月岡芳年

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月岡芳年 (1839-1892)
月岡芳年作、「奥州安達が原ひとつ家の図」1885年(明治18年)作
月岡芳年作「近世人物誌」より『花井お梅』。やまと新聞1887年(明治20年)8月20日発行。263号附録

つきおか よしとし、1839年(天保10年)3月17日 - 1892年(明治25年)6月9日。江戸時代末期から明治時代初めに活躍した歌川派の浮世絵師。1885年(明治18年)に発表した『奥州安達が原ひとつ家の図』は伊藤晴雨などに影響を与えた。

概要

江戸時代末期から明治時代初めに活躍した歌川派の浮世絵師。1885年(明治18年)に発表した『奥州安達が原ひとつ家の図』は伊藤晴雨などに影響を与えたと言われている。

別名

Yoshitoshi Tsukioka, 吉岡米次郎(本名)、玉桜、大蘇、魁斎

略歴

1839年(天保10年)3月17日、誕生。

1850年(嘉永3年)、12歳で歌川国芳に入門。

1866年(慶応2年)、落合芳幾月岡芳年との競作『英名二十八衆句』が大人気に。

1875年(明治8年)、「錦絵新聞」の初期の1つ、『郵便報知新聞』の錦絵を担当[1]

1885年(明治18年)、『奥州安達が原ひとつ家の図』を発表。逆さ吊りの代表的作品。

1886年(明治17年)10月12日、やまと新聞付録に月岡芳年錦絵新聞の『近世人物誌』を連載開始。

1892年(明治25年)6月9日、永眠。

2012年(平成24年)10月2日〜11月25日、『没後120年記念 月岡芳年』於:太田記念美術館

エピソード

  • 父は旧幕府の御家人[2]
  • 落合芳幾は兄弟子。
  • 弟子に水野年方。その弟子が鏑木清方。さらにその弟子が伊藤深水
  • 「狂画家」「血まみれ芳年」などと呼ばれていた。
  • 伊藤晴雨が『奥州安達が原ひとつ家の図』を参考に妻を吊して写真にする。
  • 芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫江戸川乱歩、横尾忠則が絶賛。
  • 伊藤晴雨其の頃を語る(三) 明治期の被縛画家奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p28で解説されている。

代表作

奥州安達が原ひとつ家の図[注 1]

関連図書

引用文献

  1. 千葉市美術館編『文明開化の錦絵新聞―東京日々新聞・郵便報知新聞全作品』(国書刊行会, 2008.1)
  2. 伊藤晴雨其の頃を語る(三) 明治期の被縛画家奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p28

注釈

  1. 奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号にカラーグラビアで紹介されている。

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