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2017年10月25日 (水) 21:34時点における最新版
おずま かなめ、1939年(昭和14年) 1月19日- 2011年(平成23年)9月27日。1965年頃から奇譚クラブに小妻容子として読者投稿を始め、1970年代から『SMキング』『別冊SMファン』『SM秘小説』などの表紙を含めた精力的な創作活動。刺青・豊満女性画が特徴。元日本出版美術家連盟副会長。
概要
絵師。10代の頃から叔父である日本画家、坂井草子に絵の手ほどきをうける。大学卒業後、デザイン会社に就職し、1965年(昭和40年)から奇譚クラブに責め絵の投稿を始めている。1970年代のSM雑誌ブームで一躍、責め絵師として注目を集め、SMセレクト、SMファン、SMキング、別冊SMファン、SM秘小説、SMクラブ、SM奇譚などの主たるSM雑誌に多くの作品を発表した。刺青美人画を得意とし、国内外に多くの支持者をもつ。元日本出版美術家連盟副会長。
別名
Kaname Ozuma 小妻要 小妻容子 小妻容[注 1] 坂井勝利(本名)
略歴
1939年(昭和14年)、新潟県柏崎生まれ。
1950年(昭和25年)、叔父の日本画家・坂井草子(坂井辰次)に師事。
1956年(昭和31年)、上京、中央美術大学院入学
1958年(昭和33年)、肺結核療養のため新潟県柏崎市に戻る。
1959年(昭和34年)、柏崎市の小田印刷デザイン部に入社、画判、版下担当。
1962年(昭和37年)、再度上京。戸井版画工房入社。
1965年(昭和40年)、栗津画廊にて画業育成の指導を受ける。
1965年(昭和40年)、奇譚クラブ9月号に小妻容子『黒いコートの記憶から』が懸賞入選作品として掲載。
1968年(昭和43年)、栗津画廊を辞し、新聞、雑誌などの挿画、表紙画、口絵を描く。
1972年(昭和47年)、小妻要画集『女人幻想』(萃擁社)刊行。
1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロとサン出版の企画による箱根での慰労会[1]。出席者は団鬼六、美濃村晃、堂昌一、小日向一夢、千草忠夫、安芸蒼太郎、小妻容子、前田寿安、沖渉二、古正英生、東桂史、中島喜美、織裳雪夫、松井籟子、蘭光生、天堂寺慎、山田彬弘、曽我部泰、佐藤重臣、ネコ、マリ。
1974年(昭和49年)6月、『SMキング』6・7月合併号から表紙を担当。
1976年(昭和51年)4月、『別冊SMファン』の表紙を担当を描き始める。
1982年(昭和57年)4月、『SM秘小説』の創刊号からの表紙を担当。
1984年(昭和59年)4月、SMクラブ4月号に中野正人によるインタビュー記事[2]。
1986年(昭和61年)、中央区銀座ロイヤルサロンギンザに於いて個展開催。
1986年(昭和61年)、小妻要、沢登みよじ、西村春海、堂昌一、沢鬼レオの日本出版美術家連盟会員と合同で「艶5人展」を開催[3]。
1987年(昭和62年)1月、S&Mスナイパー1987年(昭和62年)1月号の四方雅人『新訳本朝画人伝 第四回 正統 小妻要』に取り上げられる。
1987年(昭和62年)4月21-26日、ロイヤルサロンギンザにて『出版画実術家連盟8人展<艶>』。小妻要、小悪征夫、堂昌一、沢登みよじ、レオ澤鬼、西村春海、日影眩、前田寿安。
1987年(昭和62年)、小妻要、沢登みよじ、堂昌一、西村春海、レオ澤鬼で「艶5人展」発足[注 2]。
1991年(平成3年)11月17日、抜弁天スタジオで緊美研第70回例会。モデル:佐伯リカ。小妻容子、室井亜砂二が出席[4]。
1997年(平成9年)、報知新聞、文芸家クラブ大賞、挿画賞受賞。
2009年(平成21年)、ヴァニラ画廊に於いて個展。『刺青美女・縄の情念と柔肌の』
2009年(平成21年)9月18日〜11月28日、風俗資料館にて『小妻容子秘画帖~豊艶の濫り~』
2010年(平成22年)1月、初代彫蓮とボディーペイントショーコラボ制作。
2010年(平成22年)8月26日ー9月18日、ロサンジェルス「Known Gallery」にて"OZUMA KANAME & HORIYOSHI III - IREZUMI BIJIN"が開催。
2011年(平成23年)9月27日、永眠。
2012年(平成24年)9月25日~10月7日、画廊浅草ブレーメンハウスに於いて『小妻容子追悼絵画展』。
2013年(平成25年)5月3日~5月14日、京都・京町家ぎゃらりぃほりかわに於いて『小妻容子三回忌原画展』。
2015年(平成27年)3月10日-31日、六本木ナイトギャラリーCROWにて『小妻容子 vs 志摩紫光 責め画展』開催。
2015年(平成27年)5月5日~5月17日、ギャラリー新宿座にて『一人称二人展(小妻要・小妻容子原画展)』
2017年(平成29年)5月28日〜6月11日、アビリティ巣鴨駅前スタジオにて『小妻容子七回忌原画展』
2019年(令和元年)9月15日〜30日、芳賀書店本店にて『小妻画伯追悼原画展』
2022年(令和4年)9月15日〜28日、心斎橋ギャラリーA stairにて『小妻容子 小妻要 追悼原画展 刺青美人』
- 18日にはLoft PlusOne Westにて『刺青美人原画展開催記念ライブ 【芸術ハードコア】』対談:志摩紫光・木佐貫真照・藤本修羅(MC 大黒堂ミロ)、緊縛ライブ:上条早樹×上条響、映画「ITECHO」劇場未公開シーン初上映。
エピソード
- ダンス教師をやっていたことがある[5]。
- 柏崎市の印刷会社時代に、地元のヤクザの女に手を出し半殺しにされる。逃げるように再上京[5]。
- 奇譚クラブへ投稿した初期の絵からも分かるように、太った女性に対する嗜好があったようで、独自のスタイルを確立した後も、しばしば豊満な女性の責め絵を描いている、
- 2012年からの「原画展」は志摩紫光が中心にプロデュース。
作品
奇譚クラブに読者投稿した初期の作品
- 小妻容子『黒いコートの記憶から』奇譚クラブ1965年(昭和40年)9月号, p32
- 小妻容子『妊婦受難二題』奇譚クラブ1968年(昭和43年)1月号, p23
- 小妻容子『操り人形セット』奇譚クラブ1969年(昭和44年)1月号, p248
- 小妻容子『引き責め』奇譚クラブ1969年(昭和44年)10月号, p239
その他の雑誌
- 小妻容子『翳りある乙女』ブラックナイト1972年(昭和47年)8月号
- 小妻要『SM画展』サスペンスマガジン1973年(昭和48年)7月号
- 小妻要『美女の奴隷ショー』SMマガジン1973年(昭和48年)8月号
画集
- 小妻要『女人幻想』(萃擁社, 1972)
- 小妻要『幻鏡』(日本出版社, 1976)
- 小妻容子・前田寿安・椋陽児『悦虐肌秘画三人集 艶女 惑溺の被戯宴』(ヤック翔龍社, 1980頃?[注 3])(企画・編集:魁歓社、編集・発行人:吉田国人)
- 小妻要『女人藍像―小妻要〔刺青〕美人画集』(辰巳出版, 1995)
- 団鬼六『異形の遊戯』(ワニマガジン, 1996.7.10)(発行人:平田昌兵、アートディレクション:武田和久、写真:山崎シンジ、緊縛師:明智伝鬼、長池士、絵:春日章、小妻要、春川ナミオ、モデル:小川実那子他)
- 小妻要『刺青妖艶花―TATTOOing』(二見書房, 2000)
- 小妻要『藍の華―Tattoo fantasy』(二見書房, 2003)
- 小妻容子『刺青美浪漫』(マイウェイ出版, 2005)
- 小妻容子『小妻容子秘画帖 豊艶の濫り』(大洋図書, 2009)
- 『秘禁縄淫画廊』(マイウェイ出版, 2008)
- 小妻要『刺青美人画 女人倶利迦羅肌』(二見書房, 2010)
- 小妻容子・鬼頭暁・笠間しろう・前田寿按『秘婉』(マイウェイ出版, 2011.1.28)
ギャラリー
関連記事
- 中野正人『小妻容子 <刺青画>の世界』SMクラブ1984年(昭和59年)4月号
- 四方雅人『新訳本朝画人伝 第四回 正統 小妻要』S&Mスナイパー1987年(昭和62年)1月号
- 秋田昌美『KINBAKU OF YO OZUMA』in BIZARRE MAGAZINE(日)1992年3月号