「SMという言葉の誕生」の版間の差分

提供:SMpedia
 
(2人の利用者による、間の107版が非表示)
1行目: 1行目:
[[画像:MtoS.jpg|250px|thumbnail|[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)8月号掲載の岡田咲『責めの小説 MとS]』]]
'''えすえむということばのたんじょう'''。「SM」という言葉が一般的に使われ出すのは1970年代のSM雑誌ブームの頃からである。それ以前はマニアの間で「'''MS'''」を含めて密かに使用。
==概説==
==概説==
「SM」の「S」がサディズムを「M」がマゾヒズムの頭文字に相当し、それぞれ、18世紀のマルキ・ド・サド、19世紀のマゾッホ、という古い人名に由来していが、「SM」という言葉が一般に使われ出したのは意外と新しく、おおざっぱには1970年代初めからと考えてよい。「SM」が定着する前には「MS」「SMF」なども使われていた。
「[[マルキ・ド・サド]]」「[[ザッヘル=マゾッホ]]」に由来して「サディズム(Sadism)」「マゾヒズム(Masochism)」という言葉を創案したのはドイツの精神医学者クラフト=エビングで、1886年(明治19年)頃のことである。その後まもなくクラフト=エビングの学説は日本にも紹介されたが、本格的に「サド・マゾ」行為が注目されるのが、1913年(大正2年)にクラフト=エビングの『変態性慾心理』が翻訳出版された時である。その後、大正から昭和の初期にかけて、いわゆる「エログロ」文化が華やいだが、「変態」「異常」「アブ」などの表現が用いられたものの、「SM」という言葉はこの時点ではまだ誕生していない。第二次世界大戦によるエロ文化の空白期間を挟み、戦後まもなくエロ文化が再興するが、ここでも、まだしばらく「SM」という記号は誕生しない。[[奇譚クラブ]]などの元祖SM雑誌も、初期の段階では「変態」「アブノーマル」「責め」「縛り」などでSM行為を表現している。1950年代に入るとようやく「S」「M」といった記号が、小説のタイトルや新聞広告に現れ出すが、面白いことに現在のような「SM」のみならず、「M・S」「MS」といった表現の方がむしろ多かったようである。雑誌の表紙やタイトルに「SM」が現れるのはさらに遅く、1965年(昭和40年)、[[裏窓]]の後継誌[[サスペンスマガジン]]に、おそるおそる「SM」を暗示するデザインが用いられたのが最初である。その後、1968年(昭和43年) 6月創刊の『'''[[S・Mグラフ]]'''』や同年9月創刊の『'''[[サスペンス&ミステリーマガジン]]'''』にはより直裁的なデザインが用いられている。[[サスペンス&ミステリーマガジン]]の'''1968年(昭和43年)11月'''号からは裏表紙の雑誌名が[[サスペンス&ミステリーマガジン]]から「'''SMマガジン'''」に変わっている(表表紙に変化なし)。1970年(昭和45年)に入ると、[[問題SM小説]]、[[SMセレクト]]と、堂々と雑誌のタイトルに「SM」が用いられるようになった。一方で、映画のタイトルには「SM」という言葉は(近年は別として)ほとんど用いられていない。
 
==歴史==
==歴史==
1740年(江戸時代)、マルキ・ド・サド、パリに誕生。1785年、獄中で『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を発表。1814年没。
[[画像:SuspenseMagazine.png|100px|thumbnail|[[サスペンスマガジン]] 1965年(昭和40年)創刊号]]
[[画像:SMgraph196806.png|100px|thumbnail|『'''[[S・Mグラフ]]'''』1968年6月創刊号]]
[[画像:S&Mmagazine196809.png|100px|thumbnail|[[サスペンス&ミステリーマガジン]] 1968年(昭和43年)9月創刊号]]
[[画像:mondaisam.jpg|100px|thumbnail|問題SM小説 1970年(昭和45年)5月創刊号]]
 
1740年([[江戸時代]])、[[マルキ・ド・サド]]、パリに誕生。1785年、獄中で『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を発表。1814年没。
 
1836年([[江戸時代]])、[[レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ]]、オーストラリアに誕生。1871年に小説『'''毛皮を着たヴィーナス'''』を発表。1895年没。
 
1886年(明治19年)、ドイツの精神医学者[[クラフト=エビング]](1840-1902)が『性的精神病理』の中で「サディズム」「マゾヒズム」を創案。
 
1894年(明治27年)、[[クラフト=エビング]]の『'''[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849306 色情狂編]'''』(日本法医学会/春陽堂)が発禁処分。
 
1912年(大正元年)、田中祐吉『[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/911513 '''男女の性慾研究''']』(雅俗文庫, 1912)の「性慾倒錯と犯罪」で「サヂスムス」「フェチスムス」が紹介。
 
1913年(大正2年)、『性的精神病理』が『変態性慾心理』として出版されブームとなる<ref group="注">「変態」の俗語が生まれたのはこの頃</ref>。
 
1934年(昭和9年)、沢田順次郎『'''[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458853 変態性医学講話]'''』で「サド性」という短縮語が使われている。
 
1936年(昭和11年)、ヨラン・ノイフェルト『'''ドストイェフスキーの精神分析'''』 (東京精神分析学研究所出版部, 1936)  第9章が「サド・マゾヒスムス」。
 
1947年(昭和22年)、[[奇譚クラブ]]12月号(通刊第2号)掲載『變態性慾者群像』という記事の第二章及び第三章にて、それぞれ被虐待性淫慾者(マゾヒスムス) 及び 虐待性淫慾者(サデイスムス)として紹介されている。
 
1952年(昭和27年)、[[奇譚クラブ]]8月号に岡田咲『[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195208/02/107.html 責めの小説 MとS]』
 
1953年(昭和28年)夏、[[山岸康二]]が毎夕新聞に『'''MS倶楽部会員モデル募集 芸苑社'''』の2行広告を出す<ref group="注">[[山岸康二]]によると「実際に載ってみると、MSでは何となく文字のすわりが悪いので、1ケ月くらい経ってからSMに変えた。」とある。</ref>。
 
1953年(昭和28年)、[[嶽収一]]が[[奇譚クラブ]]8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195308/01/048.html p53]『'''アブノーマル・プレイ'''』で『'''MSバンド'''』の造語を提唱している。ただしこれは「Masohism band」の略で、マゾ・サドの略ではない。[[奇譚クラブ]]12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/115.html p120]には『'''MSバンド'''』と題したエッセイ。
 
1953年(昭和28年)、[[沼正三]]の『'''あるマゾヒストの手帖から'''』に「SMF」が記載。
 
1954年(昭和29年)、[[奇譚クラブ]]5月号に中谷冷一『MS・プレイ』
 
1959年(昭和34年)、[[森下高茂]]の「[[あけぼの会]]」の会員募集新聞広告は「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」であったようだ<ref name="gendai">「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.</ref>。
 
1960年(昭和35年)10月、[[裏窓]]が10月号から中とじになり、表紙に「THE JAPANESE MOST REMARKABLE S-M MAGAZINE」と入るようになる。
 
1961年(昭和36年)、[[裏窓]]8月号に『師弟関係のSM』、[[風俗奇譚]]9月号に一ノ瀬悦子『[http://nawa-art.com/etc/fk/FK196109/01/055.html 狂熱のSM交響楽]』、10月号に[[森下高茂|谷貫太]]『欧米MSの家めぐり』
 
1964年(昭和39年)、[[奇譚クラブ]]で[[辻村隆]]の『'''[[SMカメラ・ハント]]'''』が連載開始。
 
1965年(昭和40年)2月、[[裏窓]]の改題誌として創刊された[[サスペンスマガジン]]([[久保書店]])の表紙デザインが「SM」を暗示。
 
1967年(昭和42年)5月、[[奇譚クラブ]]5月号の綾研二『[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196705/007.html 雪の中のフォト]』では、また「MSへの光明」と「MS」が用いられている。
 
1968年(昭和43年)3月、[[風俗奇譚]]3月号の表紙に「SM千夜一夜絵物語」の案内。
 
1968年(昭和43年)6月、[[手帖社]]から[[S・Mグラフ]]創刊。サスペンス・ミステリーの略号として用いている。
 
1968年(昭和43年)9月、[[サスペンス&ミステリーマガジン]]([[コバルト社]])創刊。表紙にはタイトルの略号として「SM」が大きくデザインされている。
 
1968年(昭和43年)11月、この号以降[[サスペンス&ミステリーマガジン]]の裏表紙・後付けの書名が「[[SMマガジン]]」となっている。


1836年(江戸時代)、レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ、オーストラリアに誕生。1871年に小説『毛皮を着たヴィーナス』を発表。1895年没。
1969年(昭和44年)10月、[[サスペンス&ミステリーマガジン|SMマガジン10月号臨時増刊号]]([[コバルト社]])の創刊号発行<ref group="注">本来なら、「[[サスペンス&ミステリーマガジン]]10月号臨時増刊号」となるべきところが、略号の「[[サスペンス&ミステリーマガジン|SMマガジン10月号臨時増刊号]]」として名前がつけられている。</ref>。


1886年(明治19年)、ドイツの精神医学者クラフト=エビング(1840-1902)が『性的精神病理』の中で「サディズム」「マゾヒズム」を創案。
1970年(昭和45年)2月、[[サスペンス&ミステリーマガジン|SMマガジン2月号臨時増刊号]]([[コバルト社]])の第2号発行。


1894年(明治27年)、クラフト=エビングの『色情狂編』(日本法医学会/春陽堂)が発禁処分。
1970年(昭和45年)5月、[[サスペンス&ミステリーマガジン]]の姉妹紙として[[サスペンス&ミステリーマガジン|SMマガジン臨時増刊号]]が[[問題SM小説]]([[コバルト社]])と改題して創刊。


1913年(大正2年)、『性的精神病理』が『変態性慾心理』として出版され再ブームとなる<ref group="注">「変態」の俗語が生まれたのはこの頃</ref>。
1970年(昭和45年)5月、[[夫婦生活]]([[手帖社]])特別増刊『SM立体カラー医学カード』監修:木村康雄


1952年には8月号には「MとS」岡田咲
1970年(昭和45年)7月、[[コバルト社]]から[[Pocket SM]]が創刊。


1953年、『MS倶楽部会員モデル募集 芸 苑 社』
1970年(昭和45年)11月、『[[実話雑誌]]』11月増刊号として[[東京三世社]]から[[SMセレクト]]が創刊。


1953年12月号「MSバンド」嶽収一
1971年(昭和46年)、[[辰巳出版]]から[[SMプレイ]]が創刊。


1954年5月号に「MS・プレイ」中谷冷一
1971年(昭和46年)10月、[[清風書房]]から[[パンチSM]]が創刊。


1961年8月号「師弟関係のSM」
1971年(昭和46年)12月、[[司書房]]から[[SMファン]]が創刊。


1961年9月号「狂熱のSM交響楽」一ノ瀬悦子
1972年(昭和47年)1月、[[清風書房]]から[[スパークSM]]が創刊。


同年10月号に「欧米MSの家めぐり」谷貫太
1972年(昭和47年)3月、[[辰巳出版]]から[[SMプレイ]]が創刊。
 
1972年(昭和47年)6月、[[清風書房]]から[[SMセカイ]](翌月に[[SMトップ]]に改名)が創刊。
 
1972年(昭和47年)8月、[[檸檬社]]から[[SMファンタジア]]が創刊。
 
1972年(昭和47年)8月、[[大洋図書]]から[[SMキング]]が創刊。
 
1972年(昭和47年)8月、[[司書房]]から[[別冊SMファン]]が創刊。
 
1972年(昭和47年)10月、[[サン出版]]から[[SMコレクター]]が創刊。
 
1973年(昭和48年)3月、[[東京三世社]]から[[小説SMセレクト]]が創刊。
 
1973年(昭和48年)10月、[[SMファンタジア]]No.9の広告に『'''SMF研究会'''』。
 
1974年(昭和49年)5月、[[コバルト社]]から[[S&Mギャラリー]]が創刊。
 
1974年(昭和49年)6月、[[サン出版]]から[[S&Mアブハンター]]が創刊。
 
1974年(昭和49年)6月、[[司書房]]から[[SMフロンティア]]が創刊。
 
1976年(昭和51年)5月、『'''[[SMマガジン]]'''』5月号が「誌面刷新・大快楽号」となっており、表紙の'''[[サスペンス&ミステリーマガジン]]'''の併記がなくなり、'''[[SMマガジン]]'''のロゴだけに。
 
==トピックス==
*「SM」にフェチの「F」と加えた「SMF」も、初期には一部で使われていた。


== 引用文献==
== 引用文献==
33行目: 112行目:
*[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10293076551.html 「MS」と「SM」]
*[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10293076551.html 「MS」と「SM」]
==つながり==
==つながり==
[[SM雑誌の歴史]]




 
{{DEFAULTSORT:えすえむということばのたんじょう}}
{{DEFAULTSORT:SMということばのたんじょう}}
[[Category:昭和SM文化]]
[[Category:昭和SM文化]]
[[Category:SMの歴史]]
[[Category:総索引]]
[[Category:総索引]]

2024年9月6日 (金) 13:11時点における最新版

奇譚クラブ1952年(昭和27年)8月号掲載の岡田咲『責めの小説 MとS]』

えすえむということばのたんじょう。「SM」という言葉が一般的に使われ出すのは1970年代のSM雑誌ブームの頃からである。それ以前はマニアの間で「MS」を含めて密かに使用。

概説

マルキ・ド・サド」「ザッヘル=マゾッホ」に由来して「サディズム(Sadism)」「マゾヒズム(Masochism)」という言葉を創案したのはドイツの精神医学者クラフト=エビングで、1886年(明治19年)頃のことである。その後まもなくクラフト=エビングの学説は日本にも紹介されたが、本格的に「サド・マゾ」行為が注目されるのが、1913年(大正2年)にクラフト=エビングの『変態性慾心理』が翻訳出版された時である。その後、大正から昭和の初期にかけて、いわゆる「エログロ」文化が華やいだが、「変態」「異常」「アブ」などの表現が用いられたものの、「SM」という言葉はこの時点ではまだ誕生していない。第二次世界大戦によるエロ文化の空白期間を挟み、戦後まもなくエロ文化が再興するが、ここでも、まだしばらく「SM」という記号は誕生しない。奇譚クラブなどの元祖SM雑誌も、初期の段階では「変態」「アブノーマル」「責め」「縛り」などでSM行為を表現している。1950年代に入るとようやく「S」「M」といった記号が、小説のタイトルや新聞広告に現れ出すが、面白いことに現在のような「SM」のみならず、「M・S」「MS」といった表現の方がむしろ多かったようである。雑誌の表紙やタイトルに「SM」が現れるのはさらに遅く、1965年(昭和40年)、裏窓の後継誌サスペンスマガジンに、おそるおそる「SM」を暗示するデザインが用いられたのが最初である。その後、1968年(昭和43年) 6月創刊の『S・Mグラフ』や同年9月創刊の『サスペンス&ミステリーマガジン』にはより直裁的なデザインが用いられている。サスペンス&ミステリーマガジン1968年(昭和43年)11月号からは裏表紙の雑誌名がサスペンス&ミステリーマガジンから「SMマガジン」に変わっている(表表紙に変化なし)。1970年(昭和45年)に入ると、問題SM小説SMセレクトと、堂々と雑誌のタイトルに「SM」が用いられるようになった。一方で、映画のタイトルには「SM」という言葉は(近年は別として)ほとんど用いられていない。

歴史

サスペンスマガジン 1965年(昭和40年)創刊号
S・Mグラフ』1968年6月創刊号
サスペンス&ミステリーマガジン 1968年(昭和43年)9月創刊号
問題SM小説 1970年(昭和45年)5月創刊号

1740年(江戸時代)、マルキ・ド・サド、パリに誕生。1785年、獄中で『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を発表。1814年没。

1836年(江戸時代)、レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ、オーストラリアに誕生。1871年に小説『毛皮を着たヴィーナス』を発表。1895年没。

1886年(明治19年)、ドイツの精神医学者クラフト=エビング(1840-1902)が『性的精神病理』の中で「サディズム」「マゾヒズム」を創案。

1894年(明治27年)、クラフト=エビングの『色情狂編』(日本法医学会/春陽堂)が発禁処分。

1912年(大正元年)、田中祐吉『男女の性慾研究』(雅俗文庫, 1912)の「性慾倒錯と犯罪」で「サヂスムス」「フェチスムス」が紹介。

1913年(大正2年)、『性的精神病理』が『変態性慾心理』として出版されブームとなる[注 1]

1934年(昭和9年)、沢田順次郎『変態性医学講話』で「サド性」という短縮語が使われている。

1936年(昭和11年)、ヨラン・ノイフェルト『ドストイェフスキーの精神分析』 (東京精神分析学研究所出版部, 1936) 第9章が「サド・マゾヒスムス」。

1947年(昭和22年)、奇譚クラブ12月号(通刊第2号)掲載『變態性慾者群像』という記事の第二章及び第三章にて、それぞれ被虐待性淫慾者(マゾヒスムス) 及び 虐待性淫慾者(サデイスムス)として紹介されている。

1952年(昭和27年)、奇譚クラブ8月号に岡田咲『責めの小説 MとS

1953年(昭和28年)夏、山岸康二が毎夕新聞に『MS倶楽部会員モデル募集 芸苑社』の2行広告を出す[注 2]

1953年(昭和28年)、嶽収一奇譚クラブ8月号, p53アブノーマル・プレイ』で『MSバンド』の造語を提唱している。ただしこれは「Masohism band」の略で、マゾ・サドの略ではない。奇譚クラブ12月号, p120には『MSバンド』と題したエッセイ。

1953年(昭和28年)、沼正三の『あるマゾヒストの手帖から』に「SMF」が記載。

1954年(昭和29年)、奇譚クラブ5月号に中谷冷一『MS・プレイ』

1959年(昭和34年)、森下高茂の「あけぼの会」の会員募集新聞広告は「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」であったようだ[1]

1960年(昭和35年)10月、裏窓が10月号から中とじになり、表紙に「THE JAPANESE MOST REMARKABLE S-M MAGAZINE」と入るようになる。

1961年(昭和36年)、裏窓8月号に『師弟関係のSM』、風俗奇譚9月号に一ノ瀬悦子『狂熱のSM交響楽』、10月号に谷貫太『欧米MSの家めぐり』

1964年(昭和39年)、奇譚クラブ辻村隆の『SMカメラ・ハント』が連載開始。

1965年(昭和40年)2月、裏窓の改題誌として創刊されたサスペンスマガジン(久保書店)の表紙デザインが「SM」を暗示。

1967年(昭和42年)5月、奇譚クラブ5月号の綾研二『雪の中のフォト』では、また「MSへの光明」と「MS」が用いられている。

1968年(昭和43年)3月、風俗奇譚3月号の表紙に「SM千夜一夜絵物語」の案内。

1968年(昭和43年)6月、手帖社からS・Mグラフ創刊。サスペンス・ミステリーの略号として用いている。

1968年(昭和43年)9月、サスペンス&ミステリーマガジン(コバルト社)創刊。表紙にはタイトルの略号として「SM」が大きくデザインされている。

1968年(昭和43年)11月、この号以降サスペンス&ミステリーマガジンの裏表紙・後付けの書名が「SMマガジン」となっている。

1969年(昭和44年)10月、SMマガジン10月号臨時増刊号(コバルト社)の創刊号発行[注 3]

1970年(昭和45年)2月、SMマガジン2月号臨時増刊号(コバルト社)の第2号発行。

1970年(昭和45年)5月、サスペンス&ミステリーマガジンの姉妹紙としてSMマガジン臨時増刊号問題SM小説(コバルト社)と改題して創刊。

1970年(昭和45年)5月、夫婦生活(手帖社)特別増刊『SM立体カラー医学カード』監修:木村康雄

1970年(昭和45年)7月、コバルト社からPocket SMが創刊。

1970年(昭和45年)11月、『実話雑誌』11月増刊号として東京三世社からSMセレクトが創刊。

1971年(昭和46年)、辰巳出版からSMプレイが創刊。

1971年(昭和46年)10月、清風書房からパンチSMが創刊。

1971年(昭和46年)12月、司書房からSMファンが創刊。

1972年(昭和47年)1月、清風書房からスパークSMが創刊。

1972年(昭和47年)3月、辰巳出版からSMプレイが創刊。

1972年(昭和47年)6月、清風書房からSMセカイ(翌月にSMトップに改名)が創刊。

1972年(昭和47年)8月、檸檬社からSMファンタジアが創刊。

1972年(昭和47年)8月、大洋図書からSMキングが創刊。

1972年(昭和47年)8月、司書房から別冊SMファンが創刊。

1972年(昭和47年)10月、サン出版からSMコレクターが創刊。

1973年(昭和48年)3月、東京三世社から小説SMセレクトが創刊。

1973年(昭和48年)10月、SMファンタジアNo.9の広告に『SMF研究会』。

1974年(昭和49年)5月、コバルト社からS&Mギャラリーが創刊。

1974年(昭和49年)6月、サン出版からS&Mアブハンターが創刊。

1974年(昭和49年)6月、司書房からSMフロンティアが創刊。

1976年(昭和51年)5月、『SMマガジン』5月号が「誌面刷新・大快楽号」となっており、表紙のサスペンス&ミステリーマガジンの併記がなくなり、SMマガジンのロゴだけに。

トピックス

  • 「SM」にフェチの「F」と加えた「SMF」も、初期には一部で使われていた。

引用文献

  1. 「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.

注釈

  1. 「変態」の俗語が生まれたのはこの頃
  2. 山岸康二によると「実際に載ってみると、MSでは何となく文字のすわりが悪いので、1ケ月くらい経ってからSMに変えた。」とある。
  3. 本来なら、「サスペンス&ミステリーマガジン10月号臨時増刊号」となるべきところが、略号の「SMマガジン10月号臨時増刊号」として名前がつけられている。

お役たちweb

つながり

SM雑誌の歴史