雪村春樹

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雪村春樹(1948 - )


ゆきむら はるき、1948年(昭和23年)5月11日-

概要

緊縛師。写真家。AV監督。プロデューサー。出発点がヌードカメラマンということもあり、女性の美しいエクスタシー体全体の表情を引き出す、寝技中心の受け手とのコミュニケーションを重視した緊縛術は『愛撫縄』とも呼ばれ、責め縄と対極をなす。TVや映画などの企画家、脚本家としての経験も、質の高い緊縛映像作品製作に生かされていると思われる。初期の昭和SMにもつながる、その日本情緒あふれる緊縛は海外にも支持者が多い。40才を過ぎてからプロの緊縛師として登場したが、短期間でトップの緊縛師としての地位を確立した。

別名

Haruki Yukimura天津比呂志、アマツヒロシ

略歴

1948年(昭和23年)5月11日、兵庫県西宮市に生まれる。

1982年(昭和57年)、S&Mスナイパーに作品発表開始[1]

1984年(昭和59年)、毎日放送の「ワイドyou[注 1]」やサンテレビの「大人の子守歌[注 2]」の製作・出演。

1987年(昭和62年)、TV・新聞の取材プロダクションを設立。

1988年(昭和63年)、上京してAV制作を始める[1]

1989年(平成元年)、『縄炎 ~美濃村晃の世界~』(シネマジック)を監督。

1990年(平成2年)、大洋図書より『Bondage Fantasy』『雪村春樹の世界[注 3]』シリーズ。

1992年(平成4年)、インディーズビデオの制作を開始。

1993年(平成3年)、サンセットカラーから『縄奉仕』『縄調教』シリーズ。

1994年(平成6年)、新宿ゴールデン街劇場などで「Y's Play Bondage」ライブを開始。ライブ録画は『Y’s PLAY BONDAGEシリーズ』としてビデオ化される。

1995年(平成7年)8月、S&Mスナイパー8月号から『縄奉仕それが人生』連載開始。写真・構成:雪村春樹グループ、文:小夜伽

1996年(平成8年)、SMマニアに『雪村春樹の淫縛彷徨』連載。

1997年(平成9年)7月20日、田中スタジオB1にて「Y's Play Bondage」。

1998年(平成10年)、ワイレア出版から高橋ジュンコTrans body bondage―雪村春樹の緊縛』発行。

1999年(平成11年5月21日、ロフトプラスワンにてダーティ工藤プレゼンツ『縄文式』トーク&ライヴ「そろそろSMについて語ろうか」【出演】杉作J太郎、雪村春樹、小夜伽、吉田チホ、早乙女宏美、MS.ローズ、東陽片岡、冠木新市、東ノボル、中村淳彦、ゴールドマン

2000年(平成12年)、S&Mスナイパー日暮圭介の写真で連載。

2007年(平成19年)10月18日、新宿ゴールデン街劇場で「Y's PLAY BONDAGE stage12[注 4]

2012年(平成24年)3月、WEBスナイパーに『雪村春樹FLASH緊縛グラビア「現代成熟交合」』連載開始。

2012年(平成24年)8月20-24日、長田スティーブのコペンハーゲン道場にて緊縛教室雪長マックスがオーガナイズ。

2012年(平成24年)11月4日、studio abにてsaikicks主催の緊縛撮影会。モデル:羽月希、写真:saikicks

2012年(平成24年)12月12日〜19日、Master "K"の招聘で米国ロサンゼルスで講習会。春晏と。

2013年(平成25年)1月27日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:水城奈緒。

2013年(平成25年)5月19日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:辻本りょう。

2013年(平成25年)7月27日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:美泉咲。

2013年(平成25年)9月29日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:桜瀬奈。

2013年(平成25年)10月27日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:桜ちずる。

2013年(平成25年)12月1日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:彩城ゆりな。

2014年(平成26年)1月26日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:すみれ。

2014年(平成26年)3月12−25日、オーストラリア遠征。春晏と。

2014年(平成26年)3月15-18日、オーストラリアの Sydney Rope Dojoでワークショップ。Hebariがホスト。

2014年(平成26年)3月20-23日、オーストラリアのMelbourne Rope Dojoでワークショップ。Scottがホスト。

2014年(平成26年)4月20日、六本木倶楽部にて緊縛撮影会。モデル:甲斐ミハル。

エピソード

  • 1950年代、父親の持っていた本の中の緊縛絵画に心を惹きつけられる[2]
  • 1960年代、母親とうどん屋を経営[2]
  • 1970年代、写真撮影の仕事に専念[2]
  • 緊縛術は独学である[2]
  • 太さ4ミリで長さ7メートルの麻縄を半分折にして使っている。
  • ヌード写真の撮影時に、女性モデルの恍惚表情を引き出すために緊縛を使い出した[2]
  • 雪村春樹」という名前は、写真を発表していた雑誌の編集長がつけた[2]
  • 荊子飛室イヴ春晏長田スティーブなどが雪村の指導を受けている。
  • 門下生に「春」のつく号を与えている。雪村流のページ参照。
  • 高槻彰監督の作品で、画面の前面に出るスタイルが始まった。
  • 写真家の日暮圭介は実子[3]

雪村流

1990年代中頃から、雪村春樹は緊縛の「縛り過程のダイナミクス」と「受け手とのコミュニケーション」を重視した、独自の緊縛スタイルの確立に取り込み、2000年代には雪村流として完成させている。

詳しくは雪村流のページ参照。

代表作

映画

雑誌

緊縛教材

タイプ1


タイプ2

ビデオ・DVD

1988年(昭和63年)頃に上京した雪村春樹は、1989年(昭和64年)から、天津比呂志名でVIPエンタープライズから、雪村春樹の名前でシネマジックからAV作品を発表し始める。1990年(平成2年)からは大洋図書を販売元とした作品を出し始めるが、大洋図書をバックとした独自のレーベルハニーアーツを立ち上げ、緊縛を中心とした作品を製作する。1993年(平成5年)頃からはサンセットカラーも設立し、『縄奉仕シリーズ』『雪村春樹コレクション』などをリリース。2000年代後半には明和プランニングから『雪村春樹全集』『LiVE』などを、カオカコミュニケーションからほたるいかレーベルで『真・雪村春樹大全集』などをリリース。2009年(平成21年)からは赤ほたるいかレーベルでカオカコミュニケーションから『雪村流』『縛師伝』シリーズなどを製作している。

写真集

引用文献

  1. 1.0 1.1 公式サイトのプロフィールより
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 縛詩 BAKUSHI』(GPミュージアムソフト, 2008)の中でのインタビューより
  3. 雪村春樹 私信 to U. 2014.2.26

脚注

  1. 1982年10月から1990年9月まで一部TBS系列局で放送された毎日放送(MBS)制作のワイドショー。
  2. 1983年10月から1987年3月まで毎週土曜日深夜23:30 - 24:24(JST)に放送されていた。
  3. 「西から危ないおっさんがやってきた」とジャケットに。
  4. ビデオの「Y's PLAY BONDAGE stage14」が1996年代なので、番号が不一致。
  5. 原題...昭和群盗伝2 月の砂漠
  6. 「新妻奥さん背徳の匂い」の名前で
  7. 「不毛な制服 恥づかしい半熟」の改題で2008年再公開。

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