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2021年9月11日 (土) 17:06時点における版
しまもと はるお、1923年(大正12年)4月25日-2008年(平成20年)11月16日
概要
マンハント、裏窓、妖奇などに伝奇作品を発表。日本推理作家協会名誉会員。濡木痴夢男の後を継いで片山博友名でサスペンスマガジンの編集長となる。
別名
略歴
1923年(大正12年)、大阪市に生まれる[2]。
1930年代、大阪府立堺工業高校卒業。
1950年(昭和25年)、「妖奇」に『振袖小姓捕物控』を毎月連載[2]。挿絵は中島喜美。
1951年(昭和26年)、『振袖小姓捕物控』が東映より映画化。
1950年代後半、久保書店で編集に携わり、「マンハント」にて短編を翻訳[2]。
1957年(昭和32年)、小学生毎日新聞に連載していた『白蟻城』が新東宝より映画化。
1972年(昭和47年)1月、サスペンスマガジン編集人。
1977年(昭和52年)7月15日、漫画ドッキリ号7月増刊『SM大特集』の編集人(片山博友名)。
1980年(昭和55年)12、サスペンスマガジン終刊。
エピソード
- 妖奇のメインメイン執筆者で、1949年(昭和24年)から1953年(昭和28年)まで『振袖小姓捕物控』を連載していた。自身が読者投稿欄へ自作についての書き込みを行う事もあった。
- 当時の関係者の証言によれば、『マンハント』へ発表された翻訳作品は自分で翻訳したのではなく、下訳の文章を整えたものと言う。
- 片山博友の変名は久保書店の近くにあった片山橋に由来する[1]
代表作
- 島本春雄『やわ肌絵図―振袖小姓捕物控』(久保書店, 1955)[注 1]装丁は喜多玲子。
- 島本春雄『裸女地獄―振袖小姓捕物控』(久保書店, 1956)
- 島本春雄『乱れ夜探り―秘冊・隠密覚書』(あまとりあ社, 1957)
- 島本春雄『濡れた夜曲―妖美艶色秘話』(あまとりあ社, 1959)
- 島本春雄『忍び夜秘帖』(あまとりあ社, 1959?)(装幀:喜多玲子)
- 島本春雄『顔の二つある侍』裏窓1959年(昭和34年)7月号, p88(挿絵:山田彬弘)。
- 島本春雄『夜叉駕籠』裏窓1959年(昭和34年)9月号, p62(挿絵:秋吉巒)。