落合芳幾
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おちあい よしいく、1833年(天保4年)4月 - 1904年(明治37年)2月6日。
概要
江戸時代末期から明治時代初めに活躍した歌川派の浮世絵師。歌川国芳の弟子。兄弟弟子の月岡芳年と共に『無惨絵』の絵師として知られる。1874年(明治7年)には最初の錦絵新聞である『錦絵版東京日々新聞』の発刊に関与。
別名
歌川芳幾、一恵斎芳幾
略歴
1833年(天保4年)4月、東京に生まれる。
1850年頃、歌川国芳に入門。
1866年(慶応2年)、落合芳幾と月岡芳年との競作『英名二十八衆句』が大人気に。
1872年(明治5年)、日報社が日刊新聞『東京日々新聞』を創刊。現在の毎日新聞に続く[1]。発起人の1人が落合芳幾。
1874年(明治7年)、日刊新聞『東京日々新聞』のいわゆる三面記事を錦絵化した『錦絵版東京日々新聞』が創刊。絵は落合芳幾。版元は「具足屋」[1]。
1875年(明治8年)、「平仮名絵入新聞」(のちの「東京絵入新聞」)の創刊に関わる。
エピソード
- 月岡芳年は弟弟子。
- 弟子に小林幾英、木村幾年、武田幾丸、泉幾勝。
代表作
関連図書
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 千葉市美術館編『文明開化の錦絵新聞―東京日々新聞・郵便報知新聞全作品』(国書刊行会, 2008.1)
注釈
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