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'''ゆきむら はるき'''、1948年(昭和23年)5月11日- | [[画像:HarukiYukimura.jpg|250px|thumbnail|[[雪村春樹]](1948 - 2016)]] | ||
'''ゆきむら はるき'''、1948年(昭和23年)5月11日-2016年(平成28年)3月3日 | |||
==概要== | ==概要== | ||
緊縛師。AV監督。映像プロデューサー。写真家。もともとはAV監督として緊縛に関わっていたが、縄をかける過程での女性の動的な美を引き出すために、[[雪村春樹]]が出演者として作品中で女性を縛り始めた。このような活動の延長として、1990年代中頃から、「'''縛り過程のダイナミクス'''」と「'''受け手とのコミュニケーション'''」を重視した、独自の緊縛スタイルの確立に取り込み、2000年代には『'''[[雪村流]]'''』として完成させている(詳しくは『'''[[雪村流]]'''』のページ参照)。数多くのAV作品を制作しており、その詳細な作品リストは『[[雪村春樹動画作品リスト]]』にまとめてある(進行中)。 | |||
==別名== | ==別名== | ||
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Haruki_Yukimura Haruki Yukimura]、[[天津比呂志]] | [http://www.nawapedia.com/index.php?title=Haruki_Yukimura Haruki Yukimura]、[[天津比呂志]]、アマツヒロシ、[[六すけ]]、[[六助]] | ||
==略歴== | ==略歴== | ||
1948年(昭和23年) | 1948年(昭和23年)5月11日、兵庫県西宮市に生まれる<ref group="注">「甲子園口から、西淀川、豊中、守口と移って来た」(私信 to U, 2014.6.12)</ref>。 | ||
1984年(昭和59年)、毎日放送の「ワイドyou<ref group="注">1982年10月から1990年9月まで一部TBS系列局で放送された毎日放送(MBS)制作のワイドショー。</ref>」やサンテレビの「大人の子守歌<ref group="注">1983年10月から1987年3月まで毎週土曜日深夜23:30 - 24:24(JST)に放送されていた。</ref>」の製作・出演。毎日放送ではレポーター・[[天津比呂志]]、サンテレビでは写真家・[[雪村春樹]]として登場。 | |||
1984年(昭和59年)6月、[[SMスピリッツ]]6月号に『'''浪華あぶとぴあ'''』のエッセイ。これに先立ち4月号の編集後記に[[中原冬一朗]]が連載予告。9月号まで4回連載。 | |||
1984年(昭和59年)9月、[[S&Mスナイパー]]9月号に「大阪の写真師・雪村春樹サンが、本紙宛てになかなかカルチャーっぽい写真を送ってくれました」と緊縛写真が掲載。 | |||
1984年(昭和59年)10月、[[写真時代]]10月号に多色刷り4ページからなる『マクロの女』。12月号には『大阪夏の陣後遺症』いずれも風俗レポート風。 | |||
1985年(昭和60年)2月、[[写真時代]]2月号に多色刷り『'''お尻メツレツ'''』。以下、3月号に『真冬のミステリー』、4月号に『百花芯色懺悔老写帳 ダッチワイフとイノシシ』、5月号に『百花芯色懺悔老写帳 あれ金玉の不思議』。 | |||
1985年(昭和60年)6月、[[写真時代]]6月号にカラーグラビアの『'''百花芯色懺悔老写帳 玉子とヌード'''』 | |||
1986年(昭和61年)2月、[[写真時代]]6月号にカラーグラビアの『ポラロイド・ヌード』。表紙に[[雪村春樹]]の名前が。 | |||
1988年(昭和63年)、上京してAV制作を始める<ref name="profile">[http://www.yukimuraharuki.net/profile/index.html 公式サイトのプロフィールより]</ref>。[[廣木隆一]]に誘われピンク映画の監督<ref name="情愛"></ref>。 | |||
1989年(平成元年) | 1989年(平成元年)、[[VIP]]で作品制作。 | ||
1989年(平成元年)、『'''縄炎 ~[[須磨利之|美濃村晃]]の世界~'''』(シネマジック)を監督。 | 1989年(平成元年)、『'''縄炎 ~[[須磨利之|美濃村晃]]の世界~'''』(シネマジック)を監督。 | ||
1992年(平成4年) | 1990年(平成2年)、[[大洋図書]]より『'''[[Bondage Fantasy]]'''』『'''雪村春樹の世界'''<ref group="注">「西から危ないおっさんがやってきた」とジャケットに。</ref>』シリーズ。 | ||
1992年(平成4年)、[[サンセットカラー]]設立。第一作は『'''縄奉仕 濡れる[[森村麗子]]'''』でマンションで3人のスタッフで撮影<ref>『'''雪村春樹の女と繩と縛師の生きざま! 緊縛狂時代'''』[[S&Mスナイパー]]2007年9月号</ref> | |||
1992年(平成4年)6月25日、『'''束縛のヴィーナス'''』([[メディアックス]], 1992.6.25)(発行人:[[小林直樹]]、編集人:[[小林孝之]])に繩師 Hiroshi Amatsuとして出ている。 | |||
1993年(平成3年)4月、大洋図書『新・縄の世界1』で[[濡木痴夢男]]と共演。 | |||
1994年(平成6年)、[[新宿ゴールデン街劇場]]などで「'''[[Y's Play Bondage]]'''」ライブを開始。ライブ録画は『[[Y’s PLAY BONDAGE]]シリーズ』としてビデオ化される。 | |||
1994年(平成6年)9月1日、[[大洋図書]]6Fスタジオで「'''[[Y's Play Bondage]]'''」のプレビュー。[[不二秋夫]]、[[佐藤義明]]が参加<ref>[[S&Mスナイパー]]1994年(平成6年)12月号</ref> | |||
1994年(平成6年)11月27日、第1回「'''[[Y's Play Bondage]]'''」。出演:[[叶順子]]、[[小夜]] | |||
1994年(平成6年)頃、[[小夜伽]]が[[雪村春樹]]の事務所で過ごすようになる<ref name="sniper1995">[[S&Mスナイパー]]1995年(平成7年)8月号『縄奉仕それが人生』より。</ref>。 | |||
1995年(平成7年)7月16日、「'''[[Y's Play Bondage]]'''」大阪ライブ。[[あべのスキャンダル]]にて。モデル:[[小泉しおり]]。 | |||
1995年(平成7年)8月、[[S&Mスナイパー]]8月号から『'''縄奉仕それが人生'''』連載開始。写真・構成:[[雪村春樹]]グループ、文:[[小夜伽]] | |||
1996年(平成8年)10月、[[SMマニア]]に『雪村春樹の淫縛彷徨』連載開始。 | |||
1997年(平成9年)6月、[[S&Mスナイパー]]6月号から『'''うたたかのとき'''』連載開始。 | |||
1997年(平成9年)7月20日、[[田中スタジオ]]B1にて「'''[[Y's Play Bondage]]'''」。[[ハニーアーツ]]名で[[S&Mスナイパー]]8月号に情報。 | |||
1997年(平成9年)10月、[[S&Mスナイパー]]10月号から『'''究極の緊縛美がここにある'''』連載開始。 | |||
1998年(平成10年)、[[ワイレア出版]]から[[高橋ジュンコ]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4813005020/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4813005020 '''Trans body bondage―雪村春樹の緊縛''']』発行。 | |||
1998年(平成10年)、[[S&Mスナイパー]]10月号から『'''伝統の禁断エロス!! KINBAKU NIPPON'''』連載開始。文:[[小夜伽]]、写真:[[岡克己]]。2000年(平成12年)5月までの20回。 | |||
1999年(平成11年5月21日、[[ロフトプラスワン]]にて[[ダーティ工藤]]プレゼンツ『縄文式』トーク&ライヴ「そろそろSMについて語ろうか」【出演】杉作J太郎、[[雪村春樹]]、小夜伽、吉田チホ、[[早乙女宏美]]、MS.ローズ、東陽片岡、冠木新市、東ノボル、[[中村淳彦]]、[[ゴールドマン]] | |||
2000年(平成12年)、[[S&Mスナイパー]]に[[日暮圭介]]の写真で連載。 | |||
2002年(平成14年)11月頃、[[X CITY]]より『'''[https://web.archive.org/web/20021103120929/http://home.yukimura.com/top.htm 雪村春樹の世界]'''』配信開始。 | |||
2003年(平成15年)4月頃、[[X CITY]]よりサンセットカラーの動画コンテンツ配信開始。 | |||
2004年(平成16年)6月16日、[[X CITY]]より緊縛写真コンテンツ『'''隷嬢礼讃'''』配信開始。 | |||
2007年(平成19年)8月5日、[[新宿ゴールデン街劇場]]で「'''Y's PLAY BONDAGE'''」 | |||
2007年(平成19年)10月18日、[[新宿ゴールデン街劇場]]で「'''Y's PLAY BONDAGE stage12'''」<ref group="注">ビデオの「'''Y's PLAY BONDAGE stage14'''」が1996年代なので、番号が不一致。</ref> | |||
2008年(平成20年)10月11日〜17日、[[アップリンクファクトリー]]にて『'''縛詩'''』上映。 | |||
2012年(平成24年)3月、[[WEBスナイパー]]に『雪村春樹FLASH緊縛グラビア「現代成熟交合」』連載開始。 | |||
2012年(平成24年)8月20-24日、[[長田スティーブ]]のコペンハーゲン道場にて[[緊縛教室]]。[[雪長マックス]]がオーガナイズ。 | |||
2012年(平成24年)11月4日、studio abにて[[saikicks]]主催の緊縛撮影会。モデル:羽月希、写真:[[saikicks]] | |||
2012年(平成24年)12月12日〜19日、[[Master "K"]]の招聘で米国ロサンゼルスで講習会。[[春晏]]と。 | |||
2013年(平成25年)1月27日、[[六本木倶楽部]]にて[[雪村春樹緊縛撮影会]]をスタート。モデル:[[水城奈緒]]。 | |||
2014年(平成26年)3月12−25日、オーストラリア遠征。[[春晏]]と。 | |||
2014年(平成26年)3月15-18日、オーストラリアの Sydney Rope Dojoでワークショップ。[[Hebari]]がホスト。 | |||
2014年(平成26年)3月20-23日、オーストラリアのMelbourne Rope Dojoでワークショップ。[[Scott]]がホスト。 | |||
2015年(平成27年)9月、新レーベル「[[宵猫]]」を発足。 | |||
2016年(平成28年)3月3日、永眠。 | |||
{{2017_縄遊戯 縄で情をかわす}} | |||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
* [[ | *小学校5年の時にチャンバラごっこで縛った時に熱いものを感じたこともあったが、中学・高校はスポーツに没頭していた。女気なく、一途なところああった<ref name="shishin20150113">[[雪村春樹]] 私信 to U. 2015.1.13</ref>。 | ||
* | *1950年代、父親の持っていた本の中の緊縛絵画に心を惹きつけられる<ref name="poem">『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001DPIU6M?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=B001DPIU6M 縛詩 BAKUSHI』](GPミュージアムソフト, 2008)の中でのインタビューより</ref>。 | ||
*子供の頃は映画全盛時代で、時代劇の緊縛シーンは定番<ref name="shishin20150113"></ref>。 | |||
*20代に近所のスナックの女性に熱をいれ、その後女性経験を積む<ref name="shishin20150113"></ref>。 | |||
*高校を出て商業写真の会社に入りカメラを始める。器械、クスリ、トラクターなどが中心で人間は撮影していない<ref name="shishin20150113"></ref>。 | |||
*1960年代、父親が死んだ後<ref name="情愛">[[ポポロ石川]]『'''情愛縛りの真髄'''』 in 「'''緊縛の情愛 [[雪村春樹]]写真集'''」([[三和出版]], 2014.9.20)</ref>、母親とうどん屋を経営<ref name="poem"></ref>。この頃から人物写真を撮り始め、うどん屋をやめてからフリーの写真家として雑誌に投稿などを始める<ref name="shishin20150113"></ref>。 | |||
*毎日放送は天津、サンTVは[[雪村春樹]]でTVに出だす<ref name="shishin20150113"></ref>。 | |||
*1970年代、写真撮影の仕事に専念<ref name="poem"></ref>。 | |||
*30才ぐらいで初めて自分で縛り、自分で緊縛写真を撮影<ref name="shishin20150113"></ref>。 | |||
*「[[雪村春樹]]」の名前は[[中原冬一朗]]が命名<ref name="情愛"></ref>。 | |||
*自らのスタイルを『'''[[愛撫縄]]'''』と呼ぶこともあり、[[責め縄]]と対極をなす。 | |||
*TVや映画などの企画家、脚本家としての経験も、質の高い緊縛映像作品製作に生かされていると思われる。 | |||
*初期の昭和SMにもつながる、その日本情緒あふれる緊縛は海外にも支持者が多い。 | |||
*40才を過ぎてからプロの緊縛師として登場したが、短期間でトップの緊縛師としての地位を確立した。 | |||
*緊縛術は独学である<ref name="poem"></ref>。 | |||
*太さ4ミリで長さ7メートルの麻縄を半分折にして使っている。 | |||
*ヌード写真の撮影時に、女性モデルの恍惚表情を引き出すために緊縛を使い出した<ref name="poem"></ref>。 | |||
*「[[雪村春樹]]」という名前は、写真を発表していた雑誌の編集長がつけた<ref name="poem"></ref>。 | |||
* [[荊子]]、[[飛室イヴ]]、[[春晏]]、[[長田スティーブ]]などが雪村の指導を受けている。 | |||
*門下生に「春」のつく号を与えている。[[雪村流]]のページ参照。 | |||
*[[高槻彰]]監督の作品で、画面の前面に出るスタイルが始まった。 | *[[高槻彰]]監督の作品で、画面の前面に出るスタイルが始まった。 | ||
* | *写真家の[[日暮圭介]]は実子<ref name="shishin1">[[雪村春樹]] 私信 to U. 2014.2.26</ref>。 | ||
*(2015年頃)2本撮りで必要な経費は7-80万円。3000円の利益で200本以上売れないと赤字<ref name="shishin20150113"></ref>。 | |||
*「[[SMセレクト]]に連載されていた[[美濃村晃]]氏の緊縛写真がきれいにコレクションされていた。」<ref name="井上1">[[井上文]]『'''斯界に輝く巨星たち、その胸中に迫る! サデイスティック・クロニクル'''』[[S&Mスナイパー]]2004年(平成16年)8月号</ref> | |||
*「雪村先生の縛りを側で見て一番理解しているのは、[[小夜伽|さやか]]さんと[[日暮圭介|けいすけ]]さん。このお二人を外して雪村流は語れない。雪村先生の体力的ピークの頃に縄を受け、それを言語化し、のちにお仕事でも支えたのが[[小夜伽|さやか]]さん。雪村先生の緊縛写真を撮り続けたのが[[日暮圭介|けいすけ]]さん。映像であの世界観を作ったのは、今は亡き照明ならぬ照明の金子さん、長回しの雪村作品をいい間と画角で撮ってくれると言うカメラの[[渡辺辰己|わたなべ]]さん。」([[春晏]]の[https://twitter.com/murasakiphoto/status/1325620716721467393 tweet. 2020.11.9]) | |||
==[[雪村春樹追悼記事]]== | |||
{{雪村春樹追悼記事}} | |||
== | ==[[雪村流]]== | ||
{{雪村流概説}} | |||
詳しくは[[雪村流]]のページ参照。 | |||
==[[雪村春樹動画作品リスト]]== | |||
{{雪村春樹動画作品概要}} | |||
詳細は[[雪村春樹動画作品リスト]]のページ参照 | |||
===主な動画作品=== | |||
{{雪村春樹動画主な作品}} | |||
===[[緊縛教材]]=== | ===[[緊縛教材]]=== | ||
'''タイプ1''' | |||
{{雪村春樹緊縛教材}} | |||
'''タイプ2''' | |||
{{雪村春樹緊縛教材タイプ2}} | |||
===[[緊縛教材(印刷物)]]=== | |||
*[[雪村春樹]]『'''ボンデージ・セミナー'''』in 「写縛」1996年(平成8年)10月5日([[大洋図書]]) | |||
==動画以外の作品== | |||
===写真集=== | ===写真集=== | ||
* | *『'''[[写縛]]'''』([[大洋図書]], 1996.10.5)(編集人:[[青砥純子]]、発行人:[[山本正昭]]) | ||
*[[日暮圭介]] | *『'''[[写縛]] II'''』([[大洋図書]], 1997) | ||
*[[日暮圭介]] | *[[高橋ジュンコ]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4813005020/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4813005020 '''Trans body bondage―雪村春樹の緊縛''']』([[ワイレア出版]], 1998)(ビデオ附属)<ref group="注">動画のみが2019年8月2日に大洋図書から『'''TRANS BODY BONDAGE 縄の追憶'''』(TNH-21)としてDVDで再販。</ref> | ||
*[[雪村春樹]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/ | *[[雪村春樹]]『'''[[襦袢]]'''』([[ミリオン出版]], 1999)(写真:[[日暮圭介]]、[[渡辺辰己]]) | ||
*『'''[[笠木忍]]写真集'''』([[大洋図書]], 2001)(緊縛:[[雪村春樹]]、写真:[[日暮圭介]]、モデル:[[笠木忍]]) | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[平成緊縛画報]] 上の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002) | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[平成緊縛画報]] 下の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002) | |||
*[[日暮圭介]]『'''[[藤崎彩花]]・焦れた蝶'''』([[大洋図書]], 2001)(緊縛:[[雪村春樹]]) | |||
*[[日暮圭介]]『'''[[金沢文子]]・夢の回廊'''』([[大洋図書]], 2002)(緊縛:[[雪村春樹]]) | |||
*[[山岸伸]]『'''[[木下優]]写真集 BOND PHOTOBOOK1 【ボンド】'''』([[大洋図書]], 2002.9.11)(緊縛:[[雪村春樹]]) | |||
*[[山岸伸]]『'''BOND PHOTOBOOK〈2〉江口ナオ写真集'''』([[大洋図書]], 2002.10, 978-4813000846)(緊縛:[[雪村春樹]]) | |||
*[[山岸伸]]『'''[[横山エミー]]写真集 BOND PHOTOBOOK 3【ボンド】'''』([[大洋図書]], 2002.11.7, 978-4813000851)(緊縛:[[雪村春樹]]) | |||
*『'''[[冴島奈緒]] SM写真集 爛熟美学'''』([[ミリオン出版]], 2002.7.1)(緊縛:[[雪村春樹]]、撮影:[[日暮圭介]]) | |||
*『'''[[小林里穂]] 絆縛翡翠'''』([[ミリオン出版]], 2004.1.15)(緊縛:[[雪村春樹]]、写真:[[日暮圭介]]) | |||
*『'''AKAI HANA yasuji watanabe -haruki yukimura sessions-'''』([[Le Lezard Noir]], 2008)(緊縛師:[[雪村春樹]]、写真:[[渡邊安治]]、序文:[[北原童夢]]) | |||
*[[雪村春樹]]『'''緊縛の巨匠 1 [[雪村春樹]] [[縄みだら]]'''』([[三和出版]], 2010) | |||
*『'''360°マルチアングル緊縛黙示録'''』([[大洋図書]], 2012)(緊縛:[[雪村春樹]]、モデル:[[水沢真樹]]、[[深田梨菜]]])(CD-ROM付き) | |||
*『'''[[熟尻縄、欲情。]]〜緊縛 [[雪村春樹]]'''』([[エイジイエイ]], 2012.12.20) | |||
*『'''COLLABORATION HARUKI YUKIMURA YASUJI WATANABE'''』(anjin design LLC, 2013)(緊縛師:[[雪村春樹]]、写真:[[渡邊安治]]、序文:[[相馬俊樹]])(限定50部) | |||
*『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4776912147/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4776912147&linkCode=as2&tag=iq05-22 緊縛の情愛]'''』(三和出版, 2014.8.9) | |||
===[[雪村春樹]]が関わっている写真集の表紙=== | |||
<gallery> | |||
画像:写縛.png|『'''[[写縛]]'''』([[大洋図書]], 1996) | |||
画像:写縛_II.png|『'''[[写縛]] II'''』([[大洋図書]], 1997) | |||
画像:襦袢1.jpg|『'''[[襦袢]]'''』([[ミリオン出版]], 1999) | |||
画像:平成緊縛画報1.jpg|『'''[[平成緊縛画報]] 上の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002) | |||
画像:平成緊縛画報2.jpg|『'''[[平成緊縛画報]] 下の巻'''』([[ミリオン出版]], 2002) | |||
画像:木下優1.jpg|[[山岸伸]]『'''[[木下優]]写真集 BOND PHOTOBOOK1 【ボンド】'''』([[大洋図書]], 2002) | |||
画像:江口ナオ01.png|[[山岸伸]]『'''BOND PHOTOBOOK〈2〉[[江口ナオ]]写真集'''』([[大洋図書]], 2002.10) | |||
画像:縄みだら1.png|『'''緊縛の巨匠 1 [[雪村春樹]] [[縄みだら]]'''』([[三和出版]], 2010) | |||
画像:緊縛の情愛01.png|『'''[[緊縛の情愛]]'''』([[三和出版]], 2014) | |||
</gallery> | |||
===雑誌=== | |||
*[[雪村春樹]]『'''お尻メツレツ'''』 [[写真時代]]1985年(昭和60年)2月号 | |||
*[[雪村春樹]]『'''真冬のミステリー'''』 [[写真時代]]1985年(昭和60年)3月号 | |||
*[[雪村春樹]]『'''ポラロイドヌード'''』 [[写真時代]]1986年(昭和61年)2月号 | |||
*『'''[[SUPERカルト対談]] [[濡木痴夢男]]vs[[雪村春樹]] PART1 PART2'''』[[SMスピリッツ]]1993年(平成5年)2月号 | |||
*[[島崎遥]]『'''[[雪村春樹]]インディーズビデオ'''』[[S&M Reijoh]]1994年(平成6年)2月号 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[雪村春樹]]の淫縛彷徨 縄に眩惑う女たち'''』[[SMマニア]]1996年(平成8年)10月号〜12月号 | |||
*[[ミリオンムック]]『'''[[写縛]]'''』(1996.10.1, [[ミリオン出版]]) | |||
*[[河野亮]]『'''難儀な人生 人間・[[雪村春樹]]'''』[[S&Mスナイパー]]1996年(平成8年)11月号 | |||
*[[河野亮]]『'''縛師・[[雪村春樹]]激白 俺は本物の縄を追求しとるんや!!'''』[[S&Mスナイパー]]1997年(平成9年)9月号 | |||
*[[ミリオンムック]]『'''[[写縛]] II'''』(1997.10.1, [[ミリオン出版]]) | |||
*[[ミリオンムック]]23 『'''別冊[[緊美研]]通信【第二号】'''』(2001, [[大洋図書]])(監修:[[濡木痴夢男]]、編集:[[武井千里]]、CD-ROM付き。[[雪村春樹]]、[[奈加あきら]]、[[TOHJIRO]]など) | |||
*[[井上文]]『'''斯界に輝く巨星たち、その胸中に迫る! サデイスティック・クロニクル'''』[[S&Mスナイパー]]2004年(平成16年)8月号。 | |||
*『'''スナイパーフォーラム01'''』[[S&Mスナイパー]]2005年(平17年)1月号。 | |||
*『'''縄師雪村が回想する 縄と戯れた思い出の女たち'''』[[S&Mスナイパー]]2006年(平18年)3月号。 | |||
*[[ポポロ石川]]『'''情愛縛りの真髄'''』 in 「'''緊縛の情愛 [[雪村春樹]]写真集'''」([[三和出版]], 2014.9.20)<ref group="注" name="ex02">[https://www.yukimuraharuki.net/interview/140920.html WEB]に転載されている</ref> | |||
===連載=== | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[縄奉仕それが人生]]'''』[[S&Mスナイパー]]1995年(平成7年)8月〜1997年(平成9年)4月。[[雪村春樹]]の縛りに[[小夜伽]]が文を書いたもの。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[うたたかのとき]]'''』[[S&Mスナイパー]]1997年(平成9年)5月〜1997年(平成9年)8月。[[雪村春樹]]の縛りに[[小夜伽]]が文を書いたもの。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[究極の緊縛美がここにある]]'''』[[S&Mスナイパー]]1997年(平成9年)10月〜1998年(平成10年)7月。[[雪村春樹]]の縛りに[[小夜伽]]が文を書いたもの。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[伝統の禁断エロス!! KINBAKU NIPPON]]'''』[[S&Mスナイパー]]1998年(平成10年)10月号〜2000年(平成12年)9月までの24回。文:[[小夜伽]]、写真:[[岡克己]]。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[伝統の禁断エロス!! KINBAKU NIPPON|女囚幻想]]'''』[[S&Mスナイパー]]2000年(平成12年)10月号のみの単発。「KINBAKU NIPPON]」のアンコール? 写真:[[岡克己]]。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[Bind in Blind]]'''』[[S&Mスナイパー]]2000年(平成12年)11月〜2001年(平成13年)7月までの9回。写真:[[日暮圭介]]。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[緊縛慕情]]'''』[[S&Mスナイパー]]2001年(平成13年)10月〜2002年(平成14年)7月までの10回。文:[[小夜伽]]、写真:[[日暮圭介]]。2002年(平成14年)8月号には総集編。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[少女花暦]]'''』[[S&Mスナイパー]]2002年(平成14年)9月号〜2003年(平成15年)6月号。文:[[小夜伽]]、写真:[[日暮圭介]]。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[縛師雪村の縄遊戯]]'''』[[S&Mスナイパー]]2003年(平成15年)10月号〜2005年(平成17年)4月号。文:[[小夜伽]]、写真:[[ワタコユキ]]。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''[[縛師雪村のM女秘録]]'''』[[S&Mスナイパー]]2005年(平成17年)8月号〜2006年(平成18年)6月号に不定期。文:[[小夜伽]]、写真:[[日暮圭介]]、[[アミダカメラ]]、[[小夜伽]]。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''雪村春樹の女と繩と縛師の生きざま! [[緊縛狂時代]]'''』[[S&Mスナイパー]]2007年(平成19年)7月号〜2008年(平成20年)8月号までの14回。写真:[[小夜伽]]、聞き手:[[井上文]]。 | |||
*[[雪村春樹]]『'''縛りの軌跡'''』[[S&Mスナイパー]]2008年(平成20年)1月号附属DVD〜。文・写真:[[小夜伽]]、 | |||
*[[雪村春樹]]『'''現代成熟交合'''』[[WEBスナイパー]]2012年(平成24年)3月〜2015年(平成27年)6月まで24回。 | |||
===単発=== | |||
*『'''淫縛の刻印'''』[[Diva]] 1998年10月号。モデル:[[嶋田愛子]]、縛師:[[雪村春樹]] | |||
==雪村春樹語録== | |||
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*[http://www.yukimuraharuki.com/index.php 縛りの世界] | *[http://www.yukimuraharuki.com/index.php 縛りの世界] | ||
*[http://www.shibaribi.com/ 縛りの美学] | *[http://www.shibaribi.com/ 縛りの美学] | ||
*[http://www. | *[https://www.youtube.com/watch?v=Avko10APEAM カメラマン時代のTV放送] | ||
*[https://www.youtube.com/watch?v=MTS6iOEgTMA&feature=emb_logo レポーター時代の毎日放送の番組] | |||
*[[渡邊安治]][http://sniper.jp/008sniper/0085event/post_446.php 真夏の雪村春樹ライブレポート!] | |||
*[http://sniper.jp/008sniper/0085event/post_482.php 雪村春樹のボンデージライブをレポート!] | |||
*[http://xcity.jp/archives/free/sunsetcolor/top.htm Sunset Color & X CITY Website] | |||
*[http://www.mousouzoku-av.com/works/-/list/=/article=maker/id=73/site=mousou/ 赤ほたるいか] | |||
*[https://fetlife.com/groups/115140 Yukimuran Studies] | |||
{{SM美容術入門}} | |||
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2024年9月22日 (日) 15:37時点における最新版
ゆきむら はるき、1948年(昭和23年)5月11日-2016年(平成28年)3月3日
概要
緊縛師。AV監督。映像プロデューサー。写真家。もともとはAV監督として緊縛に関わっていたが、縄をかける過程での女性の動的な美を引き出すために、雪村春樹が出演者として作品中で女性を縛り始めた。このような活動の延長として、1990年代中頃から、「縛り過程のダイナミクス」と「受け手とのコミュニケーション」を重視した、独自の緊縛スタイルの確立に取り込み、2000年代には『雪村流』として完成させている(詳しくは『雪村流』のページ参照)。数多くのAV作品を制作しており、その詳細な作品リストは『雪村春樹動画作品リスト』にまとめてある(進行中)。
別名
Haruki Yukimura、天津比呂志、アマツヒロシ、六すけ、六助
略歴
1948年(昭和23年)5月11日、兵庫県西宮市に生まれる[注 1]。
1984年(昭和59年)、毎日放送の「ワイドyou[注 2]」やサンテレビの「大人の子守歌[注 3]」の製作・出演。毎日放送ではレポーター・天津比呂志、サンテレビでは写真家・雪村春樹として登場。
1984年(昭和59年)6月、SMスピリッツ6月号に『浪華あぶとぴあ』のエッセイ。これに先立ち4月号の編集後記に中原冬一朗が連載予告。9月号まで4回連載。
1984年(昭和59年)9月、S&Mスナイパー9月号に「大阪の写真師・雪村春樹サンが、本紙宛てになかなかカルチャーっぽい写真を送ってくれました」と緊縛写真が掲載。
1984年(昭和59年)10月、写真時代10月号に多色刷り4ページからなる『マクロの女』。12月号には『大阪夏の陣後遺症』いずれも風俗レポート風。
1985年(昭和60年)2月、写真時代2月号に多色刷り『お尻メツレツ』。以下、3月号に『真冬のミステリー』、4月号に『百花芯色懺悔老写帳 ダッチワイフとイノシシ』、5月号に『百花芯色懺悔老写帳 あれ金玉の不思議』。
1985年(昭和60年)6月、写真時代6月号にカラーグラビアの『百花芯色懺悔老写帳 玉子とヌード』
1986年(昭和61年)2月、写真時代6月号にカラーグラビアの『ポラロイド・ヌード』。表紙に雪村春樹の名前が。
1988年(昭和63年)、上京してAV制作を始める[1]。廣木隆一に誘われピンク映画の監督[2]。
1989年(平成元年)、VIPで作品制作。
1989年(平成元年)、『縄炎 ~美濃村晃の世界~』(シネマジック)を監督。
1990年(平成2年)、大洋図書より『Bondage Fantasy』『雪村春樹の世界[注 4]』シリーズ。
1992年(平成4年)、サンセットカラー設立。第一作は『縄奉仕 濡れる森村麗子』でマンションで3人のスタッフで撮影[3]
1992年(平成4年)6月25日、『束縛のヴィーナス』(メディアックス, 1992.6.25)(発行人:小林直樹、編集人:小林孝之)に繩師 Hiroshi Amatsuとして出ている。
1993年(平成3年)4月、大洋図書『新・縄の世界1』で濡木痴夢男と共演。
1994年(平成6年)、新宿ゴールデン街劇場などで「Y's Play Bondage」ライブを開始。ライブ録画は『Y’s PLAY BONDAGEシリーズ』としてビデオ化される。
1994年(平成6年)9月1日、大洋図書6Fスタジオで「Y's Play Bondage」のプレビュー。不二秋夫、佐藤義明が参加[4]
1994年(平成6年)11月27日、第1回「Y's Play Bondage」。出演:叶順子、小夜
1994年(平成6年)頃、小夜伽が雪村春樹の事務所で過ごすようになる[5]。
1995年(平成7年)7月16日、「Y's Play Bondage」大阪ライブ。あべのスキャンダルにて。モデル:小泉しおり。
1995年(平成7年)8月、S&Mスナイパー8月号から『縄奉仕それが人生』連載開始。写真・構成:雪村春樹グループ、文:小夜伽
1996年(平成8年)10月、SMマニアに『雪村春樹の淫縛彷徨』連載開始。
1997年(平成9年)6月、S&Mスナイパー6月号から『うたたかのとき』連載開始。
1997年(平成9年)7月20日、田中スタジオB1にて「Y's Play Bondage」。ハニーアーツ名でS&Mスナイパー8月号に情報。
1997年(平成9年)10月、S&Mスナイパー10月号から『究極の緊縛美がここにある』連載開始。
1998年(平成10年)、ワイレア出版から高橋ジュンコ『Trans body bondage―雪村春樹の緊縛』発行。
1998年(平成10年)、S&Mスナイパー10月号から『伝統の禁断エロス!! KINBAKU NIPPON』連載開始。文:小夜伽、写真:岡克己。2000年(平成12年)5月までの20回。
1999年(平成11年5月21日、ロフトプラスワンにてダーティ工藤プレゼンツ『縄文式』トーク&ライヴ「そろそろSMについて語ろうか」【出演】杉作J太郎、雪村春樹、小夜伽、吉田チホ、早乙女宏美、MS.ローズ、東陽片岡、冠木新市、東ノボル、中村淳彦、ゴールドマン
2000年(平成12年)、S&Mスナイパーに日暮圭介の写真で連載。
2002年(平成14年)11月頃、X CITYより『雪村春樹の世界』配信開始。
2003年(平成15年)4月頃、X CITYよりサンセットカラーの動画コンテンツ配信開始。
2004年(平成16年)6月16日、X CITYより緊縛写真コンテンツ『隷嬢礼讃』配信開始。
2007年(平成19年)8月5日、新宿ゴールデン街劇場で「Y's PLAY BONDAGE」
2007年(平成19年)10月18日、新宿ゴールデン街劇場で「Y's PLAY BONDAGE stage12」[注 5]
2008年(平成20年)10月11日〜17日、アップリンクファクトリーにて『縛詩』上映。
2012年(平成24年)3月、WEBスナイパーに『雪村春樹FLASH緊縛グラビア「現代成熟交合」』連載開始。
2012年(平成24年)8月20-24日、長田スティーブのコペンハーゲン道場にて緊縛教室。雪長マックスがオーガナイズ。
2012年(平成24年)11月4日、studio abにてsaikicks主催の緊縛撮影会。モデル:羽月希、写真:saikicks
2012年(平成24年)12月12日〜19日、Master "K"の招聘で米国ロサンゼルスで講習会。春晏と。
2013年(平成25年)1月27日、六本木倶楽部にて雪村春樹緊縛撮影会をスタート。モデル:水城奈緒。
2014年(平成26年)3月12−25日、オーストラリア遠征。春晏と。
2014年(平成26年)3月15-18日、オーストラリアの Sydney Rope Dojoでワークショップ。Hebariがホスト。
2014年(平成26年)3月20-23日、オーストラリアのMelbourne Rope Dojoでワークショップ。Scottがホスト。
2015年(平成27年)9月、新レーベル「宵猫」を発足。
2016年(平成28年)3月3日、永眠。
2017年(平成29年)9月17日、DX歌舞伎町SM大会において『雪村流 縄遊戯 縄で情をかわす』が開催。出演:椿あると&彩姫一花、金太郎&紫月いろは、春翔&かさいあみ、春宵&姫、春繭&わかみほ。
エピソード
- 小学校5年の時にチャンバラごっこで縛った時に熱いものを感じたこともあったが、中学・高校はスポーツに没頭していた。女気なく、一途なところああった[6]。
- 1950年代、父親の持っていた本の中の緊縛絵画に心を惹きつけられる[7]。
- 子供の頃は映画全盛時代で、時代劇の緊縛シーンは定番[6]。
- 20代に近所のスナックの女性に熱をいれ、その後女性経験を積む[6]。
- 高校を出て商業写真の会社に入りカメラを始める。器械、クスリ、トラクターなどが中心で人間は撮影していない[6]。
- 1960年代、父親が死んだ後[2]、母親とうどん屋を経営[7]。この頃から人物写真を撮り始め、うどん屋をやめてからフリーの写真家として雑誌に投稿などを始める[6]。
- 毎日放送は天津、サンTVは雪村春樹でTVに出だす[6]。
- 1970年代、写真撮影の仕事に専念[7]。
- 30才ぐらいで初めて自分で縛り、自分で緊縛写真を撮影[6]。
- 「雪村春樹」の名前は中原冬一朗が命名[2]。
- 自らのスタイルを『愛撫縄』と呼ぶこともあり、責め縄と対極をなす。
- TVや映画などの企画家、脚本家としての経験も、質の高い緊縛映像作品製作に生かされていると思われる。
- 初期の昭和SMにもつながる、その日本情緒あふれる緊縛は海外にも支持者が多い。
- 40才を過ぎてからプロの緊縛師として登場したが、短期間でトップの緊縛師としての地位を確立した。
- 緊縛術は独学である[7]。
- 太さ4ミリで長さ7メートルの麻縄を半分折にして使っている。
- ヌード写真の撮影時に、女性モデルの恍惚表情を引き出すために緊縛を使い出した[7]。
- 「雪村春樹」という名前は、写真を発表していた雑誌の編集長がつけた[7]。
- 荊子、飛室イヴ、春晏、長田スティーブなどが雪村の指導を受けている。
- 門下生に「春」のつく号を与えている。雪村流のページ参照。
- 高槻彰監督の作品で、画面の前面に出るスタイルが始まった。
- 写真家の日暮圭介は実子[8]。
- (2015年頃)2本撮りで必要な経費は7-80万円。3000円の利益で200本以上売れないと赤字[6]。
- 「SMセレクトに連載されていた美濃村晃氏の緊縛写真がきれいにコレクションされていた。」[9]
- 「雪村先生の縛りを側で見て一番理解しているのは、さやかさんとけいすけさん。このお二人を外して雪村流は語れない。雪村先生の体力的ピークの頃に縄を受け、それを言語化し、のちにお仕事でも支えたのがさやかさん。雪村先生の緊縛写真を撮り続けたのがけいすけさん。映像であの世界観を作ったのは、今は亡き照明ならぬ照明の金子さん、長回しの雪村作品をいい間と画角で撮ってくれると言うカメラのわたなべさん。」(春晏のtweet. 2020.11.9)
雪村春樹追悼記事
- Nuit de Tokyo Yukimura Haruki Sensei 1948-2016 2016.3.6
- Ugo Last one week of Yukimura sensei 2016.3.6
- Master "K" Yukimura Haruki May 11, 1948-March 3, 2016 2016.3.6
- Zetsu KinbakuToday 2016.3.6
- Zetsu Sad News: Yukimura Sensei has passed away 2016.3.6
- 長田スティーブ TokyoBound 2016.3.7
- Shin 雪村春樹 1948/05/11 – 2016/03/03 2016.3.7
- RopeMarks Yukimura Haruki - obituary 2016.3.7
- Master J Yukimura Haruki Sensei (雪村春樹) 2016.3.7
- 蓮 訃報に 2016.3.7
- popotan 雪村春樹先生 2016.3.7
- Atemi A Sad Loss: Yukimura Haruki Sensei 2016.3.7
- 小宮山亜依 雪村春樹さん 2016.3.8
- 麻屋霞寿 浪花弁のSM 2016.3.8
- 鵺 雪村春樹氏、逝く。 2016.3.8
- HaruTsubaki Yukimura Haruki Sensei 1948-2016 2016.3.?
- Davide La Greca My Sensei 2016.3.8
- MiguelMakido Yukimura Haruki (1948-2016) 2016.3.8
- Hammer Yukimura Sensei 2016.3.9
- Hebari Goodbye Sensei 2016.3.9
- Matthias T. J. Grimme Letter from Tokyo 12 2016.3.9
- Salon 縄遊戯 2016.3.12
- 朝霧リエ 雪村春樹先生とお弟子たち 2016.3.13
- 井上文 Web Sniper:【訃報】 雪村春樹さんが永眠されました 2016.3.24
- 珠美鈴 コラム 2016.3.26
- Ugo 24 lessons with Y sensei2016.5.1
- WebSniper 「追悼 雪村春樹【3】特別インタビュー 縛師・長田スティーブ 」2016.5.1
- WebSniper 「追悼 雪村春樹【5】特別インタビュー 大洋図書会長・小出英二 」2016.5.4
- Zetsu Tying the One Rope Gote 2016.5.5
- Rida In memory of Kinbakushi Haruki Yukimura 1948-2016 2016.5.7
(date based on Tokyo time)
雪村流
1990年代中頃から、雪村春樹は緊縛の「縛り過程のダイナミクス」と「受け手とのコミュニケーション」を重視した、独自の緊縛スタイルの確立に取り込み、2000年代には雪村流として完成させている。
詳しくは雪村流のページ参照。
雪村春樹動画作品リスト
1988年(昭和63年)頃に上京した雪村春樹は、1989年(昭和64年)から、天津比呂志名でVIPエンタープライズから、雪村春樹の名前でシネマジックからAV作品を発表し始める。1990年(平成2年)からは大洋図書を販売元とした作品を出し始めるが、大洋図書をバックとした独自のレーベルハニーアーツを立ち上げ、緊縛を中心とした作品を製作する。1993年(平成5年)頃からはサンセットカラーも設立し、『縄奉仕シリーズ』『雪村春樹コレクション』などをリリース。2000年代後半には明和プランニングから『雪村春樹全集』『LiVE』などを、カオカコミュニケーションからほたるいかレーベルで『真・雪村春樹大全集』などをリリース。2009年(平成21年)からは赤ほたるいかレーベルでカオカコミュニケーションから『雪村流』『縛師伝』シリーズなどを製作している。
詳細は雪村春樹動画作品リストのページ参照
主な動画作品
- 一般映画
- 『不貞の季節』(Y・F・C=スローラーナー, 2000)(製作:横畠邦彦 成田尚哉、原作:団鬼六、脚色:石川均 、緊縛指導:雪村春樹、出演:大杉漣 星遙子村上淳山崎絵里 しみず霧子)
- 『縛師』(ジェネオン エンタテインメント, 2007) (廣木隆一監督。他に、有末剛, 雪村春樹, 早乙女宏美, 杉浦則夫, 卯月妙子が出演)。
- 『縛詩 BAKUSHI』(GPミュージアムソフト, 2008)(企画:天津比呂志、監督:安原伸、営業統括:山田浩貴、出演:雪村春樹 雪村春飄 雪村春宵 雪村春雛 ミュウ なな 小室芹奈 すみれ 小夜伽 小春)
- 『縄炎 ~美濃村晃の世界~』(監督作品。シネマジック, 1989年)など多数。
- 雪村春樹の世界 1991
- Bondage Fantasyシリーズ など多数
- Y’s PLAY BONDAGEシリーズ など多数
- カオカコミュニケーション(ほたるいかレーベル、赤ほたるいかレーベル)
緊縛教材
タイプ1
- 雪村春樹『縄講座 初級編』(ハニーアーツ, 不明, HT-001, ビデ倫)(出演:桜田佳子、長山明子)
- 雪村春樹『縛り方講座』in 「縄調教スペシャル」(イエローボックス, 2000)
- 雪村春樹『緊縛指南』in 「緊縛私塾」(ペナルティーキック, レイジングカンパニー, 2001)
- 雪村春樹『雪村春樹のプチ縄講座彼女としたい縛り方入門』(大洋図書, 2007)
- 雪村春樹『雪村春樹の縛り方講座 ~情愛縛りで楽しむ~』(ワイズ, 2014.2)(NNK-007, 販売:ヴァンアソシエイツ)
- 雪村春樹『縄遊戯 雪村流縛り方講座 永久保存版』(ヴァンアソシエイツ, 2016.7.20)
タイプ2
- 「緊縛パフォーマンス』(シネマジック, 1994)
- 「新緊縛パフォーマンス』(シネマジック, 1996)
- 『縛詩 BAKUSHI』(GPミュージアムソフト, 2008)(企画:天津比呂志、監督:安原伸、営業統括:山田浩貴、出演:雪村春樹 雪村春飄 雪村春宵 雪村春雛 ミュウ なな 小室芹奈 すみれ 小夜伽 小春)
- 『雪村春樹 淫縛ポーズ集1』
- 『雪村春樹 淫縛ポーズ集2』
- 『雪村春樹 淫縛ポーズ集3』
- 『雪村流縛り 鴨居 ~KAMOI~』(赤ほたるいか, 2014.8.13, AKHO-101)(制作:ワイズ、販売:カオカコミュニケーション、出演:水嶋あい、 愛純彩、羽月希、長澤あずさ、原希美、山本美和子)
- 『雪村流 磔 ~襖・布団~』(赤ほたるいか, 2014.9.13, AKHO-102)(制作:ワイズ、販売:カオカコミュニケーション、出演:彩城ゆりな つるのゆう 藤原ひとみ 小峰ひなた 小野麻里亜 美泉咲 愛純彩 桜ちずる)
- 『雪村流 椅子縛り』(赤ほたるいか, 2014.10.13, AKHO-103)(制作:ワイズ、販売:カオカコミュニケーション、出演:笠木忍 瀬咲るな 辻本りょう 椿かなり)
- 『雪村流 机縛り』(赤ほたるいか, 2014.12.13, AKHO-107)(制作:ワイズ、販売:カオカコミュニケーション、出演:真木今日子 水沢真樹 宮崎由麻 石倉えいみ)
- 『雪村流 柱 開脚』(赤ほたるいか, 2015.6.13, AKHO-117)(著作・製作:赤ほたるいか、販売:妄想族/カオカコミュニケーション、出演:辻本りょう 深田梨菜 佐藤あや 小峰ひなた 桜瀬奈 笠木忍)
- 『縄 NAWA』(宵猫, 2015.9.1)(緊縛師:雪村春樹、モデル:伊東麻央、SANAE、美室なお、すみれ、あげは)
緊縛教材(印刷物)
動画以外の作品
写真集
- 『写縛』(大洋図書, 1996.10.5)(編集人:青砥純子、発行人:山本正昭)
- 『写縛 II』(大洋図書, 1997)
- 高橋ジュンコ『Trans body bondage―雪村春樹の緊縛』(ワイレア出版, 1998)(ビデオ附属)[注 6]
- 雪村春樹『襦袢』(ミリオン出版, 1999)(写真:日暮圭介、渡辺辰己)
- 『笠木忍写真集』(大洋図書, 2001)(緊縛:雪村春樹、写真:日暮圭介、モデル:笠木忍)
- 雪村春樹『平成緊縛画報 上の巻』(ミリオン出版, 2002)
- 雪村春樹『平成緊縛画報 下の巻』(ミリオン出版, 2002)
- 日暮圭介『藤崎彩花・焦れた蝶』(大洋図書, 2001)(緊縛:雪村春樹)
- 日暮圭介『金沢文子・夢の回廊』(大洋図書, 2002)(緊縛:雪村春樹)
- 山岸伸『木下優写真集 BOND PHOTOBOOK1 【ボンド】』(大洋図書, 2002.9.11)(緊縛:雪村春樹)
- 山岸伸『BOND PHOTOBOOK〈2〉江口ナオ写真集』(大洋図書, 2002.10, 978-4813000846)(緊縛:雪村春樹)
- 山岸伸『横山エミー写真集 BOND PHOTOBOOK 3【ボンド】』(大洋図書, 2002.11.7, 978-4813000851)(緊縛:雪村春樹)
- 『冴島奈緒 SM写真集 爛熟美学』(ミリオン出版, 2002.7.1)(緊縛:雪村春樹、撮影:日暮圭介)
- 『小林里穂 絆縛翡翠』(ミリオン出版, 2004.1.15)(緊縛:雪村春樹、写真:日暮圭介)
- 『AKAI HANA yasuji watanabe -haruki yukimura sessions-』(Le Lezard Noir, 2008)(緊縛師:雪村春樹、写真:渡邊安治、序文:北原童夢)
- 雪村春樹『緊縛の巨匠 1 雪村春樹 縄みだら』(三和出版, 2010)
- 『360°マルチアングル緊縛黙示録』(大洋図書, 2012)(緊縛:雪村春樹、モデル:水沢真樹、深田梨菜])(CD-ROM付き)
- 『熟尻縄、欲情。〜緊縛 雪村春樹』(エイジイエイ, 2012.12.20)
- 『COLLABORATION HARUKI YUKIMURA YASUJI WATANABE』(anjin design LLC, 2013)(緊縛師:雪村春樹、写真:渡邊安治、序文:相馬俊樹)(限定50部)
- 『緊縛の情愛』(三和出版, 2014.8.9)
雪村春樹が関わっている写真集の表紙
雑誌
- 雪村春樹『お尻メツレツ』 写真時代1985年(昭和60年)2月号
- 雪村春樹『真冬のミステリー』 写真時代1985年(昭和60年)3月号
- 雪村春樹『ポラロイドヌード』 写真時代1986年(昭和61年)2月号
- 『SUPERカルト対談 濡木痴夢男vs雪村春樹 PART1 PART2』SMスピリッツ1993年(平成5年)2月号
- 島崎遥『雪村春樹インディーズビデオ』S&M Reijoh1994年(平成6年)2月号
- 雪村春樹『雪村春樹の淫縛彷徨 縄に眩惑う女たち』SMマニア1996年(平成8年)10月号〜12月号
- ミリオンムック『写縛』(1996.10.1, ミリオン出版)
- 河野亮『難儀な人生 人間・雪村春樹』S&Mスナイパー1996年(平成8年)11月号
- 河野亮『縛師・雪村春樹激白 俺は本物の縄を追求しとるんや!!』S&Mスナイパー1997年(平成9年)9月号
- ミリオンムック『写縛 II』(1997.10.1, ミリオン出版)
- ミリオンムック23 『別冊緊美研通信【第二号】』(2001, 大洋図書)(監修:濡木痴夢男、編集:武井千里、CD-ROM付き。雪村春樹、奈加あきら、TOHJIROなど)
- 井上文『斯界に輝く巨星たち、その胸中に迫る! サデイスティック・クロニクル』S&Mスナイパー2004年(平成16年)8月号。
- 『スナイパーフォーラム01』S&Mスナイパー2005年(平17年)1月号。
- 『縄師雪村が回想する 縄と戯れた思い出の女たち』S&Mスナイパー2006年(平18年)3月号。
- ポポロ石川『情愛縛りの真髄』 in 「緊縛の情愛 雪村春樹写真集」(三和出版, 2014.9.20)[注 7]
連載
- 雪村春樹『縄奉仕それが人生』S&Mスナイパー1995年(平成7年)8月〜1997年(平成9年)4月。雪村春樹の縛りに小夜伽が文を書いたもの。
- 雪村春樹『うたたかのとき』S&Mスナイパー1997年(平成9年)5月〜1997年(平成9年)8月。雪村春樹の縛りに小夜伽が文を書いたもの。
- 雪村春樹『究極の緊縛美がここにある』S&Mスナイパー1997年(平成9年)10月〜1998年(平成10年)7月。雪村春樹の縛りに小夜伽が文を書いたもの。
- 雪村春樹『伝統の禁断エロス!! KINBAKU NIPPON』S&Mスナイパー1998年(平成10年)10月号〜2000年(平成12年)9月までの24回。文:小夜伽、写真:岡克己。
- 雪村春樹『女囚幻想』S&Mスナイパー2000年(平成12年)10月号のみの単発。「KINBAKU NIPPON]」のアンコール? 写真:岡克己。
- 雪村春樹『Bind in Blind』S&Mスナイパー2000年(平成12年)11月〜2001年(平成13年)7月までの9回。写真:日暮圭介。
- 雪村春樹『緊縛慕情』S&Mスナイパー2001年(平成13年)10月〜2002年(平成14年)7月までの10回。文:小夜伽、写真:日暮圭介。2002年(平成14年)8月号には総集編。
- 雪村春樹『少女花暦』S&Mスナイパー2002年(平成14年)9月号〜2003年(平成15年)6月号。文:小夜伽、写真:日暮圭介。
- 雪村春樹『縛師雪村の縄遊戯』S&Mスナイパー2003年(平成15年)10月号〜2005年(平成17年)4月号。文:小夜伽、写真:ワタコユキ。
- 雪村春樹『縛師雪村のM女秘録』S&Mスナイパー2005年(平成17年)8月号〜2006年(平成18年)6月号に不定期。文:小夜伽、写真:日暮圭介、アミダカメラ、小夜伽。
- 雪村春樹『雪村春樹の女と繩と縛師の生きざま! 緊縛狂時代』S&Mスナイパー2007年(平成19年)7月号〜2008年(平成20年)8月号までの14回。写真:小夜伽、聞き手:井上文。
- 雪村春樹『縛りの軌跡』S&Mスナイパー2008年(平成20年)1月号附属DVD〜。文・写真:小夜伽、
- 雪村春樹『現代成熟交合』WEBスナイパー2012年(平成24年)3月〜2015年(平成27年)6月まで24回。
単発
雪村春樹語録
縄尻
- 「縛った相手の縄尻を引いたり強弱をあたえコミュニケーションを取りながら、縛りのパターンを変化させて遊ぶのがいちばんの醍醐味。縛ってゆくうち、あうんの恋愛劇みたいなことになる」(Twitter, 2014)
- 「縄尻の持ち方はたとえば、釣りの糸… 釣り糸に気持ちをこめて引くような感じです。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2013)
- 「縄に荷がかかるのを感じてから縛らんと相手に馴染まん縄になる」(Twitte, 2015.11.26)
- 「基本 親指と人さし指で引くことが多い 引く角度 強さ 縄尻の握り方でコミニケーションが変化して面白い」(Twitte, 2015.11.29)
- 「縄の行き先で気持ちも変わるんやでぇ。」(私信 to U)
縄遊戯
- 「SMプレイはやっぱり、駆け引き・・・技の出し方みたいなもんやろ。」(S&Mスナイパー1997.10)
- 「縄で、情をかわす。縛りって格闘技や。言葉のない、恋愛小説みたいやて。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2014頃)
- 「わしの縄は『情』で縛る縄なんで、女性にとっては『なんぎな縄』や」(私信 to U)
- 「触ったら終わりや」(私信 to U)
- 「縛るこちらのきもちも伝えながら相手とコミュニケーションしながら縛るということが、とても重要」(Twitter, 2014)
- 「羞恥心 マゾの仕草など楽しむには、座ってアドリブでしばる。立ったままで縛るよりも相手との関係性が多様。だからこちらの縄裁きも複雑になって面白いわけで まー 立って縛ったら、作業になるからなぁ」(Twitte, 2015.11.27)
- 「縛ってる女に気持ちが入っているときはいいが、縛ることだけに気持ちがいくとプレイはだるくてみてられない」(Twitte, 2015.12.08)
- 「縛り手はなるべく動かないほうがええ。布団の上で座って縛るし、相手を動かすほうが説得力あるというか、もう俺のもんやで…ゆう感覚味わってもらえるというか。マーこちらがバタバタ動くとカッコつかんしな。」(Twitte, 2016.1.13)
ゆる縄
- 「俺の縄はゆるいねん。ゆる縄や。ただそのゆるさの中で女は芝居すんねん。」(緊縛の情愛)
- 「きつうしばるのはだれでもできるけど弱く縛るのは難しいんや。」(私信 to U)
- 「『縄のあそび』いうてんやけどな。自動車のハンドルにも『あそび』ってあるやろ。あれと一緒や。ガチガチに縛ってもうたら、気持ちよう芝居でけへん。」(緊縛の情愛)
- 「Mはリアクションしたいねん。もって生まれた芝居心いうかな。そのパリエーションやキャラが多いほど面白いわけや。」(緊縛の情愛)
- 「M女も、M女する舞台あげてやらんとできへん。」(緊縛の情愛)
- 「縛りの強さや締め具合。「ここ」の塩梅はそれぞれに違う。だから初めての縄はゆるく縛る… 相手の反応みながら、やりとり駆け引きしながら締めてゆく。」(Twitter, 2016.2.24)
女の人
- 「ほんまに怒った顔とか、ほんまに苦しい顔とかは、あんま見たないな。」(緊縛の情愛)
- 「女の人は何度イかしても往生せぇーへんからな。」(私信 to U)
- 「ホンマに尽くすM女なんて知らんわ。」(私信 to U)
- 「『舐めたろか』も『舐めさせてください』も同じことや」(私信 to U)
- 「一回目で向こう(M女)はこちらの容量がわかる。受け手の方がわかる。」(私信 to U)
- 「女の人喜ばそうと思うと、いろんなことせなあかんから、大変や。」(私信 to U)
縄について
- 「いつも私が使用する縄は太さ4ミリ、混合繊維の麻縄です。粗めの三本縒りの縄です。」「細かい三本縒りの縄は頑丈で強く、締まりも良いのですが、強弱をつけて縛る私としてはあまり締まりすぎると解きにくいので苦手。縛られる相手の肌も傷が深いようやし。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2012)
- 「太さ4ミリで長さ7メートルの麻縄を半分折にして使っています。」「4ミリという太さは女性の手首や足首を縛ったときに見た目のバランスが良い。あまり太すぎると手首と足首の華奢なラインが消えてしまうからです。」(オフィシャルサイト&ブログ, 2013)
- 「ほんまは4.5ミリやけど、すぐに4ミリになってまう」(私信 to U, 2016.1.29)
- 「最近は体格のいいM女さん多いから、7.5mにしとる」(私信 to U)
- 「まぁ、太い縄使う時もあるけど、それはそれや。自分の表現でいえば4ミリやねん。」(緊縛の情愛)
- 「(縄は)、撮影で使っとると半年で切れんねん。保たへんから縄に執着する時間もあれへん。」(緊縛の情愛)
- 「縛る作業見せられてもかなん。何を見せたいのか分からん[6]。」
- 「みんな受け手のこと考えてへんやん。自分のことばっかり考えてる[6]。」
引用文献
- ↑ 公式サイトのプロフィールより
- ↑ 2.0 2.1 2.2 ポポロ石川『情愛縛りの真髄』 in 「緊縛の情愛 雪村春樹写真集」(三和出版, 2014.9.20)
- ↑ 『雪村春樹の女と繩と縛師の生きざま! 緊縛狂時代』S&Mスナイパー2007年9月号
- ↑ S&Mスナイパー1994年(平成6年)12月号
- ↑ S&Mスナイパー1995年(平成7年)8月号『縄奉仕それが人生』より。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 6.9 雪村春樹 私信 to U. 2015.1.13
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 『縛詩 BAKUSHI』(GPミュージアムソフト, 2008)の中でのインタビューより
- ↑ 雪村春樹 私信 to U. 2014.2.26
- ↑ 井上文『斯界に輝く巨星たち、その胸中に迫る! サデイスティック・クロニクル』S&Mスナイパー2004年(平成16年)8月号
脚注
- ↑ 「甲子園口から、西淀川、豊中、守口と移って来た」(私信 to U, 2014.6.12)
- ↑ 1982年10月から1990年9月まで一部TBS系列局で放送された毎日放送(MBS)制作のワイドショー。
- ↑ 1983年10月から1987年3月まで毎週土曜日深夜23:30 - 24:24(JST)に放送されていた。
- ↑ 「西から危ないおっさんがやってきた」とジャケットに。
- ↑ ビデオの「Y's PLAY BONDAGE stage14」が1996年代なので、番号が不一致。
- ↑ 動画のみが2019年8月2日に大洋図書から『TRANS BODY BONDAGE 縄の追憶』(TNH-21)としてDVDで再販。
- ↑ WEBに転載されている
お役たちweb
- 縛りの世界
- 縛りの美学
- カメラマン時代のTV放送
- レポーター時代の毎日放送の番組
- 渡邊安治真夏の雪村春樹ライブレポート!
- 雪村春樹のボンデージライブをレポート!
- Sunset Color & X CITY Website
- 赤ほたるいか
- Yukimuran Studies
- 耳学問3:シンプル縄の奥深さ
- SM美容術入門26-縄遊戯
- SM美容術入門50 - 雪村春樹(1)
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- SM美容術入門57 - 雪村春樹(8)
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- SM美容術入門59 - 雪村春樹(10)