「中島喜美」の版間の差分
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画像:syohiminakajima6.png|『'''鴨川の夕 (人形流し)'''』[[SMトップ]] 1972年(昭和47年)8月号より。 | 画像:syohiminakajima6.png|『'''鴨川の夕 (人形流し)'''』[[SMトップ]] 1972年(昭和47年)8月号より。 | ||
画像:syohiminakajima4.png|『'''江戸城大奥淫虐之図'''』[[S・Xミステリー]] 1972年(昭和47年)12月号より。 | 画像:syohiminakajima4.png|『'''江戸城大奥淫虐之図'''』[[S・Xミステリー]] 1972年(昭和47年)12月号より。 | ||
画像:syohiminakajima07.png|[[畑中正也]]・作、[[中島喜美]]・画『'''玉肌無残'''』[[SMキング]] 1974年(昭和49年)11月号より。 | |||
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2023年8月30日 (水) 16:29時点における版
なかじま きよし、(生年不詳)。1940年代から「妖奇」「風俗草紙」「裏窓」に挿絵を書いていた男性の日本画家。濡木痴夢男が親しくしていた。
概要
別名
略歴
1949年(昭和24年)4月、讀切講談世界4月号の口絵。
1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロとサン出版の企画による箱根での慰労会[1]。出席者は団鬼六、美濃村晃、堂昌一、小日向一夢、千草忠夫、安芸蒼太郎、小妻容子、前田寿安、沖渉二、古正英生、東桂史、中島喜美、織裳雪夫、松井籟子、蘭光生、天堂寺慎、山田彬弘、曽我部泰、佐藤重臣、ネコ、マリ。
エピソード
- 「彼は日本画家で、小田急沿線の狛江に住んでいて、新宿の同じ喫茶店でよくあった。女性を繊細艶麗に描くだけあって、奥さんはとてもきれいで、いつも和服を着ていた。」[2]
作品
- 島本春雄『振袖小姓捕物控』妖奇 194?年に連載。挿絵は中島喜美[注 2]。
- 中島喜美『地獄屏風』裏窓1959年(昭和34年)7月号, 口絵
- 中島喜美絵と文『美肌小姓』裏窓1959年(昭和34年)7月号, p131
- 飯田豊吉『往生組始末記』裏窓1959年(昭和34年)7月号, p248(挿絵:中島喜美)
- 飯田豊吉『狂異地獄肌』裏窓叢書1(挿絵:中島喜美)
ギャラリー
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『童女の舞い』SMトップ 1972年(昭和47年)7月号より。
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『鴨川の夕 (人形流し)』SMトップ 1972年(昭和47年)8月号より。
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『江戸城大奥淫虐之図』S・Xミステリー 1972年(昭和47年)12月号より。