小悪征夫

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小悪征夫獣の涙』in SMキング1975年(昭和50年)1月号

こあく ゆきお、1943年(昭和18年)-。1943年(昭和18年)生まれの絵師。志村立美の門下生。団鬼六とのコンビ作多い。サスペンスマガジンSMファンSMキングS&Mスナイパーなど多数。

概要

絵師。挿絵画家。劇画家。団鬼六西村京太郎島田一男中岡俊哉大下英治船戸与一などの挿絵を描く。サスペンスマガジンSMファン別冊SMファンSMキングS&MスナイパーSMクラブSMコマンドSMフェニックススパークSMヤングV漫画ダイナマイトなどに作品発表。

別名

小悪一之[1]、亀有住男[1]、小圷(こあつく)征夫(本名)[1]

略歴

1943年(昭和18年)、誕生。

父親はニューギニアで戦士。母親は埼玉で学校の教師[1]

1950年代、母親が死去。兄と姉と亀有で生活。画家を目指す[1]

1958年(昭和33年)頃、日立市の親戚の家に移り、高校入学。やがて都内の叔父の下に移り、都立高校に入るが退学。美術学校に通う[1]

1961年(昭和36年)頃、志村立美に弟子入りして、田園調布の志村立美宅に住み込み[1]

1963年(昭和38年)頃、志村立美から小悪征夫の名をもらい独立[1]

1963年(昭和38年)頃、お茶の水のレモン井上洋介と知り合う。その伝手で雑誌の挿絵の仕事が入る[1]

1960年代、久保書店を紹介されサスペンスマガジンなどの挿絵[1]

1960年前後、花巻京太郎時代の団鬼六と知り合う[1]

1970年代、風景画に興味を持ち出す[1]

1982年(昭和57年)10月1日、SMスパイダー10月創刊号の表紙や挿絵。

1987年(昭和62年)4月21-26日、ロイヤルサロンギンザにて『出版画実術家連盟8人展<艶>』。小妻要小悪征夫堂昌一沢登みよじレオ澤鬼西村春海日影眩前田寿安

エピソード

  • 小悪征夫は師匠である志村立美が命名[1]
  • 高校の頃居候していた叔父は図書館長をしており、その時、多くの本を読んだ[1]
  • 尾崎士郎の知り合いの女性が志村立美に紹介状を書いてくれた[1]
  • 三崎書房の『幻想と怪奇』のイラストを書いていた縁で、三崎書房倒産後に早川佳克司書房に紹介[2]
  • 挿絵、風景画、劇画と幅を広げていく[1]
  • 「風景画には、おれの暗さが出る」[1]
  • サスペンスマガジンの仕事あたりから「女を描くってことを意識」[1]
  • 「福島正実編集長時代の早川の『EQMM 』に一度描き、それを見て学研から『ドラキュラ』の画を描いてくれという注文が来た」[1]
  • 「おれのSM画はポルノの延長なんだと思っている。病気みたいなSMはダメだね。だからSMとしては本格的じゃないね」[1]

代表作

  • 『ファントマ』ハヤカワ文庫
  • 『タイム・マシン』角川文庫

引用文献

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 平岡正明小悪征夫、絵は気ッ風と度胸の空ッ風』in 「変態的」(ビレッジセンター出版局, 1996) 
  2. 早川佳克HPより。

注釈


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