「歌川国輝」の版間の差分
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'''うたがわ くにてる'''、19世紀江戸時代後期の絵師。[[歌川國貞]]の門人。貞重、国彦、芳艶の名も。合巻[[草双紙]]を多く手がけ、刺青の下絵作者でもあった。『'''精ぐらべ玉の汗'''』では[[後手縛り]]が。 | '''うたがわ くにてる'''、19世紀江戸時代後期の絵師。[[歌川國貞]]の門人。貞重、国彦、芳艶の名も。合巻[[草双紙]]を多く手がけ、刺青の下絵作者でもあった。『'''精ぐらべ玉の汗'''』では[[後手縛り]]が。 | ||
==概要== | ==概要== | ||
江戸時代後期の絵師。[[歌川國貞]]の門人。合巻[[草双紙]]を多く手がける。[[歌川芳艶]] | 江戸時代後期の絵師。[[歌川國貞]]の門人。合巻[[草双紙]]を多く手がける。[[歌川芳艶]]と競って[[刺青]]の下絵を作った。 | ||
==別名== | ==別名== | ||
[[歌川國輝]]、[[歌川貞重]]、二代[[歌川国彦]]、[[歌川芳艶]]、太田金次郎、五蝶亭、新貞亭、独酔舎、一雄斎、雄斎、一泉斎、一心斎 | [[歌川國輝]]、[[歌川貞重]]、二代[[歌川国彦]]、[[歌川芳艶]]、太田金次郎、五蝶亭、新貞亭、独酔舎、一雄斎、雄斎、一泉斎、一心斎 | ||
==略歴== | ==略歴== | ||
[[画像:KuniteruUtagwa2.jpg| | [[画像:KuniteruUtagwa2.jpg|350px|thumbnail|『'''体内十界之圖'''』[[歌川国輝]]1886年作。]] | ||
1847年(弘化4年)頃、[[歌川貞重]]から[[歌川国輝]]に改名。 | 1847年(弘化4年)頃、[[歌川貞重]]から[[歌川国輝]]に改名。 | ||
1855年(安政2年)、二代[[歌川国彦]]と改名。 | 1855年(安政2年)、二代[[歌川国彦]]と改名。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*同じく[[歌川國貞]](三代目[[歌川豊國]])の門人に二代目[[歌川国輝]](1830-1874)、三代目[[歌川国輝]](不明) | *同じく[[歌川國貞]](三代目[[歌川豊國]])の門人に二代目[[歌川国輝]](1830-1874)、三代目[[歌川国輝]](不明)もいる。 | ||
==作品== | ==作品== |
2023年11月30日 (木) 07:46時点における最新版
うたがわ くにてる、19世紀江戸時代後期の絵師。歌川國貞の門人。貞重、国彦、芳艶の名も。合巻草双紙を多く手がけ、刺青の下絵作者でもあった。『精ぐらべ玉の汗』では後手縛りが。
概要
江戸時代後期の絵師。歌川國貞の門人。合巻草双紙を多く手がける。歌川芳艶と競って刺青の下絵を作った。
別名
歌川國輝、歌川貞重、二代歌川国彦、歌川芳艶、太田金次郎、五蝶亭、新貞亭、独酔舎、一雄斎、雄斎、一泉斎、一心斎
略歴
1855年(安政2年)、二代歌川国彦と改名。
エピソード
作品
引用文献
注釈
お役たちweb
つながり
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