「火あぶり」の版間の差分
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*木村火葉、津村の内弟子、25才。 | *木村火葉、津村の内弟子、25才。 | ||
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舞台は小石川の津村の自宅で、津村が妾のおくにを柱に細い鎖で縛り付け、その姿を写生している場面から始まる。なぜ売れないのに縛った女性ばかりを描くのかというおくにの質問に、女は縛られた時が一番美しいと答える有年。そこでに重吉とみつが訪れ、みつの母が病気になったので、みつを津村が養女としてひきとってくれないかと相談。津村はすげなく断り、重吉は薄情者とののしり帰る。内弟子の火葉が作品の原稿料をもらって戻ってくる。津村は火葉の一部をおくにに渡すようにと言うと「亡くなった奥さんには一銭もわたさなかったのに、おくにさんには渡すのですね」「今の女に惚れているからだ」「今のやつはもともとモデル上がりの己の情婦だ」といった会話。そこにおくにが入ってきて、津村に風呂にいっておいでと送り出す。残った火葉におくにが色仕掛け。いい雰囲気になったところに津村が突然帰ってくる。状況を察した津村は二人を折檻。いつか現場を抑えてやろうと思っていたんだ、と吐き捨てる。何が悪いと開き直った火葉を追い出す津村。二人になった津村は、「よし本式に縛りあげてやろう」とおくにを[[後ろ手]]に縛り上げ、庭の樫の木に縛りつける。さらに手拭いで口を縛る。「かうして縛りつけるのも惚れていればこそだ」。髪の毛を乱し、さらに小刀で頬を切る。「死んだ嬶(かかあ)は師匠と間男をしてやがった。それを己はしらねえ風をして暮らして来た」「女と云うものはまつたく縛り上げて置くより仕様がないものだ」「火をつけてやろうか」と炭俵や木端を持ち出し「己が一代の名画にしてやる」と火をつけんとする時に、庭の隅からそっとでてきた火葉が津村にとびかかかり、津村が他終えれて幕。 | 舞台は小石川の津村の自宅で、津村が妾のおくにを柱に細い鎖で縛り付け、その姿を写生している場面から始まる。なぜ売れないのに縛った女性ばかりを描くのかというおくにの質問に、女は縛られた時が一番美しいと答える有年。そこでに重吉とみつが訪れ、みつの母が病気になったので、みつを津村が養女としてひきとってくれないかと相談。津村はすげなく断り、重吉は薄情者とののしり帰る。内弟子の火葉が作品の原稿料をもらって戻ってくる。津村は火葉の一部をおくにに渡すようにと言うと「亡くなった奥さんには一銭もわたさなかったのに、おくにさんには渡すのですね」「今の女に惚れているからだ」「今のやつはもともとモデル上がりの己の情婦だ」といった会話。そこにおくにが入ってきて、津村に風呂にいっておいでと送り出す。残った火葉におくにが色仕掛け。いい雰囲気になったところに津村が突然帰ってくる。状況を察した津村は二人を折檻。いつか現場を抑えてやろうと思っていたんだ、と吐き捨てる。何が悪いと開き直った火葉を追い出す津村。二人になった津村は、「よし本式に縛りあげてやろう」とおくにを[[後手縛り|後ろ手]]に縛り上げ、庭の樫の木に縛りつける。さらに手拭いで口を縛る。「かうして縛りつけるのも惚れていればこそだ」。髪の毛を乱し、さらに小刀で頬を切る。「死んだ嬶(かかあ)は師匠と間男をしてやがった。それを己はしらねえ風をして暮らして来た」「女と云うものはまつたく縛り上げて置くより仕様がないものだ」「火をつけてやろうか」と炭俵や木端を持ち出し「己が一代の名画にしてやる」と火をつけんとする時に、庭の隅からそっとでてきた火葉が津村にとびかかかり、津村が他終えれて幕。 | ||
== 引用文献== | == 引用文献== |
2012年6月30日 (土) 17:25時点における版
概要
劇作家である鈴木泉三郎が伊藤晴雨をモデルとして、1921年(大正10年)に早稲田大学紀要(要確認)に発表した作品。責め場を含む戯曲で、戦前・戦後に上演されていた[1]。
歴史
1921年(大正10年)、早稲田大学紀要(要確認)に発表。
1923年(大正12年)、この年に白洲次郎が高橋義信、五月信子らと設立した先駆座が、戦前のいつか、火あぶりを上演した模様[2]。
1925年(大正14年)、プラトン社から発行された『鈴木泉三郎戯曲全集』(プラトン社, 1925)に『火あぶり』が収録。
戦前、飯塚与一郎[注 1]が、牛込呉松町の自宅で私演している[1]。
1940年代後半?、空気座が東横デパートの劇場で上演したある[3]。
1948年(昭和23年)、山岸康二がレビュー劇場『静岡歌舞伎座』で松浦泉三郎の「火焙り」を上演していたのを記憶しているが、これは鈴木泉三郎作品と同一かもしれない。
1953年(昭和28年)6月4日、伊藤晴雨が市川鈴本で『責めの劇団』の第1回公演で『火焙り』を上演[3][注 2]。
トピック
- 伊藤晴雨の没後、裏窓で企画された伊藤竹酔+大橋月皎+佐藤倫一郎+東喜代駒+高橋鐵による座談会[2]では、火あぶりが話題となっている。それによると、「高橋義信と五月信子のやった[注 3]」「大阪の角座で先生がかぶりつきで見ていた」「大橋月皎が喋ったねたを鈴木泉三郎が脚色した。伊藤晴雨の最初の夫人の竹夫は、伊藤晴雨が通っていたKという新聞記者の女中だった。Kさんの手が着いていたのをいただいた。それと一緒にたくさんの古書をもらう。」
登場人物
- 津村有年、45才の画家
- 富山くに(おくに)、津村の妾。36才。
- 安田みつ、津村の娘。14才。
- 安田重吉、みつの伯父、37才。
- 木村火葉、津村の内弟子、25才。
あらすじ
舞台は小石川の津村の自宅で、津村が妾のおくにを柱に細い鎖で縛り付け、その姿を写生している場面から始まる。なぜ売れないのに縛った女性ばかりを描くのかというおくにの質問に、女は縛られた時が一番美しいと答える有年。そこでに重吉とみつが訪れ、みつの母が病気になったので、みつを津村が養女としてひきとってくれないかと相談。津村はすげなく断り、重吉は薄情者とののしり帰る。内弟子の火葉が作品の原稿料をもらって戻ってくる。津村は火葉の一部をおくにに渡すようにと言うと「亡くなった奥さんには一銭もわたさなかったのに、おくにさんには渡すのですね」「今の女に惚れているからだ」「今のやつはもともとモデル上がりの己の情婦だ」といった会話。そこにおくにが入ってきて、津村に風呂にいっておいでと送り出す。残った火葉におくにが色仕掛け。いい雰囲気になったところに津村が突然帰ってくる。状況を察した津村は二人を折檻。いつか現場を抑えてやろうと思っていたんだ、と吐き捨てる。何が悪いと開き直った火葉を追い出す津村。二人になった津村は、「よし本式に縛りあげてやろう」とおくにを後ろ手に縛り上げ、庭の樫の木に縛りつける。さらに手拭いで口を縛る。「かうして縛りつけるのも惚れていればこそだ」。髪の毛を乱し、さらに小刀で頬を切る。「死んだ嬶(かかあ)は師匠と間男をしてやがった。それを己はしらねえ風をして暮らして来た」「女と云うものはまつたく縛り上げて置くより仕様がないものだ」「火をつけてやろうか」と炭俵や木端を持ち出し「己が一代の名画にしてやる」と火をつけんとする時に、庭の隅からそっとでてきた火葉が津村にとびかかかり、津村が他終えれて幕。