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1960年前後、少女雑誌のモデルを経て東映京都撮影所に入り端役女優<ref name="houseki"></ref>。 | |||
1980年(昭和55年)、[[赤坂ブルーシャトー]] | 1970年前後、新宿歌舞伎町のナイトクラブのママ、赤坂コパカバーナのホステス、赤坂ひの家の芸妓、ナイトクラブ赤坂ミカドの芸妓ホステスを経て、銀座のバー「真理子」のオーナーマダムとなる。続いて、会員制クラブ「赤坂峰子」「サロンど峰」などを開店。 | ||
1980年(昭和55年)頃、「赤坂ナイトクラブ真理子」を開店。 | |||
1980年(昭和55年)、[[赤坂ブルーシャトー]]を開業<ref name="syuki">[[葵マリ|葵マリー]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4870420570?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4870420570 『SMドキュメント葵マリーの告白手記』(あまとりあ社, 1983)]</ref><ref group="注">毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。</ref>。姉妹店のヤングシャトー、シルバーシャトー、ロイヤルシャトーも開業。 | |||
1980年(昭和55年)10月、後の[[松川ナミ]]が入店。源氏名はエミ<ref name="syuki"></ref><ref group="注">ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる[[赤坂ブルーシャトー]]はやめる。</ref>。 | 1980年(昭和55年)10月、後の[[松川ナミ]]が入店。源氏名はエミ<ref name="syuki"></ref><ref group="注">ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる[[赤坂ブルーシャトー]]はやめる。</ref>。 | ||
1980年代初め、「ショークラブブルーシャトー」「キャバレーシンデレラ」などを開店。 | |||
1981年(昭和56年)1月8日、[[赤坂ブルーシャトー]]の定例ショーに[[長田英吉]]を招聘。司会は田辺一鶴、モデルは[[松川ナミ|エミ]]<ref name="syuki"></ref><ref group="注">2月5日の節分ショーでも[[長田英吉]]が出演。</ref>。 | 1981年(昭和56年)1月8日、[[赤坂ブルーシャトー]]の定例ショーに[[長田英吉]]を招聘。司会は田辺一鶴、モデルは[[松川ナミ|エミ]]<ref name="syuki"></ref><ref group="注">2月5日の節分ショーでも[[長田英吉]]が出演。</ref>。 | ||
1983年(昭和58年)9月、ABSプロモーション設立<ref name="syuki"></ref>。 | 1983年(昭和58年)9月、ABSプロモーション設立<ref name="syuki"></ref><refgroup="注">日活映画と映画作品8本、ビデオ会社とビデオ作品15本の女流監督契約。</ref>。 | ||
1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始<ref name="syuki"></ref>。 | 1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始<ref name="syuki"></ref>。 | ||
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1987年(昭和62年)11月、[[赤坂ブルーシャトー]]閉店。 | 1987年(昭和62年)11月、[[赤坂ブルーシャトー]]閉店。 | ||
1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。 | |||
2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督<ref group="注">[[明智伝鬼]]、[[千葉曳三]]、[[速水健二]]が出演。</ref>。 | 2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督<ref group="注">[[明智伝鬼]]、[[千葉曳三]]、[[速水健二]]が出演。</ref>。 |
2011年7月26日 (火) 14:02時点における版
あおい まり、1944年(昭和19年)[1]-
概要
女王様。1980年代の「SMの女王」。1980年(昭和55年)にSMクラブ赤坂ブルーシャトーを設立し、多くのS女、M女を育てる。そこでの定例SMショーには長田英吉なども出演していた。にっかつ映画への出演・監督など、積極的なマスコミへの露出を通じて、ステレオタイプ的な「SMプレイ」のイメージを作り上げた仕掛け人として位置づけられる。後継者として二代目葵マリー、三代目葵マリーを生み出したが、現在三代目葵マリーが活躍。
別名
Mary Aoi,葵マリー、葵まりー(初代)、伊藤尚子(本名)
略歴
1944年(昭和19年)、静岡に誕生[1]。
1960年前後、少女雑誌のモデルを経て東映京都撮影所に入り端役女優[1]。
1970年前後、新宿歌舞伎町のナイトクラブのママ、赤坂コパカバーナのホステス、赤坂ひの家の芸妓、ナイトクラブ赤坂ミカドの芸妓ホステスを経て、銀座のバー「真理子」のオーナーマダムとなる。続いて、会員制クラブ「赤坂峰子」「サロンど峰」などを開店。
1980年(昭和55年)頃、「赤坂ナイトクラブ真理子」を開店。
1980年(昭和55年)、赤坂ブルーシャトーを開業[2][注 1]。姉妹店のヤングシャトー、シルバーシャトー、ロイヤルシャトーも開業。
1980年(昭和55年)10月、後の松川ナミが入店。源氏名はエミ[2][注 2]。
1980年代初め、「ショークラブブルーシャトー」「キャバレーシンデレラ」などを開店。
1981年(昭和56年)1月8日、赤坂ブルーシャトーの定例ショーに長田英吉を招聘。司会は田辺一鶴、モデルはエミ[2][注 3]。
1983年(昭和58年)9月、ABSプロモーション設立[2]<refgroup="注">日活映画と映画作品8本、ビデオ会社とビデオ作品15本の女流監督契約。</ref>。
1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始[2]。
1985年(昭和60年)、『ザ・折檻2』『ザ・折檻3』の監督。
1987年(昭和62年)11月、赤坂ブルーシャトー閉店。
1980年代後半、有限会社マリコジャパンを設立し広告代理店、コンサルティング業務、各種イベント企画構成演出、タレント養成派遣業務、ナイトクラブ、和装小物呉服販売。
2004年(平成16年)10月9日、DVD『鬼』を監督[注 4]。
エピソード
- 中川あづさ、松川ナミ、石原みか、藤代裕子、西白蘭[注 5]、春川かおり、熱砂、夢リンダなどを育てる。
- 赤坂ブルーシャトーの社長は、葵マリの夫である酒井氏。
- S&MスナイパーやSMセレクトに寄稿している佐土魔造氏の吊りプレイについてエッセイに書いている[2]。
- 長田英吉が赤坂ブルーシャトーの北条小夜子に緊縛を教える、という記述がある。
- 逮捕歴が複数あるお騒がせ人物でもある。
代表作
映画
ビデオ
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー1』
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー2』
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー3』
- 『葵伝説 赤坂ブルーシャトー4』
- 『ザ・折檻2』(にっかつ, 1985)(監督:葵マリ、助監督:高原秀和、撮影:倉本和人、出演:水野由美、熱砂、西白蘭、春川かおり)
- 『ザ・折檻3』(にっかつ, 1985.10.26)(監督:葵マリ、助監督:高原秀和、撮影:遠藤政史、出演:立川ひとみ、西白蘭、春川かおり)
- 『懺悔M 針とみみずと』
- 『SM女帝・葵マリー引退記念作品 愛虐の館 』(Golden SAMM, 1987)(製作:中村幻児〔ユーロビジョン)、監督:伊集院剛、助監督:鬼頭理三 田村良夫、脚本:田辺満、撮影:冨田伸二、出演:芳村さおり 中川あずさ 石原みか 春川かおり 葵マリ マグナムv北斗三条雅樹 嶋弘史)[注 6]
- 『ロイヤルクラブの隷嬢たち』(受審:志摩プランニング、制作:ユープロビジョン、発売元:スターシップ, 1987)(監督:葵マリ-、縄師:龍、出演:牧いずみ・吉野晴美・一条桜子・石原ミカ・北村恵・青山恵子)
- 『『ザ・虐待』
- 『SMドキュメント調教24時間『衝撃編』』
- 『鬼』
- 『新・調教24時間 雪糞天国』(1996)