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==切腹関連記事==
*[[中康弘通]]『'''切腹史談'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)3月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195303/01/047.html p52]
*[[中康弘通]]『'''切腹史談(二)'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号
*[[中康弘通]]『'''少年および女性の切腹'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)5月号
*[[中康弘通]]『'''サド・マゾヒズムの藝術 文藝に於ける切腹描寫'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195306/02/132.html p138]
*田谷敬生『'''女腹切の考察と女性の切腹例'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195308/01/056.html p60]
*[[中康弘通]]『'''切腹願望と女性心理'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)9月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195309/01/031.html p36]
*田谷敬生『'''女性切腹の繪について'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)9月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195309/01/044.html p49]
*亀岡絃七郎『'''女腹切八景 女情抄'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195310/02/144.html p144]
*亀岡絃七郎『'''美姫情史'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)11月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195311/02/151.html p154]
*川合伊都子『'''野薊'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/01/040.html p45]
*『'''切腹通信'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/130.html p135]
*亀岡絃七郎『'''婦道一路'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/174.html p179]
*田谷敬生『'''女性切腹断想'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/02/083.html p88]
*岸田映子『'''私は切腹した'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/02/105.html p110]
*[[中康弘通]]『'''切腹夜話(三)'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/03/141.html p146]
*探書生『'''草双紙合巻にあらわれた女腹切'''』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195502/01/054.html p68]
*井上一雄『'''映画に現れた切腹シーン'''』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195502/03/268.html p282]
*笠原孫之助『'''或る切腹マニアの恋文'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)4月号,[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195604/01/027.html p30]
*[[青山芳樹]]『'''女剣士の切腹について'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)4月号,[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195604/01/061.html p64]
*鳴竹成太郎『'''乙女の腹切抄'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)7月号,[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195607/02/155.html p158]
*須藤律夫『'''切腹雑感とその種々相に就て'''』[[奇譚クラブ]]1958年(昭和33年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195804/01/035.html p38]
*南方純『'''日本印象記ー外人の見た女はらきりー'''』[[奇譚クラブ]]1958年(昭和33年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195804/02/110.html p113]
*[[中康弘通]]『'''悲愴美の世界 続・女腹切りの史実と小説'''』[[裏窓]]1959年(昭和34年)9月号, [http://nawa-art.com/etc/uramado/ura_195909/02/085.html p90](挿絵:[[栗原伸]])
*[[山岸康二|青山敏樹]] 『'''大人の腹切り女性の奇妙な告白記'''』[[100万人のよる]]1959年(昭和34年)9月号
*藤森一夫『'''新聞紙上に出た切腹実話'''』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195608/02/135.html p139]
*[[中康弘通]]『'''悲愴美の世界(二) 女腹切りの史実と小説'''』[[裏窓]]1959年(昭和34年)7月号, [http://nawa-art.com/etc/uramado/ura_195907/01/059.html p66](挿絵:[[灘五郎]])
*森猛雄『'''"切腹”という自殺形式の美'''』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)3月号,[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196103/01/079.html p84]
*[[中康弘通]]『'''殉難抄'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196402/02/173.html p178]
*飯森潔『'''女体切腹小説 殉愛の女'''』 奇譚クラブ1966年(昭和41年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196610/02/129.html p132]
*『'''[[志村曜子]]の[[切腹]]シーン 劇団「[[赤と黒]]」'''』[[風俗奇譚]]1968年(昭和43年)1月号
*南方純『'''劇団「[[赤と黒]]」の女の[[切腹]]'''』[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196802/01/013.html p16]
*山城七々男『'''舞台に見る女体[[切腹]]'''』[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196802/01/015.html p18]
*[[中康弘通]]『'''切腹研究夜話 文芸切腹 鷲尾雨工篇'''』[[奇譚クラブ]]1972年(昭和47年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197201/02/130.html p133]
 
==切腹関連絵画==
*[[畔亭数久]]『'''切腹断想'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)3月号
*[[室井亜砂二|室井亜砂路]]『僕のイメージ画集「緊縛と[[切腹]]」』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196604/01/007.html p10]
 
==切腹関連写真==
*『'''切腹の擬態写真について'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)11月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195311/01/020.html グラビア]
*『'''女の切腹'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/01/025.html グラビア]
 
==トピックス==
*2011年(平成23年)1月9日に[[風俗資料館]]で女性切腹同好会『桐の会』と[[早乙女宏美]]企画による『第一回 切腹懇親会』が開催。
== 引用文献==
<references/>
==注釈==
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== お役たちweb==
*[http://home.q02.itscom.net/cmc/kirinokai/ 桐の会]
==つながり==
[[早乙女宏美]]
[[春原悠理]]
[切腹]]
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2024年9月19日 (木) 08:07時点における最新版

奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号中康弘通少年および女性の切腹』の挿絵。おそらく喜多玲子の作品と思われる。

せっぷく。日本特有のフェティシズム。古典芸能のモチーフとして古くから存在。奇譚クラブ風俗奇譚などでも頻繁に取り上げられた。中康弘通青山芳樹の文、喜多玲子滝麗子北原純子畔亭数久室井亜砂路らの絵、早乙女宏美のパフォーマンス。分譲切腹フォトも。

概要

奇譚クラブが取り上げたいろいなフェティシズムの中でも、特に記事や絵画の多いジャンル。1950年代初期から数多くの記事、小説、絵、写真が発表された。

歴史

988年(永延二年)、怪盗、袴垂保輔が、源頼光、同四天王、平井保昌に攻立てられ「腹を刺し切り、腸を引き出し」たが死に切れず、検非違使庁へと実き出されて死刑となる[1]

1170年(嘉応二年)、源為朝が、平家の軍船に攻められ、伊豆の大島で、切腹[1]

1840年(天保十一年)、この頃に作法が確立しはじめる。上州沼瑠藩士工藤行広の『自刃録[注 1]』など[1]

1973年(昭和48年)10月1日、『Deluxe Qt!』 10月臨時増刊号として出たSMファンタジアNo.9に切腹関連の記事、写真が多数。

1973年(昭和48年)11月〜12月、日劇ミュージックホールでの『白い肌に赤い花が散った』公演の第15景で、武智鉄二演出の『女腹切り』。出演は高見緋沙子[2]

1989年(平成元年)春、春原悠理切腹にフーカスした不二企画のレーベル『ライトブレーン』をスタート[3][4]

1989年(平成元年)4月23日、『ライトブレーン』レーベルの第1作である『女腹切り・散華』の撮影。

2011年(平成23年)1月9日に風俗資料館で女性切腹同好会『桐の会』と早乙女宏美企画による『第一回 切腹懇親会』が開催。

切腹関連記事・小説

切腹関連書籍

切腹関連絵画

切腹関連写真

桐の会

女性切腹マニアの会。

分譲切腹フォト

切腹関連ビデオ・DVD

ギャラリー

ギャラリー

トピックス

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 切腹の歴史奇譚クラブ1956年(昭和31年)9月号
  2. 2.0 2.1 風俗奇譚1974年(昭和49年)3月号
  3. Trevor Brownによる1992年の秋田昌美へのインタビューより。
  4. 春原悠理 私信 to U, 2014.7.13

注釈

  1. "切腹の作法″〝検視の作法〞〝介護の作法″に分れ、本式の切腹としてはへソの上一寸ばかりの、左から右へと引き廻す。あるいは、へソの下通りがよし。深さは、三分か五分まで、ついで左手を刀の右手に持ち添えて、右のけい動脈をかき切る

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