テンプレート:北条小夜子

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1980年代、90年代に活動していたミストレス葵マリーが経営していたブルーシャトウで女王様として活動。葵マリーの引退式では二代目葵マリーとしての指名。新宿歌舞伎町の風林会館近くのビルにスナック『典子』を経営。

マニア倶楽部1988(昭和63年)10月号に典子の女店主として紹介されている北條小夜子
北条小夜子サロン公開』in SMスピリッツ1993年6月号より
SMファン1987年3月号の『続・飼育』(V&Rプランニング)の紹介記事より
プレイ通信1992年Vol. 1の『調教 6月30日 Part I, II』の紹介記事より

ほうじょう さよこ、1952年(昭和27年)?[注 1]、1942年(昭和17年)?[注 2]

概要

1980年代、90年代に活動していたミストレス葵マリーが経営していたブルーシャトウで女王様として活動。葵マリーの引退式では二代目葵マリーとしての指名されるが、その後別人が二代目葵マリーとなっている。新宿歌舞伎町の風林会館近くのビルにスナック『典子』を経営しており、長田英吉館淳一早川佳克などが集っていた。

別名

北条小夜子 北條小夜子 二代目葵マリー サニー[1] ブラックサタン[1]

略歴

1980年代、赤坂ブルーシャトウに在籍。

1982年(昭和57年)1月頃に新宿にオープンした『典子』の、少なくとも1987年から経営者[1]

1987年(昭和62年)8月28日、アルファイン葵マリーの引退興行。ショーの最後に北条小夜子に二代目葵マリーの称号を与える戴冠式をおこなう[1](『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目北条小夜子に譲る」と語っている)。

1987年(昭和62年)頃、おそらくこの頃、北条小夜子日本悪魔クラブのSMショーを観劇し、運営スタッフのわたなべ氏に自分が二代目葵マリーを襲名すると述べている(下記エピソード参照)。

1993年(平成5年)頃、大久保近くに会員制サロン『北条小夜子のサロン』をオープン[2]

エピソード

  • ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている。
  • 日本悪魔クラブのSMショーを運営していたわたなべ氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が北条小夜子さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「二代目葵マリーを襲名することになった」とも言っていた[3]」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく[4] 」と回想している。
  • 1980年代長田英吉赤坂ブルーシャトー北条小夜子に緊縛を教える、という記述がある[5]
  • 1982年頃に新宿でパブ『典子』を経営。
  • 館淳一「新宿風鈴会館の向かい側にあった『典子』というSMマニアが集るバーで、ママの北条小夜子と親しくしていたのですが、そこに長田師が来て何度か会話した思い出があります。モダンアート出演のあとかな。上野の旅館での例の撮影会に踏み込まれて逮捕された事件の話なども聞きました」[6]

ギャラリー

代表作

  • 写真時代ジュニア増刊「SUGOIデスネー!」(白夜書房, 1984.10)
  • 写真時代1987年7月号
  • SMマニア1987年4月号に記事

ビデオ

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 名士がズラリ会員だった超高級クラブ"SMの女王"がついに引退!週刊読売1987年(昭和62年)8月30日号
  2. 北条小夜子サロン公開』in SMスピリッツ1993年6月号
  3. X, 2023年12月20日の書き込み
  4. X, 2023年12月20日の書き込み
  5. 長田スティーブのHP
  6. 館淳一 Facebook, 2015/1/7

注釈

  1. 週刊読売1987年(昭和62年)8月30日号に35歳として紹介されていることから逆算
  2. エピキュリアン1992年(平成4年) No.2に「恐らく業界最年長(推定年齢50歳)女王様であろう北条小夜子女子」とあるのから逆算。

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