「小日向一夢」の版間の差分

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画集『[[縄と女]]』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 三崎書房
 
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2023年11月25日 (土) 17:34時点における最新版

小日向一夢SMホテル』in 「異常緊縛画集」(平安書房, 1970)より。

こひなた かずむ、1910年(明治43年)- 没年不明。明治生まれで戦前から活躍する挿絵画家の重鎮である木俣清史の別名。 裏窓別冊SMファンなどに作品発表。小田富弥の弟子で、中一弥の弟分。

概要

戦前から活躍する挿絵画家の重鎮である木俣清史の別名。 裏窓別冊SMファンなどに作品発表。小田富弥の弟子で、中一弥の弟分、野口昂明の兄貴分に当たる。

別名

小日向一夢 木俣清史 小見向一夢[注 1]

略歴

1910年(明治43年)、愛知県に生まれる。

1928年(昭和3年)、新聞の挿絵を描き始める。

1931年(昭和6年)、雑誌の挿絵を描き始める。当時の画料は3円。

1955年(昭和30年)、『小説倶楽部』4月号の「天に沖す」の挿絵に対し「絵として魅力がない」、「気品がない」と手厳しい批判[1]

1955年(昭和30年)、小泉純が「古さからの脱却によって、大いに前進、華麗な絵を、見せてほしい」と励ましの言葉を送っている[2]

1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロサン出版の企画による箱根での慰労会[3]。出席者は団鬼六美濃村晃堂昌一小日向一夢千草忠夫安芸蒼太郎小妻容子前田寿安沖渉二古正英生東桂史中島喜美織裳雪夫松井籟子蘭光生天堂寺慎山田彬弘曽我部泰佐藤重臣ネコ、マリ。

エピソード

  • 「中野の編集部近くに挿絵画家の重鎮、木俣清史の邸宅があった。須磨濡木は挿絵を依頼するためによくうかがった」[4]
  • 高月大三戦後の挿繪に現れた女の責め場奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号, 口絵で紹介されている。
  • あらえびす記念館の1995年の設立に尽力。
  • 「私の好きな顔は、額の広い眼が細く鼻丸く唇厚くあとの二重に豊な先づはお多福相です。絵に描く場合は反対の女性を描きます。即ち絵にした顔は実際の私の好みではありません」と述べている。

作品

ギャラリー

引用文献

  1. 『さしゑ』第1号 「さしえ合評 ―倶楽部雑誌をめぐって―」より
  2. 「挿絵太平記」より
  3. SMキング1973年(昭和48年)8月号に紹介記事
  4. 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)

注釈

  1. Pocket SMにこの名前が使われているが、誤植の可能性がある

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