「ローズ秋山」の版間の差分
(→略歴) |
(→略歴) |
||
30行目: | 30行目: | ||
1974年(昭和49年)、[[小沢昭一]]『'''珍奇絶倫 小沢代写真館'''』(話の特集, 1974.4)の中に[[晃生ショー劇場]]での写真が収録。 | 1974年(昭和49年)、[[小沢昭一]]『'''珍奇絶倫 小沢代写真館'''』(話の特集, 1974.4)の中に[[晃生ショー劇場]]での写真が収録。 | ||
1978年(昭和53年)5月1日〜10日、[[晃生ショー]]で[[ローズ秋山]]夫妻のSMショー<ref name="#12583116757">[https://ameblo.jp/cobanobu/entry-12583116757.html cobanobuのブログ「大阪ミュージック」]</ref>。 | |||
1978年(昭和53年)9月1日〜10日、[[晃生ショー]]でSMショー<ref name="#12583123093">[https://ameblo.jp/cobanobu/entry-12583123093.html cobanobuのブログ「SM揃い踏み」]</ref>。 | 1978年(昭和53年)9月1日〜10日、[[晃生ショー]]でSMショー<ref name="#12583123093">[https://ameblo.jp/cobanobu/entry-12583123093.html cobanobuのブログ「SM揃い踏み」]</ref>。 |
2020年3月19日 (木) 19:01時点における版
ろーずあきやま。1960年代中頃からから夫婦で、鞭や蝋燭を使った「残酷ショー」をストリップ劇場を中心におこなう。奇譚クラブのみならず中島貞夫監督の映画やTVなどにも出演し、一般の注目も集める。70年代初めまで活動。
概要
1960年代中頃からストリップの舞台で「残酷ショー」をおこない、奇譚クラブで話題となる。SMショーの歴史で重要な位置を占める。
別名
略歴
1967年(昭和42年)、奇譚クラブ1月号の「編集部だより」に「ダイコーミュージックでアブノーマル演劇と銘打った<女体責め>の劇をやっているのを見てきたと山本一章氏から連絡」「引き続いて鶴見橋第一劇場」「秋山夫妻のSショーという名前で、かつての青木順子以上の凄いしばり」
1967年(昭和42年)、奇譚クラブ5月号に鍔喜敬一『サジズムショーの主人公 秋山夫妻の夫婦愛』が。
1967年(昭和42年)、奇譚クラブ6月号の「編集部だより」に「4月1日〜10日に京都大宮劇場に出演予定」といった内容の情報。
1967年(昭和42年)、奇譚クラブ8月号の辻村隆『SMカメラ・ハント』、第x回目のモデル。
1967年(昭和42年)、風俗奇譚10月号に『秋山夫妻の優雅な生活」。
1969年(昭和44年)10月28日、辻村隆、福田和彦と11PM「サド侯爵もびっくり」に出演[1]。
1970年(昭和45年)、奇譚クラブ1月号, p242に「『残酷ショー』見学記」
1970年(昭和45年)、奇譚クラブ2月号, p234に「大阪ダイコー、東大阪市のコーセー劇場で公演」とある。
1973年(昭和48年)、中島貞夫監督の『セックスドキュメント エロスの女王』(東映, 1973)で取り上げられる。
1974年(昭和49年)、小沢昭一『珍奇絶倫 小沢代写真館』(話の特集, 1974.4)の中に晃生ショー劇場での写真が収録。
1978年(昭和53年)5月1日〜10日、晃生ショーでローズ秋山夫妻のSMショー[2]。
1978年(昭和53年)9月1日〜10日、晃生ショーでSMショー[3]。
エピソード
- 1965年(昭和40年)頃から活動か。
- ローズ秋山と秋山美智夫。ローズは自らはMでないと言っている。秋山美智夫はマントを着用。
- 奇譚クラブ1967年(昭和42年)8月号「カメラハント」にローズ秋山の特集。
- 奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号「カメラハント」にローズ秋山の特集2回目。
- 奇譚クラブ1973年(昭和48年)2月号「カメラハント」にローズ秋山の特集3回目。
- 大阪のダイコーミュージックが初舞台
- 鞭は実際にはあてていない。蝋燭は垂らしている。
- 賀山茂『裸足で歩いたSM道』S&Mスナイパー2005年(平成17年)6月号に東京公演とその後のプライベートセッションの様子が紹介。プライベートではSMマニアであったと賀山茂は述べている。
代表作
引用文献
- ↑ 奇譚クラブ1970年(昭和45年)1月号号「サロン楽我記」
- ↑ cobanobuのブログ「大阪ミュージック」
- ↑ cobanobuのブログ「SM揃い踏み」
注釈