画の監督[2]

1989年(平成元年)、VIPで作品制作。

1989年(平成元年)、『縄炎 ~美濃村晃の世界~』(シネマジック)を監督。

1990年(平成2年)、大洋図書より『Bondage Fantasy』『雪村春樹の世界[注 4]』シリーズ。

1992年(平成4年)、サンセットカラー設立。第一作は『縄奉仕 濡れる森村麗子』でマンションで3人のスタッフで撮影[3]

1992年(平成4年)6月25日、『束縛のヴィーナス』(メディアックス, 1992.6.25)(発行人:小林直樹、編集人:小林孝之)に繩師 Hiroshi Amatsuとして出ている。

1993年(平成3年)4月、大洋図書『新・縄の世界1』で濡木痴夢男と共演。

1994年(平成6年)、新宿ゴールデン街劇場などで「Y's Play Bondage」ライブを開始。ライブ録画は『Y’s PLAY BONDAGEシリーズ』としてビデオ化される。

1994年(平成6年)9月1日、大洋図書6Fスタジオで「Y's Play Bondage」のプレビュー。不二秋夫佐藤義明が参加[4]

1994年(平成6年)11月27日、第1回「Y's Play Bondage」。出演:叶順子小夜

1994年(平成6年)頃、小夜伽雪村春樹の事務所で過ごすようになる[5]

1995年(平成7年)7月16日、「Y's Play Bondage」大阪ライブ。あべのスキャンダルにて。モデル:小泉しおり

1995年(平成7年)8月、S&Mスナイパー8月号から『縄奉仕それが人生』連載開始。写真・構成:雪村春樹グループ、文:小夜伽

1996年(平成8年)10月、SMマニアに『雪村春樹の淫縛彷徨』連載開始。

1997年(平成9年)6月、S&Mスナイパー6月号から『うたたかのとき』連載開始。

1997年(平成9年)7月20日、田中スタジオB1にて「Y's Play Bondage」。ハニーアーツ名でS&Mスナイパー8月号に情報。

1997年(平成9年)10月、S&Mスナイパー10月号から『究極の緊縛美がここにある』連載開始。

1998年(平成10年)、ワイレア出版から高橋ジュンコTrans body bondage―雪村春樹の緊縛』発行。

1998年(平成10年)、S&Mスナイパー10月号から『伝統の禁断エロス!! KINBAKU NIPPON』連載開始。文:小夜伽、写真:岡克己。2000年(平成12年)5月までの20回。

1999年(平成11年5月21日、ロフトプラスワンにてダーティ工藤プレゼンツ『縄文式』トーク&ライヴ「そろそろSMについて語ろうか」【出演】杉作J太郎、雪村春樹、小夜伽、吉田チホ、早乙女宏美、MS.ローズ、東陽片岡、冠木新市、東ノボル、中村淳彦ゴールドマン

2000年(平成12年)、S&Mスナイパー日暮圭介の写真で連載。

2002年(平成14年)11月頃、X CITYより『雪村春樹の世界』配信開始。

2003年(平成15年)4月頃、X CITYよりサンセットカラーの動画コンテンツ配信開始。

2004年(平成16年)6月16日、X CITYより緊縛写真コンテンツ『隷嬢礼讃』配信開始。

2007年(平成19年)8月5日、新宿ゴールデン街劇場で「Y's PLAY BONDAGE

2007年(平成19年)10月18日、新宿ゴールデン街劇場で「Y's PLAY BONDAGE stage12[注 5]

2008年(平成20年)10月11日〜17日、アップリンクファクトリーにて『縛詩』上映。

2012年(平成24年)3月、WEBスナイパーに『雪村春樹FLASH緊縛グラビア「現代成熟交合」』連載開始。

2012年(平成24年)8月20-24日、長田スティーブのコペンハーゲン道場にて緊縛教室雪長マックスがオーガナイズ。

2012年(平成24年)11月4日、studio abにてsaikicks主催の緊縛撮影会。モデル:羽月希、写真:saikicks

2012年(平成24年)12月12日〜19日、Master "K"の招聘で米国ロサンゼルスで講習会。春晏と。

2013年(平成25年)1月27日、六本木倶楽部にて雪村春樹緊縛撮影会をスタート。モデル:水城奈緒

2014年(平成26年)3月12−25日、オーストラリア遠征。春晏と。

2014年(平成26年)3月15-18日、オーストラリアの Sydney Rope Dojoでワークショップ。Hebariがホスト。

2014年(平成26年)3月20-23日、オーストラリアのMelbourne Rope Dojoでワークショップ。Scottがホスト。

2015年(平成27年)9月、新レーベル「宵猫」を発足。

2016年(平成28年)3月3日、永眠。

2017年(平成29年)9月17日、DX歌舞伎町SM大会において『雪村流 縄遊戯 縄で情をかわす』が開催。出演:椿あると&彩姫一花金太郎&紫月いろは春翔&かさいあみ春宵&春繭&わかみほ

エピソード

  • 小学校5年の時にチャンバラごっこで縛った時に熱いものを感じたこともあったが、中学・高校はスポーツに没頭していた。女気なく、一途なところああった[6]
  • 1950年代、父親の持っていた本の中の緊縛絵画に心を惹きつけられる[7]
  • 子供の頃は映画全盛時代で、時代劇の緊縛シーンは定番[6]
  • 20代に近所のスナックの女性に熱をいれ、その後女性経験を積む[6]
  • 高校を出て商業写真の会社に入りカメラを始める。器械、クスリ、トラクターなどが中心で人間は撮影していない[6]
  • 1960年代、父親が死んだ後[2]、母親とうどん屋を経営[7]。この頃から人物写真を撮り始め、うどん屋をやめてからフリーの写真家として雑誌に投稿などを始める[6]
  • 毎日放送は天津、サンTVは雪村春樹でTVに出だす[6]
  • 1970年代、写真撮影の仕事に専念[7]
  • 30才ぐらいで初めて自分で縛り、自分で緊縛写真を撮影[6]
  • 雪村春樹」の名前は中原冬一朗が命名[2]
  • 自らのスタイルを『愛撫縄』と呼ぶこともあり、責め縄と対極をなす。
  • TVや映画などの企画家、脚本家としての経験も、質の高い緊縛映像作品製作に生かされていると思われる。
  • 初期の昭和SMにもつながる、その日本情緒あふれる緊縛は海外にも支持者が多い。
  • 40才を過ぎてからプロの緊縛師として登場したが、短期間でトップの緊縛師としての地位を確立した。
  • 緊縛術は独学である[7]
  • 太さ4ミリで長さ7メートルの麻縄を半分折にして使っている。
  • ヌード写真の撮影時に、女性モデルの恍惚表情を引き出すために緊縛を使い出した[7]
  • 雪村春樹」という名前は、写真を発表していた雑誌の編集長がつけた[7]
  • 荊子飛室イヴ春晏長田スティーブなどが雪村の指導を受けている。
  • 門下生に「春」のつく号を与えている。雪村流のページ参照。
  • 高槻彰監督の作品で、画面の前面に出るスタイルが始まった。
  • 写真家の日暮圭介は実子[8]
  • (2015年頃)2本撮りで必要な経費は7-80万円。3000円の利益で200本以上売れないと赤字[6]
  • SMセレクトに連載されていた美濃村晃氏の緊縛写真がきれいにコレクションされていた。」[9]
  • 「雪村先生の縛りを側で見て一番理解しているのは、さやかさんとけいすけさん。このお二人を外して雪村流は語れない。雪村先生の体力的ピークの頃に縄を受け、それを言語化し、のちにお仕事でも支えたのがさやかさん。雪村先生の緊縛写真を撮り続けたのがけいすけさん。映像であの世界観を作ったのは、今は亡き照明ならぬ照明の金子さん、長回しの雪村作品をいい間と画角で撮ってくれると言うカメラのわたなべさん。」(春晏tweet. 2020.11.9)

雪村春樹追悼記事

(date based on Tokyo time)

雪村流

1990年代中頃から、雪村春樹は緊縛の「縛り過程のダイナミクス」と「受け手とのコミュニケーション」を重視した、独自の緊縛スタイルの確立に取り込み、2000年代には雪村流として完成させている。

詳しくは雪村流のページ参照。

雪村春樹動画作品リスト

1988年(昭和63年)頃に上京した雪村春樹は、1989年(昭和64年)から、天津比呂志名でVIPエンタープライズから、雪村春樹の名前でシネマジックからAV作品を発表し始める。1990年(平成2年)からは大洋図書を販売元とした作品を出し始めるが、大洋図書をバックとした独自のレーベルハニーアーツを立ち上げ、緊縛を中心とした作品を製作する。1993年(平成5年)頃からはサンセットカラーも設立し、『縄奉仕シリーズ』『雪村春樹コレクション』などをリリース。2000年代後半には明和プランニングから『雪村春樹全集』『LiVE』などを、カオカコミュニケーションからほたるいかレーベルで『真・雪村春樹大全集』などをリリース。2009年(平成21年)からは赤ほたるいかレーベルでカオカコミュニケーションから『雪村流』『縛師伝』シリーズなどを製作している。

詳細は雪村春樹動画作品リストのページ参照

主な動画作品

  • 一般映画
不貞の季節』(Y・F・C=スローラーナー, 2000)(製作:横畠邦彦 成田尚哉、原作:団鬼六、脚色:石川均 、緊縛指導:雪村春樹、出演:大杉漣 星遙子村上淳山崎絵里 しみず霧子)
縛師』(ジェネオン エンタテインメント, 2007) (廣木隆一監督。他に、有末剛, 雪村春樹, 早乙女宏美, 杉浦則夫, 卯月妙子が出演)。
縛詩 BAKUSHI』(GPミュージアムソフト, 2008)(企画:天津比呂志、監督:安原伸、営業統括:山田浩貴、出演:雪村春樹 雪村春飄 雪村春宵 雪村春雛 ミュウ なな 小室芹奈 すみれ 小夜伽 小春)
縄炎 ~美濃村晃の世界~』(監督作品。シネマジック, 1989年)など多数。
雪村春樹の世界 1991
Bondage Fantasyシリーズ など多数
Y’s PLAY BONDAGEシリーズ など多数
雪村春樹縄奉仕シリーズ
雪村春樹コレクション
雪村春樹全集
雪村春樹LiVEシリーズ
雪村春樹全集
雪村春樹名作集
雪村流シリーズ
縛師伝

緊縛教材

タイプ1

タイプ2

緊縛教材(印刷物)

動画以外の作品

写真集

雑誌

連載

雪村春樹語録

縄尻

  • 「縛った相手の縄尻を引いたり強弱をあたえコミュニケーションを取りながら、縛りのパターンを変化させて遊ぶのがいちばんの醍醐味。縛ってゆくうち、あうんの恋愛劇みたいなことになる」(Twitter, 2014)
  • 縄尻の持ち方はたとえば、釣りの糸… 釣り糸に気持ちをこめて引くような感じです。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2013)
  • 「縄に荷がかかるのを感じてから縛らんと相手に馴染まん縄になる」(Twitte, 2015.11.26)
  • 「基本 親指と人さし指で引くことが多い 引く角度 強さ 縄尻の握り方でコミニケーションが変化して面白い」(Twitte, 2015.11.29)
  • 「縄の行き先で気持ちも変わるんやでぇ。」(私信 to U)

縄遊戯

  • 「SMプレイはやっぱり、駆け引き・・・技の出し方みたいなもんやろ。」(S&Mスナイパー1997.10)
  • 「縄で、情をかわす。縛りって格闘技や。言葉のない、恋愛小説みたいやて。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2014頃)
  • 「わしの縄は『情』で縛る縄なんで、女性にとっては『なんぎな縄』や」(私信 to U)
  • 「触ったら終わりや」(私信 to U)
  • 「縛るこちらのきもちも伝えながら相手とコミュニケーションしながら縛るということが、とても重要」(Twitter, 2014)
  • 「羞恥心 マゾの仕草など楽しむには、座ってアドリブでしばる。立ったままで縛るよりも相手との関係性が多様。だからこちらの縄裁きも複雑になって面白いわけで まー 立って縛ったら、作業になるからなぁ」(Twitte, 2015.11.27)
  • 「縛ってる女に気持ちが入っているときはいいが、縛ることだけに気持ちがいくとプレイはだるくてみてられない」(Twitte, 2015.12.08)
  • 「縛り手はなるべく動かないほうがええ。布団の上で座って縛るし、相手を動かすほうが説得力あるというか、もう俺のもんやで…ゆう感覚味わってもらえるというか。マーこちらがバタバタ動くとカッコつかんしな。」(Twitte, 2016.1.13)

ゆる縄

  • 「俺の縄はゆるいねん。ゆる縄や。ただそのゆるさの中で女は芝居すんねん。」(緊縛の情愛)
  • 「きつうしばるのはだれでもできるけど弱く縛るのは難しいんや。」(私信 to U)
  • 「『縄のあそび』いうてんやけどな。自動車のハンドルにも『あそび』ってあるやろ。あれと一緒や。ガチガチに縛ってもうたら、気持ちよう芝居でけへん。」(緊縛の情愛)
  • 「Mはリアクションしたいねん。もって生まれた芝居心いうかな。そのパリエーションやキャラが多いほど面白いわけや。」(緊縛の情愛)
  • 「M女も、M女する舞台あげてやらんとできへん。」(緊縛の情愛)
  • 「縛りの強さや締め具合。「ここ」の塩梅はそれぞれに違う。だから初めての縄はゆるく縛る… 相手の反応みながら、やりとり駆け引きしながら締めてゆく。」(Twitter, 2016.2.24)

女の人

  • 「ほんまに怒った顔とか、ほんまに苦しい顔とかは、あんま見たないな。」(緊縛の情愛)
  • 「女の人は何度イかしても往生せぇーへんからな。」(私信 to U)
  • 「ホンマに尽くすM女なんて知らんわ。」(私信 to U)
  • 「『舐めたろか』も『舐めさせてください』も同じことや」(私信 to U)
  • 「一回目で向こう(M女)はこちらの容量がわかる。受け手の方がわかる。」(私信 to U)
  • 「女の人喜ばそうと思うと、いろんなことせなあかんから、大変や。」(私信 to U)

縄について

  • 「いつも私が使用する縄は太さ4ミリ、混合繊維の麻縄です。粗めの三本縒りの縄です。」「細かい三本縒りの縄は頑丈で強く、締まりも良いのですが、強弱をつけて縛る私としてはあまり締まりすぎると解きにくいので苦手。縛られる相手の肌も傷が深いようやし。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2012)
  • 「太さ4ミリで長さ7メートルの麻縄を半分折にして使っています。」「4ミリという太さは女性の手首や足首を縛ったときに見た目のバランスが良い。あまり太すぎると手首と足首の華奢なラインが消えてしまうからです。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2013)
  • 「ほんまは4.5ミリやけど、すぐに4ミリになってまう」(私信 to U, 2016.1.29)
  • 「最近は体格のいいM女さん多いから、7.5mにしとる」(私信 to U)
  • 「まぁ、太い縄使う時もあるけど、それはそれや。自分の表現でいえば4ミリやねん。」(緊縛の情愛)
  • 「(縄は)、撮影で使っとると半年で切れんねん。保たへんから縄に執着する時間もあれへん。」(緊縛の情愛)
  • 「縛る作業見せられてもかなん。何を見せたいのか分からん[6]。」
  • 「みんな受け手のこと考えてへんやん。自分のことばっかり考えてる[6]。」

引用文献

  1. 1.0 1.1 公式サイトのプロフィールより
  2. 2.0 2.1 2.2 ポポロ石川情愛縛りの真髄』 in 「緊縛の情愛 雪村春樹写真集」(三和出版, 2014.9.20)
  3. 雪村春樹の女と繩と縛師の生きざま! 緊縛狂時代S&Mスナイパー2007年9月号
  4. S&Mスナイパー1994年(平成6年)12月号
  5. S&Mスナイパー1995年(平成7年)8月号『縄奉仕それが人生』より。
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 6.9 雪村春樹 私信 to U. 2015.1.13
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 縛詩 BAKUSHI』(GPミュージアムソフト, 2008)の中でのインタビューより
  8. 雪村春樹 私信 to U. 2014.2.26
  9. 井上文斯界に輝く巨星たち、その胸中に迫る! サデイスティック・クロニクルS&Mスナイパー2004年(平成16年)8月号

脚注

  1. 「甲子園口から、西淀川、豊中、守口と移って来た」(私信 to U, 2014.6.12)
  2. 1982年10月から1990年9月まで一部TBS系列局で放送された毎日放送(MBS)制作のワイドショー。
  3. 1983年10月から1987年3月まで毎週土曜日深夜23:30 - 24:24(JST)に放送されていた。
  4. 「西から危ないおっさんがやってきた」とジャケットに。
  5. ビデオの「Y's PLAY BONDAGE stage14」が1996年代なので、番号が不一致。
  6. 動画のみが2019年8月2日に大洋図書から『TRANS BODY BONDAGE 縄の追憶』(TNH-21)としてDVDで再販。

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