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1982年(昭和57年)1月頃に新宿にオープンした『'''[[典子]]'''』の、少なくとも1988年から女店主。
1982年(昭和57年)1月頃に新宿にオープンした『'''[[典子]]'''』の、少なくとも1988年から女店主。
1987年(昭和62年)頃、『'''ブルーシャトー引退記念公演'''』のビデオで[[初代葵マリー]]が「2代目を[[北条小夜子]]に譲る」と語っている。
1987年(昭和62年)頃、おそらくこの頃、[[北条小夜子]]は[[日本悪魔クラブ]]のSMショーを観劇し、運営スタッフの[[わたなべ]]氏に自分が[[三代目葵マリー]]を襲名すると述べている(下記エピソード参照)。


1993年(平成5年)頃、大久保近くに会員制サロン『'''[[北条小夜子]]のサロン'''』をオープン<ref name="Sprits">[[髭]]『'''[[北条小夜子]]サロン公開'''』in [[SMスピリッツ]]1993年6月号</ref>。
1993年(平成5年)頃、大久保近くに会員制サロン『'''[[北条小夜子]]のサロン'''』をオープン<ref name="Sprits">[[髭]]『'''[[北条小夜子]]サロン公開'''』in [[SMスピリッツ]]1993年6月号</ref>。
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==エピソード==
==エピソード==
*『'''ブルーシャトー引退記念公演'''』のビデオで[[葵マリー]]が「2代目を[[北条小夜子]]に譲る」と語っている。
*『'''ブルーシャトー引退記念公演'''』のビデオで[[葵マリー]]が「2代目を[[北条小夜子]]に譲る」と語っている。
*[[日本悪魔クラブ]]のSMショーを運営していた[[わたなべ]]氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が[[北条小夜子]]さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「[[二代目葵マリー]]を襲名することになった」とも言っていた<ref>[https://twitter.com/heart__to__art/status/1737417083967959219 X, 2023年12月20日の書き込み]</ref>」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく<ref>[https://twitter.com/heart__to__art/status/1737424178528268381 X, 2023年12月20日の書き込み]</ref> 」と回想している。
*1980年代[[長田英吉]]が[[赤坂ブルーシャトー]]の[[北条小夜子]]に緊縛を教える、という記述がある<ref>[[長田スティーブ]]のHP</ref>。
*1980年代[[長田英吉]]が[[赤坂ブルーシャトー]]の[[北条小夜子]]に緊縛を教える、という記述がある<ref>[[長田スティーブ]]のHP</ref>。
*1982年頃に新宿でパブ『[[典子]]』を経営。
*1982年頃に新宿でパブ『[[典子]]』を経営。

2024年1月1日 (月) 17:00時点における版

マニア倶楽部1988(昭和63年)10月号に典子の女店主として紹介されている北條小夜子
北条小夜子サロン公開』in SMスピリッツ1993年6月号より
SMファン1987年3月号の『続・飼育』(V&Rプランニング)の紹介記事より
プレイ通信1992年Vol. 1の『調教 6月30日 Part I, II』の紹介記事より

ほうじょう さよこ、1942年(昭和17年)?[注 1]

概要

ブルーシャトウ典子

別名

北条小夜子 北條小夜子

略歴

1980年代、赤坂ブルーシャトウに在籍。

1982年(昭和57年)1月頃に新宿にオープンした『典子』の、少なくとも1988年から女店主。

1987年(昭和62年)頃、『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている。

1987年(昭和62年)頃、おそらくこの頃、北条小夜子日本悪魔クラブのSMショーを観劇し、運営スタッフのわたなべ氏に自分が三代目葵マリーを襲名すると述べている(下記エピソード参照)。

1993年(平成5年)頃、大久保近くに会員制サロン『北条小夜子のサロン』をオープン[1]

エピソード

  • ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている。
  • 日本悪魔クラブのSMショーを運営していたわたなべ氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が北条小夜子さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「二代目葵マリーを襲名することになった」とも言っていた[2]」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく[3] 」と回想している。
  • 1980年代長田英吉赤坂ブルーシャトー北条小夜子に緊縛を教える、という記述がある[4]
  • 1982年頃に新宿でパブ『典子』を経営。
  • 館淳一「新宿風鈴会館の向かい側にあった『典子』というSMマニアが集るバーで、ママの北条小夜子と親しくしていたのですが、そこに長田師が来て何度か会話した思い出があります。モダンアート出演のあとかな。上野の旅館での例の撮影会に踏み込まれて逮捕された事件の話なども聞きました」[5]

代表作

  • 写真時代ジュニア増刊「SUGOIデスネー!」(白夜書房, 1984.10)
  • 写真時代1987年7月号
  • SMマニア1987年4月号に記事

ビデオ

引用文献

注釈

  1. エピキュリアン1992年(平成4年) No.2に「恐らく業界最年長(推定年齢50歳)女王様であろう北条小夜子女子」とあるのから逆算。

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