「高倉一」の版間の差分
提供:SMpedia
(→略歴) |
(→略歴) |
||
12行目: | 12行目: | ||
1949年(昭和24年)、「[[夫婦生活]]」([[鱒書房]])3号より編集に関与<ref name="nagae"></ref><ref group="注">文芸誌の編集者だったところに、[[鱒書房]]に誘われて「[[夫婦生活]]」の編集に入った。</ref>。 | 1949年(昭和24年)、「[[夫婦生活]]」([[鱒書房]])3号より編集に関与<ref name="nagae"></ref><ref group="注">文芸誌の編集者だったところに、[[鱒書房]]に誘われて「[[夫婦生活]]」の編集に入った。</ref>。 | ||
1958年(昭和33年) | 1958年(昭和33年)頃、「[[夫婦生活]]」の編集を辞め、[[新樹書房]]を設立。『'''女の百科'''』を創刊<ref name="nagae">[[永江朗]]『'''アダルト系出版社のルーツを探せ!'''』in 別冊宝島「性メディアの50年」(宝島社, 1995)</ref> | ||
1959年(昭和34年)頃、[[新樹書房]]を辞める抜ける<ref name="nagae"></ref>。 | |||
1959年(昭和34年)頃、フリーの編集者として[[芸文社]]などに執筆していた。 | |||
1960年(昭和35年)1月、「[[風俗奇譚]]」([[文献資料刊行会]])創刊。 | 1960年(昭和35年)1月、「[[風俗奇譚]]」([[文献資料刊行会]])創刊。 |
2011年9月24日 (土) 21:41時点における版
たかくら はじめ、1914年(大正3年)8月21日-2004年(平成16年)9月29日。
概要
文筆家。編集者。
別名
略歴
1914年(大正3年)8月21日、生まれる。
1949年(昭和24年)、「夫婦生活」(鱒書房)3号より編集に関与[1][注 1]。
1958年(昭和33年)頃、「夫婦生活」の編集を辞め、新樹書房を設立。『女の百科』を創刊[1]
1959年(昭和34年)頃、フリーの編集者として芸文社などに執筆していた。
1960年(昭和35年)1月、「風俗奇譚」(文献資料刊行会)創刊。
1978年(昭和53年)『GULLIVER』(檸檬社)創刊
1984年(昭和59年)、風俗資料館を開館(初代館長として2004年まで就任)。
1986年(昭和61年)、マニア倶楽部7月号より『風俗資料館だより』を連載。
2004年(平成16年)9月29日、心不全により死去。
エピソード
- 「毎日、四度の酒を欠かさない」[1]。